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コラム

「ふたば創生」片寄 洋一さん(高6回)

あの大惨事から4年が経過した。避難生活は未だ続き、何時になったら避難指令解除になるのか誰も判らない闇の中にある。また避難指示解除の令がでても、以前と同じような生活が戻ってくる保証は全く無い。それどころか新たな苦難の始まりになりかねない。

ふる里の人々は苦しみ、悩み、絶望の淵にいる。このような時に安閑として傍観している場合ではない。ふる里の惨状を救済したい、手助けの方法は何かないか、恩返しをしたい。双高OBとして思いは同じ、東京栴檀会として何か出来ないか。ここに各種の資料を提供し、OB諸兄姉の叡智と行動を期待したい。

高6回 片寄 洋一

 まえがき 【第四編 我が国の電力事情】
【第一編 東日本大震災】   第25章 我が国の電力事情
  第01章 福島第一原発事故再考   第26章 只見川総合開発
  第02章 大熊町全町民避難   第27章 原子力発電への途
  第03章 双葉町全町民避難   第28章 原発と福島県
  第04章 浪江町全町民避難   第29章 地元誘致の動き
  第05章 富岡町・川内村避難   第30章 磐城飛行場
  第06章 楢葉町・広野町・葛尾村   第31章 福島第一原発建設開始
  第07章 双葉病院の悲劇   第32章 原発建設の必要性
  第08章 福島第二原発   第33章 中東情勢と原発
  第09章 第一原発吉田所長の活躍   第34章 中東の複雑さ
  第10章 外国での反響・協力   第35章 中東からの輸送路確保
  第11章 核の恐怖   第36章 海洋資源
  第12章 数々の隠蔽工作   第37章 海の国境線
  第13章 福島県知事の叛旗   第38章 ロシア革命
【第二編 事故後の混乱】   第39章 ポーランド孤児救済・保護
  第14章 原発事故後の混乱   第40章 第二次大戦への突入終結
  第15章 SPEEDI情報   第41章 北方四島問題
  第16章 その他の情報があった 【第五編 栴檀のふたば】
  第17章 事故は防げたのか   第42章 五年目の春
  第18章 国会最終報告書   第43章 残留放射線(能)汚染再考
  第19章 顧みて   第44章 ふる里は聖地
【第三編 核の知識】   第45章 双葉地方の農業
  第20章 原子力発電所の仕組   第46章 これからの農業形態
  第21章 放射線量(能)の知識   第47章 双葉地方の工業化
  第22章 除染作業   第48章 太平洋に挑む
  第23章 中間貯蔵施設   第49章 人工島の活用
  第24章 もう福島には住めないのか   第50章 被災地再興の原動力は教育にあり

第42章 五年目の春

 2016年1月8日、福島県によると、東日本大震災と東電福島第一原発事故で避難中の県民が9万9千991人となり、10万人を下回ったと発表があった。

 内訳は県内5万6千463人、県外4万3千497人、避難先不明31人、正確な統計を取り始めてから以降、2012年5月がピークで16万4千865人であったから4割近く減ってきた。が、未だ10万近くの人々が避難生活を続けている事実を認識しなければならない。

 第一原発事故では、第一ステージであった20キロ圏内避難は各自治体の迅速な対応によってなんとか避難をすることが出来た。

 第二ステージは仮設住宅建設、借り上げ住宅の確保、慰謝料の保証等、避難している人々にとって不満足だろうが、客観的には最善を尽くしているものと考える。

 第三ステージである古里へ戻る作業は難航が予想される。避難指示解除とはその地の安全宣言である。だが安心だと納得した訳ではない。安全と安心はイコールではないからだ。

 避難指示解除になっても、事故以前の生活が即戻ってくる訳ではない。町としての組織が一度破壊されてしまっては元の生活にまでに回復するには長い才月を要することになる。あるいは不可能かも知れないし、個人の努力ではどうにもならない難題だからだ。

 戻ろうとしてもわが家の痛みは激しく、新築、修繕するにも簡単にできるわけではない。更に周囲も即生活ができるような環境ではなく、収入のメドもたたない。ならば現在の避難地で落ち着いたほうが最善の策ではないか。あるいは新天地を求めて新しい生活の途を切り開いた方が確かではないか、心は千々に乱れていることだろうと推察する。

 政府は除染工事を進めているが、除染完了すれば、それだけで避難した人々が悦んで戻ってくるだろうとはまさか思ってはいないだろが、ではどうすれば戻れるのか、どのような救済方法や再興の案があるのか。まだ何も見えてこないし、示されてもいない。

 国は除染工事までは請負、その後のふる里再興は各自治体が立案し、施行することに委ねているのか。国が前面にでて立案することは出来ないのか。

 何か救済の方法はないのか。避難している各自治体も真剣にその対策を練っていることと思うが、個々の自治体が独自の案を作成しても限定された地域だけの案になってしまうし、近隣自治体との相互依存関係があってこそ再興は諮れるのであって、単独での再興計画には無理があるのではないか。

 国は何も言わないが、避難中の人々を救済する方法として推奨したいのは移住奨励だろうか、しかしこれは棄民政策でしかない。これではふる里は完全に崩壊してしまう事になる。

 避難している人達が熱望していることは一日でも早く我が家に戻って以前の生活を取り戻したい。

 しかしそれは虚しい夢でしかないことも承知している。現実は厳しく願いは叶えられないことも十分承知している。

 先日、NHK・TVで大熊町町民の集会の模様が放映されたが、質問に立った年配の婦人が「このままではみんなバラバラになって他所へ移住しなければならなくなってしまう。なんとかふる里大熊町に戻れる方策はないのか、何とかして欲しい、これが私たち皆の気持ちだ」と涙ながらに訴えていたが、明快な答はなかった。

 確かにふる里再興は難事だし、まして中間貯蔵施設建設で町の主要地域が建設予定地になる大熊町にとって再興はさらに難事であり、答えようがなったのだろう。同じことは双葉町にも言える。

 各自治体の出来ることは、家屋の建設、診療所、仮設商店位迄は出来るだろうが、大規模な復興を手がけることは出来ないし、生活のメドが立つ職場の確保までは不可能だろう。

 しかしそれは自治体単独での再興を計画するからであって、広域な範囲で再興を計画することはできないのか、避難自治体全てが、あるいは双葉郡全体が一丸となって再興の途を切り開くべきであって、双葉郡全体を鳥瞰した思い切ったグランドデザインが必要だ。小手先の施策だけでは戻ることはできない。だからこそ国の全面的な指導・協力が必要になるのではないか。

 また、避難している人々も「戻らない」と決意するまでには大変な心の葛藤があったことと思う。戻らないとする原因は何か。推察すれば住と職の喪失であって、この二点が充足できればふる里へ悦んで戻ることを決意するだろうと推察する。

 では、住・職の二点を確保するにはどうすれば良いのか。そう簡単にはある訳はないが、こうしてほしい、このようになればふる里へ戻りたい、とする案があるはずだ。声を大にして叫ぼう。無言であっては無視されるだけ、あるいは国も県もどうしてよいのか判らないでいるのかもしれないし、あるいは避難中の皆さんの方からの提案を待っているのかも知れない。

 だからこそ避難している皆さんには提案する権利がある。それは自分の為であり、家族の為であり、町民すべての為でもある。運命共同体の一員として、自分たちの将来を考えよう、こうあるべきだというグランドデザインを皆で考えよう。ただし事故前と全く同じ生活に戻りたいというのであれば、それは無理な願望で、諦めが必要となる。

 だからこそより良きふる里を創りあげよう。文字通りの「ふる里創生」を皆さんに提案し、共に考えたい。そして国を動かそう。必ず打開の途はあるはずだ。

既に解除になった町村の現状

川内村(人口3,028人)

 川内村は第一原発より20q圏内にあり、先に避難してきた富岡町と共に避難し、主に郡山市を避難地とし、市内にあるビックパレット内に仮役場を開設、村民もこの施設内を仮住まいとした。

 山間の盆地にある同村は、比較的汚染度が低く、避難指示解除になるのが早かった。

 2012年1月、帰村宣言、4月役場機構が元の庁舎に戻り、小、中校も戻った。

 同年8月、一人当たり月10万円の補償金の支払打ち切り。

 2013年1月、帰村宣言後、一年間で帰村した人は、421人のみ。

 2014年1月、帰村宣言後二年目、新たに166人が戻った。

 2015年4月1日現在、帰村した人は合計1,299人となった。現在の村の登録住民、2758人、270人が住民票を他所に移した。帰村率は46%で、半数以上の村民は未だ戻っていない。

 このうち完全に村に戻った人は505人、他の人々は家族を避難地で生活しており、家族の働き手が村に戻って週5日程度働き、週末には家族の元に戻るという二重生活をしており、帰村者の年齢別では、65歳以上の高齢者が44%、これでは最初から限界集落になってしまう。

 一方、村外での生活は、借り上げ住宅や仮設住宅が多く、いずれ廃止になる運命にある。

 川内村に帰りたいが、大家族は崩壊し、バラバラになって取り残されてしまったお年寄りは避難地に居り、救済は緊急課題だ。

 また就学している子息がいる場合、避難地での通学校が母校であり、川内村の少人数になってしまった小、中校に転学するのは不利と判断、川内村には高校がなくまた近隣の通学可能な高校は休校、廃校で通学する術はない。だとすればこのままの生活を維持するのが得策となる。

 避難した市内での生活の便利さを体験してしまうと、いくら自然の中での生活を強調しても、便利な市内での生活の方が優先する。しかも働く場所も確保できたとなれば帰村しなければならない理由はない。

 この為、村では働く場所を確保するための努力を惜しまず、さらに国からも後援があったので村が誘致した第一号は、水耕栽培による野菜栽培工場で、LED照明による近代的野菜工場であったが、予定の労働力が集まらず、稼働力50%で、採算ラインを割り込んだ赤字経営に陥っている。その他の企業も誘致に成功したが、労働力確保が難しいという本末転倒の現象により苦戦している。

 では何故村民は戻らない。被災前の生活は、隣接する富岡町にあるスーパーや商店街で必需品を購入し、医療は大熊町にあった県立総合病院に依存していた。それが全て消え失せてしまった。村単独での生活は困難、近隣との相互関係は不可欠であって、同じく田村市都路地区も隣接する大熊町との依存関係が深く、戻らない理由となっており、強制避難地区の再興、再建の難しさはここにある。

楢葉町

 楢葉町は本年(15年)9月5日、避難指示解除を政府が決定、楢葉町は受諾する運びとなり、全町強制避難における初の避難指示解除になった。常磐線JR竜田駅(楢葉町)までは既に開通し運行している。

 楢葉町役場機構も戻っており。これからの町復興の準備万端整ったことになる。

 この避難指示解除に先立ち、3ヶ月間の準備宿泊を企画し、15年4月6日から自宅での寝泊まりが出来るようにした。対象は町内2,715世帯、7,438人であったが、7月3日現在、実施したのは町民の一割弱の690人にすぎなかった。

 9月5日午前零時、遂に待ちに待った指令解除の日がやって来た。自治体ぐるみで全町民が避難した区域としては最初の解除となった。

 第一原発周辺では、なお9市町村で避難指示が続いている。楢葉町のケースが本格的帰還のモデルになるような期待がある。その為にも電気や水道などインフラの復旧に力を注いできた。それでも、帰還に備えた長期宿泊の登録者は、解除直前で約780人にとどまり、町の全人口の約一割に過ぎない。

 町内には第一原発の収束作業や除染を請け負う大手ゼネコンの作業員宿舎が急増、その反面、住民は転出が相次ぎ町人口の約1割が減少してしまった。

 町の税収も減り、震災前六割を超えていた自主財源も三割程度と低迷している。一方、復興関連事業費は膨らみ、過去最高の200億円を突破。復興計画はどうなっているのか。

 雇用創出が最重要課題だが、農業が主体であり、原発関連の仕事が多かった地域だけに、雇用創出と言っても短期間で出来るものではない。

 昨年秋に行われた町民の意向調査では、高齢者には帰還の希望が多いが、40歳代以下では大半が「戻らない」「今は判断できない」と答えている。

 17年4月、いわき市にある仮設の小・中学校が町に戻る予定だが、町のアンケート調査では就学者の僅か7%が「戻る」としている。町にある商店は六号国道沿いにある仮設のスーパーとコンビニだけ。「戻る」条件整備はこれからとなる。

解除に備えて

南相馬市、葛尾村

 15年8月13日、政府は南相馬市の南半分と葛尾村の避難指示解除準備区域と居住制限区域を対象にして避難指示解除後の期間準備のために住民らが自宅に泊まることができる長期宿泊を行うことを発表した。ただし一部ではあるが未だ帰還困難区域が存在する。

 8月31日から3ヶ月間とし、その後は11月末までに地元と協議し、避難指示解除時期と長期宿泊の延長について判断する。

 対象区域の住民は、8月1日現在、南相馬市が3,673世帯、1万1,702人、葛尾村は419世帯、1,360人。20日から参加の申し込みを受け付ける。

 避難指示解除は来春を予定し、協議して決めることになっている。そのほか川俣町の一部に避難指示が出ているが、同じ日程で長期宿泊を実施する予定。

 17年3月には大幅な避難指示解除の令がでる。18年3月には慰謝料金の支払が打ち切りになるかもしれない。避難している人達はこれからどうすれば良いのか、具体的な方策は何も示されてはいない。解除とは即路頭に迷うことになるのか。戻ることが出来ない弱者が大勢でることになるが、全てが打ちきりなのか、切り捨て御免で片付けを謀るのか。

 再び地獄の苦しみを味あわねばならないのか。問題はこれからだ。

富岡町

 17年3月、避難指示解除の予定、これを踏まえて富岡町役場は10月1日より役場機能の一部を富岡町役場本庁舎隣にあった保健センター内に移し、復旧課と復興推進課を町内で再開した。

 さらに10月5日、町内の復興拠点となる地区に「富岡町交流サロン」を開所した。当サロンは年中無休で、業者委託をしている(株)ふたば商工のスタッフ2名が常駐する。場所は「富岡ショッピングプラザTom‐とむ」6号国道を挟んで向かい側になる。

 町民の避難先(15年10月現在)は、いわき市、郡山市、福島市、三春町、大玉村の順で、いわき市は避難町民の約4割がこの街に住んでいる。

 一度は遠く離れた場所に避難した人達も、やがてふる里に近いところが安心だといわき市に戻ってきた。あと一歩で戻れることになるが、避難指示解除になっても戻ることには躊躇いがある。

 数字で表すと、戻りたいとしている人(将来的には戻りたい)を含めても13.9%でしかない。さらに既に住民票を他所に移してしまった人達が約2割に達した。

 30歳以下の町民は約70%が戻らない意向を表明している。50歳以上でも50%以上が戻らないと決めている。

 この兆候は既に解除になった町村でも顕著で、最も帰還率の高い川内村でも半数弱しか戻らなかった。楢葉町は僅か1割にも満たない。では将来的に戻ってくる見通しがあるのか、時間がたてば経つほど居住地に根付くものであり戻ることはない。さらにいえば歳月が流れれば世代交代となり、ふる里の思いは薄れるばかりとなる。

 帰還しないことを既に決めており、居住する場所としていわき市を選んでいる人達は約半数に近い、2位は福島県外、3位は郡山市、4位福島市となる。

 このまま推移すれば、避難指示解除になっても限界集落だけが存在する双葉郡になってしまうのか。

「戻らない」を選択する理由

 今回の原発事故における避難者の被害の特徴としては、居住自治体を超えた「広域避難」、による避難、「家族離散」、放射能汚染よる「長期避難」、避難生活が長期化することによって「生活基盤の喪失」等が挙げられる。

 福島大学が実施した調査によると「双葉地方八市町村」の避難者は事故後半年間の間、何回も避難先を換えざるを得ない状態となり、各地を転々とした実態が浮き彫りとなった。

 半年間での避難回数は、全体では1〜2回の人が17.2%、3〜4回が47.2%、5回以上が35.6%、中には半年間で10回以上も避難場所を変えざるを得なかった避難者もいた。この回数は強制避難となった第一原発に近い町ほど避難回数が多い。

 「広域避難」に関しては福島県以外の「県外避難者」が多く、46都道府県全てに及び、1,700余りある全国の自治体の七割に当たる約1,200市区町村に避難者が離散した。

 福島県資料によると、統計を取り始めた2011年6月2日時点では3千896人が県外に避難し、2012年3月8日には6万2千831人に増え、ピークとなった。その後は徐々に減り始め、2013年6月5日には5万3千960人、2014年6月12日には4万5千279人となった。

 同日時点で、県外避難者が最も多いのは東京都6千939人、次いで山形県4千847人、三位は新潟県4千180人、茨城県3千534人などが続く。

 「家族離散」、田舎の農家や商家等では三世代同居の大家族が主であったが、避難後は仮設住宅や借り上げ住宅は狭いため家族を分散せざるを得なかった。また避難後も転々と避難先を変えざるを得ず、その過程において家族が離散していった。

 子供の学校選択、就労、高齢者の介護など避難生活長期化に伴い数々の生活課題が生じ家族離散はさらに進むことになる。

 原発事故後、もう5年弱の歳月が流れたが、避難者の多くは何時ふる里へ戻れるかの見通しは立てられない。長期にわたる避難生活は帰還への意思を萎えさせることになる。事実「戻らない」と決めた人が歳月の流れとともに増えてきた。

 政府は警戒区域の見直しを行い、三つ区分に分けた。

(1) 「帰還困難区域」= 5年を経過してもなお年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らない恐れがある地域。

(2) 「居住制限区域」= 避難指示区域のうち、年間積算線量が20ミリシーベルトを超える怖れがあり、住民の方の被曝線量を低減する観点から、引き続き避難を継続することが求められる地域

(3) 「避難指示解除準備区域」= 避難指示区域のうち、年間積算量が20ミリシーベルト以下になることが確実であると確認された地域。

 「居住制限区域」については、将来的には住民の方が帰還し、コミュニティを再建することを目指して、除染を計画的に実施するとともに、早期の復旧に不可欠な基盤施設の復旧を目指す区域とし、年間積算線量が20ミリシーベルト以下であることが確実と確認された場合は「避難指示解除準備区域」に移行する。

 帰還のめどは立たない。「落ち着いた生活」を考えた時、「慣れた浜通りの気候がいい」と、他所へ避難していた人達も徐々にいわき市周辺に戻ってきた。

 そして新居を購入したり、新築したりと「終の棲家」と決めた人が増え始めた。不動産業者は活況を呈し、不動産価格も上昇気味だとのことだ。

 いわき市は原発事故の避難者2万4千人を受け入れているが、他所へ避難していた人達もいわき市へ転入してくる傾向があり、さらに増加するものと思われる。

 転入してくる人達はふる里へ帰還することを断念しており、いわき市での住宅購入が進んだ。新築住宅の建築確認申請はバブル期よりも遙かに多いという。不動産業者は「物件を出せば直ぐ売れる」という。いわき市は都市計画法の「地区計画」制度を用い、市街化調整区域での宅地開発を誘導している。19カ所で計1,500区画を目指す。都市計画課は「地価高騰は市民生活に関わる。市民と避難者のために供給を急ぐ」と説明した。

 それでもいわき市に戻ってくることは、少しでもふる里に近いところ、何時かは戻れる日もあるだろうという願いが心に秘めているからにほかならない。

 しかし、住まいと職がなければ戻れない。現在政府がやっていることは除染作業を加速させて一日でも早く避難指示解除して、避難中の人々が戻れるようにしたい。だがそこで終わってしまっては役場と少数の住民が戻るだけになってしまう。

 戻りたいと願う気持ちは避難者全員が秘めている。この気持ちを汲んで欲しい。戻っても生活が出来るような環境整備をして欲しい。これが全避難住民の願いだ。

戻らない原因

帰還を判断するうえで必要な情報がない

健康に関するもの

(1) 水道水など生活用水の安全性に不安がある

(2) 原発の安全性に不安がある

(3) 放射線量が低下せず不安だ

町の復旧状況にかかわるもの

(1) 医療関連不備に不安

(2) 商業施設等が元に戻らない不安

(3) 家が既存しても住める状態ではない

(4) 戻っても仕事はない

(5) 教育環境が不安

(6) JRの復旧の見通しがない

今後の生活にかかわるもの

(1) 避難先のほうが生活し易い

(2) 既に生活基盤ができている

(3) 他の町民も戻りそうもない

(4) 家族に高齢者・要介護者がいるので福祉に不安

 共通するものは残留放射線量に対する不安、町のインフラ整備に対する不安、さらに戻っても仕事がなく、生活維持が不安だ、となる。

戻りたいが戻れない

 生活基盤を失ってしまった避難者たちはこれからどうすればよいのだ。

 双葉地方の再興は望めないのか

 双葉地方は水田耕作を中心とした純農村地帯である。その農耕地が汚染によって失われ、長い間放置され荒れ放題になってしまった。個人の努力ではどうにもならない風評被害が先立ち、米造りには数々の逆風が吹き荒れることになる。

 そうなると諦めの心境が先行し、いかなることがあっても農業を再開するという気概も失うことになる。

 元々の農村地帯であり、過疎地帯でもある。関東大震災や神戸・淡路大地震のような大災害からの復興・復旧に政府は全力を尽くして取り組んだのは、それは大都会であり、国としての重要機関が多数存在し、あるいは交通の重要幹線であり、1日でも早い復旧を政府自身が取り組み遂行したからだ。

 一方、わがふる里は過疎地に過ぎない。復旧を望むのは地域住民だけ、何が何でも復旧しようとする意欲がわかないのも頷ける。行政機関としても無理に再興しなければならない理由もないとなれば、地元としてはどうして良いのか判らない。

 純農村地帯で水田耕作の再開が見込めないのなら、戻って農業の継続は不可能となる。ならば他所で農業ができるところを探すか、他の職業に転ずるか、苦悩の日々は続く。

 もう一つ暗い見通しを述べる。2013年3月31日年度末、わが国の人口に関する白書がでた。それによると我が国の人口は前年度より26万人減と発表した。ついに大幅なマイナスに転じてしまった。今後増加する見通はない。毎年減少の幅が大きくなるだけ。それは出産可能な女性、20才から39才の特殊出産可能適齢期の女性の数、住んでいる地域毎の統計と、特殊出産率、1.47を見れば良く理解できる。適正値は2.07で、これ以下であれば確実に人口は減少の一途を辿ることになる。だが安倍内閣の願望は1.8に留まっている。

 この統計から今後30年間で、消滅する町村が多数出ると予想されている。このような状況においては放棄される農地が増え、全国で放置されている農地は埼玉県と同じ面積だと言われている。だから農業を継承する意思を表明すれば引く手あまたではないだろうか。これは農業ばかりではなく、酪農、林業、水産業でも引く手あまただと言われている。

 更にもう一つ、危惧されることは、少数の人がふる里へ戻った。しかし年配者が多く、若い女性が少数であれば、最初から限界集落であって、何年後かには無人になるし、自治体の存在も消滅しかねない。

 従ってこのような暗い見通しばかりでは町の崩壊は免れない。双葉地方は再建、再興の手だては全くないのか。

 こう考えると東日本大震災による被災地の復興は遅々として進まないのも頷ける。まして第一原発事故被災地は、純農村地帯の過疎地に過ぎない。さらにチベットと呼ばれていたほどの地域であれば多額の予算をつぎ込んで復興する意義があるのか。それならば移住奨励をして、その手助けをした方が意義のある政策ではないかと考えるのが自然かも知れない。絶対に復興を成し遂げて欲しいと考えるのは地元民だけで、国としての必要性はそれほど感じてはいない。とすればそれには国としてあるいは財界として是非とも必要なものをこの地に建設することにある。そのための私案をこれから展開する。

 そしてその前提として双葉郡は一つに纏まることを提案する。これは第一原発建設前に双葉町出身の県議笠原氏がこの地方住民が一つに纏まり双葉市を建設し、豊富な電力を駆使してこの地域の工業化を図りたいと何度も繰り返し訴えたが、地元民は賛同することはなかった。

 また第一原発事故で20km圏内避難指示によって多くの町村住民全員が避難したが、その後、富岡町町長だった故遠藤勝也氏は双葉郡の再生は全町村が一つになって復興を目指すべきだと熱心に説いていたが、残念ながら次回の町長選挙に敗れ、引退後急逝してしまった。

 その後は町村統合しての復興案は埋没してしまった。しかし、地域によって汚染度の違いから避難指示解除にも時間差が生ずるのもやむを得ないし、汚染度が高く、もう戻れませんと国が宣言する地域があるかも知れない。また中間貯蔵施設建設の敷地になる大熊町、双葉町では町の中枢施設が中間貯蔵施設の敷地内にあり、独自の町復興となれば、施設よりできる限り遠くの地域に建設することになる。

 さらに難題は、生活を維持するためには就労の機会を創らなければならない。しかし、純農村地帯であったこの地域に新たな職場を創生し、町民すべてが職場を確保することは夢でしかない。各自治体が独自に職場、職域を整えられるだろうか。難問ばかりの壁にいくらふる里は聖地としても「戻る」を諦める人が続出しても不思議ではない。

 ならばどうする。壁を突き破る方法はないのか。唯一残された途は双葉郡を統合することにある。「ふたば市」創生こそが復活の第一歩となると確信している。

 わがふる里の歴史を途絶えさせないためにも、被災地の皆さんが一致協力してふる里再興に頑張らなければならない

 その方策を私案ではあるが、論述していきたい。だがその前に何故原発事故が起きてしまったのか。本当に不可抗力だったのか。原発は安全だとの宣伝は単なる神話にすぎなかったのか。もう一度振り返って検証してみたい。さらにこれから発令される「安全宣言」ばかりでは安心とは言えない。真に「安心」と心から思えるような方策はないのだろうか。

国会事故報告書と米国の見解

 国会事故調査委員会の最終報告書では、「今回の事故は決して想定外の事故とは言えず、責任を免れることはできない」地震、津波、過酷事故のいずれもの対策についても東電、原子力安全・保安院が危険性を認識していながらその対策を先送りにしていたことを突き止め、この点をきびしく指摘「もし適正に対策を講じていたならば事故は防げた可能性は大きい」とした。

 「東電の最高責任者という立場にありながら役所と手を組むことによって責任を転嫁する傾向にあった東電の黒幕的な経営体質から曖昧な連絡に終始した」として東電の経営体質まで踏み込んだ。

 さらに東電と規制当局のあり方に踏み込んで「規制する立場とされる立場の「逆転関係が起き、規制当局は電力会社の虜になり、その結果、原子力安全についての監督機能は崩壊していた」と事業者と規制当局がもたれあっていた構図に踏み込んだ。

 2011年10月四日、アメリカ議会・公聴会の証人として出席したNRC委員長グレゴリー・ヤツコ氏は証言台に立ち、猛烈な日本批判を展開した。

 それによると「地震、津波は予想されていたことだし、その対策を怠っていたのは全くの怠慢であり無責任な体制によるもので起こるべくして起きた人災である」と証言。事故後の処理に関してのモタツキは司令塔の不在、国内法の不備、決断の遅さ、責任転嫁、組織の不備、等々、猛烈な日本批判を証言した。

 これらの証言はその通りだから反論できないが、事故直後即座に援助、資材の提供等アメリカ側の好意ある申し出を、事故の規模を掌握できないままにことごとく断ってしまった日本政府と東電の傲慢とも言える対応に相当立腹していたらしい。

 さらに専門チームを日本へ派遣、飛行機による調査・測定して作成した「汚染マップ」を日本政府に提供したが、これを完全に無視してしまったことに噛付いた。

 同氏は後日、単独で来日し作業衣姿で無人の浪江町を訪れ、見て回り、その後二本松市にある浪江町仮役場に馬場町長を訪ね、避難時情報がないまま汚染地域に町民を滞在させてしまった顛末を語り、ヤツコ氏は涙ぐんで聞いていたという。

 NRC委員長グレゴリー・B・ヤツコ氏に関して一寸触れてみたい。同氏は素粒子物理学で博士号を取得、2005年、アメリカ合衆国原子力規制委員会(NRC)の委員に就任、2009年にオバマ大統領によって委員長に任命された。この時若干38歳であった。

 その期待は大きく、ホワイトハウス高官は「ヤツコ氏のNRC委員長を務めること自体が、大統領の安全への強い思いの表れだ」と発言している。

 一方、我が国にはNRCに準じた経産省・安全保安院なる組織があったが、その長官は年功序列、キャリアー重視で、専門分野に関しては全くの考慮外、形式的な存在で事なかれ主義に終始したのもやむを得ない組織であったと頷ける。だから担当主官庁の長だが専門知識のない人が官邸に詰めても素人の集まりでしかなかったのか。

 ヤツコ氏は、福島第一原発事故に関して衛星からの情報を監視続け、的確な判断、見通しをホワイトハウス経由、在日米大使館を通じて日本政府へ伝えたが、残念ながら全て無視された。

 その後、福島第一原発事故を教訓に全米にある原発の安全性に関して強硬な態度で臨み、それが全米産業界からの反発を招き、辞任に追い込まれた。従って浪江町に単独で訪れたのは辞任後である。この事実は身を賭しても安全性を追求してきた証でもある。

東電元幹部起訴議決(15年7月31日)

 東京電力・福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷容疑で告発された東電・勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長等、当時の役員三人について、東京第五検察審議会は「起訴議決」をしたと公表した。議決は二度目で、三人は、検察官役の指定弁護士によって強制起訴されることが決まった。東電の旧経営陣が原発事故の責任を刑事裁判で問われる事態となった。

 審査会の判断に強制力を持たせた改正検察審査会法の2009年の施行以降、強制起訴されたのは9件目。

 議決では、三人が福島第一原発の安全対策を怠ったことで、東日本大震災の津波で炉心損傷の重大事故を発生させ、爆発した瓦礫などで作業中の作業員13名が負傷させたほか、避難した病院患者44人を死亡させてしまった。

 議決は、三人が「万が一の津波にも備える高度な注意気義務を負っていた」と指摘。08年には、15.7mの津波の可能性を示す国の長期評価での試算結果を東電側が得ていたことを踏まえ「10mを大きく超える巨大津波と事故を具体的に予見できた」

 東電は、試算結果が出た後も津波の想定を最大約6mとして、事故時の同原発の敷地高は10m、実際の津波は15mに達した。議決は、東電の最高責任者であった勝俣元会長と、原発の担当であった元副社長の二人が「合理的な対策を取っていれば重大事故は十分回避できた」とし、過失を認定。東電について「安全対策よりコストを優先していた感が否めない」と批判した。これから裁判が始まるが、東電の旧経営陣が刑事裁判でその責任を問われる事態となった。

 不作為による過失致死傷罪が問われるのだろうか。ならば監督・指導の責任があった主管庁には過失はなかったと言えるのか。

 15年9月24日、東電福島第一原発事故の原因究明にあたった政府の事故調査・検証委員会による関係者5人分の聴取記録を新たに公開した。

 記録によると、旧原子力安全・保安院の安全審議官は事故の二年前の2009年、東電の担当者から、貞観地震(869年)を基にした津波の想定実験について説明を受けた。津波の高さは8m台に達するという結果が示され、「ポンプはだめになる」という認識を示され、重要施設を建屋内に移すなど具体的な対策を検討しなければならないとされたが、東電側は(原発の津波評価技術を纏めていた)土木学会の結果を踏まえてから会社として判断するとしていたと証言した。

 従って、津波の危険性は国も東電も以前から十分認識していたことになる。想定外だったという言いわけは通用しない。

 ただ千年に一度の確率であれば自分の任期中は無いだろうとの甘い認識が事案を先送りしてしまった。無責任体制こそが最大の原因であって、法をもってその責任を遡及されるのもやむを得ない。

 東電の幹部ばかりではなく、監督官庁である経産省・旧原子力安全・保安院の責任も追及すべきだと思うが、有耶無耶のうちに解散してしまった。

 錯誤の連鎖

 第一原発事故発生、半円20km圏内の住民へ避難命令が下され、約5万4千人が対象になった。圏外でも避難勧告や自主避難を含めると十万余の人々がふる里を離れた。

 国内では史上最大規模の事故発生で、政府も必死でその対応にあたったが、政権担当経験が浅く、一所懸命取り組んだのだろうが評価はいま一つだった。

2011年3月11日、事故発生、11日夜以来原子力安全・保安院が情報収集に当たり、12日朝からは文部科学省が放射能汚染度を多数試算した。これは文部科学省所管のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)で観測したデータがあり、気象庁が全国1300箇所に設置してある無人気象観測装置(AMeDAS)が電話回線でデータ(気温、風向、風速)等が一定時間毎に気象庁に送られ、気象庁内の地域気象観測センターへ10分毎に集信され、データの品質チェックののち全国に配信される。

 浜通りも数多くの観測点があり、地震の影響も受けず、時間毎に正確なデータを送り続けた。故にSPEEDIのデータとAMeDASと連動して風向、風速等の要素が加味されGPV「格子点資料」として試算され、11日、夜には原子力安全・保安院が、12日朝からは文部科学省が中心となって多数試算表を作成したが、この試算では、第一原発のプラントデータを配信する緊急対策支援システム(ERSS)のデータが使用不能状態になっていたために、放射性物質放出量の条件について仮想事故データ等の仮定の数値を入れて計量等の予想計算を行い、この結果はネットワークを通じて官邸、文部科学省、通産省、原子力安全・保安局、関係都道府県庁に送られた。

 官邸も福島県庁も受信していないと主張したが、後日の調査によると福島県庁には情報が届いていた。3月12日から16日の間に86通の受信が記録されていた。では何故受信してないと思い込んでしまったのか、県災害対策本部における組織不備、SPEEDI情報共有意識不足で見逃していたらしい。従って現地に通報することも県知事に報告することもなかった。

浪江町受難

 浪江町の初期の避難は、第一原発から29q離れた津島地区に浪江町役場を移し、災害対策本部も津島地区に移したため、多くの浪江町町民も安心して津島地区に避難、その数8千人に達した。ところが僅か1,400人が住む集落であるから、小、中学校や体育館に収容したが収容しきれず、多くの人は車中泊となった。12日より15日まで滞在したことになり、安全基準である年間積算量を大幅に上回る汚染地区に留まったことになる。

 では何故このようなことが起こってしまったのか。情報は全くなかったのか。後日の報道によると情報はあった。それも多数存在していた。では何故報されなかったのか。

 繰り返すがSPEEDI情報は12日朝から連続して県防災センターでファックス受信をしていたことは明らかで、後日、県が発表した国からは何の情報も知らされなかったというのは嘘になる。従って浪江町民の被曝の怖れは人災だと言える。

 同じように双葉町は津島地区に隣接する川俣町に避難したが、この町は全町避難指示の対象にはならなかったが、同町山木屋地区が避難指示対象となった。この周辺に避難していた双葉町民もまた汚染地区に滞在したことになった。

 12年7月10日、参院予算委員会において野田佳彦首相(当時)第一原発事故で被害を受けた浪江町に陳謝した。

 同時に招致されていた双葉町井戸川町長も、声を詰まらせながら「情報があったのなら逃げる方向や方法があったはずだ。情報隠しは全く納得いかない」と証言し、双葉町は情報がないまま川俣町に避難し、その後さらに「さいたま市」にある埼玉アリーナに避難、その後騎西高校跡地に移り、さらにいわき市に戻るという転々と避難地を変えて町民の皆さんに迷惑をかけてしまったことを町長として責任を痛感しているとし、「もし、情報を掌握していたならこのように避難地を変える必要はなかった」と町民に陳謝した。

「放射能汚染地図」

 アメリカ側が提供した「放射能汚染地図」に関して解説する。

 事故後の3月17日から19日まで、アメリカ・エネルギー省は放射線量測定の専門家を派遣、在日米軍横田基地を拠点にして、空中測定システム(AMS)を米軍機2機に搭載して第一原発から半径45キロ圏内を計40時間以上飛行し、精密な測定を行い、これにより地上の放射線量を電子地図に表示した。

 日本に派遣された観測チームは、核特殊専門チームであり、編成したばかりで日本への出動が海外初出動であった。

 この貴重な資料である「放射能汚染地図」は駐日米大使館から外務省に電子メールで送られ、外務省は担当部署である経産省原子力安全・保安院に再送られた。さらに線量測定の実務を担当する文部科学省にも送られた。

 ところが文部科学省科学技術・学術政策局に入ったこの貴重な資料はこの局で埋没してしまって、肝心の官邸にも原子力委員会にも報告されなかった。同じ経産省原子力安全・保安局に送付された資料もこの局で埋没してしまった

 1年3か月後の6月18日、朝日新聞朝刊の一面でスッパ抜かれて、初めてこのような貴重なデータがあったことが知られた。慌てた経産省原子力保安院首席統括安全審査官が記者会見を行い、アメリカ側から提供された「汚染地図」が七枚存在していたことは認めたが、どう取り扱われたかは「記録にはない」と繰り返すのみであった。

 この貴重な資料である「放射能汚染地図」は駐日米大使館から外務省に電子メールで送られ、外務省は担当部署である経産省原子力安全・保安院に送られた。さらに線量測定の実務を担当する文部科学省に送られた。

 ところが文部科学省科学技術・学術政策局に入ったこの貴重な資料はこの局で埋没してしまって、肝心の官邸にも原子力委員会にも報告されなかった。同じ経産省原子力安全・保安局に送付された資料もこの局で埋没してしまった。埋没とは放置を意味する。

「B5b」

 これは事故後の対策だが、アメリカ・NRCが作成した重要なマニアルがあった。

 NRCが提唱した「B5b」で、この中に「全電源喪失の場合の対策」が記されており、もし「B5b」に定めてある規定通りの対策を準備していたら事故を防げたかもしれないし、あるいは事故の規模を最小限で防げたかも知れない。これもまた無視された。安全神話だけを信奉しいたが故に危険性にも気付かなかった愚かさを反省したい。

 第一原発事故前にアメリカ政府から日本政府に伝えられた原子力発電所の全電源喪失対策のマニアルが保安院の担当者にも東電も伝えられず、第一原発事故拡大に繋がったと13年12月16日の夕刊で報じられた。

 この重要な情報は、2001年9月11日、同時多発テロが発生、その際、原発も標的になり得るとの危機感から、その対策として「B5b」を作成したもので、その内容は

(1) 全電源喪失:「B5b」では、交流と直流電源同時喪失を想定し、中央制御室を含むコントロール建屋全滅を想定。対策として持ち運び可能なバッテリーの準備を規定。

(2) 原子炉内部の減圧:「B5b」の規定、持ち運び可能な直流電源で「逃し安全弁」を現場で開閉できる方法の準備を義務付、バッテリーを運ぶ台車、交流電源を直流に変換する整流器の準備。

(3) 原子炉内の冷却:「B5b」の規定、直流電源、交流電源がない状態でも、ICやRCICを手動で起動、運転する方法の文書化を義務付ける。

(4) 納容器ベント(排気):「B5b」の規定、ベント弁を手動で開けられるための準備として、空気駆動の弁を開けられる必要な器具は、被災を避けるために100ヤード離れた場所に保管する。等が明記されていた。

 これらは第一原発事故時に起きたことばかりで、東電が想定外の事故の連続で対応が間に合わなかったと弁明していたが、実は想定内のことばかりが起きたのであって、事前に準備しておけば防げた。あるいはある程度軽減できた可能性は十分にある。では何故このようなマニアルが存在するのに無視したのか、それは「安全神話」を信奉していたからで、絶対に起こりえない事象に対策は必要なしと判断したのだろうか。

第一原発事故後

 2011日、東日本大震災、大津波、第一原発被災、事故発生、1号機から4号機まで致命的な被害発生、五・六機は運転休止中。

 全国の原発が安全審査のため停止したことによって電力不足が発生、事故後、計画停電が地域輪番制で実施された。また各電力会社が電力融通を実施した。だが我が国には大きなネックがある。

 日本の電力網。明治時代に初導入された交流発電機の製造国(アメリカ・ドイツ)が異なっていたため東日本では商用電源周波数50Hz、西日本では60Hzとなって現在に至っている。従って融通には周波数変換の必要があり、周波数変換所の能力は、2011年当時、100万`hに限られていた。

 その後、電力不足対策として、老朽化や原発稼働で休止した火力発電設備を急遽整備し、再稼働させる措置、既存発電所敷地内にガスタービン・ディーゼル発電設備の増設。さらに各地に火力発電所建設が展開され急場を凌いできたが、問題は稼働休止中の原発をどうするのかによって電力政策は変わることになる。

 福島第一原発では、11年5月、計画中であった7、8号機の建設中止を決定

 同年12年、1〜4号機の廃炉向け工程表発表、第一原発全体を廃炉・解体決定

 1号機から4号機までの廃炉が決定したとはいえ、廃炉工事はこれからの問題で、現在は未だ沈静化してない諸問題と取り組んでいる最中で、廃炉工事は40年の工程を見込む長期工事になる。

 原子炉の廃炉解体によって生ずる廃棄物は、110Kh軽水炉としての廃棄物の総量は50万トンから54万トン、そのうち放射性廃棄物は一万トンと見積もられる。これらも放射能レベルに応じて処理しなければならない。処理費用も膨大で一機約一千億円以上と推定される。

 事故後、第一原発以外の全国の原発は翌12年5月までに運転停止(定期検査入りした)。

 原発の安全性を審査する制度や体制を根本的に見直すためだ。例外的に電力需給の厳しさなどを理由にした政治判断で、関西電力大飯原発3、4号機が2012年七月から一三年九月まで稼働したが、その他の原発は稼働停止が続いた。

 2012年9月に発足した原子力委員会は、新規性基準に基づく原発の安全性審査を、13年7月から開始。これまで11電力会社が14原発21基の審査を申請済みだ。このうち再稼働一番手に目されているのが、九州電力の川内原発1、2号機である。

 2014年9月10日設計変更の基本方針を示した設置更許可申請が新規制基準に適合していると評価され、初めて事実上の合格証(審査書)を得た。その後、立地自治体である薩摩川内市の議会と市長、鹿児島県の議会と知事が同原発の再稼働に同意した。

 しかし、これで直ぐに再稼働できるわけではない。設置変更許可を受けた後、原発の詳細を示した工事計画と災害防止対策を定めた保安規定の審査で、それぞれ規制委の認可を受ける必要がある。そして最後に原子力規制庁の検査官立ち会いによる使用前検査を経て、再稼働の運びとなる。この審査が全国の原発に適用されるから長い時間がかかりそうだ。

 2015年8月11日、九州電力・川内原子力発電所1号機、出力89万kWが午前11時半から、核分裂反応を抑える制御棒を引き抜き再稼働開始しとなった。臨界後、14日に発電開始と同時に送電を始め、20日、出力100%の運転に移行する。2号機は10月中旬の再稼働を目指す。

 2013年7月に施行した規制基準の下で稼働が許可されたのは初めとなる。

 13年9月、関西電力大飯原発4号機が停止して以来、1年11ヵ月ぶりに国内の原発ゼロ状態が解消した。

 他の原発では、これまでに関西電力高浜原発3、4号機と四国電力伊方原3号機の三基も安全審査に合格している。ただし、高浜3、4号機は福井地裁が運転停止の仮処分を決めたため、運転再開のメドが立ってはいない。

 国内では原発停止後、火力発電への依存度が高まり、石油や液化天然ガスなど化石燃料の調達費が重荷となり、電力各社は家庭向け電気料金を相次いで値上げした。特に経営が

 厳しい北海道、関西電力の二社は二回の値上げに踏み切った。九州電力も13年5月、家庭向けの電気料金を33年ぶりに値上げした。

 その一方で、原発再稼働と共に今後の焦点なるのが、老朽化原発の廃炉問題だ。改正原子炉等規制法では、原発の運転期間は原則40年と定められているものの、規制委が認めれば、一回に限り最長20年延長できる。その判断が真っ先に迫っているのが本年中(15年)に運転40年以上になる、高浜1、2号機、美浜1、2号機、玄海1、2号機、島根1号機、敦賀1号機の計7機が対象になる。

 経産省の試算では、老朽化した七基の原子炉を廃炉にした場合、電力会社の損失額は一基あたり200億円程度になるとした。また廃炉原発とは別に活断層調査の対象になっている原発の今後の動静に注目しなければならない。

 これからは原発の新設はまずないとみるべきで、火力発電所建設が続くのか、やがて自然エネルギー発電に推移するのだろうが、建設費、採算点、効率その他問題山積で、これから長い歳月をかけて徐々に移行することになるだろう。

 ドイツでは17基の原発が稼働しているが、2022年までに全廃を決めた。

 世界のエネルギー事情は常に変動している。第二次石油危機では、1バレル(59g)=100ドルに高騰したが、最近は50ドル前後から40ドルまで一挙に値を下げ、15年8月現在、NY石油先物取引は41ドルまで下落して、現在(16年1月)先物取引市場では30ドル台にまで下落してきている。これは中国経済の減速による需要が落ち込んでいるが、サウジやイラクが増産しているからで、今後しばらくは高騰する要因はない。さらにはそのサウジとイラクが対立し一触即発の危険状態にある。中東の危機再びかも知れない。

 今後シェール革命と言われているシェールガスの輸入はどの位見込めるのか。その後は海底に眠るメタンハイドレートのような資源がどの程度開発・活用できるのか。

 もしかしたら我が国は将来「資源大国」になる可能性もある

 シベリヤ北限にあるガス田開発、北極海航路の開発に伴い、ロシヤ政府は日本に対する売り込みを始めた。我が国のエネルギー問題は明るい方向にある。

 さらには再生エネルギーがどの程度の進展が見込めるのか、我が国電力事情は大きく様変わりする要素が充ちてきた。

 これから我が国のエネルギー政策は大きく変化することだろう。それは世界が大きく様変わりしてきたからだ。

 70代、80年代、第四次中東戦争、イラ・イラ戦争、タンカー戦争、湾岸戦争と続いたが、私は石油関連で本社紐育にある会社に属し、中東に派遣され、その末端にあったが、戦争とは末端が矢面に立つものであり、この戦争が続いた時代、戦時下の現場で働いていたため何度か銃火の中逃げ惑うような危険に晒された毎日であったがなんとか無事切り抜けてきて今日がある。

 その体験からしても、今回の中東に突如湧き上がった暗雲を無視することは出来ない。

 サウジとイランとの対立はペルシャ湾を挟んでの睨合いで、石油輸出に影響があることは確かで、我が国にも災害が及ぶ危険性を孕んでいるからだ。世界は一つ、利害関係は常に連動している。対策は十分に執っておくべきだと心得る。

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第43章 残留放射線(能)汚染再考

安全と安心の狭間

 被災から5年が経過したが、再興の途は全く見えてこない。いろいろな手を尽くしているのであろうが、避難者にとっては一日でも早く帰りたいと願っているが、避難者の救済よりも脱原発、廃炉促進、補償問題ばかりで、避難者からの切実たる声なき声を聴き取って、代弁してくれているのは少数派で、声を大にしている人達は、避難者とは全く関係のない学識経験者や論客の主義主張、持論応酬であって、地元被災者に寄り添った人々の意思や意向を汲み上げているとは思えない。原発以外に主な産業がなく、双葉地方は大半が一次産業である農業、酪農、林業等を生業とし、ほんの僅か水産業がある程度で純農村地帯といえる地方だ。

 その主産業の命とも言える土地を奪われてしまったが故に、土地問題の解決がなければ再興はあり得ない。しかも除染が何処まで有効なのか農地として耕作できるまで回復できるのか、更に風評被害の克服までを考えれば、絶望的な心境に陥ってしまう。

 素人考えではあるが、除染が100%可能とはとても思えない。ということは旧来の農耕方式を継承することは不可能なことだと判断すべきなのか。

 政府は被曝線量を、年1ミリシーベルトにする目標を掲げ、今年度までに1.5兆円を投入、福島県11市町村の避難区域内を年度内に終える計画を公表していたが、廃棄物の保管場所も確保できずフレコンバックが田圃や畑地に山積みされているのでは除染作業そのものが停滞してしまうことになる。

(富岡町仏浜、毛萱地区、右上が常磐線とF2)

 環境省の担当者からは「今年度中の計画達成は難しい」と言明した。また、除染しても線量が下がらない場所の再除染工事については、非公式だが「現時点では対象範囲を示していない」としているから事実上の拒否と見るべきか、そうするともう戻れないことがはっきりとする地区が示されるわけで、そうなると除染の期待を諦めざるを得ない。ならば「除染よりも生活支援」をと望む声が上がる。毎年定期的に復興庁のアンケート調査で「戻る」「戻らない」かの調査を行っているが、年毎に「戻らない」と答えた人が増え、「戻りたい」と答えた人は少数派だ。その結果によっては、除染に関し告示なき政策転換が水面下で密かに行われているのかもしれない。

 被曝水準を「年1ミリシーベルトにする」と明言したが、即座の実現が不可能な目標を政府自身が掲げてしまったがために、金と時間を多いに費やしてしまい、避難者は「もう帰れない」と言う心理的ストレスが積もりに積もってしまった。

 もし政府が掲げた年1ミリシーベルト以下を目指せば、除染だけで約28兆円の巨費を必要とするが、ほんの僅かな人が戻るためにそのような巨費を投じなければならないのか、それでは国民が納得する訳がない。それなら別な救済方法があるはずだ。

 世界保健機関(WHO)は、現時点で除染を考慮しなくとも、福島及び東日本の広範囲で3年(発表当時)を経過した現在、事故による健康被害は確認されていない、と発表した。

 一方、避難生活での精神的圧迫や心因性ストレスで様々な健康被害が起きているが、その対処療法は僅かしかない。

 心理的負担による避難者の健康被害に関して、日本政府が掲げる「1ミリシーベルト」の目標値は適正値ではないと、「全米原子力学会」が2012年に表明した。また海外のエネルギー学会からも批判が相次いだ。

1ミリシーベルトを目標値にした理由

 原発事故で外部に放出された放射性同位元素は、どのような核種なのか。

 当時の原子力保安院は、31種と発表した。主な元素は、プルトニウム全種、ヨウ素、ストロンチウム89、90、セシウム134、セシウム137等、31種である。

 放射性同位元素は、時間と共に減少する。その原子数が半分になるまで減少するのが、半減期という。半減期は放射性核種によって秒単位で半減するものから、何万年をも過ぎないと半減しないものまで多様であるが、大半は短期間で消滅する。半減とはその期間を過ぎると半分になることで、その次の期間を過ぎると1/4になることを意味し、その次の期を過ぎると1/8になる。 従って完全に消滅するまでには相当長期間になる核種もある。

 プルトニウム238、240、241は半減期が万年単位であるから永久的に残留するが、口径摂取の場合、不溶解性のため消化器官から吸収することは希で、殆どが体外に排出される。

 問題はセシウムで、134の半減期は2.1年なので既に大半は消滅したことになる。137は30年なので、除染とはセシウム137が対象になる。揮発性が高く拡散し易く、体内に取り込むと胃腸に吸収される危険があり、癌や遺伝子の突然変異を起こす要因になり易い。人においてとり取り込んでしまった場合、体から排出されることになる生物学的半減期は平均70日、若年層であれば19〜57日という統計があり、老年層では80〜110日位で体外へ排出される。

 避難している方は全員検査を受けているはずだから、診断の結果、「異常なし」と言われた方は心配ない。セシウム137を多量摂取していると診断された方は、治療薬の服用を薦められたはずだから医師の処方や指導に従っていれば怖れることはない。

 ヨウ素131は、半減期は約8日であるが核分裂生成物のうち放射性汚染の主な汚染源の一つになる。ヨウ素131は、揮発性が高く拡散し、摂取してしまう怖れがあり、特に小児期は放射線被曝による甲状腺癌のリスクは高い。

 チェリノブイリ原発事故では、多くの小児癌が発生した。原因は大気放出のうちヨウ素131の摂取の割合が多かった。さらに当時のソ連政府は原発大爆発の事実を隠していたために対策が遅れ、多数の癌患者を出してしまったという痛ましい結果となった。

 さらなる被害は医療技術が未熟で、喉頭癌手術で大きく開いて摘出したために喉に大きな手術痕ができ、乙女達にとっては二重の苦しみとなってしまった。その点を憂いた医師がいた。信州大学医学部医局にいた喉頭癌専門医の菅谷明医師で、職を辞し、自費でベラルーシ共和国首都ミンスクにある国立甲状腺癌センターで、小児甲状腺癌の外科療法を中心とした医療活動を中心に医療支援活動に従事し、手術痕が全くない日本の最新技術で多くの患者を救った。

 帰国後は県の衛生部長を経て、松本市市長選で見事当選し、市長に就任、福島原発事故では多くの福島の子供らを招待し、信州高原の素晴らしい環境で伸び伸びと遊び回れる機会を作っていただいた。

 福島県では事故直後から詳細なヨウ素131の測定が行われ、子供達は全員が検査を受けているので心配はないが、今後も定期的に検査を受け、医師の指導に従うべきだ。

 これからの放射能同位元素が放出する放射能の人体への安全基準として、この1ミリシーベルトの基準が決まった経緯は、どのようなものなのか。

 民間団体の国際放射線防護委員会(ICRP)は、各国に放射線の安全基準を提言、そのICRP勧告111号の中で、原子力災害では「1ミリシーベルトから20ミリシーベルトを目標として被爆対策を行うべし」と提案している。

 この意味は20ミリシーベルト以上を被曝すると、健康被害が起きるということではなく、放射線から身を護る為の目標値であり、基準値は勧告である。

 政府の見解も「20ミリシーベルトを目標にして、長期的に1ミリシーベルトまでに下げる」と目標を掲げた。

 ところが、同時に持ち上がった反原発運動に関連して、放射線量の恐怖だけが意図的に流され、不安が広がり社会的な困難を招いた。

 現地の市町村は「1ミリシーベルトまでの除染」を主張したので、政府は線引きを放棄し、当時政権を担当していた民主党はその要望を呑んだ。

 その後、読売新聞は帰還を阻む1ミリシーベルト」という記事を掲載した。

 これに対し当時担当大臣であった細野氏は反論として、この1ミリシーベルトを決めたのは大臣個人ではなく、「福島県側が強行に要請したものであって、健康の基準で決めたわけではない」と単に「福島県側の要請に基づくも」であったと言い訳したが、福島県側が強行に主張した根拠はなんだったのか、この1ミリシーベルトの基準に関する見解は専門家の意見だったのか、何を根拠にしたのかの詳しい説明はなかったらしい。

 1ミリシーベルトは空間線量から推計した年間追加被曝線量を指し、空間線量で毎時0.23マイクロシーベルトが相当する

 一方、避難指示解除の目安となる年間20ミリシーベルトは、単純に積算線量で判断する。しかし、現時点での避難者の受け取り方は「1ミリシーベルトまでの除染は無理」「除染を請け負う業者のみが潤う、うまい話」「なぜ除染だけが優先し、復興や帰還が後回しになってしまうのか」と冷めた見方に替わってきた。

 住民や自治体には金銭的な負担はない。除染で業者には金が落ちる。避難している人々はイライラしながらも諦めムード、福島県としても1ミリシーベルトを前面に掲げてしまったが故に訂正する訳にはいかない。

 それならICR基準を参考に、当面の被曝量「20ミリシーベルト未満」と設定し、「長期的に1ミリシーベルトを目指す」という当初の政策の方向に目標を設定、明確に公表すべきではないか。

 除染作業をはじめとする復興事業が明確に見えてこない現状に、避難中の住民や被災住民の苛立ちが激しくなり、その結果ともいうべき統計がある。それによると東日本大震災で犠牲になった人以外で、震災後避難生活が長期化した中で、福島県はストレスが高まり命を落とすケースがダントツで多いのが目立つ。そうなると1ミリシーベルトに拘って、長期の避難生活の是非が問われることになる。

1ミリシーベルトの呪縛からの脱却

 これはある本の表題(エネルギーフォーラム出版社新書:森谷正則著)で、本の背表紙には『今、日本中が放射線は怖いという空気に覆われています。この空気に逆らえないのか、放射線はそれほど怖いものではないとは、誰も言えない雰囲気になっておりますが、そこで私が一人でも声を上げようと、本を書きました。この本を読んでいただけたら、怖くないことが判るはずです』との意気込みで書いたようだ。

 このような本が出ることは、1ミリシーベルトでなければ戻れないのか、その真実は誰にも判らない。しかし、現実の雰囲気は1ミリシーベルトの目標値だけが先行してしまい放射線量を怖がることによるマイナス面を誰も聴こうとしない。放射線の影響は何処にいても、その影響は受けるものであって、放射線零などあり得ない。

 一体どれだけの放射線量を浴びたら影響がでるのか、危険なのか、それらの基準値を正しく示し、教宣すべきであって「1ミリシーベルトの恐怖」だけであれば、単なる風評被害だけでしかない。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は、年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝での人体への影響は明らかではないとしている。確かに被曝量は少ない方が良いことは確かだが、被曝とは全く関係ない土地でも平均で1.5ミリシーベルトの自然界からの放射線を浴びていることは確かで、レントゲン検査やMR検査などの医療行為で年間4ミリシーベルト、更に食物を介して0.5ミリシーベルトを摂取している。医師、看護師、レントゲン技師、鉱山労働者、造船技師等職業として放射線を浴びる機会の多い人達を対象にした基準があるが、その場合は、5年間で100ミリシーベルト以下、一年間で平均20ミリシーベルト、若しくは一年で50ミリシーベルト以下という基準が定められている。

 例えば成田空港からNYケネディ空港までを旅客機で往復した場合、宇宙から相当強烈な宇宙放射線量を浴びることになるが、パイロットやCAさん達は許容範囲内として働いている。

 現在、国の除染目標、つまり自然界からの放射線量を除いた追加的な放射線量、年間1ミリシーベルトというのは、あまりにも厳しく、現実的ではない。

 科学的にみても、国際的な基準からみても、この目標には根拠がなく現実的ではない。

 国全体が年間1ミリシーベルトでなければならないという呪縛に囚われており、この目標のために長期の避難生活が強要され、多くの人が望郷の念を抱いたまま異境の地で亡くなられている。

 また心理的ストレスが蓄積され、体調不良に悩まされていても無視状態だ。

 誰のため、何の為の「1ミリシーベルト」なのか、被曝の混乱時に民主党政権が決めたが、自民党政権に替わっても様子見の状態なのか、ともかく1ミリシーベルトに拘る限り帰還は何時になるか判らない。

 『IAEAの報告では、わが国の目標「年間1ミリシーベルト以下」の基準は厳しすぎる。

 年間20ミリシーベルト以下であれば問題なし』と報告した。

 環境省が2014年11月から12月、試験除染を実施した避難指示区域15地区を調べると、放射線量が3年前より平均7割低下した。

 「除染だけでなく、自然減衰の効果も大きい」という。放射性物質は、時間の経過とともに壊れ、放射線を出す力を失う。これが自然減衰、原発事故で飛散した二種類の放射性セシウム134は、約2年で半分が壊れる。さらに放射性物質は風雨で流される。当初予想していた以上の速度で放射線量は下がっているという。

 だが、避難住民は政府発表を疑問視する人が多い。事故発生後、政府の右往左往の混乱した対応によって翻弄され続けてきた現地住民にとって、政府発表を素直に信用して良いのかどうか。さらに研究者や専門家が異なった見解を発表しており、不安を助長している面がある。素人である被災地住民としては疑心暗鬼が生じ、何を信じて良いのか判らないでいるからだ。

 国連の一機関として、世界27カ国から専門家が集まる「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」がある。その議長に本年六月、米倉義晴氏が就任した。

 11年の福島第一原発事故の当時は、放射線医学総合研究所(千葉市)の理事長の要職にあり、放射線研究の専門家として調査してきた人で「国民の不安や疑問に答えよう」とその窓口として専用電話を設け国民の相談に応じた。専門家である先生が国連専門機関の長になったのであるから、国連としてもう一度現地を調査し、国連としての見解を公表してはもらえないだろうか。それならば被災地住民として納得できると確信する。

 2015年9月5日、楢葉町は避難指令解除になった。役場と全町民が避難した自治体としては最初になる。だが僅かな町民しか戻っていない。

 希望する住民が自宅で過ごす長期宿泊が南相馬市、川俣町、葛尾村で実施されている。事故から5年経過して、全体的に放射線量が減少していることは確かだが。

中間貯蔵施設

 政府は中間貯蔵施設を双葉町、大熊町、楢葉町に建設する計画を提示したが、楢葉町は強行に反対したため、楢葉町の建設は断念した。

 政府は中間貯蔵施設を巡る財政支援策として、福島復興交付金1,000億円、大熊町・双葉町を中心として中間貯蔵施設交付金1,500億円、大熊町・双葉町の生活再建・地域振興資金150億円を決めた。

 2014年12月15日、大熊町渡辺町長が中間貯蔵施設受け入れを表明。

 同年12月27日、双葉町伊沢町長が現地調査受け入れを表明した。

 ただし条件付きの受け入れであって、土地の地権者とは事前に必ず了承を得ることなど八項目の条件を付けた。

 最大の焦点は用地補償のあり方では、公共事業の一つと位置付けている政府と「ふる里を追われ、全財産を失う」とする地権者との認識の差は歴然としている。更には先祖代々受け継いできた耕作地を手放すことは祖先に申し訳ないという罪悪感に悩まされることになり、本能的に拒絶することだ。そのため政府は買い上げと一部借り上げの方針を示した。だが地権者との交渉はこれからであり、施設の着工はまだ先のことになるらしい。

 2015年1月、放射性廃棄物の施設への搬入を開始したとマスコミは大々的に報じたが、ほんの僅かなフレコンバックが持ち込まれただけだ。

 政府は地権者説明会を避難先の各地で開催し、不動産業務や司法書士等の専門家を準備し、二千人以上といわれている地権者との買い上げ交渉に入った。だが当然ながら難航しているらしい。

 しかし、地権者が承諾しない限り、工事を始めるわけにはいかない。一方では、不満を抱きながらも、何時までも引き延ばすわけにはいかない、特に各地に汚染土を入れたフレコンバックが山積みされており、一日でも早く中間貯蔵施設を完成させ、各地にある汚染土を処理する義務がある。地権者も各地に避難しており、何時までも引き延ばしては各地住民の冷たい視線で見られかねない状況にある。

 福島県内の除染工事で汚染土などの廃棄物を一時的に保管する「仮置き場」が当初国は期限を「おおむね三年」として地権者と契約したが、中間貯蔵施設の用地買収が進まず、「仮置き場」の契約延長交渉がこちらも難航している。

 環境省と福島県によると、「仮置き場」は福島県下43市町村には1,134カ所(15年6月現在)あり、さらに、造成中のものもある。実際は自宅や駐車場など利用できるあらゆる所にあるので、全てを含めると約5万3,000箇所と推定される。

 国直轄で除染を行っている「除染特別地域」では、228カ所に約400万m³(東京ドーム3.2個分)の廃棄物を保管している。

 3年という期限はもう直ぐであり、既に期限を迎えた地域では、延長交渉で地権者が拒否、「仮置き場」を新たに確保しなければならず、こちらも難航している。

 仮置き場が欠乏しているため除染作業を中止せざるを得ない状態の地域もある。

 解決策は一日も早く中間貯蔵施設完成にあるが、建設予定地である大熊町・双葉町の用地買収作業は頓挫している。

 中間貯蔵施設建設の用地は計約1,600ヘクタール。宅地、農地、山林などで、登記上の地権者2365人、15年8月15日現在で特定出来た地権者は1250人。登記簿の記載に不備が多く、地権者の確認・連絡は困難となっている。確認できた地権者の内で買収に応じたのは15年10月現在、僅か9人だけ、復興には中間貯蔵施設建設が絶対不可欠であるが何時になった買収・着工が出来るのか。

 福島県内で「警戒区域」と「計画的避難区域」に指定された地域と年間積算放射線量20ミリシーベルト超えの場所は国が直轄で除染。同1〜20ミリシーベルトの地域では、市町村が除染することになっている。

 中間貯蔵施設が完成した場合、どの位のフレコンバックが運び込まれる予定かというと、最大で東京ドーム18杯分である2,200万m³になると推計されるが、これからも除染作業が継続されるから更に増えることは確実となる。

 これだけの量を処理するわけだから、中間貯蔵施設の規模も大きくなる。大熊町、双葉町を縦貫する国道六号線の東側全域が対象となる。

 両町にまたがるおよそ16平方キロの広大な土地で東京ドーム300個分、羽田空港敷地を上回る広さになる。

 国道に沿った土地であるから両町の主要な公共施設、商店街、居住区が集中しているので避難指令解除になっても町としての機能は既に奪われたことになり、この点から考えても住環境創生、後述の「ふたば市創生」は現実的な問題として考えて欲しい。

 中間貯蔵施設では放射性汚染レベルで主に三種に分類する。分類とは放射能一キログラム当たり「8,000ベクレム以下」「8,000ベクレム超え10万ベクレル」「10万ベクレル超え」三種に分類し、「8,000ベクレム以下」は基本的には土に埋めて貯蔵する。「8,000超え10万ベクレム以下」は遮水シートなどで地下水への流出を防止し、厳重な仕組みを構築して保管する。「10万ベクレム超え」の汚染度の高いものは特殊な入れ物を考案し詰め込んで、厳重なコンクリートの地下貯蔵庫の内部に保管する。

 次に問題は、福島県内の仮置き場は千箇所以上あり、中間貯蔵施設への搬入が始まっても、一年目は試験搬入・輸送と位置付け、県内43市町村から運び込まれる汚染土等は全体の1%未満に留めるとしている。

 環境省福島環境衛生事務所によると、国の直轄除染では、‘14年8月までにフレコンバック(容量約一m³)約43万個が蓄積、福島県の説明によると市町村による除染でも仮置き場がなどの保管場所が既に1万3,000箇所を超える。これからもどんどん増える見込みだが、保管場所の手配が追いつかず、除染作業が停滞したままになってしまった。

 従って中間貯蔵施設が完備すれば、除染作業は一挙に進むことになり、仮置き場からの開放、除染作業の進展を望む汚染地域住民は中間貯蔵施設が一日でも早く建設されることを望んでおり、もし買収交渉が難航すれば、買収に応じない地権者に非難が集中する怖れがある、しかも地権者は避難中だから地元の人達とは同じ地域で生活を共にしているかも知れない。そうすると最悪の場合、地権者に対し非難の矛先が向かってくるかも知れない。

 もう一つ問題がある。県内各地にある指定仮置き場、その他の置き場に散在する約2,200万トンという膨大な除染廃棄土、廃棄物質を中間貯蔵施設に搬入することになるが、これが一大事業になることは明らかだ。

 輸送の基本原則に沿って輸送を行うためには、福島県内には狭い道路や住宅密集地も通らなければならない、また各地からの輸送ルートが重なる地点や区間に関し中間貯蔵施設を管理する国が中心となって輸送に関わる情報を一元的に把握・管理する必要があり、「統括管理」を一元的に行うべきだ。GPSシステム等を活用し、輸送車両の運行状況・位置関係をリアルタイムで把握し管理する。また、交通への影響や二次災害を最小限に抑えるため、万が一の事故時の情報を迅速に収集できるシステムを構築するともに、警察、消防、道路管理者、輸送実施者等と連携して情報を共有する必要がある。

 フレコンバックは2トントラックで一個、10トン平ボデートラックで7個程度なので一日2000台が運行することになる。更に積み卸し機材、クレーン車、レッカー車等多数配置しなければならない。

 中間貯蔵施設の敷地としては、大熊町全面積78.7平方キロ、そのうち施設予定地面積は11平方キロ、(14%)、人口1万849人、施設予定地内に住居がある人は約2,400人(約22%)。双葉町全面積51.4平方キロ、施設予定敷地5平方キロ(約10%)全人口6,321人、施設敷地予定地内登録者数は約1,000人。

 施設予定地は国道六号線の東側から海岸線までの敷地で、その内側には大熊町では小学校、幼稚園、大熊東工業団地、双葉町では町役場、双葉工業団地、総合公園があり、町の重要拠点が消滅し、最低でも30年は帰れない。更にその後の恒久保管場所も決まってはいない。

 施設予定地外が避難指示解除になって帰還が可能になっても、町の中心が接収されているのだから町としての再建は無理であり、「戻る」と回答した帰還希望者は大熊町全人口の13.3%。双葉町12.3%。しかし現実問題として、戻っても何もないところで生活が維持できるか疑問だ。

 何度でも叫ぶが、次章で述べるふたば市創生に向かって努力すべきではないだろうか。

 だからこそ避難住民全てが一致協力して、次章で述べるような新たな住環境を整備し、大熊町大河原地区に廃炉工事支援センター、廃炉作業員の集合住宅、隣接した南側地区に避難中の全員が収容できる住環境の整備、新産業研施設を一点に集約し、スマートシティ「ふたば市」の創生を提案する。

 2011年3月の東京電力福島第一原発の事故について、国際原子力機関(IAEA)がまとめた最終報告書が明らかになった。

 事故の主な原因は「『原発は安全で、大きな事故は考えられない』という思い込みだった」として、警鐘を鳴らした。この報告書は2015年9月に、オーストリアで開かれる総会で了承され、その後公表される。

 しかし、権威機関がいくら安全宣言をしても、地元住民がその安全宣言をどう受け止めるかは別問題だ。避難指示解除は即ち安全宣言である。ところが住民は戻らない。

 何故だ。残留放射線量に不安があるから、あるいは廃炉中、休止中であることを承知しているが、原発の存在そのもの不安視しているからだ。

 人は一度恐怖を味わうとトラウマになる。まして安全神話を叩き込まれ、信じてきた原発がとんでもない虚構であったことによって悲惨な状況へと突き落とされてしまった。晴天の霹靂のような避難指示、これまで築いてきた生活基盤が全てひっくり返されてしまった恐怖、その後も右転左転する避難指示、何故か隠蔽してしまった汚染情報、これらすべてを味わってきた避難者の皆さんが安全ですよと宣言されても素直に信じることは出来ない。きっと何かを隠している、何らかの裏があると疑心暗鬼に陥入っている。眼には見えない妖怪をただ怖れるだけになってしまった。

 地域によって避難指示解除令が出された。これからも指示解除の令は出される。国からの安全宣言である。しかし民意は安全だとは受け取ってはいない。安全宣言が出ても一抹の不安は残る。安全と安心は同一ではない。民意は安全宣言よりも安心を求めている。

 安全と安心の間には深い溝がある。被災住民の安心を引き出すためには万人が納得できる「安心への途」を示す方策を示すべきだ。

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第44章 ふる里は聖地

 放射線量が下がり避難指示解除は確実に広がるが住民は戻らない。何故なら戻っても暮らしが成り立たないと考えるからだ。

 これからの課題は住民に寄り添い、密着した温かな政策が必要となる。

 ふる里とは、生まれ育ち、ふる里の水を飲んだ者だけしか理解できない聖地だ。

 墳墓の地を追われても、必ずや戻れる日が来ることを信じている。

 今回の第一原発事故で、第一段階として避難誘導、ぶっつけ本番の大混乱であったが、なんとか収まった。「双葉病院の悲劇」のような痛ましい事故があったが、それぞれが最善を尽くし、秩序ある行動によりさすが日本人と世界が驚嘆するような行動であった。

 体育館や催事場のような大ホールにダンボールで仕切りをして一家族毎の居住空間を自主的に決め、多少の混乱はあったことだろうが全てが収まった。もし外国であれば暴動が起きても不思議ではない、この混乱を無事乗り切ったのだから日本人はやはり凄い。

 第二段階として、仮設住宅が建設され、また借り上げ住宅等、路頭に迷うことなく全員が家といえる住宅に収容されたのは、日本政府が迅速に行動してくれたからだ。今回の不幸な事故ではあったが、全員平等に入居家屋を決め、整然と入居したと聞き、秩序を重んじる日本人ならではの快挙だと感服した。もし外国でこのように入居者を決めるとしたら、当然起こることは強い者勝ちのぶん取り合戦で、果ては略奪や暴動が付きもの、やはり日本人は凄い、迅速に仮設住宅を用意してくれた日本政府の頑張りも凄い。

 第三段階は、避難者全員が戻れる環境創りだ。これは更に難問山積であるが避けて通れる路はない。真正面から取り組まねばならない。住と職を同時に解決する必要がある。

 自宅は現存するが、直ちに住める訳ではない。五年以上空き家で経過していたとすれば、風水害、鼠害、獣害等あらゆる害により家は完全に修復するか、新築するかであり、どうにもならないのが住環境で、安全を確保するには大変な努力をしなければならないし、少数の住人それも年配者が多いとなれば、安全に住める環境ではない。さらに医療、福祉、ショッピング等解決しなければならない問題が余りにも多すぎる。だからこそ住まいと職業を一挙に解決し避難者全員が喜んで戻れる一大プロジェクトを遂行しなければならない。これも決して夢物語ではない。官民が一丸となってやればできる。

 だが、合併や広域連携に対するアレルギー反応を起こす地元感情があり、地方に行けば行くほど根強く反応する。しかし地方の文化やルーツを残しながらでも、新らたな文化や歴史を築くことは不可能ではない。アレルギー反応を克服し意思を統一することによって理想郷を創りたい。

楢葉と標葉を併せて双葉郡

 福島県双葉郡は、太平洋に面した純農村地帯である。東北地方に属するが気候は温暖、北関東地方太平洋岸とそう変わらないくらいの気温、見るべき地場産業はなし、特産品といえる物もなし。米作を中心とした農業を細々と営んできた。

 太平洋に面し、磐城沖、相馬沖の漁場があるが、双葉沖の漁場はない。漁場に恵まれていないのではなく、漁港と魚市場がないからに過ぎない。

 従って地域の人々の食卓にのるだけの漁獲しかなかったが、それで充分と満足していたような誠にノンビリとした極々平凡な農村地帯であった。

 双葉郡は、明治29年(1896年)に行政区画として作られた郡域で、南から順に、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村の6町2村から成る。

 かつて、久之浜町、大久村は双葉郡に属していたが、昭和41年(1966年)新産業都市建設促進法による町村合併で、この二か町村はいわき市に編入された。

 双葉郡は全人口6万5,930人、面積865.12ku、(2014年5月推定)である。

 その歴史を見ると、富岡町夜ノ森以南は戦国時代には岩城氏の領土で、岩城四十八舘や家臣の居城が各地にあり、江戸時代からは徳川将軍家の側近が治める磐城平藩の領地であった。夜ノ森以北は、鎌倉時代から戦国時代前半までは標葉氏の領地、その後江戸時代までは、平将門を先祖とする相馬師常が源頼朝から奥州合戦の褒美として賜わり、標葉郡と呼ばれて、相馬氏が治める中村藩の領地となった。相馬中村藩では陶磁器産業が奨励され、今も続く相馬焼が生まれた。

 藩の歴史は順風満帆であったわけではなく、藩存亡の危機と言われた天災に襲われ、長い間苦しみ抜いてきたことがある。東北地方特有の「やませ」の猛威、岩木山、浅間山の噴火などに起因する史上名高い天明の大飢饉よる被害は甚大であった。今回の第一原発事故による被害のような災害が江戸時代にも起きていた。特に相馬中村藩の被害も甚大で、天明2年(1782年)の飢饉で全人口の9%にあたる4千417人が飢餓と病気で亡くなり、1千843人が失踪、さらに翌4年にも飢餓と疫病で6月までに8千500人が亡くなるという惨状が続き、この地方は壊滅的な打撃を受けたことになる。

 そのため人手不足による農地の荒廃が進み、30年を経た文化年間に至っても回復できなかった。

 その危機から脱却する方法は、他所の農民を導入することしかなかったが、農民の移動は非合法的移民(走り人)として幕府が厳しく禁じており、表だって出来ることではない。そこで相馬中村藩は文化8年(1811年)(十一代将軍家斉)頃からから極秘で農民の導入を謀った。

 浄土真宗(親鸞没後門弟が教団として発展させた)門徒が大多数を占める北陸では、真宗の教えにより間引きを厳禁していたため人口が増加し、土地が不足するという悪循環に陥入っており、東北諸藩とは逆の現象であった。

 最初は天明の大飢饉で荒廃してしまった北関東地方に北陸前田藩領内からの移民として関東旧跡巡拝を口実に密かに移動したが、やがて発覚し頓挫した。

 そこで密かに真宗のお寺や門徒の組織に依頼し、越中(富山県)、越後(新潟県)、加賀(石川県)能登、越前(福井県)等の各地から密かに多くの農民を移住させた。文化10年(1813年)から弘化2年(1845年)迄の約30年間で8千943人、戸数にして千974軒が移住した。

 荒地復旧を中心として1万6千682石の水田と、1万4千684石の畑地、合計3万石余りの土地が開拓された。

 相馬中村藩の表石は6万石、実高でも9万7千石あったと推定されるから、如何に真宗移民の努力が功を奏したか、相馬藩はやがて裕福な藩に脱却できた。

 移民の導入は弘化2年以降も継続し、最終的には1万人前後が入植したと思われる。

 しかし、当時江戸幕府は農民の移住は御法度で、逃散を防ぐため厳しく監視していた。その為にも五人組や庄屋制度、戸籍簿という制度で厳しく取り締まっていたが、それをかいくぐっての移住であるから命がけの行動であり、昼は森に隠れ、夜歩き通して相馬藩領内に辿り着いた。中には因幡(鳥取県)からの農民もいた。加賀や富山から相馬までのルートとしては北陸道を新潟付近まで北上、山岳地帯を越えて会津盆地、三春、相双地区へ来るのが一般的と考えるが、どのような道をたどったかは判らない。記録が全く存在しないからだ。この農民達の移動を手助けしたのが各地にある真宗のお寺とその門徒だったことは確か(南相馬市、浄土真宗本願寺派寺院、真宗移民の手助けをした)だ。

 相馬藩も移住農民を積極的に受け入れたが、江戸幕府の監視があるので、表立つことは一切なく、隠密裏にことを運んだ。従って藩庁から遠く離れた当時の南標葉郷周辺に受け入れた。南標葉郷夫沢村は現在の第一原発の敷地とその周辺になるが、天明の大飢饉で村人は死に絶えた。双葉町、大熊町が中心となって移住農民を受け入れたことになっているが、従来からの農民としては、新移住者に対し、親切に接することはなく、かえって白眼視していた。他国からの移民は、「シンタチ」と呼ばれていたらしい。さらに「アカシンタチ」と呼ばれたが、アカは垢のことで、垢だらけの乞食みたいな連中という意味らしい。この人達が死に物狂いで働いて藩の財政がやがて好転した。

 真宗移民は発覚を怖れこれまで口を噤んできたし、北陸のふる里も同じく口を噤んできたから記録はほとんどない。僅かに家族内での口伝承程度であったので、真宗移民は歴史の彼方に消えかかっていた。ところが今回の原発被災で各地に避難したが、直接富山県に避難した人たちがいた。また北陸の人達がボランテアとして救済に駆け付けてきた。二百年以上の時空を超えた絆が生きていた。

 かつてこの地の復興に尽力した真宗移民の歴史に学びたい。時代は変わっても、復興の手掛かりは真宗移民の記憶の中に残されているはずだ

 先日東京神田一橋講堂で、福島シンポジウムの講演があり、聴衆として参加したが、講演した大学教授が「自分は被災地の出身で真宗移民の子孫です」と語っていた。

 相馬中村藩の南限は夜の森付近であるが、これは藩の領地を決める際に、「ここまでが「余」の森である」と宣言したと伝えられており、それが変じて「夜(余)の森」になったという。その証として桜のトンネルで有名な「夜の森公園」の桜並木は戊辰戦争後の1900年、旧相馬中村藩士で小高在勤の半谷常清の長男清寿氏は旧藩領の土地を払いあげてもらい農地として活用したが、その際、農地の縁に染井吉野の苗木300本を植樹したことに始まる。同氏は後に国会議員として活躍した。

 この南限付近には南北標葉郷として、小野田村、井出村、幾世橋村、牛来村、請戸村、大堀村、前田村、熊村、野上村、長塚村、夫沢村、小良浜村、大河原村、前田村等々があり、これらの地に真宗移民が入植した。

 ただし、相馬藩の財政が一挙に回復した訳ではない。長い苦しい藩財政の時代が続いていたが、回復のきっかけは二宮金次郎直伝の御仕法の実践によるところが大きい。真宗移民の活動と相馬御仕法の相乗作用の結果だろう。

 富田高慶(1814〜1890年)は、相馬藩士斉藤嘉隆の次男として生まれ幼少から才気あり、苦しい藩財政を救わんとして、17歳の時江戸に上り、国学者屋代弘賢のもとで学んだ。江戸で10年の歳月が流れて頃、蘭医磯野弘道の門下生、奥田幸民から二宮金次郎という偉い先生がいるとの話を聞き、即座に金次郎の元に赴き、弟子入りを懇願したが、断られた。しかし諦めず懇願を繰り返し、26歳でやっと弟子入りができた。それから金次郎が死去する迄の17年間、弟子として学び続け、その間、相馬藩から若い藩士を呼び寄せ、供に学んだ。

 金次郎の復興計画こそ相馬藩を救う方法だと確信した相馬藩家臣団は、藩政に戻り、財政立て直しの中心として働き出した。

 十代で相馬藩主になったばかりの充胤公に金次郎復興法の採用を直訴し、藩内には金次郎復興法の受け入れに対して反対する重臣もいたが、藩主がこれを抑え、弘化2年(1845年)金次郎直伝の相馬御仕法を実践し始めた。御仕法は至誠、勤労、分度、推譲を基本理念として、経済の復興と安定、そして民情を豊かにすることにあった。

 高慶は16年ぶりに帰藩。病気を抱えていた金次郎は相馬に赴くことなく、高慶が代わりに再興の指揮を執った。高慶は、金次郎の長女、文子(あやこ)を嫁に迎えており、金次郎の死後、二宮家の家族を相馬藩中村に呼び寄せ生涯面倒を見続けた。

 さらに高慶は、金次郎の業績を描いた「報徳記」を著しており、この本は明治13年、充胤公から明治天皇に献呈されたのを機に、全国的に出版されたことによって、世に知られるようになった。この結果、薪を背負い、本を読みながら歩む有名な石像が全国の小学校に建立された。もし高慶がいなければ、金次郎の業績がこれほど広く伝えられることはなかったかもしれない。ともかく先人の知恵と努力によって藩財政は立ち直った。

 そして今、かつての小高郷、北標葉郷、南標葉郷、山中郷は再び試煉がやってきたが、先人が乗り越えてきた苦難を思えば何のこれしきの思いは強い。御仕法をもう一度紐解き、活かすことで苦難と対決しよう。必ず克服できると信じている。

 さらに戊辰戦争ではこの地が戦場になった。

 戊辰戦争時の慶應4年(1867年)6月16日から8月7日かけて浜通りの地で戦闘があった。新政府軍(奥羽鎮撫総督府)が平潟付近に上陸から奥羽越列藩同盟軍であった相馬中村藩が降伏するまで続いた。

 磐城藩(平城)を中心に、相馬藩から二百余の藩兵が援軍に駆け付け、闘ったが不利となり、藩領にまで戻ろうとし、富岡町深谷付近に陣地を構築し迎え討った。

 激しい戦闘となり新政府軍の若い岩国藩士が多数戦死した。富岡町にあった亀屋旅館が新政府軍の本陣になっており、その遺骸を亀屋旅館の女将(猪狩タセ)に埋葬するよう依頼した。

 女将は約束を守り丁重に埋葬し、龍台寺に煉瓦の塀で囲んだ立派な墓地をつくり供養した。山門を通ってしばらく行くと右側に「官軍の墓」がある。昭和30年代までは毎年お盆にはお線香代として岩国の遺族から金銭が送られてきていた。また今回の原発事故では多額の見舞金が岩国市から富岡町宛に送られてきた。

 戦闘はさらに浪江付近まで後退し高瀬川を挟んでの攻防となったが、戦闘は不利に展開し、援軍としてきていた仙台藩士や米沢藩士は自藩が戦場になる危機に陥ったため引き上げてしまったので孤立無援となり、相馬中村藩は新政府軍に使者を送り和睦を申し出た明治新政府成立後も、政府を牛耳る薩長閥によって「白河以北一山三文」の誹りを受け、受難の連続であったが耐えた。それが東北人の強さだ

 歴史は順風満帆ではない。数々の苦難、難関を克服してきた先人がいたからこそ今日がある。明日の世代に繋ぐことができるか、住民の覚悟が必要だ。

 半谷清寿著「将来之東北」より引用

 半谷清寿は、1853年(安政5年)に相馬藩士半谷常清の長男として相馬郡小高で生まれ、養蚕による地域振興に尽力、1900年(明治33年)不毛の原野と言われていた夜の森地区開拓に取り組み、この地区に約5万uの土地を購入、理想の村造りに努め、その際記念として農場の縁に染井吉野の桜樹苗約300本を植えた。これが夜の森公園の桜のトンネルの母体となった。

 同氏は、後年福島県会議員を経て、1912年から衆議院議員となり、そこで養った人脈で「将来の東北」を構想し、その実現に努めてきた。

 その苦闘の様子は自著「将来之東北」の冒頭・総論で明治維新と東北の関係」の中で次のような論述がある。

 「近く四十年間我が東北の歴史は、何ぞ其の惨絶悽絶なる。嗚呼、是れ天か人か。看よ、磐梯の噴裂、三陸の海嘯、三県の凶飢、何ぞ其の悲惨なる。更に遡りて戊辰の役における創痍亦何ぞ深痛なる。斯くの如くにして東北は不振より衰退に入り。衰退より滅亡に赴かんとしつつありしものなり。去れば今日の独り東北人の昏睡酣眠を許さざるのみならず、奮然蹶起以ってあらゆる艱苦と格闘して、自家之新運命を開き来らさざるべからずの時に遭遇せるものなり」

 戊辰敗者たる東北という眼こそは、政治経済的に国家から放置され、後進地東北という観念を生み育て、東北人を「野蛮粗野」と視ていた。

 東北地方は、江戸時代、明治・大正と蔑視、軽視されてきた。

 ふる里の歴史は平坦ではない.あらゆる災難に苦しみながらも闘い、耐え忍びながらも歴史を繋いできた。だからこそ今日があり、これからの未来社会に繋いでいかなければならない。現在は避難中だが、必ず戻ることを誓い歴史を繋いで行く覚悟はできている。

 第一にやらなければならないことは、住まいの確保であり、職の確保である。この二大必要条件を満たすことによって、ふる里復興の端緒となる。まず住まいを確保しよう。

 平市を中心としたいわき地方はかつて炭鉱で栄えたが、政府のエネルギー政策が石炭から石油に代わり、炭鉱は閉鎖され、不況のどん底へと陥った。それを救ったのは「一山一家」という連帯感が生み出す力によって方向転換を図ることによってやがて大合併により東北一の工業都市になり「いわき市」として甦った。

 政府による新しいエネルギー政策の推進過程において、再び福島県を襲ったのが今回の事故であって、立直れるかどうかは、被災地住民の団結による再起、再興に懸けるエネルギーが原動力となるが、双葉郡は一族だという認識が持てるか、連帯感を持てるかどうかにかかる。まず団結しよう。自分達の力で再起しよう。声を掛け合うことから始めよう。必ず応呼する声があがるはずだ。必ず賛同するエネルギーが湧き起こるはずだ。邁進しよう再興という目標に向かって。

「ふたば市」創生

 避難指示解除も段階的で解除が何時になるのか全く判らない地域も多く存在するし、中間貯蔵施設建設予定地に入った地域もあり、解除は一律ではない。従って避難中の全住民が戻りたいと思うような理想郷を創生しよう。

 安倍内閣の最大の目玉政策は、地方創生にある。地方創生の具体化に向けて動き始め、安倍総理を本部長とする「ひと、しごと創生本部」を首相官邸内に設け、具体的な施策について検討に入っている。地方にとっては熱い視線を注ぐが、何時ものように単にバラマキになってしまうのか、最初に採り上げるべき案件によってその本気度が占えるが、それならば是非採り上げて欲しいのが、日本国中が注目している第一原発事故による避難している人達をどう救済するのか、5年以上も経ってしまいながら、未だ具体的な救済方法が見当たらない現状をどう打破できるのか。具体的な施策を示して欲しい。

 それにはこちらから具体的な施策を提示し、是非実現してほしい。

 それは現在避難している人達を集団移住できる住環境創生・整備にある。それには戻っても住まいと就労が出来る二頭立ての馬車のような、あるいは両輪のように切り離せない住・職が可能なことにある。そんなうまい話がある訳はないと耳を貸さないかも知れないが、この住と職を切り離すことは出来ない。住・職を同時に解決してこそ前進がある。

 その前に解決しなければならないことがある。それは二点あり、一点は双葉郡八ヵ町村が一丸となって「ふたば市」になることだ。原発建設の話が持ち込まれた頃、双葉郡選出の笠原県議が熱心にこれこそが発展の原動力となると、双葉市創設を説いたが、残念ながら地元では「オラ方の町」が優先し不発に終わってしまった。

 今回の事故後でも富岡町の故遠藤町長は、避難から立ち上がるには双葉郡が統合して頑張らなければ復興は困難だと説いていた。

 しかしその後には全く動きはなく、避難指示解除になっても積極的に戻ろうとせず、これから指示解除になる町村は更に戻る人は少なくなる見込みだ。しかも戻る人は年配者が大半となれば、最初から限界集落と化し、町が消滅するのは時間の問題となる。

 17年3月、避難指示解除になる予定の富岡町においてアンケートで「戻る」と回答したのは全町民の僅か一割のみ、これでは復興計画をいくら立案しても意味はないことになる。

 したがって、町の再興としての分散投資は避けるべきで、一点に絞りふたば市創生に集中投資すべきではないだろうか。

 これまでも原発三法による交付金の配分で自治体間の深刻な対立を生んできた。今度は賠償金の格差で深刻な軋轢をもたらしている。このままの状態で自治体の存続となれば更なる対立の火は拡大することになる。統合こそが最大の解決策と思うが、双葉郡八ヵ町村は原発誘致以前から統合の機運があった。しかし、全くその気運は盛り上がらず、「オラ方の町」が優先した。石城郡が大統合していわき市になって大発展したことを横目で眺めながらも統合しようとの結束は全く盛り上がらず、「オラ方の町」の根強い地域文化が絶対的に支配している。

 全町避難という異常事態に陥っても、自町村の復興を主張するが、統合して再興に尽力しようとする機運は全くない。しかしこのまま推移すれば僅かな人しか戻らず、しかも年配者が大半となれば、自治体の存続すら困難な事態に陥ってしまうのではないか。従ってその危機感を教宣することから始めなければならない。

 先に述べたが、15年6月、NHK・TVの番組をもう一度繰り返して述べるが、これこそが声なき声の真実、皆さんも思いは同じ、このままでは助け合って生活してきた集落の皆さんが新しい生活を求めてバラバラに散っていくほか方法はないのか、おそらく全員の思いはこの年配の女性の叫びに集約されている。

 確かにアンケートによると避難指示解除になっても「戻る」「戻りたい」と答えているのは、全住民の一割程度、しかも大半は年配者ばかり、これでは最初から限界集落になってしまう。

 医療機関も福祉機関もなし、肝心の商店もない状態だから、戻ったとしても仙人の生活をすることになる。これでは復興、復活はありえない。

 特に大熊町と双葉町は中間貯蔵施設が建設されるのだから、「戻る」という選択もない。このまま推移すれば、避難指示により現在仮住まいの皆さんはふる里へ戻ることを願いながらも、生活を維持するために他所へ移住しなければならないことになる。これでは第二次被災というべきではないか。

 ならば現在避難中の富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村が中心となって一つの住環境を創生し、ふたば市を構成、そうすれば一つの区域に全員が暮らせることになる。

 元の集落をブロック毎に再構築することもできる。住民参加で最善の方法を討議で決めることもできる。ともかく17年3月には全部ではないが避難指令解除の予定だ。明確な方向性、具体的な計画を示さなければ、避難している人達は涙ながらにふる里を離れ、異境の地に向かうことになる。新居住地創生の方向性を決めるのは今しかない。

 各自治体は多額の負債を負っているが、各自治体が一つになれば負債を承継してふたば市の負債として償還することは出来ないか。

 生活手段はどうするのだという切実たる疑問があるだろうが、別項目で具体的な方策を示した。勿論そう簡単にいくとは思っていないが、政府の強力な支援があれば実現可能な職の創造だと確信している。

 ともかく若い人達が率先して街造りに参加するような未来志向の街を造りたい。それには「オラ方の町」意識を改め、一致協力してふたば市創生に尽力し、新たな「オラ方の町」である「ふたば市」を誕生させるという意識革命が必要だ。住環境を創生することにこそ双葉地方再生の第一歩になるのだ。

 15年7月17日、郡山市で経済同友会夏季セミナーが開かれたが、東日本大震災の被災地再生について「旧来に戻すという視点から脱却し、市町村合併や広域連携が必要」とする提言を採択した。

 提言では、政府が被災地自治体などに復興交付金を支出する際に、居住地域の集約や共同での施設整備を条件とすることで自治体間の連携を促進できると指摘。特に原発事故の影響が続く福島県内の12市町村については、「既存の市町村の区域にとらわれず、産業拠点を集約する『新しい街』を打ち出すべきだ」と提言した

 ふたば市創生こそが被災地域救済の途であり、復興への王道だと確信する。

 もう一点は東京電力福島第一原発が廃炉へ向け作業工事中だが、この廃炉工事を受け入れ、「原発の城下町」から「廃炉工事城下町」となることを受け入れることが出来るか。さらに廃炉工事に関連する世界初の国際研究産業都市(イノベ―ション・コースト)構想を受け入れ、積極的に協力していけるか。さらに中間貯蔵施設工事関連の拠点等を全て一点に集中し、これらを統合した「ふたば市」建設を同意し支持できるか。この三点を考察・検討し結論としたい。

廃炉産業城下町

 居住環境の整備、働く場所の確保、この二点が両輪であって同時進行で建設・整備を行わなければならない。仮設住宅から自宅の確保、慰謝料支払い打ち切り後の安定収入の確保、差し迫った問題としてこの二点が充足できれば「ふる里」へ戻る決心が出来る。

 だがこの二点が充足できても戻れる必要要件を満たすことが出来た訳ではない。

 それは町としての組織として、医療機関、福祉設備、教育機関、商店等、町が成立するには総合的な諸機関があってはじめて成立するものであって、無人地帯に家だけ建てて入居可としても喜んで移住してくる訳がない。

 そこで考えられるのは「廃炉産業城下町」としての活路を見出すことにある。

 2013年4月、第一原発事故対策工事で、一日当たりの作業員数2,950人、翌年の2月には4,020人、同年7月には5,730人、同年9月には6,000人の大台に乗った。僅かな期間でこれだけの作業員が増えた。

 現時点での復旧工事では、凍土遮水壁工事、増加する地下水の対策工事が主で、その作業員は一日当たり7,000人、登録作業員の数は8,000人を超えている。

 東電が発注する工事は、ゼネコンなど大手約40社が元請けとなり、その下にいくつもの下請け業者が入り、現場作業員を派遣している。その数1,000社以上。作業員の確保は難しく、特に重機免許や熟練作業員の確保が難しいらしい。そのため賃金は上昇しているが、矢張り放射線量を危惧することにあるらしい。

 作業員の皆さんは現場付近に居住することは許されず、いわき市、広野町、一部楢葉町等に居住し、遠距離通勤しており、国道六号線は通勤のマイクロバスで大渋滞しているとのことだ。

 2015年6月、作業員向けの大型休憩施設が構内に完成した。施設は鉄骨九階建のビルで延べ約6,600u、約320席の食堂が三階にあり、これまでの仕出し弁当ではない温かな食事ができるようになった。四階から七階までは計約1,200人収容の休憩室になる

 大熊町大川原地区には給食センターが建設され、従業員120人で、一日3,000食を提供している。

 大川原地区とは、第一原発の所在地から西南西、約8kmにあり、全線開通した常磐自動車道の西側にあり、この地区は大熊町々内で唯一帰還準備区域が予定されており、原発爆発時の風向が北北西であったから汚染度は比較的低かった。だからこそ東電はこの地域に目を付け、原発事故対策の後方支援拠点をここに定め、本格的な支援活動をするものと思う。

 この地区は17年3月には避難指示解除になる予定の地区になっており、この地区に本格的な廃炉関連の基地として一つの街を造る計画を提案したい。

 まず東電福島本社を中心として廃炉工事元請けの現地事務所、下請け、孫請け、その他関連の事務所を集中させ、ビルを建て各事務所に貸与するとすれば可能と思考する。

 廃炉工事の工程表によれば40年が見込まれており、作業員の宿舎は当然必要とし、これだけ長期間の作業となれば、従来の飯場的感覚は通用しない。従って家族も住める団地形式の宿舎建設が必要となる。第一原発の作業員ばかりではなく、中間貯蔵施設建設工事が本格化すれば、多くの作業員がここに集中することになる。

 第一原発建設が始まった頃、付近農家はハウスと称する簡易な宿泊所を設け、作業員を収容していたことがあるが、今回は長期間の工事となるから本格的な宿舎建設が必要となる。

 政府の関係閣僚会議は、15年6月12日、東電福島第一原発の廃炉に向けた工程表について、1〜3号機の使用済み核燃料プールからの燃料回収を、先に決まっていた計画より最大3年程度遅らせるなどを盛り込んだ改定を決めた。大幅な改定は2013年6月以来、二年ぶり。原子炉格納容器内で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の回収は、21年中に1〜3号機のいずれかで開始する。行程表は、政府が第一原発の「事故収束」を宣言した11年末に策定されたが、1〜3号機のプールには計1,573体、格納容器内には1,496体の燃料が残っており、廃炉作業の障害になっており、燃料回収最大3年遅れと発表した。

 一方、放射性物質を含む汚染水対策については、汚染水を処理した後のトリチウムを含んだ水について、16年度上期から処理方法の検討を開始することを明記。原子炉建屋に流入する地下水の量を、16年度中に現状の一日約300トンから約100トンに減らす方針を明記した。

 今回は事故対策の作業から廃炉作業までの工程表が発表されたが、それによると廃炉完成は2051年完成となっており、2011年開始、2051年完成とすれば40年を要する長期間の工事になるから、飯場的感覚は過去のもの、作業員宿舎も本格的建築の住宅が必要だ。

 さらに廃炉作業と中間貯蔵施設建設が重なり、現場も近いのであるから合同の宿舎として、家族を含めて2万人規模、あるいはそれ以上の人々の居住区として家族同居用、単身赴任用宿舎を団地形式で建設すべきだ。都営住宅基準であれば12階建ての高層建築で一棟3LDK250室として、4人家族とすれば一棟千人が入居可能、20棟あれば2万人が生活できる。一階は公共施設、2階以上を居住区とすれば一つの町になる。近くのブロックには国際研究産業都市が建設する。

 南側には医療機関、スーパーや商店街、学校、公共施設等を設置する。この意味はさらにその南側に住環境創生である避難者の大集合体である居住区建設、即ちスマートシティを予定しているからだ。従って建設決定権は東電と国が握ることになる。

 大川原地区に隣接する新福島変電所からゴルフ場、岩井戸鉱泉周辺の丘陵地帯を対象にして徹底的な除染作業を行い、宅地造成であるから丘陵地帯を均せば除染工事も一挙に出来る。しかも17年3月には避難指示解除の予定になっている。従って除染に関しては問題ない。それでも不安であれば除染工事における放射線量測定に直接参加して確認すれば良い。

 国際研究産業都市は112号国道を中心とした台地に各種施設を集中させ、富岡町役場を東端とするブロックを推奨したい。

 そうなると町内の除染は放棄、あるいは町・集落そのものを放棄、その予算を住環境創生に生かせないか、石破創生担当相にお願いしたい。現在慰謝料金を受領している約八万人が戻ってくるとは思えないが、約半数位の四万人位は受け入れ可能としたい。それには家族を養えるだけの収入が約束しなければならないが、それに関しては後半で農業、工業、港湾等に関する持論を述べるが、政府や財界がどう動いてくれるか、だが国や財界が、やがて必要とする業種であり建造物だと確信している。

 政府ははっきりとは言わなかったが、13年、政府与党が「福島復興加速化法案」を準備したことがある。その法案の骨子は基本的に避難区域と設定された12市町村、長期避難者を対象とした生活拠点形成交付金等を統合し、新たな帰還後の生活拠点整備等を加えて、総額1600億円を準備した。

 年間積算放射量が50ミリシーベルト超えの帰還困難地域は帰還できないとの見通しを示し、移住促進を促し補助しようとの法案であったが、時期尚早として引っ込めた経緯がある。

 積算残量ばかりではなく大熊町、双葉町のように残量放射線量とは関係なく、事実上の放棄区域となり、六号国道東側沿いの町中枢の全域が中間貯蔵施設の敷地に指定されているのだから町の機能は完全に失われており、移転はやむを得ない事情がある。

 だが、絶対に戻りたいという民意をはっきりさせ、居住地創生を要望すれば生活拠点整備の交付金の復活はあり得る。

 13年12月発表、第一原発事故に伴う帰還困難区域内で行われた汚染除去モデル事業の中間発表があった。

 除去により空間線量が40〜60%程度低減し、各地区の住宅地での平均線量は、毎時3・51〜6・56マイクロシーベルトになった。それから既に二年を経過した平成27年の現在ではさらに低下していると推測できる。

 放射性セシウムは、土壌の表層2.5cm以淺に全量の95%が蓄積していることが明らかであり、それ以上の表土を削り取れば大半は除去できる。除去土は地中深く埋めるか。第三章で紹介する人工島で処理できるようにすれば良い

 13年11月、自民党幹事長(当時)であった石破氏が談話として、「『この地域にはもう住めません。その代わりに手立てはします』と誰かが言わなければならない時期が必ずくる」と表明したことがある。政府の本音を代弁したのだろう。

 その本音とは、僅か20日後の11月22日の文部科学省原子力損害紛争審議会の慰謝料一括払いの発表から連動した動きだろうし、政府としてもこれで打ち切りが本音だろう。

 慰謝料一括払いとした場合、慰謝料受給している八万余の人々の心の葛藤はどうであろうか。できればふる里へ戻りたいと想っている人は大勢いると想う。しかし、ふる里の惨状をみれば戻れないと諦めざるをえない。だからこそ戻れる地域を限定して国の力で集団移住可能な地域を創る。それこそが住環境創生になる。

 この際はっきりと残留線量が高すぎて当分の間、居住することはできません。この地域は居住可能ですと明確な区分表明があってしかるべきだと考える。そうすれば他所への移住の判断にもなるし、ふる里へ戻るにしても本当のふる里ではないが、居住可能な地域だから戻ろうと決意する。またふる里である「オラ方の町」へは戻れないが、同じふたば市であれば戻りたいと思うのではないか。さらに居住地域内で集落毎の区割りも可能だ。

 もう一つの難問として各町村それぞれが独自の力で再起、再興を諮っても、僅かな人だけが戻ることを表明しているという現状を踏まえて、このまま推移すれば必ず町は衰退、消滅の途を歩むことになることが明らかである。ではどのような対策があるのか。このような重大事案を何となく悟らせるのではなく、当分の間居住不可能な地域と居住可能な地区の区分を政府が明確に発表すべきだ。かつ、交付金支給は自治体別ではなく、自治体間の連携を深めるような産業拠点造りに誘導する支給制度を作るべきだ。要は「ふたば市」創生こそが、究極の再生手段だと悟ることにある。

 もし、避難住民が一括支払いを受けて新しい生活を求めて一斉に他所へ移住したとしよう。そうすると双葉郡の大半は無人地帯となって放置された地帯となってしまうと思うかも知れないが、とんでもない思い違いで、かえって賑やかな地帯になり得る。それは廃炉という大産業があり、国際的な研究都市を中心とした新産業都市、中間貯蔵施設がある原子力に関して世界の中心になり得る可能性を秘めているからで、関連する大勢の人が住むことになる。

 その最初は先に述べた作業員とその家族が住む二万人規模の人々が住む宿舎建設に始まり、双葉地域は居住民の入れ替えが行われるだけになる。だからこそ廃炉産業、中間貯蔵施設、新産業都市構想等を受け入れ、それらとコラボすることによって共存共栄を謀り、新ふたば市構想は進展することになる。

世界の廃炉産業

 廃炉工事着手といっても未だ本格的な工事が始まっているわけではなく事故の後始末的な工事に終始している。本格的な工事は、福島第一廃炉推進カンパニーなる会社が請け負うことになる。カンパニー・プレジデント増田尚宏氏は、元第二原発の所長で、あの大津波に襲われながら、第二原発を無傷で護りきった功労者で、次の新たな挑戦は世界初のメルトダウンした原子炉の解体に挑戦する廃炉関連工事を統べて請け負う廃炉推進会社の陣頭指揮を執る責任者になった。世界初のパイオニアといえる。

 14年4月、廃炉・汚染水対策責任体制を明確化し、集中して取り組むことを目的としての組織を設置した。そしてメーカー三社(三菱重工、東芝、日立)の原子力統括責任者に準ずる人材を招聘しオールジャパンの体制強化に努めた。

 政府はそのために開発機構を設置、実験装置購入費やなどを含めて30億円程度を見込んだ。

 産業都市(イノベーション・コースト)として世界中から叡智を集め、研究、開発機構を設置する。海外からの研究者や原子力関連の専門家、技術者を招聘し、研究の為に長期滞在する場合、外国人は家族同伴が慣例なのでその受け入れ態勢として、それらを考慮に入れた施設の完備も必要になってくる。

 東電の復興福島本社を地元に置くならば、第一原発廃炉作業の全ての拠点を現地に集中して設置し、福島・国際復興研究、産業都市、その他の諸施設を一極集中で建設すべきだ。

 放射性物質分析施設が大熊町に決まった。これから町復興のため各種施設を「オラ方の町」への誘致合戦が始まるだろうが、限界集落をいくら造っても無駄になる。一極集中型で建設しなければ必ず失敗に終わる。

 学連機構(IRID)の組織は、組合本部を東京・新橋にあるが、やがて現地に移す予定、研究開発機構を現地に建設し、世界初の本格的な廃炉研究を進め、最先端の技術開発を主眼としている。

 2030年までには全国にある原発30基が耐用年数切れとなり、廃炉となるから廃炉技術者の雇用は大幅に拡大し、開発されたロボットや応用機材が活躍することになる。即ち第一原発廃炉に伴う廃炉技術の向上は、近い将来において是非とも必要なものであり、それは世界にとっても必要なものとなる。

 政府見解としては原発を減らす方針であるが、急速な削減は他の発電能力から見て危険なことで、全発電量の原発依存を20%程度とし、自然再生エネ発電を20%程度に引き上げたいらしい。

 これからは世界中に建設された原子力発電所が老朽化し、廃炉作業が一斉に始まる。わが国がこれから開発するだろうロボットや機材が活躍することになり、培われた技術が世界で貴重な存在になる。即ち、廃炉技術の総本山として君臨することになり、また廃炉作業で磨かれた技術は世界で貴重な技術となる。

 世界の廃炉産業をリードする新産業創出を目指す国際研究産業都市(イノベ―ション・コースト)構想の中心はふたば市であり、一点に集中すべきだと考える。

 現在、廃炉の国際的な研究拠点として集積するイノベーションコースト構想で「廃炉国際共同研究センター」設立が検討されている。センターは廃炉作業に関わる研究開発や人材育成を担う。16年以降、第一原発近くに国際共同研究棟を整備し、国内外から100〜150人が参加する計画がある。

 このような研究施設は全てを一点に集中し、次に述べる「創生の街」と共存を計るべきだと提案したい。そのためには国が基本方針を明確に示し指導すべきだ。

 そうすれば研究者達も大勢集まり、その人達の宿舎も必要となる。次の述べる環境都市とコラボすることによって全てが解決できることになる。

スマートシティ(環境都市)

 これからの重要課題は居住地を決めることにある。避難してから5年が経過してしまった現在、人それぞれに事情を抱え、「戻る」「戻らない」「他所へ行く」「現在地に落ち着く」等々、これからの避難者の皆さんの行動を推し量ることは難しい。

 ただ言えることは「戻る」を選択する人は少数派であり、しかも大半は年配者で、年金受給で生活が何とかなるという人が多い。

 すでに解除になっている地域の現状をみると、20キロ圏外であったが町当局が避難を決議し、いわき市へ全町民が避難した広野町は半年後解除になり、町役場は元に戻ったが、全町民(5、130人)のうち戻った町民は約2、000人で、人口の約四割しか戻らず、避難地のいわき市に留まってしまった。

 川内村は一部20キロ圏内に入ったため全村民が三春町、郡山市方面へ避難、避難指示解除になったが、村民(2716人)の45・9%しか戻ってこない。

 楢葉町(7438人)は除染もインフラ整備も終わり、自宅へ戻って体験宿伯実施中だが僅かな人しか届けていない。9月5日、避難指示解除になって役場機能が戻ったが、肝心の町民が戻ってきたのは僅かでしかない。

 自民党東日本大震災復興加速本部(本部長・額賀福志郎元財務相)は5月14日の会合で、東電福島第一原発事故で設定された避難指示区域の一部について、2017年3月までに解除するよう求める提言の骨子案を示し、政府に提出した。

 県沿岸部の避難指示区域は放射線量が高く帰還の見通しが立たない「帰還困難区域」、将来の帰還を目指し除染を進める「居住制限区域」、早期帰還を目指す「避難指示解除準備」に分けて、骨子案では「長期避難の弊害解消」のため、遅くとも事故から6年後までに、居住制限区域と避難解除準備区域の避難指示を解除し、住民の帰還を可能にするよう求めた。

 先に述べたように政府は6月9日、新たな復興方針を発表した。

 現在、福島県の居住制限区域(約2万3,000人)と避難指示解除準備区域(約3万2,000人)の住民は他地区へ避難を余儀なくされている。

 17年3月、避難指示解除準備区域は避難指示解除になることは閣議決定され、解除の見通しになった。後一年数ヶ月しかないが、果たしてインフラの整備は大丈夫なのだろうか。

 精神的損害賠償金の支払いは18年3月までとした。しかし居住制限区域の住民約2万3,000人はどうなるのか。

 待ちに待った避難指示解除、帰還できる喜びに満ち溢れるのか、それはこれまで解除になった町村で全人口の半数にも満たない人しか戻ってこない、自治体の崩壊になりかねいような現象を直視しなければならない。

 双葉郡内の4町1村での帰還希望者は全人口の2割に満たない少数でしかない。14年度に実施されたアンケート調査による数値であるが、実際に解除になった場合、戻る人はさらに少なくなるだろうとの見通しだ。それは生活維持を保証するインフラが全くないことにある。

 さらに言えば大熊町、双葉町は「戻る」こともできない状態にある。

 これでは最初から限界集落であって、今後除々に回復だろうとの見方はあまりにも甘すぎる。それよりもいったん戻った人でも周辺に少数の人しかいない現状に耐えきれず再び移住する可能性もある。それらを勘案すれば心情的には戻ると決めていても、いざ戻るとなれば逡巡してしまうのではないか。従って先にインフラ整備、住環境整備こそが課題なのだ。

 住環境創生の項で述べたが、大熊町大川原地区の廃炉工事支援後方基地建設を前提として、その南側の地区にスマートシティ造成を提案したい。二つの構想がコラボしてこそ成り立つことになる。

 その具体的敷地としては、大川原地区に隣接した地域で新福島変電所、富岡ゴルフ場から岩井戸地区の丘陵地帯をスマートシティの中心とし、富岡町役場を含む台地を新産業研究都市の適地と考える。

 宅地造成となれば丘陵地帯を均す工事であれば、表土は削られ、除染工事も同時進行で行うことが出来る。しかも17年に富岡町は避難指令解除の予定にある。しかも町の中心から南西方向の丘陵地帯はさらに汚染度が低い。だからこそ宅地造成の適地と判断した。

 更には富岡町民ばかりではなく、大熊町・双葉町の町民、さらには浪江町民、葛尾村民にとっても「ふる里」に近く、理想の住環境創生を構築できることになる。自治体の枠に嵌まらない「ふたば市民」の意義をここに見出そう。

 自主的な住環境創生であるから理想的な我が町を自らの手で創ることに意義がある。何が理想か、それは子供中心の街であり、そのためには子育て中の主婦中心の街でなければならない。即ち子育てに優しい街造りである。そのためには主婦の目線が中心となって街のグランドデザインを描こう。それには居住希望者全員参加の徹底した論議が必要だ。

 更に老人に優しい街でありたい。事故・避難で大家族制が崩壊、身寄りのない、あるいは家族から孤立してしまった老人が多数存在する。この人達を暖かく迎い入れてくれる施設は必ず必要になる。予め配慮しておくべきだ。

 参考として好例を挙げる。

 岩沼市玉浦地区は阿武隈川の河口付近にあり、貞山堀と五間川に挟まれた低地帯にあった。

 7mを超える大津波に襲われ、一瞬にして150人の犠牲者をだし、200軒の家屋が流された。被災者は市長の英断で向こう三軒両隣を基本として集落毎に避難所を決め、連帯感、安心感を大切にして復興への意欲を醸成するように仕向けた。

 その方法とは、市の行政は表に出ず、被災者だけの再興に関する討議を自主的にするようにした。住民参加の討議は熱心に行われ、特に子育て中の主婦は熱心に討論に入った。一見回りくどいようだが、結果として被災集落で最初に移転地を確保し、自宅を確保、移転に成功し、津波の怖れのない高台での生活に満足した。

 この成功の鍵は主婦層が積極的に参加し、自分の家の敷地を確保すると共に、取り付け道路、公園、憩いの場所等主婦の目線で配置やデザインまでも決めた。更に幸運だったのは、同市出身で東大名誉教授、しかも都市工学の専門家が、同市の復興計画アドバイザーとして参加、ただし自からは発言しない、聴かれたら的確に答える態度に終始、従って主婦達は自分たちの意見を述べると共に、先生にアドバイス求め、自信を持って論議に加わったことが主婦パワーとなって、子育て中心の集落ができあがった。なお先生は女性で、主婦の目線を良く理解していたことも幸いしたことと想う。

 住環境創生も、全くの白紙状態からの出発だが、白紙のキヤンバスだからこそ理想的な絵が描けることになる。敷地は前に述べたように大熊町大川原地区の南側に隣接する新福島変電所から富岡ゴルフ場、富岡町役場付近を東端とする広大な台地を想定した。

 富岡町も17年3月に避難指令解除になる見通しで、町から西南西方向にある丘陵地帯は更に汚染度は低いとのこと。全通した常磐自動車道の西側で、富岡インターが近くにある。この丘陵地帯を宅地に均せば、表土を掘り返すことになり除染にも役立つから、汚染の怖れはない。

 主婦が中心となって理想的な住環境を描いて欲しい。さらにこの計画を実現するためには政府や東電を動かさなければ実現不可能だ。従って確固たる意思と行動で賛同を得るような理想郷の創生を描く必要がある。

 ここで提案だが各地で実現が進んでいるスマートシティ建設をお薦めしたい。スマートシティとは、聞き慣れない言葉かも知れないが、近未来の都市はこうなるだろと考えられている。

 その定義として、“ITや環境技術などの先端技術を駆使して街全体の電力の有効利用を図ること、省資源化を徹底した環境配慮型都市、再生可能エネルギーの効率的な利用を可能にするスマートグリット、電気自動車の充電システム整備に基づく交通システム、蓄電池や省エネ家電などによる都市システムを総合的に組み合わせた街づくり”で、既に世界各地で実証実験が始まっており、わが国でも京都府「関西文化学術研究都市」、横浜市「ミナトミライ地区」、北九州市、愛知県豊田市でも行われている。最も有名なのは東京近郊の柏市(千葉県)にある「柏の葉スマートシティ」で、三井不動産が中心となって「環境共生都市」「新産業創造都市」「健康・長寿都市」を目指す「世界の未来像」として公学民が協力して造り上げた街だ。

 ただし、これらの街は既存の街の一部に計画され、創設された街である。

 もし、ふたば市としてスマートシティを建設するとすれば、全くの無からの創造であるから、文字通りの創生となる。従って理想的なスマートシティ建設が可能になる。さらに各種の自然エネルギー発電の宝庫となれば、スマートグリットの実証都市にもなる。ならば国、電力会社、関連企業の支援も期待できる。

 スマートグリットとは、これまた聞き慣れない言葉だが、スマートメーター等の通信・制御機能を活用して停電防止や送電調整のほか多様な電力契約の実現や人件費削減等の可能にした電力網の構築にある。

 更にスマートハウスがあり、家電や設備機器を情報化配線等で接続し、最適制御を行うことが出来る。生活者のニーズに応じた様々なサービスが提供できる。街全体をスマート化することが出来る超近代化されたスマートシティが誕生する。

 スマートハウスの屋根は全てソーラーシステムのパネルで覆われる。

 「結晶シリコン太陽電池」は、誕生以来60年以上経過しており、現在でも主流であるが、日本発の「新型太陽電池」が世界の注目を集めている。

 「ペロブスカイト太陽電池」と称する特殊な結晶を持つもので、現在主流のシリコン系に比べて格段に安い太陽電池が作れるという。炭素などの有機物、鉛などの金属、ヨウ化物や塩化物といったハロゲン化物で構成する

(2030年、柏の葉スマートシティ完成予想図)

 「有機無機ハイブリッド型」で多少雑であっても高い発電効率が得られるという。

 国際再生可能エネルギー研究所(NREL)によると、「ペロブスカイト太陽電池」の最高効率は2015年2月17日現在、20.1%と発表した。

 将来的には単結晶シリコン太陽電池に並ぶ可能性を秘めており、ペロブスカイト太陽電池になる時代が来ると思われる。

 この新型太陽電池が日本発と言われる所以は、2009年に桐蔭横浜大学宮坂力教授らのチームがペロブスカイト結晶の薄膜を発電部に使用、太陽電池として働くことを突き止めた。この発表によって世界が注目し、研究開発に励み、開発競争のトップランナーが我が国であって、これからの太陽光発電は大きく様変わりし、これまでのスマートハウスもより効率的となってより充実した未来都市の建設が可能になった。

 これまでよりも効率的となってスマートシティもより充実した未来都市となる。

 政府は、企業や家庭の省エネルギー対策を強化する方針を固めた。省エネ関連の産業育成や投資の増加につなげる。

 工場や商業施設が節電した電気を売買できる「節電取引市場」を2017年までに創設する。

 エネルギー消費量が実質ゼロの住宅(ゼロ・エネルギー・ハウス=ZEH)を20年までに新築住宅の半分以上にする目標を掲げ、太陽光発電や蓄電池、省エネ機能に優れた建材の普及させる方針。ならば我がふたばスマートシティ全ての住宅をZEH仕様とする未来志向の街とする。次世代の都市としてのモデルを創生する方針を決めて欲しい。

 街を創る最初は、この被災避難事故最大の犠牲者は老人と子供たちだ。行き場を失った多くの老人がいる。その人達救済を第一目標として行動しよう。狭い仮設住宅故に大家族は崩壊し、老人たちが孤立してしまった。例えば双葉町は埼玉県からいわき市へ役場機構が移転したとき、加須町に多くの老人たちが残ってしまった。その他避難先で孤立している例が多数ある。

 今後避難指示解除になっても何処にも行けない老人が多数いるだろうことは予想できるし、解除後慰謝料打ち切りになれば死活問題になる。

 政府は、首相の掲げる「1億総活躍社会」に向けた緊急対策を発表した。その中で2020年初頭までに介護の新たな受け皿を50万人分以上整備する目標を明記した。

 ならばスマートシティ建設第一歩は老人介護施設から始めよう。そうすれば若い人に介護の仕事に就労することができる。充実した施設であれば、各地に避難している老人たちが安心してふる里へ帰還することができる。

 さらに柏の葉スマートシティを推奨するのはシテイ内に植物工場があり、新産業創造として本格的に稼働しており、六次産業化ファンドという。農林中金庫、全国農業協同組合連合会等の系列団体国と連携して設立した機関から出資を受けて設立された。

 植物の生育に必要な環境を人工的に制御・栽培する施設で、一日約一万株以上の野菜を生産・出荷している。

 このような前例があれば、わが「ふたばスマートシティ」も植物工場から創業しよう。何しろ廃炉支援の後方基地の街があり、消費が約束されている。専門の業者の一例を紹介する。この会社は実際に訪社し、現場を見学させてもらった。

 「スマートエネルギーウイーク2015」を表題とするEXPOが政府主催で、2015年9月に大阪開催、2016年3月に東京開催が決まった。

 今後スマートグリッドEXPOの開催が、国内ばかりか外国でも開催されるから、世界の関心は高いことを物語っている。

 従ってスマートグリットを中心としたスマートシティを世界の魁として創生する「ふたば市」の意義は大きい。住環境そのものがEXPO会場のようになり得る。ならば関連会社協賛を得て建設すれば理想的なスマートシティが完成することになる。

 安倍首相は、9月24日、新体制のスタートにあたり、アベノミックスの第二ステージとして「新三本の矢」の実現に向け、全力を尽くす決意を、党本部での記者会見で熱く語った。

 第一の矢は、経済最優先、GDP600兆円達成を目指す(14年度、490兆円)

 第二の矢、「夢をつぐむ子育て支援」希望出産率1.8を目指す。

 第三の矢、安心につながる社会保障、意欲ある高齢者が活躍できる「生涯現役社会」の実現。

 ふたばスマートシティこそがこのモデルになり得ると確信する。

 生活手段としての柏の葉スマ−トシテイ内のスマ−トアグリをモデルとしての計画として、次章で述べるが水耕栽培の植物工場を推奨したい。

 植物工場の例として、(株)グランパ(本社横浜)を挙げたい。同社は南相馬市にあるアグリパークと提携している。神奈川県内の各地で野菜栽培、販売事業とドーム販売事業(植物工場システムの開発・実用化・販売を行っている会社だが、実際に訪社し現場を見学させて貰った。その特徴は自社が独自に開発したエアドーム型ハウスにあり、農作物の成長に合わせて回転・スライドする自動スペーシング技術により、従来型のガラスハウスによる栽培と比較して単位面積当たりの2倍以上の生産性を持つなど、植物工場システム分野に於いて高い技術力を保有している。

 露地物が年2回の収穫なら、ドームでは年7回が可能、高い効率性、化学肥料を使わない安全性、省スペース性に優れ、天候に左右されない安定性がウリだ。そこに、日揮が、中期経営計画の施策の一つとして投資事業の拡大を掲げ、水や電力などのインフラ分野、資源開発分野、再生可能エネ分野、農業分野にも積極的に投資、参画する方針で、グランパへの出資に踏み切った。

 コンビナート建設では世界的な会社である日揮株式会社が、グランパの株式18%を第三者割当増資により取得し、日揮の出資は一億円、同社は取締役一名を派遣したのだ。

 日揮は、今後、同社と共にエアドーム型ハウスを更に改良して、植物工場による「農業の工業化」の実現、普及、拡大を目指すとしている。特に東北地方における農業分野での震災復興に貢献したいとして、陸前高田市では既に設置された。

 (株)グランパに対し、大手食品メーカーであるカゴメも3億1、000万円を出資し、発行済み株式の33.4%を取得した。カゴメがトマト栽培で培ってきた大規模生産技術を融合させることにより、より効率を高める狙いがある。両社が持つ栽培技術の情報を共有することで、ドームでの栽培期間の短縮、環境制御高度化による単位収穫量の増加、生育品目の拡大等を目指す。

 またカゴメが持つ需給調整機能の活用可能性を検証し、効率的な受発注の仕組みを作ることで、販売ロスを削減に繋げることが出来る。

 カゴメは1899年の創業以来、トマト栽培を通じて長きにわたり農業振興に携わり、1998年からは、大規模な施設園芸で行う生鮮トマト事業に取り組んできた。

 この事業に於いて2012年の売り上げは、過去最高の89億円を達成し、今年で発売80周年になるトマトジュースは、原材料となる加工用トマトの全量国内産化を目指しており、国内需要はまだまだ増大する予定で、生産システムを更に拡大する。

 また社内的に、農の新たな価値を創造するための事業展開を目指す。国内外で農業は成長ビジネスと捉え、当社の事業拡大の可能性は充分にあると判断し、我が国の農業の成長産業化を推進するとしている。

 このような会社とタイアップ若しくは誘致し、スマートシティ周辺に生産農場を設け、従業員として、さらに子育て中の主婦がパートで働けるようなシステムを造ることが出来る。

 生産された野菜類は給食センターや地元で消費する。トマトは全量親会社が引き取る。

 勿論これは手始めで、目指すはスマ−トアグリで、ITやロボット技術を活かした超近代的な農業を目指す。

 このトマト生産は、いわき市でも「とまとランドいわき」を設立して生産を開始した。

 次で述べるが、農水省が計画する日本版「フードバレー」をふたば市に誘致することを目標としたい。双葉地方の自然条件を勘案すれば、最高の適地だと判断し、かつ双葉地方の再興には必要不可欠と考えるからだ。

 もう一つ重要な案件がある。それは僅かでも被曝の怖れがあれば、定期的な検診の必要がある。ならば一つの街に住み、一定の病院で検査を受け、受診記録を保管しておけば、安心していられるのではないか。広島市にある日赤病院のように原爆の被曝者を検診する専門病院としてあるが、同じような目的で専門病院が身近にあれば安心できる。

 更にもう一つ、交通に関し二点を提案したい。一点は6号国道のバイパスとして、35号線を拡張整備するか、新設・整備して6号国道のバイパス線として活用したい。コースは常磐自動車道の西側として、「新ふたば市」を通り、廃炉工事後方支援基地である大川原地区を通り、常磐道に並行して建設し、浪江町付近で元の六号線に合流する。

 楢葉町から浪江町間の六号線は中間貯蔵施設に運び込むフレコンバック運搬のトラック専用道路として活用する。この新6号バイパス線は、復興のシンボルとして、夜ノ森公園桜並木を模して、更に大規模な桜並木の遊歩道を造りたい。これはすでに6号国道フラワーロード構想に基づき、ボランテア活動によって桜の苗木を植樹してきたが、さらに大規模な桜並木と夜ノ森駅構内の土手を彩るツツジの群生を更に大規模にしたツツジその他の花々によって、名実とにフラワーロードにしたい。

 「新ふたば市」の目指すのは公園都市であり、近未来の都市、スマートシティの魁として世界から注目されるような街をつくりたい。

 JR常磐線は、金山トンネル付近から太田地区の6号旧道を利用し丘陵地帯へと新線を建設、夜ノ森駅と直線で結び、スマートシティに便利な地点に新駅を造る

 旧線に関しては、第五章で述べるコンテナハブポート建設を提案したが、流失した富岡駅付近から鉄路を繋ぎ、コンテナヤードへの引き込み線として活用する。東日本を対象にしてコンテナ貨物集配に関し鉄路を活用すれば、東日本各地隅々まで迅速かつ大量のコンテナ貨物の集配は可能となる。

 これまでの提案は序の口に過ぎない。これからの提案は奇想天外な発想として葬り去られるだろうが、では双葉郡再興の途としていかなる方法があるのか。これまで何も見えてこない。避難中の皆さんはふる里へ戻ることを夢見ながら、戻れるメドが付かないままにこのまま避難地に落ち着くか、新しい生き方を求めて他所へ移るか。決断を迫られている。既に避難解除になった町村でも半数以上が戻らないのは何故なのか。戻れない理由があるからだ。

 各自治体が独自のインフラを構築しても、他の自治体との相互扶助関係がなければ生活環境に重大な支障がある。即ち双葉郡全体としての総合再興計画がなければ再興は難しい。

 既に避難生活5年を経過した。このまま推移すれば戻ることを諦め、他所へ移住する人が増えることは確実だ。それを傍観しているだけでは確実に双葉郡は衰退する。

 双葉郡八ヵ町村は結集すべきだ。双葉郡全体をどうするのか。如何導くのか結集して考えるべきではないのか。

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第45章 双葉地方の農業

 住の確保と同時に職の確保の二大命題を同時進行で解決していかなければふる里へ戻ることは出来ない。

 その職の確保として考えられるのは初期段階としては農業しかない。ただし、双葉地方の農業に関し、再び依然と同様な手法での農業継続は不可能だとの認識から出発することを前提とする。

 双葉地方の農業は水田耕作が中心で、他に特産物と言える農産物はない。

 更に言えば「双葉米」を銘柄米と胸を張れるほどではない。しかし、昔から農家にとって米作こそが主な収入源であり、生き甲斐であった。その水田及び畑作地全てが汚染されており、さらに「米余り」「減反」「汚染問題」「風評被害」「TPP問題」と、立ち塞がる難問を列挙すれば、米作の前途は暗闇でしかない。汚染された農耕地、100%の除染はまず無理、たとえ除染ができたとしても米作は無理、まさに八方塞がり状態が双葉地方の米作を中心とした農業である。

 避難中の人達が避難解除になって戻ろうとしても、従来の農業が全て駄目では戻る意味がない。それでは別な仕事に転業するか、他所の休耕田や放棄された農耕地を借り受けて農業を続けるか、心は千々に乱れていることと推察する。

 全国統計で見ると、休耕地や放棄地の合計は、埼玉県の面積とほぼ同じ面積の農耕地となっている農民がやる気を無くしてしまったのか、そうではない農家の主が死亡、または老齢で農事をやることが出来なくなってしまったが、相続する人が居ない、借り手もいない結果、不本意ながら放棄せざるを得なくなってしまった。

 それが長年になると、地価が安い農地は、相続する際に登記しないで放置してしまう事が多いらしい。手続きには数万円の手数料がかかり、無駄な失費とばかりに手続きしないと、土地は法律上、息子や娘の共有名義になり、更に孫の代にとなると地権者ばかりが増え、何処に住んでいるのかさえ判らなくなり、本人も地権者である自覚も無くなってしまい、あるのは「農地基本台帳」だけとなる。この問題が、安倍内閣が進めようとしている農業の大規模化を奨める際の大きな障壁となっているが、その壁を無くそうと政府が乗り出した。

 平成26年度、各都道府県に設置する「農地中間管理機構」いわば農地バンクである。

 地権者が判らない、または地権者が放棄した場合、その農耕地を借り上げ、集約した上で専業農家や農業法人など、やる気のある担い手に貸し出す。そして賃料を支払ってもらい、土地の所有者に賃料を支払う仲介の役目をこの機構が代行し、法的な問題も全て機構が責任を持つことになり、公的な組織として斡旋業務をおこなう。

 このため農水省は平成26年度予算案で約1千億円要求している。

 農地法の改正案も国会に提出され、通過する見込みだから、貸し出しはスムースになり、インターネットで貸し出し農地、賃料等を含めた全ての情報が入手できる仕組みを作ると発表しており、個人で借りるか、複数の農家が法人で借りるか、他所での農業を継続する方法を提唱したが、しかし、この例はあくまでも選択の一つであって、どうしてもふる里を離れるのは嫌だ、戻りたい、双葉で農業を続けたいと希望している人は必ずいるはずだ。

 そこで汚染地でも農業を継続できるただ一つの方法を紹介する。農業の基本は大地と太陽と水、ごく当たり前の考えかただが、その土が全面汚染され、除染が可能なのか双葉地方の農業の死活問題だ。しかし、汚染された土壌を一切使わない農業がある。新しい農法へのシフトは可能だ。

 TPP交渉が大筋合意に達した。世界国内総生産(GDP)の約4割を占める巨大な自由貿易圏の創設で、人、モノ、資金の流れが活性化され、経済成長を底上げする効果が期待できる。

 しかし、TPPの副作用への対応も欠かせない。特に農業分野への打撃は大きいと思われる。従って農業の体質強化は待ったなしになる。

 世界の先進国は全て農産物輸出国である。例外は我が国だけで、国内消費量の半数は外国産の食料に頼っている情けない食料品輸入大国となる。まさに先進国の看板をぶら下げながら農業後進国にすぎない。

 TPP適用解禁になったとき、我が国の農業はどうなるのか、安倍総理は輸出額倍増の1兆円を目指すと宣言した。それなりの腹案があっての発言だろう。それは攻めの農業分野に力を注ぐことを意図しているものと推察する。

 これまでにはなかった六次産業化の農業を政策の課題としているのだろうか。

 攻めの農業とはITを駆使した水耕栽培を目指しているのだろう。輸出までを視野に入れた農産物の六次産業化が重要になる。

 ならば双葉農業の再発は、これまでの農業を捨て、IT化された水耕栽培に全面的切り替えを行い、汚染された耕地を捨て、耕地を使わない、これから農業のモデルになるような頭の切り替えが肝要となる。

水耕栽培の薦め

 そもそも植物の生長に必要なものは、太陽光、二酸化炭素、酸素、肥料、水があれば成長できる。

 例えばワカメは海中の植物だが、根は岩に固定しているが、これは流されないためだけであって、栄養分は海水から吸収し、根はいわばアンカーの役割をしているだけ、土壌なしでも植物栽培は可能で水耕栽培と養液栽培の二種の栽培方法があり、その形態により四種がある。

(1)養液土耕・固定培地耕:隔離した容器にロックウール、籾殻、椰子の繊維、砂、レキ等を混ぜ合わせた固定培地を敷きつめ、栄養分を含んだ液を点滴するように補給する。

(2)NFT式水耕・薄膜水耕:培地を使用せず、根圏の底面に液肥を循環型で流す。

(3)非循環式のDFT式水耕・湛液型水耕:培地を使用せず、根圏にたっぷりの液肥が溜められた水耕栽培、液肥の減少に応じて液肥が追加される。

(4)循環式のDFT式水耕・湛液型水耕(ハイポニカ):培地を使用せず、根圏にたっぷりの液肥を常に流す水耕栽培。ハイポニカとは何か、生き物の生育を阻害する要因を可能な限り排除し、生き物の力を最大限に発揮できるような環境を作り、その環境管理方法をマニュアル化したもので、生き物の可能性を最大限に発揮できるように手助けするのがハイポニカで、農業分野ではなお一層の発展が期待出来る。例として、普通のトマトの苗をハイポニカの装置と栽培マニュアルで育て、一年で一株から一万六千個のトマトの実を収穫できた。

 もう一つ例として、通常メロンは大きく育て糖度を上げるため、一株に一〜二個の実をみのらせるが、ハイポニカでは一株に沢山の実が鈴なり(一株で平均九〇個)、大きさも糖度も同じく遜色はない。

 植物の生育を阻害する要因は、「温度、湿度、水分、酸素、養分」の五種が基本的阻害要因となる。従ってこの五種を最適に適合させる技術で安定した環境を作ってやるのがハイポニカ栽培で、これからの農業の主流となると思われる。

 汚染された農耕地であっても、培地を使用しない植物栽培は可能。それは「全面的に水耕栽培に切り替える」ことだと提言したい。水耕栽培であれば汚染された土壌には直接触れることはない。土地があっても利用できない汚染された土地には最適、唯一無二の農業継続方法だと推奨する。ともかく双葉地方で米作中心の農業に固執し、再興を願っている限り明日への展望は開けないことは確かだ。

 全く新しい農業に挑戦することではなく、既に始まっている農業形態を導入するのであるから未知の世界ではなく指導者もいる、大手企業も関心を持って、副業として参入して採算点でも成功している。

 日本の農業は、産業としては「弱い」が定説になってきたが、それは米だけを考えてきたからではないか。我が国の農業は米作りを基本とし、農業とは米作りを意味し、作りさえすれば政府が買い上げてくれる。とすればそこには競争の原理が働かない、米が余っても減反で補償金が出る政府様々の甘えきった農業では、結果として弱くなるのが当然となる。

 その反面野菜や果物の農家は全てが真剣勝負、消費者と直接対決で、ニーズに応え、美味しさにこだわり、新鮮なうちに届ける心配り、それらを独自に克服してきた農家が真に強い農家になりうる。事実こうして勝ち進んできた農家は一様に補助金や補償金を受け取ったことがないという。

 世界的な評価として日本の野菜と果物は高い評価を得ている。ただ残念なことには単価が高すぎることにあり、輸出は足踏み状態にある。だが改善、改良の途はある。鮮度を保つ保存方法、迅速に配送するシステムの構築、世の中は常に明日の途を拓こうとしているのだ。

 六次産業化が叫ばれているが、心配することはない。栽培・生産に励めば流通・販売は全てニーズに対応しようとする企業が網羅されており、それも特定の契約企業体であり、取引金額も予め決めてある契約であるから、買い叩くこともなく過剰生産などの価格下落はない。

 野菜や果実の専業農家には勝ち組が多く、同じ専業農家でも明暗ははっきりしている。

 政府は米価格が下がらないよう生産量を抑える減反を、四年後の平成29年度を目途に止める。減反に参加する農家に支払う補助金も無くす方針だ。

 本格的な競争社会突入の前に米農家も動き出して、放棄田を集約して大規模化し、かつ生産者連合体で農機具の共同購入、共同使用、農薬や肥料も共同購入し、生産単価を引き下げる。

 販売も特定の外食や、加工食品業界などの大口消費企業と特定契約し信頼関係を構築すればTPPを怖れることはない。まして和食が文化遺産に登録されたので、世界中で和食ブームが起きつつあり、有望な市場となり得る。

 平成25年12月4日、アゼルバイジャンのバグーで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)無形文化遺産の政府間委員会で「和食・日本人の伝統的菜食文化」の無形文化遺産への登録が正式に決まった。世界で和食のブームが起き、そうすれば美味しいお米の輸出も伸びるし、当然和食に付きものの食材、日本酒の消費も伸び、輸出も増えるだろう。美味しいお米は絶対に売れる、これが本当の競争原理である。

 参考までに「食」の無形文化財は、フランスの美食術、地中海料理、トルコのケシケキの伝統、メキシコの伝統料理、そして日本の和食である。

 農業とは直接関係はないが、世界はラーメンブームに湧いている。パリやニューヨークの街角でラーメン屋の店先に行列が出来るとは、仰天の時代がやってきた。寿司ブームでも日本近海で獲れた平目その他の鮮魚が、仮眠のまま外国へ空輸され、築地のお寿司屋さんの鮮度と同じネタが欧米で味わえる時代がきている。次は取れたての鮮度の野菜や果物を届けられるようなシステムを作らなければならない。いやもう既にその技術は開発されている。これからは如何にして六次産業化ができるかにある

植物工場は密室型水耕栽培 fd

 水耕栽培とは、従来の農業の感覚とは全く異なり、いわば工場で野菜を生産する「植物工場」であり、農業から工業化への第一歩だとも言える。その定義は「野菜や苗を中心として、作物を施設内で、光、温度、湿度、二酸化炭素濃度、培養液等の環境条件を人工的に制御し、季節や場所に余りとらわれずに、自動的に連続生産できるシステム」ということになる。

 この植物工場には「太陽光利用型」と、完全に人工光のみの「完全制御型」があるが、双葉地方で施工するとすれば「太陽利用型」と「完全制御型」との折衷型が有利と考えるが、日々進歩していることを勘案すると、さらに改良された方策が出現するだろうと期待する。

 この植物工場の完全制御型の人工光に関し、昭和電工が植物育成用LED素子を開発した。

 何しろ我が国はLEDでノーベル賞を受賞した世界一の先進国だと自負できる。

 植物育成に最適な波長を、世界最高の輝度で発光できる昭和電工独自の赤色LED素子を開発、蛍光灯よりも発熱量は低く、消費電力も低い。日進月歩の技術の発達で、植物工場の優位性が認められればさらに進歩は早くなるし、政府が方針を決めれば更に加速する。

 従って、従来の自然環境に依存する露地栽培や、冬場を中心に生産を確保しようとした「施設園芸(ハウス栽培)」とは異なり、土壌栽培から脱却した水耕栽培になって太陽光利用型が主だったが、これからは自然環境の影響を排除し、安定生産に徹した密室型の植物工場を目指す。この植物工場の中で生育された作物は、無農薬であるから新鮮、清潔が保証され遺伝子組み換えなどの心配もなくなる。生産者と消費者が直接的な接点も作りやすい。その信頼関係こそが重要で、少量、多種の生産も可能で消費者の直接のニーズにも対応できる。

 しかも毎日、一定量の収穫物を納品できるから、特定の業者との取引が可能で、生産と消費が一体化でき有効な生産方式になる。

 植物工場では、培養液の調整は制御しやすく、生産性増大、作業の省力化、清潔な作業環境で長所ばかりを述べたが、短所としては投下資本と収入のバランスが未知数、コンピュータ制御なのでその操作方法を初歩から学ばなければならない。

 維持・管理にも習熟する必要があり、大量生産された場合の販売方法、共同作業におけるその労働分担、その他問題は山積しており、解決までは時間がかかりそうだ。

 従って、事前に講習や実習などトレーニングを重ねておく必要がある。

 この難関に対処するために「野菜栽培士」の認定が行われるようになり、通信講座も開講されているから、これからの野菜作りは植物工場が主流になるだろうことは確実だ。

 我が国では、植物工場での生産は未だ一般的ではなく、一部食品会社などが自社工場として、あるいは契約による委託生産等があるが、本格的なものではない。

 しかし、ヨーロッパの一部の国では植物工場が主力になって、やがて野菜等の農業形態は「植物工場」で生産されるのが主流になるとみている。

 TVの番組で、カゴメの響灘菜園トマト工場を取り上げていたが、「iPhone」でトマトが育ちやすい環境を完全管理しているのを視て、近未来の農業はこれだなと合点した。番組だけなので詳細は判らないが、一寸紹介したい。

 場所は北九州市若松の電源開発敷地内、広大なビニールハウスが並び、その上に気象観測装置があり、その日のデータに応じてトマトが育ち易い環境が自動的に作られ、トマト工場内の様々な施設はiPhoneで遠隔操作でき、温度調整ではレーンにお湯を流し、天窓の開け閉め、ミストシャワーを出すシーンが映し出されていたがまだまだ他の装置もあるらしい。

 更に感心したのは、ビニールハウスに降った雨水の全てが貯水され、その水だけで水耕の水が全て賄われると報じられていた。

植物工場に関する国の支援策

 経産省は、植物工場の研究センターとして機器・システムの開発に携わり、技術開発、性能評価、原因分析を経て実用化開発→適正品種の選択→導入支援→販路獲得を担当させる。

 農水省は大規模試験栽培施設の整備→試験栽培→植物工場導入補助(農業者向け)→植物工場リース補助(企業向け)、植物工場での生産は植物の栽培等に長期間を要するので、負担が大きい点が工業機器と相違する点で、この点に政策資源を集中させ、三年間で生産コストを三割減の成果を上げると共に設備工場数を三倍に増やした。

 そして現在、安倍政権がTPP対策としての農政に、どのような舵さばきをするのか未知数だが、十年後には農家の所得を倍増させると公言したのだから、それなりの腹案があってのことだと推測する。植物工場は、その施設の整備に多額の資金を必要とする。そのため個人で実業に踏み切るのは難しいが、農家が協同で経営、県、市町村等の自治体と組んで、企業を呼び込み販売まで組み込んで創業するのは、さほど困難ではないと思う。むしろ農家に取ってチャンスではないだろうか。

 国には、絶対にやって貰いたいのが、被災地双葉地方の復興事業である。

 安倍政権がやらんとしている農業革命と、フタバフェニックスの新規事業をうまく整合し、大規模な植物工場の施設を導入することにより、一日でも早く再起出来るようにしたい。

 2014年4月、千葉県柏市は「柏の葉スマートシティ」として、公、民、学の連携で、環境共生、新産業創造、健康長寿都市を2030年までに創り上げたいと、大構想を打ち上げた。キャンパスでの実証・実験では実現の行く先が見え、これからどう拡大していくかにある。

 世界的には開発、デザインが進むが、植物工場と結びつけた実証事例はない。

 日本国内において環境、エネルギー関連のグリーンイノベーション分野でついて、2020年までに50兆円超の環境関連の新規市場を創出、140万人の環境分野での新規雇用を目標とした政府としての新成長戦略を打ち出している。

 新成長戦略の中には国家戦略プロジェクトとして、「環境未来都市」構想が含まれており、首都圏ばかりではなく、北海道や震災復興モデルをはじめとする東北エリアから沖縄まで、全国各地で環境都市(スマートシティ)に関するプロジェクトが始動しだした。

 国連によると、世界人口は2050年までに91億人を超えると予想し、人口の約70%が都市部に定着する。そうすると経済活動を通じて温室効果ガス、汚染物質、食品残渣を排出し、大きなエネルギーが消費される。

 こうした現状から見て、情報通信技術や再生可能エネルギーを活用した都市のエネルギーマネージメントシステムの構築を目指したスマートシティの開発競争は激しくなる。

 このスマートシティと植物工場のコラボはこれからの課題で、世界に先がけ新生ふたば市で実現してみたい。高度な環境制御と周年栽培を実現する植物工場の面積は世界全体的に見ても未だ非常に小さいものである。

 ふたばフェニックス構想を前述したが、新設する全建物に太陽光パネルを設置し、その余剰電力を利用するため、新ふたば市周辺に人工光完全密室植物工場を設立し、余剰電力を活用する。勿論太陽光や風力発電等は非常に不安定な発電方法で、これを一定させることは難しい。

 しかし難しいからこそ、困難を克服する技術力が生まれる。大手のパナソニックとベンチャー企業エプロが共同開発した、余剰電力と消費電力を高精度に見通すシステムを開発したとのことだが、スマートシティとコラボし、都市の地域冷暖房の余熱も活用出来る。

 このようにエネルギーの地産地消、食の地産地消が確立した世界最先端の理想的な都市の誕生となる。太陽光利用型でのトップリーダー、オランダでは施設園芸の八〇%以上が植物工場と分類されるほどで、ハイテクな施設が普及している。

 一方我が国の場合は、約六万二千ヘクタールのうち、植物工場と呼ばれるものは1000ヘクタールに過ぎない。まさにこれからの農業である。

 現在進行中のヨーロッパにおける成功例としてオランダとスペインの水耕栽培の現況をお伝えしたい。勿論この例ばかりではなくイギリス、ドイツ、北欧諸国等多くの国々が水耕栽培に挑戦し、特に冬の長い北欧諸国は真剣に取り組んでいる。

 ヨーロッパにおける水耕栽培は非常に進歩しているので現状を見る。

オランダの農業に学べ

 オランダはライン川下流域の低湿地帯に位置し、国土の多くはボルダーと呼ばれる干拓地が占める。国土の四分の一は海面下に位置し、国名はネーデルランド、日本語で言うオランダは、ホラント州をポルトガル語で読むとオランダと発音し、江戸時代にきたポルトガル人の宣教師が伝えた語がそのまま日本語になってしまったからだ。

 我が国とは、江戸時代の鎖国令でも唯一西欧に開かれた窓一つがオランダで、西欧文明を数多く学んだという長い付き合いのあった恩義あるオランダは、ヨーロッパ諸国の中でも国土面積は小さい方で、オランダの国土面積は、我が国の九州地方全域とほぼ同じくらい位の小さな国である。人口は1636人、東京都と静岡県を併せたくらい。人口密度は一平方キロあたり484人だ。国土総面積、日本の50分の1、4万千平方キロ、国土の半分が農地で、耕地面積は日本の4分の1、残りの大半は牧草地、しかもそのうち国土の4分の1の面積が海面より低い0m以下、一番低いところでマイナス6.7mもある。

 だが農産物輸出額はアメリカに次いで第二位。この額は我が国農産物輸出額の30倍に相当する。総農地面積、19億ヘクタール、(内訳)耕作地42%、牧草地43%、園芸栽培(温室栽培)5%、園芸栽培(露地栽培)4,5%、その他2%。

 オランダの農業、食品セクターの経済的重要性列挙する。

 480億ユーロ(約6,2兆円)(GNPに占める比率9,6%)総雇用数70万人。

 年間総輸出総額、230億ユーロ(約2,9兆円)、アメリカに次いで世界第二位の農産物・食品輸出大国。

 我が国の農産物の輸出金額は、2007年に初めて5千億円の大台に乗ったが、翌2008年リーマンショックによる世界同時不況、円高ドル安、ユーロ安の影響で輸出が落ち込み、現在はやっと約4511億円に恢復した。

 しかし、それでもオランダの6分の1に過ぎない。オランダの凄さに敬服するほかない。

 海面より低い国土であるから、大型船舶が航行できる運河があって、国内の奥深くまで航行できる。勿論立派な堤防ががっちりと建設されており、牧場地のど真ん中を大型船(三万トン)で航行した際に船橋から眺めると、はるか眼下の方に(約40m位)牛が草を食んでいる光景を眺めながら操船指揮を執る異常な体験に胸が躍った。

 道路と橋の関係はと心配されるかと思うが、道路は全て運河の下をトンネルでくぐり抜けている。従って船の航行を妨げる橋は全くない。牛もトンネルで隣の牧場へ移動できるから、よくまあこれだけ壮大な施設を構築したものだとオランダ人の凄さに改めて敬服を表した

 山が全くない平地だけの国土は実に広々としており、壮大な光景に「素晴らしい眺めだ」と同乗のオランダ人に言ったところ、その返事は山あり川ありと様々に変化する日本の光景こそが素晴らしいのであって、ただ牧場地が広がっているだけのオランダの風景など、つまらない典型だとの返事だった。

 国土の半分は牧草地で牛の飼育が盛んで、元海底だったが故にやや塩分を含んだ牧草によって理想的な牛乳が絞り出され、乳製品であるチーズやバターの質の良さは世界の高級ブランド品として輸出されている。

 我が国でも、飼牛に塩を舐めさせているのを見たことがあるから、塩分摂取は必需で、牧草自体に塩分が含まれているのは良効なのだろう。

 農業の秘密は何か、「スマートアグリ」農業の技術がIT技術によって蓄積され、温度、湿度、養分その他のセンサーネットワークと連携して自動化し、省エネで再生可能エネルギー等を利用しながら、植物工場に代表される高度に自動化された農業技術で、農業部門で新たな産業革命をもたらしたのがオランダだ。

 野菜の生産が盛んで、トマト、キュウリ、パブリカは世界一の輸出量を誇っている。その他なす、ズッキーニ、イチゴが生産されている。それでは広大な農場を有しているのか、なんと僅か農耕地の五%に過ぎない。ガラスやビニールハウスでの水耕栽培が主力で、この収穫で農産品輸出国なのだ。しかもこの耕作地は、元は海であり、地下水は塩分を含んでおり農耕地としては完全に不適な土地だが、オランダ国内にはこのような土地しかない。

 従ってオランダ国民は、不適な土地を農耕地に育て上げる、と同時に大がかりの堤防を築いて海面下の土地を農耕地に育て上げる努力が国の歴史であり、一方では海外に雄飛して交易に従事、小さな国が自国の何十倍にもなる植民地を有し、世界中と交易し、江戸時代には地球を半周して極東に位置する日本にやって来た。

 このオランダ人の努力とパイオニア精神をもう一度関心を持って学びたい。

 僅かな耕作面積で効率よく生産された農産物が、オランダ国内での消費を支え、且つヨーロッパ全土に輸出され外貨を稼いでいる。更には露地栽培だが、チューリップを始めとする花卉も輸出しており、我が国でも生花が輸入されていて、地球を半周して毎日生花が空輸で届けられる。オランダは世界の先進国として最先端技術の製品を輸出していると同時に国内総生産農産品の中40%を輸出する世界的な農産物と乳製品輸出国でもある。

 それを支えているのは政府の農業支援策が充実しており、施設栽培の技術は間違いなく世界一、水耕栽培その他の施設の研究開発、製造販売も世界一、学ぶべきことが満載なのがオランダなのだ。

 江戸幕府の鎖国時代、オランダ人だけは交易が許され、長崎の出島で窮屈な生活を強いられながらも、西洋文明を大いに日本人に伝授してくれた。

 再び師と仰ぎ、六次産業としての農業の奥義を学び、双葉の地で育てたい。

 具体的にオランダの水耕栽培を説明する。

 商業水耕栽培は近年急速に発達した栽培方法で、先進国だけでの発展は高度な技術を要し、且つ消費者の要求が多岐にわたり、大量消費地が近いことが要件になる。

 世界的に見て、水耕栽培の対象作物は限定されており、ビジネスの面から言えばトマトが一番成功しており、次いでキュウリ、パブリカ、葉レタスが続く、但しこれらの生産品は過去の実績であって、これから他種の開拓は幾らでも可能だ。

 トマト農場で働いていた青年技術者が私に話しかけてきて、かつて農業技術の交換留学生として日本に派遣されたことがあるが、日本で味わったトマトが最高の品質で、我々は日本のトマトに近づけようと品種改良を行っているところだと、とても信じられないような話をしてくれた。お世辞を言っている様子もなかった。水耕栽培は総合防疫管理(IPM)の導入と潜在する環境問題もあって、溶液の掛け流し方式から別な方法への模索中だ。

 この水耕栽培成功の最大のポイントは、栽培技術の発展よりも対象市場に焦点を絞り、常にニーズに応える販売戦略にあるらしい。

 オランダの水耕栽培の農家の大半は、家族だけの経営でその数は一万三千戸余り、水耕栽培は大半が温室栽培、その理由は優良な土壌の枯渇、土壌の病原菌汚染、海面下にあるために土壌の塩害等で、水耕栽培に転換せざるを得なかった事情があり、更に政府の手厚い保護や情報、訓練、研究分野での政府からの支援、手厚い保護政策に護られ、業界は効率の良い商業インフラ、輸送、団体ベースでの生産、商業システム等を活用することによって、従来の市場や仲介業者、セリ販売等を排して、主要な小売業者に直接的な販売契約を結ぶことができた。これらが成功の鍵らしい。これこそがアベノミクスが提唱する六次産業化の成功例だ。

 この農業部門における輝かしい成功の秘訣は、何なのだろうか。

 オランダ農業が危機に瀕したのは、1985年、EC(EU欧州連合の前身)が決まれば、スペイン、ポルトガル両国産の安価な農産品が入ってくる。とてもオランダ農業が競争できないという恐怖、だから「外国に負けない競争」を身につけること、丁度TPPに立ち向かう現在の我が国農業のようものだ。

 追い詰められた農家が、独自に始めたのが「スマートアグリ」。この意味は特殊なことを表現しているわけではない。今まで述べてきたITを駆使した、密室完全人工光型植物工場や、太陽光利用のビニールハウス栽培の全てが、IT機器関連で栽培管理を行うシステムで、さらにヒートポンプ、太陽光発電、風力発電、衛生管理機器、食品加工機器、包装、冷蔵・冷凍、物流管理、末端の厨房までを全て管理するのが六次産業の意味だ。

 六次産業とは、農産物の生産(一次産業)と農産物加工(二次産業)と販売・サービス(三次産業)を加えると、六次になることから言われるようになった。

 これこそが、現政権が提唱する六次産業化された農業であって、双葉の農業が立ち向かうのは、オランダのスマートアグリより、最新のIT化を目指すことになる。

 私も外国暮らしも最終段階の五十代後半には、やっと先進国での生活が出来るようになり、オランダのロッテルダムにあるオフィスを拠点として動き回っていたことがある。近郊の小さな村の農家の納屋を改造した一室を借り、田園生活を満喫しながら自転車と電車を利用して市内にあるオフィスに通勤していたが、この時期が一番平穏で快適な日々であった。

 身近に温室栽培を見聞しており、早朝から働いている農民の皆さんが、村に一軒だけあるパン屋さんに、朝食のパンを買いに開店前から並んだ。私もパンを買いに行くと顔見知りになり、朝の挨拶を交わすようになったし、また石窯で昔ながらの製法で焼くパンは素朴な味で実に美味しく、大家さんから戴く絞りたてのミルクと風味豊なバターの相性は格別で、土の香り豊かな楽園だった。さらに本業が閑な時には、農作業を手伝たり、農産物を市場に届ける運搬を手伝たりと家族の一員として働いたことが、懐かしく想い出される。

 ここで最新のオランダ情報をお伝えしたい。農業近代化の魁となるような凄いモデルがオランダで活動している。小国オランダが世界の食・農をリードできる秘密はここに凝縮している。もし双葉の地を農業で再興したいと願うなら一度見学することをお薦めする

 首都アムステルダムから南東方約85qのところにフードバレーがある

 このエリアはワーニンゲン大学が中心となり、フードバレー財団が運営を担う食と農と産業という産学官による「フードクラスター」(結合体)であり、農業の「知」の中心だ。

 フードバレーには8千人の科学者と技術者、1500の食品関連企業、70の化学企業、20の研究機関の集合体で、世界トップレベルの「品種改良」「栽培技術」「食の安全」の各分野での「知」の共有だ。わが国企業も三社が参加している。「農」と「食」は知の集合体であることが良くわかる。

 わが国の農業政策は、戦後の飢餓状態からの脱出を計るため、農業を奨励し、保護してきたが、過保護すぎたのか、かえって衰弱してしまった。

 欧米先進国は全て農産物輸出国であるが先進国で唯一農産物の半数以上を輸入に頼る農業軽視の国がわが国となる。

 国情にあった農業があるのだろうが、農業は国の基幹産業であり、立て直すには大手術が必要で、超近代的なスマートアグリへの転換は必要事であり、このフードクラスターへの動きは既に始まっており、北海道、熊本県、栃木県では着手している。

 農水省は日本版「フードバレー」構築に乗り出しており2015年3月をメドに方向性を決めたいとしている。ならば是非双葉の地に白羽の矢を立てて欲しい。産学官を中心とした日本版フードバレーを建設し、農業の「知」の中心として、ふたば市創生の礎としたい。

 世界は和食ブームにあるが、和食の神髄はその食材にあり、その食材をふたばフードバレーにおいて栽培し、六次産業の華として、調理加工、磁力と電磁波を応用した「プロトン凍結機」で急速冷凍してから冷凍コンテナで世界に配送、専用機で解凍、後は盛り付けだけで世界中どこででも一流料亭の味を堪能できるIT技術が開発されおり、数限りない応用面が考えられ、これこそが究極の六次産業の姿となる。同じように後で述べる人工島の海洋牧場で鮮魚とのコラボとすれば、世界の和食文化の食材供給源となる。

植物工場の利点はこれだ

 「植物工場」とは、播種から始まり、育苗、栽培、収穫の流れ作業であり、これらの段階をサポートする施設、環境制御機器、各種センサーがあり、システム技術を擁した工場で、収穫物を包装、管理、保管、出荷を一単位とする。

 植物工場の利点は

○光、温度、二酸化炭素濃度などの環境制御による植物の生産システム

○気象の影響を受けず狭い土地でも大量生産が可能

○無農薬、新鮮、清潔、安心、安全等高付加価値作物の栽培可能

○消費者の要望を直接汲み上げニーズに応えられる

○問題はコストだが、必ず解決できるシステム開発が急がれる

 全制御型植物工場では、病害虫の侵入を怖れ、出入り口は二重扉によって隔離し、かぶり、衣類、履物を替え、エアシャワーによって、更に厳重な場合は温水シャワーによって、病虫害の侵入を予防する。

 外界の光と熱を遮断するために、天井や壁は高性能な断熱材や断熱パネルで蔽い、完全制御型の植物工場では天井を高くし、栽培装置は立体的に四段から一〇段位の多段式が一般的で、人工光だから陰になる心配はない。また作業もし易い様に工夫されている。

 播種・育苗室は別になっており、最新で細心の環境制御が行われ、ランニングコストも一番嵩む部門でもある。したがって研鑽を積んだ技術者を配置し、慎重に作業を行う。

 栽培室は、ある程度大きくなった苗を植え替え、栽培室の内面はランプの光が良く反射するように白色塗装を施したり、アルミホイルを張り詰めて乱反射させたりする。現在ランプはLEDとLDが多く用いられている。

 栽培装置は、生育状態によって培装装置が移動できるようになっている場合が多く、光や熱の制御はコンピュータによって管理される。

 一方、太陽光利用型の植物工場がある。高度化水耕栽培で太陽光だけで栽培する施設で、いわば植物工場の前段階のような施設で、もう一つは太陽光を主とするが、曇天や雨天の場合に補光として、主に高圧ナトリウムランプを使用する人工光併用型工場の二種があるが、おもに人工光併用型を植物工場と呼んでいる。

 完全制御型の植物工場よりも、人工光併用型の方が普及しており、その理由は設備費用、ランニングコストも安いので実用化が進んでおり、リーフレタス等各種葉菜類やトマト、イチゴ栽培が行われている。

 太陽光利用型は果菜類の生産には必須だが、温度管理上、夏場には天窓や側窓を開ける必要があり、それには外敵である病虫害の危険性があり、無農薬栽培には適さない。

 さらには夏場の高温多湿であるため温度管理や環境管理が難しい欠点があり、平面だけしか利用できず、したがって広大な栽培面積を要するなど、設備コストが難点になる。

 新設する全建物に太陽光パネルを設置し、その余剰電力を利用するため、新ふたば市周辺に人工光完全密室植物工場を設立、この余剰電力を活用する方法はとれないか。全ての条件が揃っているのは双葉地方だ。前途は明るい。

稲栽培工場も実用化のメド

 植物工場で米を生産する。震災前までは米作り専業でやってきた人にとっては野菜作りには抵抗感があるかもしれないが、植物工場での米作りも研究開発されており、実用化ももう直ぐだ。いや一部では既に始まっている。

 我が国の主産業は昔から水田耕作で、藩の大きさや豊かさは石高によって決まった。即ち産米こそが経済の中心であり、武士の給料も米で支給された。

 従って米に関することなら、総合力では世界一と自負できる。

 総合力としたのは一定面積当たりの収穫高では、オセアニアがダントツの一位、次いでアメリカ、ペルーと続き、韓国よりも我が国は低生産となっている。その理由は大量生産種では味が落ちてしまい、生産しても販売不振になってしまい、現在では美味しいことが第一条件で、高品質の米生産が第一であり、どうしても生産性は落とさざるを得ないのが現況である。

 水田耕作を考えてみよう。米作りには多くの共同作業があり、これが村や集落の結束の基本となり、村の自治会、青年団、消防団、お寺や神社の行事等、農業とは全く関係ないが、これが反面重要な米作りの基本になる。水田耕作には水の管理が基本、貯水池や水路の維持管理、さらに水田に平等に分水する重要な役割を相互に担うことになる。

 草刈りや水路の泥浚い、豊作祈願、共同で行う作業は数限りなくあることになる。ところが近年、農村の高齢化が進み、若者が地域に残る数が急速に減り、また兼業農家が増え、共同作業が難しくなってきた。従って従来の水田耕作は維持困難になってきており、全国で減反によるものではない、耕作放棄現象に観られる。種まきから米が収穫されるまでには、多くの障害があるが、主なものは、害虫、病気、雑草、台風の四つだが、屋内栽培ではこれら全てから解放される。

 稲は発芽してから葉や分けつ(茎の数が増加する現象)を発生させる時期が「栄養成長期」、花芽が分化して幼穂が形成され、出穂、開花、受精、種子が作られる時期が生殖成長期、さらに分化すると出穂前の「生殖相」と出穂後の「登熟相」に分ける。稲の各生育期によって好適環境が変わるので、植物工場では最適環境を適宜設定することが出来る。稲は穀物なので完全制御型では難しく、人工光と太陽光の併用で最適環境をつくることができる。

 また米の種類、北海道産の銘柄米や、九州産の銘柄米など、産地の気候に合わせた環境設定が可能であり、開花期には風も任意に吹かせることが出来る。また昼夜の時間設定も可能で、培養液も管理され、ケイ酸の吸収時期を見計らって調合することが出来る。

 一般的に水田耕作では播種から収穫まで140〜150日だが、植物工場で栽培する場合は大苗から移植するから、生育期間は(移植〜収穫)夏作100〜110日、春・秋作では70〜80日となるので年四毛作は可能で、しかも密植栽培だから面積あたりの収穫は多くなる。

 何度栽培しようとも、土壌が痩せる心配は全くない。現在試験的に栽培され収穫された米の味は、水田耕作の米との違いはない。これから改良していけば銘柄米程度の味になるし、寿司米とか酒造用とか、使用する目的によって栽培方法を使い分けることが出来る。

 酒造を考えると国内の消費は減退気味で、これは嗜好の多様化でワイン、ウヰスキー、焼酎等の派に分散したことによるが、日本食ブームが波及すると、それにあった日本酒ということになり輸出が増えだした。しかしその嗜好は同一ではない、国別、人種別、あるいは男女別、年代別の多様な嗜好があるはず、さらに食事の種類によっても換わるはず、外人は食事にワインが付きもの、また料理によって赤や白もその都度換わることになる。

 そうすると日本式食事といっても多様なはず、メーンディッシュによっても酒は換わる。

 これらを勘案すれば原料である米からして区別しなければならない。その繊細な思いやりがブランドを生み、輸出を伸ばすことに繋がる。そうするとかつての酒造専用米だった‘亀の尾’のような多様な米の生産も視野に入ってくる。そうなると、棚田のように小分けにして生産できるイネ栽培工場の神髄が発揮できる。

 寿司米、焼きめし、パエリア、丼物、お握り、お茶付け、卵かけ等々、全て用途の異なる米の生産が可能、きめ細かな市場調査こそが日本人の特技ではないか。それは全ての品種、商品に言えることであって、ニーズにあった商品開発こそが本命であり、努力すれば必ず報われる世界だと心得る。更には小麦に代わるパン用、うどん用、パスタ用等を目的とした米の生産も可能になる。

 イネの遺伝子を研究の成果を活用して、いろいろなニーズに応じて有用な遺伝子を育てる。

 新組織として「育種支援センター」を農水省支援で発足する。国はこれまで500億円の研究費を投じて実証・実験を繰り返し、その成果である新手法「DNAマーカ選抜育種」と呼ばれ、交配で生まれた子孫のイネの遺伝子だけを引き継いだものを撰んで育てる、4〜5年で新品種ができる。これまでは最低12年を要していたが、3分の1に短縮された。

 イネ工場では、一箇所でいろいろな銘柄米を生産することが出来るようになる。

 また少量ずつ植えていき、収穫も連日、あるいは一週間間隔くらいで収穫できれば、一年中新米を供給することが出来るようになり、連日一定量の消費が見込まれるファミレスチェーンやホテルチェーン等が顧客になれば、連日納品即消費となり、仲介や保管する必要がなくなり鮮度が落ちることもないし、手数料も抑えられる。同じことは麦類、豆類にもいえるし、研究開発はどんどん進行中だから、生産できる種類はさらに増え続けることになる。

 安倍政権の成長戦略の一つである農産物の輸出目標1兆円としたが、農産物の六次元化として高付加価値の開発センターを双葉の地に置きたい。

 和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。世界中がスシブームに沸き、ラーメンが愛されるようになった。そして今回の和食の登録と、日本発の食文化が世界で認知されたことになる。海外での日本料理屋さんは五万軒を超えるという。テレビでも「こんな所にも日本食の食堂が」といった番組が放映され、まさに日本食のブームといえる。

 しかし、日本食とはいえ和食とは全く異なる、独自に編み出した日本食もどきであって、それが本格的な日本食と理解されてしまってはかえって弊害がある。

 従って和食の神髄を理解して貰うには、改めて本格的な和食の店を輸出する必要がある。

 最初は各地の高級ホテルに和食の粋を提供するコーナーを設け、味わい、唸らせ、次回は家族を連れてこようと想うような料亭にしたい。

 和食のおいしさの基本は米にあり、寿司のおいしさはネタとシャリのマッチングにあり、アメリカやヨーロッパで食べた寿司のシャリはカリホルニア産のローズライスを使用しており、それなりの味に仕上がっているが、酢飯としてはなにか違和感があった。現地の人達は日本米の味を知らないから、米の味とはこのようなモノだと納得しているが、真の和食を味わって貰いたいという願いから世界中に極上の銘柄である日本米をお届けしたい。

 しかし、世界の流通機構には日本米は乗っていない。従って日本米の入手を望んでも不可能ということになる。高額だから輸出を目論んでも無駄だと最初から決めてかかっており、外国産の米の輸入は大反対、同時に米の輸出には無関心が現状ではないだろうか。

 美味しい米作りを探求してきたのは、日本文化の一つだ。その美味しい米を味わってもらってこそ、和食の真のおいしさを味わって貰うことになる。

 ならばイネ植物工場で極上の米を輸出用として生産しよう。同時に和食用の食材も輸出用として栽培する植物工場が必要になる。和食には日本酒がよく似合う。外人が好む和食に合った日本酒も生産しよう。それには酒造米からの開発になる。植物工場は多彩な働きと夢を栽培する工場になり得る。現代の大量生産、大量販売、過度な衛生管理法が当然とされているが、手づくり、少量、個性的な最高級品を創り出す方式が必要ではないか、食には個性がある、食材にも個性があってしかるべきだ。

豆類、麦類、玉蜀黍類の水耕栽培も夢ではない

 米の水耕栽培よりは遅れており、実験最中だが不可能ではない。特に我が国のように味噌、醤油、豆腐、納豆のような、伝統的に食生活に不可欠なものでありながら、原料である大豆の大半は輸入に頼っている。

 また、育牛、養鶏等畜産が盛んになってきたが、飼料は輸入に頼っているのではある種の危険性を伴うことになる。豆類、玉蜀黍は是非とも水耕栽培での生産を実現したい。更には小麦にも挑戦してみたい。

 北海道産小麦を使用しての麺類グルメ会があり、早速参上しラーメン、ウドン等を試食したが、輸入小麦とは全く違った舌触りに感激した。パンを中心として培われてきた小麦と、うどん等和食に似合った小麦には文化の違いを感じ、小麦の復活を是非とも願いたい。

 問題は流通・販売であるが、露地物は農協、産地仲買人、卸売市場、中卸売業者または小売業者となるが、これは不特定農家からの出荷であり、野菜は腐りやすく、形も不揃いな物が多く、セリという方法で捌くのに適している。

 ところが植物工場での栽培は、毎日一定量が出荷出来且つ新鮮、清潔、安心、安全で形も一定であれば産直が適しており、外食、コンビニ、スーパー等との契約販売が主流となる。

 そうなれば消費者側の要望も直接聴かれ、素早い対応が出来るから相互のメリットがある。

 我が国も、温室ハウス栽培は増加傾向にあるが、それほどの普及をみないのは個人経営が多く、経営主体がバラバラで、温室ハウスも各地に散在し、統制はない。

 これに対しオランダ、スペインの温室栽培、植物工場は一定の場所に集中しており指導・監督もし易く情報交換も密だ、出荷も共同の管理会社が存在する。双葉地方で集中して行えば良好な結果が得られるものと思う。但し、統一された組織が存在することが条件になる。

 経営をどうするかは、土地の所有権の問題があり、国が買い上げるならば植物工場群の管理を公社にするのか、土地を出資しそれに応じた会社とすれば、株式会社、合資会社、個人経営等、但し統一された組織が指導・監督する。

 もし東電が火力発電所を建設するのならば資本参加した系列会社を作り、太陽光・人工光併用であれば温度調整で熱源を火力発電の余熱を使うことが出来ないか、また二酸化炭素は植物栽培には必要なので相互扶助できないか。余熱があれば熱帯地方の果樹を温室栽培で出来ないだろうか。

 水耕栽培は、水が豊富であることが、とても重要だ。

 その点、双葉地方の水は年間平均降雨量1198ミリであり、阿武隈山系から流れ出す川も数多く、気候は温暖、植物工場や温室ハウスでの降雨は全量貯水可能になる。現在、第一原発の汚染水問題で大揺れだが、これは現場から出る放射能汚染水を処理して、地下貯水槽に貯水している。この原発の敷地内にも大量の地下水が流れ込み、それを汲み上げているが一日400トンにもなる。この汲み上げた地下水を海に放出するかで漁業組合と揉めているが、ここでは豊富な地下水があることが立証され、温室水耕栽培には有利な条件になる面を強調したい。

 大消費地である首都圏に近いという地理的条件、気候温暖、水資源豊富、広大な未利用な土地が広がっている。

 有効活用の知恵をどう捻り出すか、それは帰還を促す上にも重要な課題になる。朽ち果てた我が家、汚染された土地であっても、ともかく帰ろう、と思わせるような夢のある双葉地方の将来像を描きたい。これから植樹するのであれば放射能の影響を受けないのなら、果樹の梨、桃、柿、栗、梅、葡萄等、収穫まで7年以上の歳月を要するが、空き地活用のためにも、浜通り地方に果樹園を造ることは可能だ。

 オランダのフードバレーのような「農」と「食」とが結びついた公学民による「知」の共有するフードクラスターを創ることは農水省が推進している。

 その最適地としてふたば市を是非推薦したい。あらゆる好条件がこの地にはある。

 住環境としてスマートシティ(環境都市)を創生し、フードバレーを創生すれば両輪ができ、馬車は勢いよく走り出すことが出来る。

農水産物の輸出拡大

 2012年12月に発足した第二次安倍内閣は我が国経済の活性化、輸出拡大を唱え、日本経済再生本部、産業競争力会議を設置し、13年3月にTPP交渉への参加を決め、甘利大臣の努力により、成果を得た。ただし、甘利大臣は思わぬスキャンダルに足をすくわれ、退任を余儀なくされてしまった。調印はどうなるのか、批准はどうなるのか?

 日本再生「アベノミックス」は今後どう進展するのか。日本再興戦略として「第三の矢」としての成長戦略を示した。

 農林水産の分野でも、「攻めの農林水産業」を掲げ、農林水産業・地域の活力創造プラン」を策定、6次産業化、農地集積、農林水産物輸出を促進し農業所得増大を目指す方針を示した。その中で農林水産物の輸出額を20年までに1兆円にする目標を立て、輸出拡大に努めてきた。その結果は、60年代の農林水産物の輸出額630億円、70年代1397億円、80年代2089億円と伸びてきたが、80年代後半からは円高の進行により農産物輸出は急減した。

 89年以降はやや回復し、2013年には3137億円と回復してきた。最近は急速に輸出が伸び15年暮れには7千億円を突破、1兆円突破も現実のものになりつつある。

 一方、農水産物の13年輸入額は6兆1365億円になっており、輸入額の伸び率は輸出より遥かに伸び率が高く、農産物の貿易収支は大幅な赤字となっている。

 即ち国産化の余地は十分にある。攻めの農水産の6次産業化により国内市場の開拓、輸出の伸長、まさに農水産業は成長産業と言える。

世界の農水産物の輸出額

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第46章 これからの農業形態

 我が国の農業は大きく変わろうとしている。農業従事者の高齢化、自給率の低下、狭い国土、後継者不足、負の条件ばかりが増えているが、その一方で、先進技術の導入、大手企業が農業への参入、農業の新しい可能性が見出されてきた。

 先進技術を導入した農業とは、最新技術による植物工場がその主力となっている。屋内施設で光、水、温度を管理して無農薬の野菜を育てる、まさに工場のような栽培スタイルで運用する植物工場は、まさにこれから農業だといえる。

 この分野ではオランダが大成功を収めている。我が国政府もそれに追いつこう、さらには我が国独自の栽培方法があるはずだと、懸命に技術開発、研究に力を注いでいる。

 農林水産省と経済産業省は総額150億円の補助金を出して建設を促進してきた。その効果もあって2009年には全国で約50か所にすぎなかったが、2012年には127か所にまで増加、現在も増加中、 特に東日本大震災後、津波による塩害や放射能汚染で耕地が通常の農業では使用不能になったため、水耕栽培に切り替えた例が多い。

 さらに大手企業が植物工場経営に参入してきたことが大きな刺激になっている。

 大和ハウス工業、日本GE、パナソニック、富士通、シャープ、トヨタその他、超一流の会社が異種業の世界に参入してきたことは将来有望な市場だと見定めたからだろう。

 ただし、甘い見通ばかりではない。2012年6月に宮城県名取市に太陽利用型植物工場を建設し、レタスやベビーリーフの水耕栽培による生産を行っていた農業法人「さんいちファーム」が事業を停止、2015年1月に東京地裁に自己破産を申請した。負債総額約1億4000万円、同社は現地の農家3名が中心となって設立した会社で施設の総事業費は3億5000万円。うち7割が国や宮城県からの震災対策交付金で賄われた。今後は植物工場を民間業者に譲渡する方針。失敗の原因は創立した農家3名が露地栽培はベテランでも水耕栽培には不慣れだったこと、販売先の開拓が思うようにいかなかったことが挙げられる。

 更に衝撃だったことは、この分野でトップを走っていた農業ベンチャー・「みらい」が約10億円の負債を抱えて倒産してしまった。

 現在(15年末)、植物工場は企業として約200社があるが、黒字経営は約15%程度だろうと言われている。確かに始めたばかりなので軌道に乗るまでは大変な試行錯誤がある。どの分野でも最初は苦しい。だが、失敗に学び、錯誤に苦しみ耐え忍んで行くところに成功の途は拓かれる。これからの我が国の農業はオランダの成功に学び、かつ独自の進化を歩むことになる。

 ともかくすべてが無になってしまったふる里を再興するには、何かを創生しなければ再興の途はない。

川内村で始まった植物工場

 それは双葉地方、特に汚染された田や畑を再生する為には温室ハウスによる水耕栽培。

 更に発達した植物工場への移行しか方法はないと考えるからで、この方法であれば汚染された土であっても直接土壌を耕作するわけではない。容器に溶液を循環させることによって根から養分を吸収する方策でヨーロッパでは野菜栽培の主流になっている。

 その特徴を列挙する。

〇水耕栽培は、土壌栽培に比べ最大1.5倍の早さで植物が育つ。

〇殺虫剤は不要若しくは少量で済む。遺伝子組み換えの心配が無く、安心できる。

〇計画的に栽培でき、収穫でき、出荷できる。

〇個々の植物に直接栄養を与えるために、植物同士の生存競争がなく、その結果、植物はのびのびと元気に育つ。

〇水耕栽培は、土の耕作や雑草の除去等必要がないので、土壌栽培よりも大幅に労働力が軽減できる。

〇水耕栽培では、ハイレベルでの環境コントロールが出来るため、植物栽培に最も適した環境を造ることが出来る。その結果、植物の質と収穫量は飛躍的に向上する。

〇水耕栽培では、健康な植物が速く育つため、害虫や病気に対しての抵抗力が増強してくる。

〇水耕栽培で育てた野菜や果物を食べた時、歯ごたえや香りの良さに気付くはずで、新鮮で清潔な野菜や果物本来の良さを味わうことができる。計画的に栽培し、収穫は毎日、出荷も毎日出来るので消費計画が出来る。

 まず先例を紹介する。完全制御型の植物工場として、福島県では「TS白河」があり、設置事業者は「キユピー株式会社」、生産品はサラダ菜、リーフレタス。

☆キユピー株式会社、TSファーム白河、白河市表郷、平成十年設立、栽培室面積:1390u(421坪)、生産能力:日産4,500株、年間1,642,500株

 年約120トン(サラダ菜換算)運営人員22名

 栽培品目:サラダ菜(32日)、リーフレタス(34日)、フリルアイス(42日)

 電気使用量:約3,300kW/時 水使用量:約20トン/日、

 総工費:約5億

 キユピー株式会社が開発した、三角パネルと噴霧水耕栽培を利用した完全制御型植物工場で、独自に開発したので、植物工場の設備一式を販売している。

 川内村は、2013年3月、富岡町との境界付近の一部を残し、大半が避難指示解除になった。

 遠藤雄幸村長は帰還前から計画していた村営企業として、下川内に「川内高原農産物栽培工場」を立ち上げ、4月26日オープニングセレモニーを行い、5月中旬から本格的に稼働した。

 遠藤村長は、「若い世代が新たな感覚で新たな農業に取り組む場になる。復興のシンボルとして、川内産の野菜を全国に出荷し、川内の安全・安心をアピールしたい」と語っている。

 規模は、最新の完全人工光型水耕栽培を導入した完全密封型野菜工場で、発光ダイオード(LED)と蛍光灯を、照射する栽培室をそれぞれ二室ずつ設け、LEDは赤と青の二色を組み合わせ、野菜の種類によって照明の比率を変え、成長速度を調整出来る。

 また厳冬期、氷点下でも対応でき年間を通じてリーフレタス等の野菜を出荷でき、七月に初出荷、当初は一日当たり4千株、年末には8千株を目指すとしている。

 従業員は当面10人程度、将来的には25人体制にしたい、としている。同工場は平屋建て、延べ3173uの広さ、四つの栽培室でリーフレタスを栽培するが、約40日で収穫でき、それを毎日 収穫できるように栽培し、毎日四千株を収穫するが、やがて8千株になる予定。

 総事業費は約5億8千万円、3億円はヤマトグループのヤマト福祉財団が寄付、約2億円は国の震災復興交付金でまかなわれた。

 また昭和電工が、発光ダイオード(LED)を用いた高速栽培技術を無償供与した。

 この発光ダイオードは、植物育成に最適な660ナノメートル(ナノ=10億分の1)の波長を発光する昭和電工独自の赤色LED素子、山口大学と共同開発した高速野菜栽培法の組み合わせにより、従来の蛍光灯栽培よりも収穫が倍増した。

 昭和電工は、LEDの特徴を生かせるアルミ栽培棚、断熱パネル、二酸化炭素による高速栽培法を提案しており、川内村の高速栽培法による高原野菜工場は、我が国最先端の植物工場になる。運営は、川内村と都内の食品流通会社が共同出資した第三セクター「KiMiDoRi」が行う。

 従って全国では数多く操業しており、決して目新しいものではない。また大手企業も参入を企画しており、もし双葉地方で大規模な完全密室植物栽培工場建設を企画していると公表すれば提携を申し込んでくる企業は必ずあると確信している。

 ただ残念なことには、村民が思うように戻ってこないので、予定していた労働力が不足しており苦闘している。

植物工場で活躍する国内の会社

◎「村上農園」豆苗(とうみょう)にチャレンジ

 近年、スーパーの野菜コーナーで必ず見かける帯に‘豆苗’と文字がある野菜で、炒めもの、スープ、サラダ、胡摩和え等々レシピ豊富で、栄養価も高い、まさに万能野菜が出回っている。元は中国でエンドウ豆の若い芽を摘み取り、炒めものやスープの具として使われ、高級野菜として珍重されてきた。

 我が国には、1970年代に日中国交回復の頃から輸入されるようになった。豆苗は食物繊維、ビタミン、ミネラル、特にカロテン(ビタミンA)が豊富な野菜で、緑黄色野菜の代表格である小松菜より約1.5倍ものカロテンを含んでいる。

 露地栽培では季節が限定で採算がとれないという難点があったが、それを解決したのが水耕栽培で、季節関係なし一年中栽培できる植物工場で生産する方法で、業績を伸ばしてきたのが株式会社「村上農園」という会社だ。

 世界中からエンドウ豆の種を取り寄せ、日本人の嗜好に合うように品種改良を続け、甘みのある柔らかい豆苗を創り出し、さらにウレタンスポンジを使用しないで、根っこだけを絡ませて作る「根がらみ栽培」を独自に開発した。ちなみに、「根がらみ栽培」は特許・商標登録済みである。新しい分野の開拓の可能性を秘めたこれからの農業に、水耕栽培植物工場は創意工夫次第では大きな働きをすることは確かだ。

◎東急建設、パプリカ栽培

 植物工場に挑戦

 大手建設会社である東急建設は、平成25年12月14日、植物工場ビジネスに参入することを決めたと発表した。その第一弾として、茨城県美浦村に園芸用温室を設置、「リッチフィールド美浦」が平成25年7月からパプリカの生産を始め、11月から収穫して初年度400トンを生産、売上高二億円を見込んでいる。販売先は大手スーパーやホテル、外食産業向けとし、野菜に対する嗜好の変化を捉え、国内生産が極端に少ないパプリカを選び、資本投下の価値があると判断した。

 気象状況や病害虫の影響を抑え、栽培できる温室栽培の特質を生かし、東急建設が90 %、パプリカ栽培にはノウハウ、実績のある「リッチフィールド」(本社藤沢市)が10%出資し、栽培運営はリッチフィールドに委託の形式で、これからも更に増設の予定も、この形態で行う予定にしている。

 パプリカ生産の盛んなオランダ製の機材や管理システムを導入する。自ら事業主体となっての生産、販売に加え、ノウハウの提供によるフィービジネス、工場の設計・施工など植物工場ビジネス全体で、10年間で累計80億円の売上高を目指すとしている。

 全国規模の大手ゼネコンが、自ら事業主体となって自然光を利用した植物生産・販売に乗り出すのは初めてという。同社は国内建設市場の縮小を受けて新たな収益基盤の構築を進めており、植物工場ビジネスはその一環、全国的に増えている耕作放棄地の有効利用や、特に東日本大震災で津波に襲われ、塩害の結果農耕不適になってしまった災害地、さらに津波と汚染の二重の災害に襲われ、再起不能と想われる福島県沿岸の復興にも役立つものとしている。

 パプリカは、ビタミンやカロテンを多く含む食品として近年、外食産業を中心として消費が増えてきた。国内の市場規模は109億円、九割が輸入品、従って新鮮、安心の国内産に期待は高まる。

 東急建設は、植物工場の用地確保、施設の企画、設計、施工、維持管理、生産、販売を含めた事業を展開。当面は未利用の所有者向けコンサルティングに注力する。農業法人などと連携してトマト、イチゴ等の分野の生産、販売も視野に入れている。国内には耕作放棄地が約40万ヘクタールあるとされており、これらの放棄耕作地を活用すれば、大手の情報ネットワークを活かした、付加価値の高い商品の生産、六次産業としての生産とすれば、これからの農業は大きく転換することは確実と想われる。

◎富士通が肝臓病に良いレタス栽培

 野菜工場に関して、さらなる情報を述べれば、大手電機メーカーである富士通が、閉鎖した半導体工場を「野菜工場」に転用すると発表した(13年7月5日朝刊)。会津若松市にあった同社 工場のクリンルームを活用して、肝臓病患者向けの特殊なレタスを作ると言う。

 計画では、秋田県立大が持つ特許技術を使い、葉に含まれるカリウムが通常より八割少ないリーフレタスを作る。肝臓の機能障害を持つ患者や人工透析患者など、血中のカリウム濃度をコントロールしにくい人向けに販路を広げる計画という。

 薬草あるのだから、薬になる野菜があっても不思議ではない。今後増々開発されるのではないか。薬になる野菜専門の栽培工場は有望だ。

◎三菱化学、医食農同源が未病を治す大きな力

 ビタミンA、K、アリウム、葉酸を含んだベビーリーフ等をLED照明で無農薬の水耕栽培を行い、種植えから平均21日で収穫可能な、収穫喪包装も自動化されており、安定的かつ効率的に生産できる完全人工光型工場「プラントプラント」を売り出している。

 ベビーリーフは、数種類をブレンドした「キュアリーフ」としてスーパーや百貨店で売り出しており、不足する栄養素をベビーリーフ等で摂取する「未病の改善サイクル」となる

◎パナソニック

 パナソニックは14年3月17日、福島市にある同社福島工場内に設置した植物工場を本格稼働させた。植物工場はデジタルカメラを生産していた建屋を改装し、発光ダイオード(LED)照明を用いた完全密室型、生産品目はレタスを中心に水菜、ホウレンソウ等計16種類、人工透析患者が生で食べられる低カリウムレタスの栽培もおこなう。レタス換算で、1日最大1380株。市内のスーパーなど約30店舗に葉物野菜の出荷を始めた。今後空調・照明等同社が持つ技術を駆使して制御技術など改良などを通じて収量の拡大、品質の均一化に取り組み、販路拡大を図る。

 植物工場の設置は経済産業省の先端農業産業化システム実証事業の補助対象に採択され、約1億6000万円の助成を受けた。

◎グランパ

 グランパとカゴメが生鮮トマト事業

 同社に関しては前章で述べた。ドーム式の同社の水耕栽培は即戦力になるので推薦したい。

 (株)グランパ(本社横浜市)は、神奈川県内の各地で野菜栽培、販売事業とドーム販売事業(植物工場システムの開発・実用化・販売を行っている会社だが、実際に訪社し現場を見学させて貰った。その特徴は自社が独自に開発したエアドーム型ハウスにあり、農作物の成長に合わせて回転・スライドする自動スペーシング技術により、従来型のガラスハウスによる栽培と比較して単位面積当たりの二倍以上の生産性を持つなど、植物工場システム分野に於いて高い技術力を保有している。

 東北地方での活動は、岩手県陸前高田市に自社直営工場として「グランパファーム陸前高田」提携として「泉ニューワールド南相馬市」がある。

◎アグリパーク南相馬

 2013年3月、福島県南相馬市に「ソーラ・アグリパーク南相馬」が誕生した。約2,4平方qの市有地に、500?の太陽光発電所とその電気を利用した植物工場2棟を併設した。

 植物工場・農業ビジネスオンラインによると、福島県・南相馬市の農業法人「南相馬復興アグリ株式会社」は太陽利用型植物工場を建設し、トマトの生産事業を開始する計画を発表した。技術指導は高リコピントマトなど生食用を太陽利用型植物工場にて生産するカゴメが行い、年間660トンの生産を目指す。

 生産した商品はカゴメが全量買い取り、一部はヨークベニマルのスーパーなどで販売する。

 用地取得費と建設費の合計は約11億円、環境制御システムを導入した溶液栽培にて周年栽培を行い、地元を中心として約35名の雇用を見込んでいる。

 施設は太陽光発電設備や前に述べた株式会社グランパのドーム型回転式の植物工場を建設して体験学習中である。代表理事は半谷清寿氏、会社には地元有志、ヨークベニマル、カゴメ、電通等が出資している。その他、あぶくま信用金庫、東邦銀行の出資や融資、国の津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金などを活用しながら事業を運営する。農林中央金庫では、東北農林水産業応援ファンドと、東北農林水産応援ローンがある。

 この事業を立ち上げた半谷栄寿氏は、第43章で述べた夜の森地区開拓に功績のあった半谷清寿氏のお孫さんにあたり、開拓の精神は脈々と受け継がれているのでしょう。

 この開拓精神を以って双葉の地でも挑戦すれば再興は可能です。

 アグリパーク内に体験学習、企業研修の各種プログラムが用意されており、人材養成に力を注いでいる。関心がある方は問い合わせて下さい。

 〒975−0023 福島県南相馬市原町区泉字前向15

 一般社団法人福島復興ソーラ・アグリ体験交流の会、南相馬本部

 Tel:0244−26−5623 Fax:0244−26−5624

◎とまとランドいわき

 いわき市四ツ倉に「とまとランドいわき」が、平成13年10月、オープンした。

 規模は生食用トマト 25,000u 800t/年

(皇太子様、雅子様、2015年10月8日ご訪問)

 生食用イチジク   15,000u 30t/年

 パブリカ       2,000u 3t/年

 ブルーベリー     2,000u 3t/年

 従業員 34名、パート3名

◎アグリパークいわき

 「とまとランドいわき」の関連会社として「アグリパークいわき」(いわき市草野)が平成24年12月にオープン、観光いちご園で12月下旬から6月上旬まで開園。

 いちごは上下二段に栽培されており、大人でも腰をかがめずに、子供は目線の高さでいちご狩りができる。

 栽培品種は章姫、紅ほっぺ、とち乙女等

◎JRとまとランドいわきファーム

 JR東日本が農業に参入する。2014年9月3日、新法人「JRとまとランドいわきファーム」を設立(いわき市四ツ倉)、太陽光利用型植物工場を建設した。トマト生産では高い実績を持つ「とまとランドいわき」と提携し、トマト生産を行う。生産したトマトは首都圏のJRグループ会社で業務用として活用する他、今回建設する植物工場に隣接するトマト加工・販売・レストランを展開する「ワンダーファーム」で使用する予定になっている。

 設立した新会社は、資本金120万円だが、2015年には1億円に増資した。増資後は「とまとランドいわき」50%、JR東日本が49%、農家5人が1%という出資比率になる。

 植物工場は、敷地面積2.5ヘクタール、施設面積1.7ヘクタール、2016年春から出荷の予定、生産予定は年間600トンを予定している。

 事業内容としては、

(1)農産物の生産、加工、貯蔵、運搬、および販売

(2)観光農園、直売所の運営

(3)通信販売事業等

 本業であるJR 東日本グループが推進するものであり、六次産業化に向けた「ものずくり」プロジェクトを推進する。

 さらにJR東日本グループは、地域との連携を強化し、地元ともに知恵を絞る{共創}戦略のもと、鉄道ネットワークの特性および首都圏での販路をもつメリットを活かしながら、更なる地産品の掘り起しこし、販路拡大で六次産業化に向けたものづくりを推進していく方針を明らかにした。

養殖漁業への途

 チョウザメの養殖、キャビア生産

 海の宝、チョウザメから海の宝石キャビアが採取できる。汚染された双葉の海では飼育が不可能と早合点しないでもらいたい。どうも海の宝、海の宝石のキャチフレーズと‘鮫’という語感から海の魚と思ってしまうが、チョウザメの名の由来は、魚の体型が鮫を小型にしたようなのと、鱗が蝶の形に似ていたことから、チョウザメ(蝶鮫)とネーミングされ、本物の鮫とは全く関係ない。ちなみにチョウザメは、現在では淡水魚に分類されている。

 原産地はカスピ海とアムール川が有名で、カスピ海は塩水湖だが古代には海と繋がっていたようで、昔はヨーロッパの河川や沿岸でも捕獲していたと記録されており、海水でも淡水でも生息できる魚のようだが、現在は大半が淡水で飼育されている。

 事実、中国山脈の盆地にある岡山県新見市、新見漁業協同組合は高梁川上流の清流を利用して、チョウザメの養殖を開始、12年目でやっとキャビアを採ることに成功し、今では世界の三大珍味の一つキャビア(チョウザメの卵)を出荷している。

 何と山間の小さな町の特産品がキャビアなのには驚いた。

 JRは「青春一八切符」という、全国路線に乗車できる各駅停車の旅の切符を、季節毎に発売しており、青春一八とはいささか羞恥しいが、年に二〜三回利用して気ままな「乗り鉄」を大いに満喫している。

 伯備線で米子に行こうとしたが、岡山発の電車は新見駅までで、次の米子行きまでには3時間も待たなければならないので、その間、チョウザメの養殖を行っている新見漁協の見学をする予定を立てていた。

 駅前からタクシーで約15分の地にあり、チョウザメ飼育の現場を見せて頂き、職員の方に懇切な解説までして頂いた。

 ここで飼育しているのは、ロシア産のベルーガ種とコチョウザメ種を掛け合わせたベステル種だそうで、体長は稚魚で10cmくらい、3年で体長60〜70cm、三年目で雄、雌の判別が出来る。卵が採れるのは七年目、体長は120cm、10〜15sにまで成長するそうだ。

 ここまで至る過程は、試行錯誤の連続で大変苦労したという。

 さらに、チョウザメ料理が売りのレストランを紹介してもらい、チョウザメの刺身を戴いた。上品な白身で、鯛の刺し身のようにコリコリしており美味しかった。

 後で調べたところチョウザメの肉は高級食材として世界的に名高く、その肉は「皇帝の魚」として献上品に使われていたのだそうで、世界史の知識が一つ増えた。

 刺し身以外にも天ぷら、焼きモノ、酢のモノ、骨の唐揚げ等、余すとこなく食材として利用できるとのこと、創意工夫によってはさらに料理方法があるはずだ。

 もう一例、宮崎県小林市、国立公園霧島連山の麓で、小林盆地の中心に人口六万の街がある。

 この市は、チョウザメで町起こしと、官民挙げての運動を開始した。

 この市にある県水産試験場小林分場で、1983年からチョウザメの飼育を開始、産卵や稚魚の成育を研究の結果、産卵から成魚までの人工種苗生産を2004年に全国で初めて成功した。

 昨年は、2万匹の稚魚を市内の養殖業者に下ろし、そこで養殖したシロチョウザメを市内の料亭で刺し身をはじめとして鍋や煮付け、焼き物等各種の料理を開発し、市の名物として観光客誘致に乗り出した。

 シロチョウザメは、稚魚は黒っぽいが成長するにつれ白くなる。また他のチョウザメに比べると、非常に成長が早いとのこと。

 また鮫はアンモニア臭があるが、これは肝臓がないからで、肝臓のあるチョウザメは全く臭味がなく、清流で飼育するから味は最高になる。

 その肉には、カルノシンという老化防止、認知症予防に効用がある成分が含まれているので、産学官協同の研究を進めているとのことで、まさに良いことずくめだ。

 原産は北米だが、水産試験場で人工種苗生産が開発され、稚魚を輸入する必要がなくなったのが養殖業発展の原動力になった。このため小林市、延岡市等宮崎県下で養殖事業が拡大しつつある。養殖は廃校や市営の旧プールを利用して、霧島連山からの清浄な湧き水で養殖するので、全く臭みにない刺し身になるとのこと。またキャビアも塩漬けにして瓶詰めで販売している。テレビではグルメ番組が盛んだが、世界の高級食材キャビアの消費も全国的に上昇中、上流の清流や地下水を利用してチョウザメ飼育に挑戦すれば、放射能汚染の影響はないと判断し、更に廃校になるプールや校庭の空き地を利用すれば、双葉地方でも挑戦すべき素材ではないか、是非とも推奨したい。

 養殖に使用する水は、地下深くの清水を汲み上げて使用するとのことから、阿武隈山中の盆地に位置する清流豊かな川内村のようなところが適地だと推奨したい。

 水産庁と経産省は、国内のチョウザメ養殖業が発展し、キャビアの輸出が検討されるようになったことを踏まえ、ワシントン条約の締結国会議議決に基づくキャビアの輸出に関する制度を導入することを決めた。これにより日本産のキャビアの輸出が可能になった。

 チョウザメ目の種は、全てワシントン条約の規制対象になっており、これに加え、条約の締結国会議議決において、チョウザメ目の種の加工された未受精卵(キャビア)の国際取引に関し、締結国は、キャビア製造を行う施設等(養殖場含む)の登録制度を確立し、かつキャビアを入れる容器には、再度使用が不許可であるラベルを貼付する「国際統一ラベリング制度」の実行が義務付けられる。

 具体的には、水産庁が登録制度を指導・監督し、チョウザメ・キャビアの管理体制を厳守し、輸出に関しては経産省において輸出許可申請が適法であるかを審査し、確認した上で輸出許可となる。

 西日本では輸出を検討するほど養殖が盛んになってきている。山間の盆地で清水が豊富な所であれば養殖の適地となるのであるから全国的な規模でブームになっており、各地で養殖が行われるようになってきた。

 福島県内でもチョウザメ養殖が始まった(北塩原村)

(12年10月25日付、日刊工業新聞より)県内でもこの養殖事業に関心を示し、国内最大規模級のチョウザメ養殖事業が始動している。裏磐梯地方にある北塩原村の廃校になった小学校の体育館とプールを有効活用事業として「裏磐梯パイロットファーム」を設立、環境機器メーカー、オーデン(東京都)と同村との企業立地協定を締結した。

 同社系列の精密機器メーカー・フジキン(大阪)が多角化事業でチョウザメのふ化・養殖を手掛けており、業務提携として北塩原村に立ち上げ、体育館内に容量7トンの水槽12基を設置、初年度は稚魚1万尾買い入れ養殖を始め、7−8年後に10万尾以上に事業を拡大していく方針を示した。

 キャビアが採取できるのは平成31年頃になる予定。その間事業が軌道に乗るまではフジキンから成魚を購入し、地元レストランや宿泊施設に食材として供給し、観光地の名物料理として売り出すことを計画しており、原発事故以来風評被害で冷え込んでいる裏磐梯高原の観光事業にテコ入れを目論んでいる。同事業は更にドジョウの養殖も始める方針を発表した。

 古代魚の一種であるチョウザメの卵を塩漬にしたキャビアは、フォグラ、トリュフとならぶ世界三大珍味だ。しかしこのキャビアは、高い需要にもかかわらず乱獲の影響で天然ものは減少の一途をたどり、そのため世界各国はチョウザメの養殖に挑戦するようになった。我が国も例外ではない、各地で養殖が行われ、キャビアの出荷も軌道に乗ってきた。

 世界初のマグロの完全養殖に成功した近畿大学はチョウザメ養殖にも挑戦、「近大キャビア」の出荷も今年で5年目を迎えた。豊かな風味のキャビアのビン詰めは販売数量年間約100個という稀少性もあり、販売と同時に完売、1個1万円(30グラム入り)。

 宮崎県産の一品「極上フレッシュキャビア」が売り出されている。同時にチョウザメの魚肉を「ロイヤルキャビアフィッシユ」と命名、新しい宮崎産の食材として売り出した。

 双葉地方でも適地は数多くあるはず、チョウザメ養殖業は検討してみる価値はあるものと思う。更には淡水魚の養殖にはイワナ、アマゴ、ニジマス、ヤマメなどがあり、各地で養殖が行われている。

(北塩原村の廃校体育館内に水槽を設置
チョウザメの養殖を開始した)

 泥鰌は、かつてはどこにでもいたが、農薬の使用で激減し、現在では貴重な品種になり、泥鰌専門の料亭があるが、国内での調達は無理で台湾、韓国、中国からの輸入に頼っているのが現状である。

 従って、泥鰌の養殖に関し、国内市場の確保は確実で、おおいに奨励すべき分野だと思う。

 ともかく、ふる里の再興・再建は待ったなしの状況にあり、地域内には廃校やプールが数多くあるのだから有効活用の途はいくらでもある。今立ち上がらなければ機会を失い、幻のふる里になってしまう危機にあるのではないか。

泥鰌の養殖は可能

 あらゆる分野での可能性を探り、果敢に挑戦することによって「ふる里創生」を実現しよう。

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47章 双葉地方の工業化

 双葉地方は純農村地帯で、僅かな中小企業の工業しかなかった。第一、第二の原発誘致時には、それに伴い工場誘致の思惑があったが、計画倒れであった。その先例は只見川電源地帯開発時にも総合開発が叫ばれたが、僅かな観光事業が開発された程度で萎んでしまった。そればかりか地域の乱開発が原因と思われる大水害によって只見川の沿岸地域は大打撃を蒙ってしまい、JR只見線は未だ不通の部分がある。

 双葉地方の工業化案と言っても原発事故以前は、原発とその関連企業、あるいは下請企業であって、独自の工業は僅かしかなかったし、それも中小企業だけだった。

 お隣のいわき地方が、常磐炭田の崩壊、(株)常磐炭鉱の倒産という不運にも負けず、小名浜港を地方の漁港から、国際貿易港に大転換させることによって、東北地方有数の大工業地帯に育て上げた。

 対照的に、双葉地方は純農村地帯で、果ては福島県のチベット地方と呼ばれるような地域で、まさに長閑な田園地帯であった。

 従って工業の再興はあり得ない。全てが無からのスタートであり、いくら好条件を並べても、生産工場を誘致することは不可能に近い。即ち双葉地方の悪条件の数々を考えれば企業が積極的に進出することはない、誘致は不可能。自らが起業することも更に不可能ということを前提として工業化を考えたい。

 唯一存在した福島第一原発、第二原発が、この地に建設されたのは、過疎という好条件が揃っていたから誘致できたので、その条件を踏襲すれば電力生産しかあり得ないことになる。

 従って電力生産をメーンとして工業化を諮りたい。さらに負の遺産である廃炉産業を全面的に支援し、そこから派生する数々の産業を大切に育てることができれば必ず大きく成長し、やがて大産業に発展する可能性を秘めている。

 更にもう一つの負の遺産、中間貯蔵施設は30年間という期限があるが、これも大産業と考えるべきで、この二大産業からスタートすることを考えてみる。

 電気の発電、動力源は水力であったが、やがて火力発電として石炭、ガス等による蒸気機関によって発電した。

 その後は、原子力となるが、火力発電と原理は同じ、原子の核分裂を熱源とした蒸気機関による発電方法に成功したから、まさに第三次産業革命の到来とばかり有頂天になったが、残念ながら危険極まりない機関であることを露呈してしまい、今はただ慚愧の念に堪える日々となってしまった。

 しかし、電気が無用になった訳ではない。否むしろ、電力不足が懸念され、原子力発電所に換わるべき発電方法を模索中だ。

 ここに着目し、電力は絶対不可欠な基本的な産業であり、我が国最重要な基幹産業である発電施設を誘致することを基本とした双葉地方の工業化から考えたい。

 末端である生産工場誘致よりも、産業の根幹となる発電所の誘致があれば、大電力を消費する工場も誘致できることになる。だからこそ発電施設の誘致・建設こそが工業化への母体となる。更に考えれば、福島県や新潟県に原発を設置し、その電力を首都圏へ送電するには、大掛かりな送電設備を必要とし、50万ボルトの超高圧の送電線を完備しなければならない。

 新福島変電所から首都圏の中継所まで送電するだけでも300q以上、400m間隔で高圧線鉄塔を建設、総建設費数千億円、東電の決算書では送電線などの「送電設備」の資産約2兆円。更に建設費ばかりではなく、送電線の土地も利用権を買収するか、使用料を支払わなければならない。東電では使用料だけでも年間380億円、送電線の保守、改修、使用料等を合わせると年約3、300億円、更に送電には距離が長くなるほど電力ロスが生じる。

 それでは首都圏に発電所を作れば良いと提案しても、単に素人の発想の域を出ない。

 それならば地産地消、発電所周辺に大電力を消費する工場を誘致すれば良い、送電に必要な経費を割引した電力特区を設け、工場を誘致できないか提案したい。

 更に既に設備されている新福島変電所諸設備を活用すれば原発発電同様首都圏へ送電できる。従って発電施設こそ最初にやるべき誘致運動になる。

 中国本土に進出した多くの日系企業は中国国内の労働条件悪化に伴い、ベトナムその他、アジア諸国へ再進出しているが、わが国は円安が進み競争力をやや取り戻しつつあるから電気使用料が下がれば日系企業が里帰りも可能ではないか。ならば地産地消のメリットを生かした電力特区を設けることによって企業誘致を諮れるのではないか。

電力事情の現実

 第一原発は廃炉が決定された。第二原発存続問題は富岡町・楢葉町としては重大な関心亊だと思う。町民感情にしてみれば当然再稼働反対、廃炉処分要求が当然の流れだが、町当局としては税収、雇用の面でどう考えているのかは知らないが、町の将来を考えれば再稼働を望むのが自然の流れだろうと思っていた。しかし、町議会は第二原発四基全てを廃炉にする要求を議決した。

 第二原発が存続するかどうかは、町議会や政府、東電が決めるのではない。

 原子力規制委員会は、2013年4月10日に原発の新しい規制基準案をまとめ、原発を運転するには基準への適合が条件、適合には数年単位の時間がかかると思われるものもあり、少なくとも半数の原発は当面再稼働できなくなる。適合できない老朽化した原発は廃炉の決断が迫られることになる。

 基準案は、福島第一原発事故の教訓を踏まえ、過酷事故、地震、津波、火災等の対策を大幅に強化され、更には航空機によるテロまでを想定した基準となった。

 基準案は意見を募った上で七月から施行される。これを受け電力会社は基準に適合させた原発から再稼働を国に申請、国の審査に合格すれば再稼働できる。

 規制委は、大事故時に大量の放射性物質の放出を防ぐため、福島第一原発と同型の沸騰水炉は、フィルター付ベント設備を設置しないと再稼働を認めないとした。

 設備の設置には数年かかる見込み、現在50基中、一部のみが再稼働が許されたが、他の大半は停止中で再稼働は未定のまま、このうち東北、東京、中部、北陸、中国、日本原電の計26基は、当面再稼働は難しい状況だ。

 世界一厳しい新規制案で、老朽化した原発は適合出来ない怖れがあり、電力会社は原発頼りの経営方針を見直す必要に追い込まれ、廃炉を決断することになる。

 第一原発は廃炉の運命にあるが、第二原発はどうするのか、東電としては今すぐにでも稼働させたいだろうが、新基準が大きく立ち塞がるのは新しく防波堤を建設しなければならない点だ。第二原発にも東日本大震災では津波が押し寄せ、原子炉建屋にも津波がきたが、辛うじて電源が最低限確保できたため大事故は防げた。

 事故を未然に防いだのは、繰り返す大地震の揺れの中、第二原発所員が昼夜を問わず電源から原子炉に電線を繋ぎ、電力を引き入れることに成功したためである。

 二度と起こさないためにも、本格的な防潮堤建設が必要で、その為には膨大な建設費と建設期間が必要になる。その経済効果がどちらに傾くかによって再稼働、廃炉が決まる。

 東電に関しての最新ニュースとして4月18日発表、柏崎刈羽原発の原子炉直下にある断層が生じたのは20万年〜30万年前とする調査結果を纏め、原子力規制委員会に報告した。

 同原発には計七基の原子炉があるが、4号機を除く他の原子炉はすべて活断層の真上に存在するらしい。となれば新基準で判断すれば原子力規制委員会がどう判断するのか、七月に施行される新基準での判断にかかっている。

 福島第一原発は6基とも廃炉、第二原発4基は風前の灯火、柏崎刈羽原発は断層をどうするのか、東電管内の原発は全て廃炉になる可能性がある。しかし電力は絶対的な必需品、原発の再稼働なしであっても電力供給を継続しなければならない。現に全国の大半の原発は停止したままだが、停止中だった火力発電所を急遽再稼働させ、原発停止による不足分を補っているが、国民一般の受け取り方は原発が無くとも充分やっていけるのではないかという妙な安心感が芽生えてしまい、一時期節電の重要性が叫ばれたが、既に過去のものとなってしまって、全国発電総量の90%もが火力発電が担っていることになる。

 かつては地球温暖化問題で火力発電の排出する二酸化炭素が槍玉にあがり、原発へのシフトすることが最良の方法だとされたが、元の木阿弥と化してしまった。更には輸入燃料の大幅増加により、貿易収支の大幅赤字にも関心は向かない。

 一般大衆はその時の風によってどうにでもなびく。原発には頼らない、といって自然エネルギーに頼るのも時期尚早、とすれば火力発電に頼るのが最も妥当であるとの風が吹き、簡単に妥協が出来あがり、二酸化炭素排出の弊害は忘れられた。

 自民党の原発早期再稼働を求める議員連盟は、電力の安定供給は「成長戦略に不可欠」「電力業者は大変な苦境にある」が基本理念。安倍政権は六月に成長戦略の素案に原発の活用を盛り込み、原発再稼働に向けて政府一丸になって最大限取り組むと約束しており、第一原発事故を受けて脱原発を求める声が根強いが、安倍政権の経済政策「アベノミクス」で目指す経済成長には原発は欠かせないという姿勢を鮮明にしている。

 7月8日、新しい原発規制基準が施行され、北海道、関西、四国、九州の電力4社が5原発10基の再稼働を求めて安全審査を国に申請した。結論が出るのは約半年後になる見込み、安倍政権は合格すれば速やかに再稼働をさせるとしている。東電は柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働を目論んだが、地元新潟県の同意が得られず、これからの説得に懸かっているが、泉田知事は協議を拒否している。今後、全面的な原発復活はあり得ないし、また新設もあり得ないとすれば新しいエネルギー源を求めなければならないが、自然エネルギー、シェールガス、その次の世代はメタンハイドレートの開発としても、全国の電力需要を賄えるまでに成長するには何十年先のことであり、その間電力の動力源をどうするのか、現在進行形の難問解決に取り組んでいかなければならない。

石炭火力発電所

 富岡町にある新福島変電所は、東京電力の500kV変電所で福島第一原発と第二原発からの特別高圧送電線を接続し、首都圏(外輪系統)に向け福島幹線(500kV)は新古河変電所へ、福島東幹線(500kV)は新筑波開閉所に接続して首都圏各地に送られており、いわき幹線では東北電力南相馬変電所に接続している。

 3月11日の大地震では新福島変電所も大きな被害を受け、本所を介して第一原発への送電が不可能になり、送電線鉄塔の崩壊ばかりでなく、同所の交流電源喪失、その後に起きた炉心溶融、水素爆発等の遠因にもなった。同年8月29日、設備復旧工事が完了して、いわき幹線を通じて東北電力との連携が回復した。

 既設の施設を活用し、かつ第一、第二の原発廃止後の対策を考えれば、原発に換わりうる発電装置を設けなければならないが、新たに性能の良い超大規模な火力発電所を建設することしかない。しかも第一、第二の総発電量をカバーするとなると約1千万kW規模になる。

 近くにある広野火力発電所は、最初楢葉沖合で発見された海底ガス田に採掘櫓を建設し、採掘したガスを海底パイプラインで輸送し、このガスを燃料とした火力発電所であった。

 現在は、ガス田が枯渇してその役目を終えたため、今は重油、原油を燃料とする1〜4号機、5〜6号は石炭仕様で操業しているが、総発電量は440万kWであるから、単純に計算しても広野火力発電所の約二倍強規模の発電所が必要となる。

 東電と資源開発大手の石油開発が、平成25年11月に福島県内に最新鋭の石炭ガス化複合発電(IGCC)や天然ガス(LNG)火力発電所の新設する計画・構想を、相次いで明らかにした。両社とも県庁で記者会見をし、「復興に寄与したい」を強調した。

 東電の計画は、広野火力発電所と常磐共同火力勿来発電所(いわき市)に、出力50万kWのIGCCを一基ずつ造る。IGCCは従来型の石炭火力発電所よりも遙かに高率で、建設時には一日当たり22千人規模の雇用を生むと推定される。数十年で150億円程度の経済効果をもたらすとしている。

 石油資源開発は、新地町か相馬市にLNGを用いた出力数十万kWの火力発電所を造る構想だ。両市町にまたがる相馬港に、2017年12月までにカナダから輸入するLNGの受け入れ基地を建設することを決めており、電力会社などと相馬港周辺での発電事業を模索するとしている。

 両社とも復興に寄与したいと意気込むが、広野町や新地町は目立った被害はない。直接の被害を受け、強制避難している地域や避難住民のことは全く対象外なのは何故なのだ。

 もう絶対に帰還は出来ない地域なのだと東電は断定しているのか。無人地帯に投資はしないという方針なのか。もし何年後かに火力発電所を建設しましょうと約束してくれるなら、帰還できる望みも湧いてくる。

 現在大半の町民が戻らない覚悟を決めているのは、戻っても働くところがないからにほかならない。農業はもう駄目なのは明らかで、他に働き場所は皆無、それでは戻ることは出来ない。戻ると宣言できるのは年金生活者だけになってしまう。

 現在も、これからも、電力は絶対的に必要なものと考えるから、被災地に火力発電所を造り、働く場所を提供して貰いたいから提案しているのだ。

 次に、従来の石炭火力発電とは全く違った世界最先端の技術を誇るIGCC(石炭ガス化複合発電)の特徴について説明したい。

(1)電効率の向上と地球温暖化対策:個体の石炭をガス化することで、蒸気タービンにガスタービンを組み合わせた発電のため、従来の石炭火力発電方式では熱効率約42%だったが、IGCCでは50%の発電効率が見込まれる。二酸化炭素の排出量は石油火力発電方式とほぼ同量程度に削減できる

(2)適用石炭の炭種が拡大できる:これは個体石炭をガス化するため石炭の質が悪くとも利用できるので、輸入もし易くなる。

(3)大気循環特性:システムの効率化により、発電総量(kW/時)あたりの硫黄酸化物、窒素酸化物の煤塵排出量が低減できる。

(4)石炭燃焼による排出されるスラグ(鉱滓)が少なくなる。

(5)温排水量が約三割低減できる。

 この火力発電に関係するガスタービンの入り口ガス温度を、1,600度とする世界最高水準の技術を三菱重工が開発し、発電効率61%という驚異的な水準になる。ガスタービンの世界シェアはアメリカのGEが第一位、ドイツ・シーメンスが第二位で、両社で世界の70%を握り、三菱重工が20%にあるが、一挙に追い付く可能性が出てきた。

 もう一つニュースがある。エンジン大手のアメリカ、ブラット・アンド・ホイットニーの中小型ガスタービン事業ユニット(PWPS)を数百億円で三菱重工が買収した。更にイタリアのターボデンを傘下に収めることができた。三菱重工は出力30万kW級の大型タービンが主力だったのに対し、PWPSの主力は出力3万kW級の中小型タービンであるから、相互補完ができる。またPWPSのタービンは航空機エンジンの技術を応用しているのだ。

 三菱重工と日立製作所が、火力発電所向けを中心とする電力システム事業を統合することになって、2014年2月1日をもって新会社を設立し、国内外の火力発電の需要拡大に対処する態勢を整えた。新興国を中心として火力発電の新設は大幅に増加すると見込み、売り上げを1兆1000億円規模になるとみている。

 その技術をもって世界最高水準の火力発電所を、ふたばフェニックスシティの地に建設して頂きたい。燃料費の引き下げが可能であればコスト4円以下の効率の良い発電は可能だ。

 現在、原発が全国的に稼働停止、電力不足を補っているのは、役目を終えて休止していた火力発電所である。原発事故以来大慌てで復活させたが、旧式なので熱効率は悪く、燃料費が嵩み史上最高額の貿易収支赤字を記録している。国策としても原発に頼ることを諦め、出来るかぎり早くIGCCに切り替え、双葉の地がIGCCを基幹産業として再び甦ることを夢見たい。

 さらに朗報がある。経産省は15年6月15日、発電効率が高く、二酸化炭素の排出量が少ない次世代の火力発電技術の開発に向けた議論を始めた。

 新技術は、石炭から取り出したガスで発電タービンを回し、その際に出る熱で別のタービンを動かして再び発電する仕組みになっている。

 経産省は、従来型の石炭火力の二酸化炭素排出量を2020年に二割、30年までに三割減らせると見ている。

 効率のよい石炭火力発電所が完成すれば原発に勝る発電方式になるのではないか。現在原発の発電コスト1kW/時、原発10.1円、石炭12.9円程度とすれば、効率のよい石炭火力発電であればさらにコストは下がり、原発に太刀打ちできるコストになると思われる。

 しかし、この石炭火力発電に暗雲が立ち込めた。電力業界が低コストの電力を確保するため進めている石炭火力発電所の建設計画に対し、環境省が地球温暖化を防ぐ観点から異議を唱えている。

 丸川環境大臣は15年11月13日、関西電力と東燃ゼネラル石油が千葉県市原市で計画する石炭火力と、関電と丸紅が秋田市で予定する石炭火力に対し、いずれも「是認できない」との見解を表明した。環境省は6月以降、この2か所を含む計5か所の計画に異議を唱えたことになる。

 石炭火力は発電量当たりの二酸化炭素(CO2)排出量は天然ガス火力の約2倍に近い。

 政府は温室効果ガスの排出量を2030年までに13年度比26%削減する目標を掲げているが、「石炭火力が増えすぎると達成は困難になる」というのが環境省の言い分だ。

 世界的にもCO2排出量の多い石炭火力に対する風当たりが強まっている。

 イギリスでは25年までに原則禁止する方針を打ち出した。そのためかどうかは分からないが、中国・習近平国家主席が訪英した際、大歓迎の行事を数々行ったが、中国資本での中国製原子力発電所の建設を決めた。七つの海を支配した大英帝国の栄光はどうしたのだろうか、歴史の流れの速さに戸惑うばかりである。アメリカも天然ガス火力への移行を進めることを決めた。

 電力業界が石炭火力の建設を進めるのは、石油火力や液化天然ガス火力に比し、石油火力の3分の1、大規模太陽光発電の2分の1で、LNGよりも1割程度安い。

 16年4月から電力小売りが全面的に自由化されるが、電力各社や新規参入業者は燃料費の安い石炭火力の建設を進め、燃料価格競争力を高めたいとしている。このため30年度のCO2排出量を13年度比で35%減らす自主目標を発表した。これによってCO2削減を約束することによって石炭火力を認めて貰おうとしたものだが、環境省は「不十分だ」として受け入れなかった。

 この認めなかった理由は、35%を減らす自主目標は全体的なものであって、各社が個々に具体的な削減計画を明示していないことを危惧しているようだ。

 石炭火力建設を最終的に許可するのは経済産業省だが、環境省の意向も重視しなければならないが、石炭火力の建設が遅れれば、低コストの電力が確保できず、電気料金が高止まりする可能性もある

 経産省は板挟み状態にあるが、経産省は省エネ効果の悪い、旧式の既存施設をCO2排出の少ない効率が良い最新型に建て替えるよう促すことでCO2削減を諮り、環境省を納得させる落としどころを探り調整する必要がある。

 第21回締約国会議、2015年11月30日から12月11日まで、フランス・パリで気候変動枠組条約(COP21)、京都議定書第11回(CMP11)が開催される。

 今回の会議は、京都議定書に続く、2020年以降の新しい温暖化対策の枠組みが、すべての国合意のもとにどのようにつくられていくかがポイントになる。

 各国の削減目標(国連気候変動枠組条約事務局に提出された約束草案。

 13年度の二酸化炭素の排出量に基準にして、2030年の数値目標。

 我が国は26%削減(2013年比)

 高率の順位:ロシア・70.75%(1990年比)、中国・60.65%(2005年比)、EU・40%(1990年比)、インド・33.35%(2005年比)、アメリカ・26.28%(2005年比)

 我が国は2030年度に2013年比で温室効果ガスを26%削減する約束草案を提出した。中でも私達の暮らしに関係する家庭部門CO2については約40%削減目標を掲げた。

 環境省はこの国際的な削減目標を盾に石炭火力建設を阻止することになるが、残された途は、現行の効率の悪い石炭火力を廃止し、最新式石炭火力への切り替え、天然ガス火力のCO2排出量程度に抑えられた高効率の石炭火力発電装置の開発に期待したい。

 アメリカは石炭火力発電から全面撤退、天然ガスに切り替える方針を明らかにした。これはアメリカ国内でシェールガスが大量に生産出来る見込みとなり、その結果、シェールガスの価格が安価になったことに由来する。

 16年2月8日、丸川環境大臣と林経済産業大臣が会談し、全国で相次いでいる石炭火力発電所のお建設計画を条件付きで容認する意向を伝えた。

 環境省は、二酸化炭素を多く出す石炭火力発電の建設に難色を示してきたが、経産省と電力業界が進める温暖化対策に一定の理解を示した。

 環境省の方針転換で中断されていた建設計画が再び動き始める動きとなった。

 環境省の理解を得るため大手電力会社と家庭向け電力販売に新規参入事業者など計36社は8日、二酸化炭素削減を進める団体を設立した。

 2030年度の二酸化炭素排出量を13年度比35%減らす自主目標達成に向け、加盟各社が削減計画を作成する。

双葉沖はガス資源輸入地に最適

 最近採掘が可能になったシェールガスで、アメリカではシェールガス革命と呼ばれるようなエネルギー革命が起きつつある。

 確かに革命と呼べる位の大変革が起きるのは確実で、世界の趨勢にも大きな変化が現れるであろうことが予想されるので、シェールガス対策を準備万端整えておくべきだ。

 シェールガスの輸出は、アメリカ政府は未だ許可してはいない。これからの交渉となるが、アメリカの輸出条件はTPP加入が条件になる。安倍政権は加入に前向きだが、甘利担当大臣の長い交渉が実を結びつつあり、妥結も近いと思われる。またアメリカ政府は、シェールガスを戦略物資として活用する意志のようだ。輸入できることを前提として、シェールガス利用の火力発電所建設を願いたい。燃料輸入は必ず実現できると確信している根拠は、三井物産がアメリカのペンシルバニア州マーセラスで開発生産中のシェールガス事業に資本参加し、MEPUSAと組んでの共同事業を行っているからだ。

 三菱商事は、カナダの大手エネルギー会社であるPWEが保有する、ブリティッシュコロンビア州のコルトバ地区でのシェールガスを中心とした天然ガス開発に参加し、開発費161億円を投資。最終的には事業費として約4,800億円を投じて開発を進めるという。

 伊藤忠商事はアメリカの石油ガスの大手を米国ファンドと共同出資総額5、400億で買収に成功した。双日はアメリカ・テキサス州カーセージエリアにシェールガス層が存在することを確認し開発することを決めた。丸紅はアメリカ・テキサス州におけるシェールガスの権益35%を取得することに成功、総投資総額一千億になる。

 日本の総合商社がこれほど活発に活躍しているのは、それなりのメリットがあるからで、東日本大震災発生以後、原発が稼働停止してしまったし、今後原発の新設はないとすれば、火力発電にシフトするのが当然と読んだ。しかも既に稼働停止してしまった原発の発電量を補うとして、休止中の火力発電所を急遽復活させて急場を凌いでいるのが現状である。

 原発の稼働が規制され、全面的に火力発電へのシフトがあれば、重電メーカーとしては一台の発電機で二回発電させる熱効率の高いコンバインド・サイクル発電機を開発、メーカーは2013年中に61%になると自信をみせた。2014年6月アメリカGEは、62%の発電機を開発すると発表、日本のメーカーも70%を目指すと発表した。

 そうすると火力発電の有利さが浮上、更に燃料は安価に輸入できる見通しとなれば火力発電所を新設、増設は増えることになる。それを読んで、天然ガス調達のため商社が活躍することになる。

 それならば先手必勝、アメリカのシェールガス開発に資本参入するのも当然の動きとなる。

 東電は中部電力と共同で茨城県那珂湊に石炭を主燃料とする火力発電所を建設すると発表した。これも性能に期待出来る火力発電への流れの表れだ。

 関東地方に中部電力が発電所を建設するとは不可解なことと思ったが、関東地方で売電する計画らしい。東電には独自で建設する資力が無いのか、旺盛な電力需要に追いつかないのか。

 電力は不可欠なエネルギー源であって、その重要さは言うまでもない。ならば双葉地方を国内最大規模の電力生産地として、各種火力発電、各種自然再生エネルギー発電のメッカとして、純農村から一大飛躍して発電地帯に生まれ変わるのも夢ではない。それには太平洋を大いに活用することから生まれる壮大な夢だ。

請戸地区に大型液化天然ガス基地を

 大地震と大津波で致命的な大打撃を受けた請戸地区は、集落、耕作地、請戸漁港は壊滅した。現在無人地帯、再興は未だ手つかず状態、津波で海水が低地に溜まってしまった結果、塩害で農業の再興は無理がある。水産業も漁港が壊滅しており、原発の汚染水問題で漁業もまだ再開のメドは立ってはいない。

 地の利を活かして、LNG基地として地域が発展するか、これまで通り漁港再興に邁進した方が地域住民の生活を安定させると判断するかだ。

 シェールガスの将来性を占うと、主な産地はアメリカとカナダでシェール革命と呼ばれているように、世界のオイル市場は激変した。これまで石油の主な生産地は中東で、中東の政情不安で世界を悩ませてきた。数度にわたるオイルショック、石油減産の脅し、中東で戦乱が起きる度に石油を戦略物資としての消費国との駆け引き、その度に世界の国々は頭を抱えた。わが国も例外ではない。むしろ最も被害を被った国の一つだ。歴代内閣は右往左往、実業界は対策に狂奔せざるを得なかった。

 このシェール革命の最大の恩恵を被るのは、世界最大の石油消費国であり、最大の石油輸入国であったアメリカがシェールガスの輸出国になり、世界の石油事情が一変し、中東の顔色を伺う必要がなくなったことだ。その効果は即座に表れ、OPEC(石油輸出機構)は減産せず、石油の取引価格を値下げした。

 石油輸入国にとっては朗報になり、セブンシスターズは蒼白となった。しかしこれからの世界がどうなるのかは誰にも判らない。だが言えることは何事が起きても備えあれば憂いなし。エネルギー源を出来るだけ多く備蓄していれば対応できる。

 石油、LNG等確保しておくことは国家として一大使命であり、貯蔵基地建設は国家的一大プロジェクトとして準備万端整えておくべきだ。

 事実、わが国の石油備蓄基地として鹿児島県の喜入基地と沖縄の中城湾基地がある。

 超冷温冷却を保持しなければならないLNG基地は、超高度な貯蔵タンクを建造しなければならない。幸いにもわが国には世界最先端の技術を持つプラントメーカーが存在し、日揮、千代田化工、IHI、三菱重工等が世界で活躍している。

 LNGタンクは1970年、東京瓦斯根岸工場に初めて容積1万キロリットルのLNG地下タンクを建造したのが第一号で、これが第一世代とすると、それ以来数多くの貯蔵タンクが建造され、改良が加えられてきて、現在は第三世代で高品質化、高い経済性を目指して最新鋭のLNG地下タンクで、経済的な側壁底版鋼結構造について研究し、その成果が出て建設可能になって地下タンクができた。この建設は従来のタンクよりも建設コストが低減でき、東京瓦斯は扇島工場に世界最大容量の第三世代地下タンクが完成した。

 相馬LNG基地建設発表(平成26年9月)、相馬LNG基地は相馬市新地今泉地区の相馬港第四号埠頭の敷地20ヘクタール、大型貯蔵タンク一基、23万キロリットル、受け入れ設備、LNGタンカー専用バース、気化器施設(液体から気体にする)を建設、相馬LNG基地から岩沼市にある分岐バルブスティーションまで約40qの区間、導管を敷設する予定、貯蔵タンク工事は昨年九月に着工、その他のプラント工事は平成27年中に着工予定、国と県が環境整備等を行い立地の支援を行う。

 その他太平洋岸では、八戸基地、仙台港基地、新仙台基地、日立基地等があり需要は旺盛であるが、双葉地方だけが抜けているのは何故なのか。

 ふたばフェニック創生のための工業化の起爆剤は、発電所建設と双葉港建設が両輪になる。従ってその中心たる双葉地方に火力発電所を建設するメリットは大きい。さらにその燃料になるシェールガス、LNG、石炭等の揚地・集積として外航船が入港できる港の建設は必要事であり、北米からも豪州からも沿海州・樺太からも、その中心になる双葉地方に港を建設するメリットは大きい。津波被害で原野となってしまった沿岸部の活用として、石油の鹿児島市にある喜入基地のようなガスタンク群、石炭ヤードを建設し、我が国の燃料基地としてはどうか。

 更に火力発電、風力発電、海洋発電の一大生産地となれば、ロス分を計算した地産地消のメリットで電力料金を引き下げることによって電力特区を設け、電力消費が大きい工場を誘致できないか。世界的に見ても原発離れは先進国ほど急速で、火力発電所新設計画は急増し2035年までには世界中で750兆円規模の投資が予想される有望産業になる。

 三菱重工と今治造船は、3月25日LNG運搬専用船の設計・販売を行う合弁会社を設立することを表明、4月1日発足としたから既に設立済みで年間八隻の建造が可能と発表した。アメリカの新型天然ガス「シェールガス」の開発が加速し、LNG専用運搬船の需要が急速に伸びると読んだからだ。更に新パナマ運河開通による大型LNG船の建造が見込める。

 現在、我が国造船界は、かつての好況が嘘のような不況に苦しんできた。これは韓国、中国の追い上げよりも、既に追い抜かれて、特殊船部門だけを辛うじて死守しているに過ぎない。だが近年は円安が追い風となってやや持ち直してきた。

 LNGは一般船舶では絶対に積載できなから、ガスを液状にして輸送する特殊な専用船が必要で、その形状はモス型(独立球型)とメンブレム型というステンレス鋼がタンクを支え断熱材を挟んで船体を支え強度を保つ構造になっている。

 初期はモス型が多かったが、近年はLNG積載メンブレム型、サヤエンドウ型が増えてきた。LNGとは液化天然ガスのことで、天然ガスが液状で埋蔵されているわけではない。気体である天然ガスをマイナス161℃まで冷却すると液化して、それまでの体積が600分の1にまでに凝縮する。このような方法で冷却したまま輸送するので、特殊な専用船が必要になる。

 ということは、積み出し港、陸揚げ港に於いても、マイナス161℃に冷却するプラントが必要になり、莫大なインフラ整備が必要となる。だからこそ、双葉の地に巨大な専用貯蔵タンク群の基地を設け、内航専用タンカーで全国各地に配送する必要が生まれる。

 LNGの供給契約は、15年単位の長期契約が主流で、これは15年間安定供給できてなんとか採算がとれるというくらいの莫大な投資を必要とする。その理由は冷却プラントが必要なためなので、現在電力業界が輸入しているLNGは不当に高額すぎるというのは、この特殊事情を知らないから言えることで、電力業界からの苦情ではない。LNGの相場は乱高下が激しい業界で、15年以上の安定供給、安定需要が約束される必要があった。

 また、ガス貯蔵タンクは、半地下型になるから膨大な土砂が排出されることになる。

 さらに言えば、どんどん増える除染残土を、処理できずにそのまま放置し野積みしておく方が余程危険ではないか。しかも除染工事を促進しても、その除染残土を積み上げておくだけでは意味がない。

 やっと中間貯蔵施設案が通り、施設建設となった場合、汚染土でも放射線量が少ない汚染土は双葉港建設、巨大な半地下ガスタンク建設で出る残土の処理として、居住区としての高台建設、若しくは輪中(居住地)として円形の巨大防波堤建設ができる。

 現在我が国のLNGで、カタールからの輸入が多いのは、長期契約を結んでいる国がカタールだからだ。これからシェールガス輸入にしても同様な十五年以上の安定供給、安定消費の見通しをたてた上での長期契約が必要になる。

 我が国のLNG輸入量は年間約9,000万トン(2014年度)で世界最大量となる。ところが今までは売っていただくと言う形であって、売り手市場であった。

 従って我が国の輸入価格は約九ドル(100万BTU=英国式熱量単位)で、米国市場の約三倍の値段となる。LNGの生産国とパイプラインで結ばれていない我が国は天然ガスを冷却して、液化してから船積みする作業が加わるため割高になり、かつ長期契約でなければ輸入できないという欧米に比べ大幅な割高な価格である「ジャパン・プレミアム」が固定化されてきた。

 しかしここにきてエネルギー事情が変化してきた。原油価格が100ドル前後であったのが一挙に40ドル台まで下落し、かつ米国シェールガスの生産が軌道にのり輸入も可能となってきた。今度は輸入国が有利になる交渉環境に代わりつつある。特に交渉の目玉は、買い取ったLNGの転売を禁止する条項を撤廃することにある。転売できれば購入量を増やして、割安に買える可能性が高まることになる。

 これまで栄華を誇ってきた産油国が原油安で経済的に落ち込んで、中東や南米、ロシア等は経済的な打撃を受けている。従って輸入条件を緩和する交渉は輸入国に風は吹く。

 だがもう一つの問題がある。原油価格がこれほどの下落を導いた一つが米国・カナダによる多量のシェールオイルの採取がある。OPECの産油量と同等の量を産油して世界の原油需要に比べ供給過剰になった結果であることは明らかである。

 しかし、シェールオイルは採油コストが非常に高い上に、新たな社会問題が浮上してきた。採油に必要なフラッキング(酸や摩擦低減剤などの化学物質を添加した水を超高圧で地下の岩体に注入して破砕する方法)による公害の発生が米国社会で注目されるようになっており、州によってはフラッキング禁止の動きがある。フラッキングの弊害として、環境と水の汚染、地震の多発、健康問題を挙げている。さらに問題は現行のバレル四〇ドル台の価格ではシェールオイルの採算ベースには乗らない。新たな問題が提起され、これからどうなるのか、問題は流動的であるが、原油価格は40ドル台で落ち着くのか、動きを注視したい。なお我が国でも昨年から秋田県の鮎川油ガス田からシェールオイルの採油が始まったが規模が小さいため公害問題にまでは発展していない。

 もし仮に請戸地区に双葉港を建設し、陸揚港にするならば、外防波堤の建設だけで岸壁建設は必要ない。ガスの陸揚げはパイプラインで行うので、沖合にあるシーバースのパイプラインを結合して陸揚げ準備完了となる。LNGタンカー接岸施設とし、LNG収納施設であるマイナス161度の冷却施設であるプラントを建設する必要があり、以上の長期契約が可能な計画を確立する必要がある。

 石油開発大手の石油資源開発は、2013年11月27日福島県新地町の相馬港に、液化天然ガス(LNG)の受け入れ基地を建設すると発表した。

 北米から輸入する予定のシェールガスなどを保管し、パイプラインを敷いて各地に送る予定なのか。近くにLNG火力発電所を造ることも検討している。LNG基地は2014年に着工し、2017年に完成させる。同社はカナダ産シェールガスで造るLNGを、18年から年120万トン輸入する計画があり、その受け入れ準備としての建設となる。

 東京電力に電気を売ることを想定して検討している。ならば、旺盛なる電力消費に対応するため、また性能のよい新式火力発電所の建設には意欲的なはず、これまでは電力会社の独占であったが、新設、増設には経済的に対応が出来なくなっているので、発電業務に異種業種からの参入も可能になった。しかもシェールガス輸入が本格的になる見込請戸地区に大型液化天然ガス基地を大地震と大津波で致命的な大打撃を受けた請戸地区は、集落、耕作地、請戸漁港は壊滅した。現在無人地帯、再興は未だ手つかず状態、津波で海水が低地に溜まってしまった結果、塩害で農業の再興は無理がある。水産業も漁港が壊滅しており、原発の汚染水問題で漁業もまだ再開のメドは立ってはいない。

米国産原油、輸出解禁へ

 2015年12月17日付、新聞報道によると、米議会の与党幹部は15日、国産原油の輸出を本格的解禁する法案を提出することで合意した。輸出が解禁されれば約40年ぶりとなる。背景にあるのは、掘削技術の発展で「シェールオイル」と呼ばれる原油の産出量が急増していることがある。我が国では米国が安定した調達先になることの期待がたかまってきた。

 米政府は1975年に制定したエネルギー政策・保存法で原油輸出を原則禁止している。第一次石油危機をきっかけに、米国は、国産原油の有効活用のため輸出を政府の管理下に置くことにした。現在、輸出はカナダ向けなどに限られている。今回の法案が成立すれば、基本的な制限が取り払われることになる。

 2000年代半ばからの「シェール革命」で、天然ガスだけではなく、シェールオイルの産出量が急増。米エネルギー情報局によると、米国の14年の産出量は世界一位だった。国内の製油所で対応しにくいシェールオイルの産出増で在庫が増えたため、輸出禁止を解禁し国外へ輸出しようとの機運が高まったものと思われる。

 思えば戦前の我が国は、石油の輸入をアメリカ・加州周辺産の石油を輸入していたが、我が国が中国侵略の戦火を始めてしまい、その抗議の意味合いでABCDラインの経済封鎖、日本包囲網を敷かれ、石油欲しさに東南アジア侵略を企て、太平洋戦争へと突入してしまった。

 石油欲しさに産油国に対し戦争を挑んだが、結果は完膚なきまで叩きのめされてしまった。

 そのアメリカから原油が豊富に輸入できることになったのだから歴史の歯車の回転は速い。これまでは8割以上を中東から輸入していたが、アメリカからも輸入できるとなれば、中東産油国とも交渉し易くなるし。またテロや紛争など地政的なリスクの多い中東産油の依存度を下げることができれば、エネルギー安全供給の安全保障にも繋がる。

 我が国経済にとって有利に働くことになる。ただし、サウジとイラクが対立し、再び中東で暗雲が立始めた。さらに石油原価が値下がりし、ガソリンの価格が下がり始めた。当然経済活動が活発化するだろうとの想いが、年明けの株取引では連日値下がりを続けだした。どうも産油国が資金調達のため持ち株を売り出したようだし、中国と新興国の経済の悪化が連動しているらしい。世界経済は大きな変動期にあるようだ

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第48章 太平洋に挑む

 荒唐無稽な発想として葬られることを覚悟のうえで提案する。それは福島第一原発と第二原発の間約10km、この間は20mから30m位の海岸段丘があり、直線に近い海岸線を形成している。

 ここにスーパー中枢港・コンテナハブポート建設を提案したい。勿論国家的大事業であり、決定権は政府にある。

 地元自治事体や県が要望している訳ではなし、そのような計画は夢想もしていないことは承知している。ではなぜ提案するのだと反論されるだろうが、地球規模での構想として、この地がスーパー中枢港湾建設には最適の地であることを確信しているからにほかならない。

 陸地から海を眺めた訳ではない。太平洋上から見た双葉のこの地こそが最適な地だと判断したからだ。

 球形の地球、海は世界に繋がっている。太平洋大圏コースの終着点は双葉沖、新たに開発される北極海東・西航路の最短点は双葉沖、コンテナハブ港として国内、東南アジアのフィダーとして最適、しかも国内重要港湾がコンテナ船の大型化に適応できず、衰退しており、韓国や中国の港湾が拠点港になってしまい、我が国の各港湾はコンテナの基幹航路から外され、単なるローカル港になってしまう危険性がある。だからこそスーパー中枢港湾、コンテナハブポートの建設は急務なのだ。今決断しなければ世界の基幹航路から外れることになる。国としてもスーパー中枢港湾の建設は急務であり、どこかの地に建設しなければならない。ならば最適の双葉の地に建設することを提案したい。それは原発事故被災の地の再興・救済の手段としても有効だと判断したからだ。

 我が国も全く対応していないわけではない、横浜港、川崎港が一体的に運営する新しい港湾会社を作り、横浜港本牧埠頭では世界最大級のコンテナ船が寄港できる深さ18mの岸壁を昨年4月から運用を開始した。だがスーパー中枢港湾とは言いがたい。小手先の対応では十分とはいえない。国際競争力を確保するためには新しいスーパー中枢港湾建設は絶対に必要だ。

 現在、我が国海運は苦境にある。船舶には用途によっていろいろな船舶があり、「タンカー」、「コンテナ専用船」、鉄鉱石、石炭、穀物等を運ぶ「バラ積み船」等がある。

 かつて我が国海運は日の丸を掲げ、多くの船舶の船名に「丸」が付いていたために「マルシップ」と呼ばれ七つの海を航行していた。

 現在はどうか。海運会社は存在するが、所有船舶の船籍はパナマ、リベリア、その他あまり知られていない国が船籍港になっている。これは船籍を貸す国がある。同時に乗組員も外国人に替わってしまった。我が国、外航船員が消えてもう40年になる。

 そして現在、我が国外航海運界が危機にあり、海運の主役はコンテナ船になったが、このコンテナ船界が様変わりしてきた。

 デンマークのAPモラー・マースクグループ傘下で、コンテナ船世界首位マークスラインは大型船の先行投資による効率化と不採算航路からの撤退を加速させ、日本勢がウロウロしているのを尻目にして急速に事業を拡大してきた。

 その結果は競争が激化、日本勢は退歩を余儀なくされてきた。もしかしたら世界の基幹航路から外されてしまう怖れがある。

 それは我が国のスーパー中枢港湾が不備だからにほかならない。経済のグローバル化が進展する中、世界的な海上輸送はアジア−欧米間を中心に急拡大しており、コンテナ輸送船舶の大型化や、中国等新興国の港湾を含めた東アジアにおけるコンテナ港湾間競争の激化と相俟って、基幹航路のコンテナ船が我が国港湾との就航を超大型コンテナ船に限り寄港を取りやめてしまう可能性がでてきた。

 特に新たに供用を開始した釜山新港は、廉価な港湾コスト等高いサービス水準(現時点で港湾コスト4割安、ただし後背地の賃貸料などを含むトータルコストの比較ではさらにその差は拡大する)をもって我が国にも積極的に集荷を働きかけており、我が国から釜山港へ国際トランシップされる貨物が急増している。特に西日本からが多い。時間的な余裕はなく、早急な対応を執らなければ悔いを残すことになる。

 世界コンテナ取扱量ランキング(2014年度)
1位 上海 7位 青島 28位 東京
2位 シンガポール 8位 広州 48位 横浜
3位 深圳 9位 ドバイ 51位 名古屋
4位 香港 10位 天津 56位 神戸
5位 寧波 11位 ロッテルダム 60位 大阪
6位 釜山
(世界の10位までに7港が中国で占めており、経済の大躍進が示されている。)
 世界コンテナ取扱量ランキング(1980年度)
1位 ニューヨーク 4位 神戸 13位 横浜
2位 ロッテルダム 5位 高雄 18位 東京
3位 香港

以上が我が国港湾の現状である。

スーパー中枢港湾

 シンガポール港、新上海港、釜山港等アジアの主要港は必要に応じてコンテナハブ港として新設されたものか大改造が行なわれたもので、我が国の対応の遅れが目立つ結果になってしまった。

 我が国の海運界は危機的状況にある。そのコンテナ運搬専用船が超大型化し、我が国国内港湾が大型船に対応できないことにある。さらにコンテナサービス業務において他国より割高であり、その他のサービス業務も劣っている。その結果は最悪、国際基幹航路から外されてしまう怖れがある。

国際貿易港建設(国際戦略港湾)

 双葉の地では、これまで眼前に広がる太平洋を眺めることはあっても、これを活用しようとした試みは話題にもなったこともない。これまで港湾に関する意識は湾奥の波静かな入り江こそが最適な地として港湾建設が行われてきた。しかし、世の移り変わりは速い、社会のニーズも変遷する。ここに急遽、外洋に面した地域に国際港建設を必要とする条件が揃ったとしても不思議ではない。

 太平洋に面した双葉地方の対岸は北米大陸だ。「向こう三軒両隣」と考えれば、北からカナダ、アメリカ、メキシコとなり、それはお向かいさんでもある。その北米大陸各地からシェールガスが大量にやってくる。勿論専用のタンカーで運ばれてくるのだから、そのルートを考えてみよう。

 地球は球形であることを再認識欲しい。双葉地方の対岸はサンフランシスコ付近になるが、まっ直ぐ直線で結んだらどうなるか、もっとも遠距離になってしまう。これが球形の不思議さで、最短距離を大圏コースという。

 シェールガス田はアメリカ南部に多いので、日本向け積み出しはメキシコ湾沿岸になるだろう。そうすると、パナマ運河経由、あるいは北米大陸西岸の何処からでも我が国との最短距離を計算すると、アメリカ西岸に沿って北上し、アラスカ半島先端とダッチハーバーとの間の海峡を抜けベーリング海に入り、アッツ島西端を回って再び太平洋に出て、金華山沖向け針路を取って南下、本州沿岸と並航するのは双葉沖からとなる。これが北米大陸との最短距離である大圏コースとなる。

 極論すればアメリカ西岸と双葉地方はまさに短距離で結ばれた隣国になる。

 5月2日、岸田外務大臣はパナマ国を訪問、ヌニェース外相、マルティネリ大統領と相次いで会談した。現役の外務大臣がパナマを公式訪問したのは初めて、では緊急な外交問題が起きたのか。それはメキシコ湾から日本向けシェールガスを輸送する場合、当然パナマ運河を経由しなければならない。

 パナマ運河はパナマ政府が管理権を有しており、観光と並んで同国の最大の外貨収入源(12年度のパナマ運河の歳入は約24億ドル)になっている。

 通過の許可は同国が握ることになり、パナマックスの船級を所有する必要があり、また危険物搭載船は通航を拒否できるし、通航料を極端に高額にすることができる。

 従って日本政府としてはパナマ運河の通過を打診し、且つ通航料金をできるだけ低く抑えたいといという要望があり、緊急に外務大臣の初訪問となった。情報によれば、通航料は段階的に大幅アップするらしい。日米首脳会談で、シェールガスの日本向け輸出許可を、オバマ大統領に直接要請する方向で調整に入った。

 パナマ運河は、2014年、開通から百周年の節目を迎えた。これに併せて同運河の大改修工事中で、拡張工事が行われ、船幅最大31mより大幅に広げられ、さらに大型船舶が通航できるようになり、年間1万3,000隻程度である現在の通航船舶の数が、大幅アップになるのを望めるから、そうなると船幅31mの制約もなくなり超大型船の通航が可能になる。

 余計な話になるが、第二次大戦中我が国は世界最大の戦艦大和(排水満載7万2,809トン)(主砲46cm、9門)を所有していたが、アメリカ海軍の最大の戦艦はミズリー号(排水満載5万3,000トン)(主砲40.6cm、9門)であった。もし、太平洋上で両艦が戦ったとしたら主砲の大きさが雌雄を決めることになる。これは建造能力がなかったからではない。その原因はパナマ運河通過船舶の最大幅が31mと制限されていたためだったのだ。(通過ゲート=ドックの幅が33mしかなかった)

 そうすると日本向け大型LNG専用船は10万トン超える可能性もあり、大量輸送も可能になれば、当然輸送費の単価も軽減できる。政府は、シェールガス獲得に動き出したみるべきで、火力発電へのシフトは本腰で始まったと思われる。

 パナマ運河に関する朗報は、16年中に拡張工事を終え、大型LNG船が通航可能となる。北米産シェールガス輸入を目論むエネルギー各社は「輸入日数の低減は、輸入コストの低減であり、ガス料金引き下げに繋がるとの見方がある。

 もう一つ朗報が続いた。スエズ運河の拡張工事が終了し、15年8月6日、エジプト政府はスエズ運河の中央部にあるイスマエリア市で盛大な竣工式を開催した。

 今回の拡張工事で全長193kmのうち72kmが双方航行可能になった。これにより一日に通航可能船舶隻数が現状の49隻から97隻に倍増する見込み。所用時間も現行18時間から11時間に短縮される。

 私の現役時代、通航船舶が多すぎて順番待ちで3日も待たされたことがある難所だった。

 更にもう一つ朗報がある。地球温暖化の影響で、北極海の氷が縮小していることは事実だ。そのために、北極海を通り抜け太平洋へ最短で結ぶ夢のような航路が現実となりつつある。

 北極海とはヨーロッパ大陸北縁、北米大陸北縁、グリーンランドに囲まれた海だから、この海を通れば、ヨーロッパとアジア、あるいはアジアと北米の東岸が、パナマ運河、スエズ運河経由ではなく、北極海航路で繋がることになる。

 我が国から見れば北極海航路を通って、ヨーロッパ北端のスカンジナビア半島に達することが出来るし、北西航路では北米大陸東岸(大西洋側)に達し、五大湖とは最短距離で繋がることになる。どの位有利になるかというと、横浜港から南回りスエズ運河経由で、ヨーロッパ大の貿易港ロッテルダムまでの距離は2万890km、同じく北極海航路を経由すると、1万3,700km、日数にするとスエズ運河経由約40日、北極海経由約30日、燃料と日数の節約は大きい。しかもソマリア沖の海賊の危険性はない。全てが良となるが、北極海に面したロシア東端のチュコト半島と西部のノバヤゼムリャ島の間のロシア排他的経済水域(EEZ)を横断した船舶が急に減りだした。これはウクライナ情勢を巡り、ロシアと西側諸国が対立、昨年は外国船が利用したのは9隻のみ、同航路を利用したのは大半がロシア船のみだった。また利用船舶が減った原因はロシア政府が適用する独自のルールとして砕氷船の先導を義務付け料金を徴収していることへの反発だ。これに対し国連の専門機関・国際海事機関(IMO)は、十分な安全性を備えた船舶のみ北極海航路を航過できることを認める国際ルールを採択し、17年から施行されることになった。そうなれば利用船舶は激増するはずだ。

 ロシアが世界の強国の一つでいられるのは、豊かな鉱物資源の宝庫で、その資源輸出で稼ぐ財源がロシア経済を大きく支えている。シベリア中央の北極海に突き出たヤマル半島の地下には、巨大なガス田が存在する。北極海航路が開設できれば本格的な開発が行われ、プーチン大統領は直接我が国に売り込みたいらしい。

 ルーブル安、ウクライナ問題で政治的にも経済的にも窮地にあるプーチン大統領としても大きな収入源である北極海航路の確保、シベリアの北限には大きなガス田と油田があり、その開発は政権維持にとっても大きな支えになる。その顧客になるのが我が国となる。しかもアメリカのシェーガガスの生産拡大、原油の輸出価格の暴落と生産過剰気味、そうするとロシア資源の売り込みも手狭になる。そのような関係でプーチン大統領の我が国へのアプローチも頷ける。

 しかし天然ガスにはもう一つ大きな問題がある。それはそのままでは船積み出来ず、温度を下げ液化しなければならない。この原理は、天然ガスの主成分はメタンで、水、硫黄化合物、二酸化炭素等の不純物を除去した後、超低温で冷却して液化したものが「液化天然ガス」(LNG)(Liquefaction Natural Gas)この液化されたものは元の体積の約600分の1になる。

 メタンの沸点はマイナス161℃であり、そのため液化天然ガス工場の設計は、国際的に活躍している日本のプラントメーカー「日揮」が受注した。

 既に北極海航路は動き出し、超大型のLNGタンカーがベーリング海経由でやって来ることになり、更にヨーロッパから北極海航路経由で超大型コンテナ船がやって来る。

 さらに太平洋大圏コース経由で大量のシェールガスがやってくる。もう一つ重要な航路が開設される。それは北極海東航路で、セントローレンス川で繋がっている五大湖航路からデービス海峡、バッフィン湾経由の東航路はパナマ運河経由の半分くらいの距離で北米東海岸とわが国を結ぶ重要な航路になる。

 まず、距離が最短で、北極海航路を航過出来る船舶は、流氷その他氷に強い船体でなければならず、LNGタンカーやコンテナ船は重装備なので、消費燃料、船速その他で不利となり、コンテナを何処かの港で通常の船舶に積み替える必要があり、そのため、最短距離にある双葉地方にコンテナハブ港とLNG基地建設は国益として絶対必要になる最適地なのだ。

 これまでの知識や常識を打ち破り、新しい世界情勢を睨んだ対策が必要だ。

コンテナハブポート建設

 かつては世界一の海運国、造船王国であったわが国が没落し、二流国になって久しい、まさに失われた20年どころか、凋落が始まってもう40年になる。多くの外航船員が活躍していたが、統べて消えた。日の丸を掲げて世界の海を航行していた外航船舶は統べてパナマかリベリアの船籍になり、あるいは全く判らないような国旗を掲げて航行している。造船も世界一は韓国になってしまった。

 更に屈辱的な出来事は、世界一のコンテナ船を配船しているマークスラインが巨大コンテナ船の日本寄港を断ってきたことにある。何故なら超巨大船であるコンテナ船が入港できる港湾施設がないことが原因だ。アジアで寄港できるのは、韓国の釜山港とシンガポール港、新設なった新上海港等に限られる。そのためわが国のコンテナ輸出は釜山港に運び、そこから積み替え、どうにか輸出しているが、これが貿易立国を標榜するわが国の実情だから情けなくなる。

(横浜港)

 世界最大の貿易港であった横浜も神戸もローカル港に転落した。それにはそれなりの原因がある。船はどんどん大型化する、それに対応して港を改良、改善していかなければならないが、それを怠ってきたツケがここに来て表れた。

(青海埠頭) (大井ふ頭)

 どう変わったのか、現在世界最大のコンテナ船はマークスライン(本社デンマーク・コペンハーゲン、世界最大の海運コングロマリット)所有の「マークス・トリプルE」(1万9,224TEU)(TEUとは海上輸送用20フィートコンテナ一個の単位で最大積載個数を表す)だが、これだけ超大型になると、最大喫水が16mになり、日本の港では干潮時着底してしまう怖れがある。これでは寄港を断るのも無理はない。

 さらに超大型のコンテナ船が就航する予定だ。商船三井が発注した超大型コンテナ船はコンテナ積載量2万100TEU、船の長さ400m、最大船幅58.8m、満載喫水線16mになる。

 商船三井が発注した世界最大のコンテナ船の引き渡しは2017年の予定、欧州航路に就航する予定。川崎汽船や日本郵船も超大型コンテナ船建造を検討しているから,海運日本もやっと息を吹き返したかの兆しはある。

 世界一の造船王国だったが、円高不況で世界一の王座を韓国に奪われ、中国にも抜かれて世界三位に甘んじていたが、円安の影響で受注が増えてきた。そこで今治造船所は丸亀に約400億円を投資して大型ドックを新造する。造船界もやっと春が来た。円安の影響は徐々に浸透してきたといえる。

 次の段階は、国内に超大型化したコンテナ船に対応できる港湾を建設することにある。太平洋の大圏コース、北極海東西航路が合流する双葉沖が最適地であることは間違いのない事実だ。そこで思い切った提案をする。

 福島第一原発と第二原発の間は約10km、その間の海岸線は約25m〜30m位の海岸段丘が続く、第一原発に近いため汚染で無人地帯、避難指令解除の予定はない。

 この海岸段丘を切り崩し、海岸線を埋め立て、コンテナヤードと岸壁を建設する。外洋に建設するのであるから岸壁の水深は計画的に建設でき、平均水面で20mの水深にすればいかなる超巨大船でも接岸できることになる。

 コンテナヤードの敷地も理想的な広さに出来るし、常磐線をスマートシティと廃炉支援基地である大川原地区を直結する新コースとして、旧富岡駅を通過する鉄路をコンテナ貨物列車専用の引き込み線として活用する。コンテナ貨物の後背地がないではないかと指摘されるかも知れないが、目的は「ハブ」にある。ハブポートとはコンテナ貨物を中継する港湾機能を確立することにある。即ち北米向け、北極海経由での欧州向けの超巨大コンテナ船は一カ所でコンテナを集配できれば経済的なメリットは大きくなる。

 特にこれから重要性を増す北極海東西航路に関し解説する。北極海は米国、ロシア、カナダなど五カ国に囲まれている。北極圏二領土を持つ国々を合わせた八カ国で北極の問題を協議する「北極評議会」を1996年に発足させた。一部の国々だけで独占するのを懸念し日本、中国、韓国などがオブザーバーとして参加することを申請、2013年に認められた。

 北極海を経由して欧州との航路が確立すれば、その航行距離はスエズ運河経由と比べて約四割減となり我が国海運にとって極めて有利に働くことになる。

 だが、北極海航路の弱点は、タイタニック号が衝突したような巨大な流氷はないが、小型の流氷は存在する。よって、この航路を航行する船舶は流氷対策として船体を重装備にする必要がある。そうするとやや船速が落ち、燃料消費が多くなる。従って北極海航行後できる限り早く、他の船舶に積み替える必要がある。その為には最短距離にある双葉の地にコンテナハブポート建設の意義がある。

 これらを勘案すれば、巨大なハブポート建設は国家的な使命をもつプジェクトとして建設すべきだ。

 事実、北九州市は港湾計画のマスタープランとして「北九州港響灘環黄海圏ハブポート構想」を策定し、西日本や環黄海圏地域から北米向けや欧州向けのコンテナ貨物を中継する港湾機能の確立にある。

 地理的に見ても大陸に近く、成長著しい極東地域との中継基地、そして世界をネットワークとするハブポート構想、輸出入貨物はコンテナ物流が主流となったいま、船舶は大型化し、大量輸送を旨とする船はできる限り寄港数を制約し、物流コストを抑えようとする。その結果は、コンテナ貨物を基幹とする港に集約し、そこから改めて他の港へ配送、集積することになる。こうしたフィダーサービス(供給網)によって国内は勿論近隣諸国の貨物を集約、本航路との結節点をなす港湾がハブポートだ。

 「ハブ」とは、車輪の車軸をいう。自転車の車輪に例えるならば車軸から伸びるスポークが各港へ展開する航路となる。北九州響灘港湾が環黄海圏とするならば、わが双葉ハブポートは東日本を対象とし、環東南アジア圏としてのハブポートを目指す。

 現在世界一のコンテナ取扱量を誇る新上海やシンガポールよりも取り扱いに関し有利な条件が揃うことになる。

 岸壁の長さを10kmとすれば、1バースが最大で500mから300m位とし20数バースを建設できる。その岸壁には陸上施設として最新最大のヤード用ガントリークレーンとトランスファークレーンを設置、コンテナ船の最大船幅60mに対応できるブーム・アウトリーチが可能な最新鋭クレーンを設置する。かくしてわが国最大規模のコンテナハブポートが誕生する。

人工島建設

 外洋に面して港湾を建設するのであるから、当然外防波堤が必要で、その建設には巨額の経費が必要なのは充分承知している。だが建設する必要性を国が納得させれば良い。ハブポート建設の必要性は緊急課題だ。更にもう一つ緊急課題があれば政府は積極的にプロジェクトを推進することになる。

 それは政府としてどうしても必要な施設をこの人工島に建設しなければならない事情があれば、巨額な経費でも建設に踏み切るだろうと期待する。

 それは中間貯蔵施設を建設しても30年間貯蔵という制約があり、次の段階として長期貯蔵施設の建設予定地を決めておかなければならないが、日本国内で引き受ける候補地は皆無であることは明らかであるから、政府直轄として人工島建設を推進してはどうか。人工島の利用価値は大きく、これから述べる近未来を切り拓く尖端技術開発の集約地として活用したい。

 岸壁が10kmとなれば外防波堤である沖合に建設する人工島は長さ十数kmにする必要がある。すなわち第一原発、第二原発は沖合に建設される人工島によって大津波の恐怖から解放されることになる。

 このような大工事が技術的にも可能なのか。現在南海大地震が想定され、東日本を襲った大津波を教訓として、地震と津波の相乗作用で従来の防潮堤が如何に脆かったか、その結果、集落や市街地まで津波が押し寄せ大被害となってしまったが、やはり根本的な構造に問題があり、改良の余地があることが判明した。

 そこで立ち上がった会社があり、従来の方法である土構造やコンクリート構造を排し、地底と一体化する「インプラント構造」による鋼矢板二重締め切り工法などによる建造物はいかなる大地震、大津波でも耐えられる機能を維持していることが、度重なるシュミーレーション実験で実証された。

 インプラントとは、歯科医が失われた歯根に代えて顎骨に埋め込む人工歯根を言うが、同じ意味で鋼矢板を大地に直接打ち込んで固定する工法で、これからの土木工事の主流になると思われ、今後さらなる改良が期待される工法だ。

 従来からの防波堤が脆くも崩れ、崩壊したが、インプラント構造の施設はびくともしない強靱さを示した。耐津波性能の高さを科学的にも検証することが出来たと共に、地震と津波による構造物の被災メカニズムを分析することによって、これまでの常識を超えた新素材を用いた合理的で高度なインプラント構造が開発され、さらに改良された高度なインプラント構造が「ふたばニューポート」建設に活用されることになる。

 鋼矢板圧入工法に対応したサイレントパイラという機械が開発されており、大型くい打ち機のような巨大ハンマーで打ち込む方式とは全く異なり、文字と通りサイレント(無音)で、連続の微震動を発生させながら打ち込める優れものだ。しかも従来は普通鋼矢板400mmだったが、新たに開発された「広幅型鋼矢板600mm」の打ち込みが可能になり、これまでの工法であった400mmの矢板の枚数を2/3に抑え、さらに鋼重当たりの断面性能が高いので壁面性能が高く壁面積当たりの鋼重を最大30%程度減らすことが出来得るし、工期も短縮、工費削減も可能だ。

 これから更に進化した機材、工法が開発され、深さも鋼矢板の長さ25mを溶接しながら継ぎ足していくのだから外海の深さがあっても打ち込めるし、海底の地盤深く打ち込めるので、外洋での巨大な人工島建設も決して夢物語ではない。

 事実、このインプラント構造による防波堤造りが計画されており、予想される南海トラフによる大地震、大津波対策のインフラをこのインプラント構造によって沖合に構築しようと立案中だ。

二重円筒型ケーソンの開発

 ただし、人工島の外側、すなわち外洋に面した側面には巨大なケーソンの設置が必要となる。ケーソンとは防波堤などの水中構造物として使用され、あるいは地下構造物を構築する場合に用いられるコンクリート製または鋼製の大型の箱のことである。箱といっても、例えば明石海峡大橋の主塔基礎とした鋼製ケーソンは高さ65m、直径80mの巨大なもので、潮流の激しい明石海峡で、大橋の海底基礎をガッチリと固定している。

 防波堤として活用する場合もまた巨大なケーソンが開発されており、外洋の条件に適した、あるいは目的に適合したケーソンが選ばれることになる。

 実例として、兵庫県芝山港の外防波堤として採用された「二重円筒ケーソン」を紹介したい。「水深があり、波浪も高い」という厳しい環境に適合し、限られたエリアを有効に活用することができることが評価され「技術開発賞」を受賞した。

 構造は円筒形の本体とその外側を円筒で囲む二重円筒が基本で、外側の円筒にはスリット(隙間。窓)がある。そのメリットとして、

1. 円筒形のケーソンは波を曲面で受けることで波の受ける面積が増し、波の力も複雑になり、結果はケーソンが受ける波力は低減されることになる。

2. 波は二重円筒の外側の円筒に当たるが、一部がスリットから内部に侵入、内円筒にぶっつかるが、反対側のスリットから抜けることになる。三段階のクッションを経ることで消波機能が生ずる。

3. 波の力と潮位差により、ケーソンに設けられたスリットを通して、海水は出入りが可能になり、波力を低減するとともに周辺水質の悪化しない海水交換機能がある。

4. 二重円筒ケーソンは複数のケーソンを並べて構成するが、単体であるから海域地形によってその並べ方を曲線状にすることもできる。

 芝山港は日本海側に位置し、山陰海域の避難港として中型船三千トンクラスの船舶が避難できる港湾として建設されている。

 条件として水深30m、最大波高17.5mという条件のもと、採用されたのが運輸省港湾技術研究所(当時)は開発した二重円筒ケーソンである。

 芝山港で採用された二重円筒ケーソン構造は直径29.4m、高さ26.4m、重量7,100トン。「函」から「筒」への発想転換が画期的なケーソンを生んだ。

 更に巨大化した二重円筒ケーソンが開発されており、二重円筒形のメリットは函型に比し波の力を分散して受け止める効果があり、さらに二重構造にすると外側の円筒に窓を設けると消波の効果があがる。

 このケーソンをインプラントの外側に設置し波消し装置として活用、かつテトラポット、沈船を活用すれば堅固な人工島建設は可能だ。

 勿論、素人の提言であるから、さらに適合した工法があると思う。我が国土木界が総力を挙げて挑戦すれば技術的には克服できる工事だと考える。

 人工島を建設するとすれば大量の鋼矢板が必要になるが、後に述べる工業化の一つに電炉建設を提唱するが、大型船舶のスクラップ問題が世界的な問題として提起され、処理に困っている。そこでこれらの中古船舶をスクラップ、東日本大震災で出た廃材、首都圏の老朽化したビルや東京オリンピックに併せて急造した高速道路が付け替え時であるから膨大な廃材が出る。

 それらの廃材の中の鋼材を集め、電炉で熔解して必要な鋼矢板、H鋼等を製造し、一周三十数kmにも及ぶ周囲の外壁になる鋼矢板を生産すれば地産地消の典型的企業になる。

 さらに岸壁、コンテナヤード、防波堤その他、膨大なコンクリート建設となるが、その原材料である砂を只見川のダムに堆積した山砂、洪水で川に堆積した砂を活用してはどうか、そうすれば只見地方の復興、JR只見線の全線開通にも役立つことになる。通常ダムは黒部ダムのように山間僻地にあるが、只見川ダムはJR只見線に沿ってある。直接貨車に積み込めるという利点がある。双葉の現場まで貨車輸送すれば大量の砂を運搬できるのではないか。各種建設に膨大な砂が必要なはずだ。しかも塩分を含まない純粋の山砂だ。一石二鳥の妙案と思うがどうだろうか。

 そして中間貯蔵庫施設建設では4,000万トンの排出土砂が出る見込み、この量は都内の全地下鉄の工事で排出した土砂に匹敵する量で、これを人工島に埋め立てる。リニア新幹線建設は品川〜名古屋間深々度のトンネルで結ぶ方式だと発表したが、その工事は未だ地上部分だけで、これからトンネル部分にはいる

 品川〜名古屋間ルートの最終決定はされていないが、全線の長さは286kmと概算する。全線の九割弱は地下と山中のトンネルの予定であり、その建設工事では約5000万トン以上の土砂が排出されると試算されているが、この土砂の始末はJR東海によると未定らしい。ならば人工島建設に活用できる。

 東京湾、駿河湾、三河湾等まで貨車輸送、それからバージ、プッシャーや専用船に積み替えて、双葉沖まで海上輸送すれるとなれば外洋を航行できる船舶でなければならないが、押し船方式では世界一の技術が開発されており、この船舶を運送手段としたい

 造船技術者である山口琢磨氏が開発した「押船船団連結装置」で、運輸界のノーベル賞とも言うべき「エルマー・A/スペリー賞」受賞され、この分野での造船技術は世界をリードしている。 従って大量の土砂を満載して外洋を双葉沖まで航行することは可能であり、さらに船底が開閉式になっており、現場では船底が開いて一瞬にして土砂を放出するので効率よく運用できる。

 船舶での輸送は初めてではない。その前例は、終戦まもない頃、東京が未だ下水処理が完全ではなかった時代、屎尿処理が汲み取りで桶での汲み取り、やがてバキュームカーに替わった程度で、その後の処理は東京湾に捨てたが、苦情が多くあり、その後、都庁衛生局所属で「千代田丸」(推定約3千トン)という優雅な船名の屎尿運搬船が就航し、浦賀水道の外海に捨てていたが、沿岸住民や魚業関係者から猛烈な苦情があって、黒潮の流域の外側で処理するようになり八丈島付近海域まで航行し処理した。

 昭和39年、東京オリンピックの頃、晴海埠頭に係留しているのを見たことがあるから、昭和40年代初期の頃まで活躍していたのではないか。

 埋め立ては満杯状態になり、次の夢の島構想は船舶を利用して人工島に埋め立てる構想はどうか、首都圏一円が合弁事業として運搬船を管理し、圏内で排出する建築廃材、工事で出る土砂、ゴミその他廃棄物をこの人工島へ搬入、島内に建設された処理施設で分類した後、再利用可能物、鋼材、砂やセメント、その他細かに分類した後、焼却処分。埋め立て、再生処理施設等へ分類できる。そうすれば車や鉄道車両等の大型廃材、素材も処理できるし、あとで都市鉱山として解説するが、廃棄家電製品等の処理も一括して島内の施設で「ゴミこそ資源」を前提にして処理できることになる。

 第一原発と第二原発の約10kmの沿岸沖合を海上保安庁水路部情報で調べたが、沿岸から2km以内であれば水深が15m前後、10km沖合で30m前後となる。

 前面の海の海底地形は複雑な地形であるが、海底勾配が全体として沖合450m付近まで1/60の急勾配、それより沖合は1/130の緩やかな勾配になっている。

 海底の基層である泥岩の上に、深いところでは2〜3mの砂層が堆積し、水深が深くなると砂層の堆積は薄くなる傾向にあった。

 海谷や複雑な地形はなく、沖合に向かってなだらかな傾斜となっているから、インプラント工法であれば、充分建設可能となる。

原材量砂、調達の知恵

 コンテナハブポート建設、人口島建設には膨大な資材を必要とする。特にコンクリート打ちには欠かせない砂の調達方法として、平成11年7月に起きた新潟・福島豪雨で大洪水が起き、只見川がはん濫し只見川流域の地区が大被害を蒙った。その時のはん濫でJR只見線は多くの鉄橋が流され、線路の路肩が崩れたり、線路が土砂で埋まったり流されたりと、ずだずだの状態になり大きな被害を蒙った。

 そのためJR只見線の会津川口駅までは開通したが、その先只見駅との間は不通のままでバス連絡をしている。JR東日本の見解では復旧工事には約85億円かかる見込みなので本来赤字路線なので復旧には消極的だ。

 只見線は会津若松駅と上越線小出駅を結びローカル線だが、その区間は豪雪地帯で住民にとっては重要な交通手段であるとともに、観光路線としても有名である。2008年には日本経済新聞が特集した「紅葉が美しい鉄道路線」のランキングで全国一位に選ばれた。

 中国版ツイッター、微博(ウエイボー)に只見線沿線の雪景色の写真を掲載したところ「福島の只見線は世界で最もロマンチックな鉄道」と絶賛され、「私はもうその美しさに泣いてしまった」などのユーザーからの書き込みが続いた。

 世界最高の観光鉄道、ロマンチックトレーンが走るJR只見線、観光立国日本の目玉になり得る。

 日本初のクルーズトレーン「ななつ星in九州」は「新たな人生に巡り逢う、旅をお楽しみ下さい」をキャッチフレーズで売り出した観光列車が大ヒット、まさにアイデアの勝利、観光バスにはない全く新しい究極の観光旅行を編み出した。

 今年の外国からの観光客は二千万人に迫る勢いで増え、観光立国も夢ではないところまで進んできた。今後さらに確実に増え続けると思われ、その目的も爆買いよりも純粋な観光目的だけの旅行に変わってくると思われる。

 特に南の国からの観光客にとって雪景色の中のクルージングは魅力のある旅と思う。網走発の流氷見学の観光船ガリンコ号は連日満員であり、札幌の雪まつり等、我が国独特の観光資源は盛り沢山であり、雪や氷のない南国からの観光客が殺到している。

 JR東日本は2017年より関東、東北、青函トンネル、北海道において豪華観光列車の運行を開始する。雪の只見線、五能線、山田線、八戸線、その他、JR東日本は豊富な観光資源に満ち溢れている。その他の季節でもブナ林、森林資源、只見地区は国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の生物圏保存地域(エコパーク)に選らばれた。

 世界一の観光ラインである只見線を外すわけにはいかない。そのためにもJR只見線の復旧を急がねばならない。

 そこで提案だが、只見川流域やダムに堆積した土砂を排除しなければならないが、これらの土砂には多くの山砂を含んでおり、これらの砂をコンテナハブポートや人口島建設の原材料として使用できないか。

 砂は良質な山砂で、塩分を含まない原材料としては良質な砂になると思う。さらに運び出すにしても只見川沿いにJR只見線が通っており、貨車に直接積み込めるというメリットがある。それを貨物列車で双葉まで運んではどうか。他の水力発電所は黒部ダムに代表されるような深山幽谷に存在するが、只見川総合開発では資材運搬用に仮設した鉄路が工事完了後JRに払い下げられローカル線として活躍してきた。したがって堆積している土砂を直接貨車に積み込めるという利点がある。が、素人の愚考だろうか。

 福島県の東端と西端に位置する電源地帯が災害にあった。その結果過疎化が進み、このまま打ち捨てられてしまうのか、両端の回復は地域住民ばかりが望んでいるわけではない。

 福島県民としても望んでおり。県としても大きな躍進に繋がるものと思考する。

 観光資源が満ち溢れている福島県は、首都圏にも近い、これから更に増えるだろう外国人観光客を呼び寄せるような魅力ある県にしたい。

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第49章 人工島の活用

 人工島最大の利用価値は再生可能エネルギーによる発電にある。

 再生可能エネルギーとは、太陽光、風力、波力、潮力、流水、潮汐、地熱、バイオマス等自然の力で定常的に補充され、繰り返しエネルギー需要形態全般をいう。

 人工島における海洋エネルギー再生可能な発電としては、波力発電、潮力発電、海洋温度差発電、塩分濃度差発電、海流発電が考えられるが、その可能性はどうか。

 島の外周は大津波をも寄せ付けない頑丈な城壁とし、20m位の大津波に対処できる大防波堤とする。その上には巨大な風力発電の塔を建設、長さ十数キロとして効率良く稼働させるには何基くらいが妥当なのか判らないが、最大限建立したい。

 風力発電は各所にありお馴染みなので説明は省く、その他の発電方法を探りたい。

 人工島の外周の前面にあるのは完全な外洋だから、波高は相当に高いと想われる。ならばその上下運動のエネルギーを利用した発電がある。これが波力発電で、面積当たりのエネルギーは太陽光の20〜30倍、風力の5〜10倍に相当する。有望なエネルギー源だ。しかも太陽光は曇りや夜間は駄目、風力も風が吹かなければ役に立たない。これに対し、外洋では波がないことはありえない。まして双葉沖では常に風浪がる。波力による発電方式には主に二種類あり、振動水柱形空気タービン方式とジャイロ方式がある。その他各種発電方式が考案されているが、採算点からはこの二方式だ。

 空気タービン方式は、没水部の一部が開放された空気室を水中に設置、ここから入射した波で空気室内の水面が上下に運動し、上部の空気タービンの往復空気流で回転して発電する方式。

 経産省所管の「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」の主導で2015年1月から実証実験が始まった「空気タービン式」と呼ばれる波力発電装置で、海面の上下運動で起きる空気の流れを利用して、ダクトに似た本体に風を送り込み、先が細くすぼまった筒で速度を速め、風車でタービンを回して発電する方式、実用化も近い。

 ジャイロ方式は、波の上下運動をジャイロにより回転運動に変化して発電する方式。波力発電、可動物体型と呼ばれ海面の上下運動(波力)をピストン運動、若しくは回転運動に変えてタービンを回して発電する。

 二重円筒ケーソンが外洋に面して設置されるが、直径約30mであるから、外面約十数kmに及ぶ長大さであるから400基以上の二重円筒ケーソンを設置することになる。この二重円筒であることを着目して波の上下運動を利用して空気タービン式の発電装置を設置すればものすごい発電量になることは確かだ。

 潮汐発電は、潮の満干を利用してその流れによって発電する方式。一日で二回の満干があるが、流れは反対になる。島の内外を繋ぐ大きめの導管を設置し、港内の海水の交換と共に潮汐流のエネルギーで発電を行う。

 海洋温度差発電は、海洋表層の水温と深海約1,000mの海水をくみ上げ、その温度差からエネルギーを取り出し発電する方式。低温で沸騰する液体を入れた管を、ポンプで汲み上げた暖かい海水で加熱し、蒸気を作ってタービンを回し、蒸気は深層水を汲み上げ冷やして液体に戻して再利用する。

 この方式で佐賀大学の研究チームは実用化に成功した。この方式が有望なのは単に発電するだけではなく、深海から海水を汲み上げる方式なので、人工的な湧昇流として栄養に富んだ海洋深層水を利用して冷たい海水を好むサーモンやロブスターの養殖も可能になるし、スピルリナ(健康食品サプリメント)のような微細藻類も栽培できる。

 沖縄の久米島では二年前、世界初の海洋温度差発電の実証施設が(出力50kW)が稼働している。

 この発電方式に関心を示した南洋の島々から多くの見学者が訪れ、島に必要な電気と清水が得られ、かつエビや海ブドウの養殖が可能となれば島には貴重な施設となる。

 これこそが人工島ならではの産業が生まれることになる。更に深海の冷水を汲み上げるのであるから冷房、冷温貯蔵庫、冷温栽培等多様な途が開かれる。更にもう一つ加えれば、ハイブリッドサイクル・プラントは凝縮器を使用して脱塩された水を作ることが出来る。凝縮器は、オープンシステムで費やされた蒸気と冷たい海水との間接的な接触で水が凝縮できる。このため電気と水が不足する島々から佐賀大学には多数の見学者が訪れ、実験を熱い視線で見守っている。

 塩分濃度差発電は、塩水と淡水間に生ずる混合エントロピー変化を電力に変換する発電方式だが、未だ実験段階であるが可能性はある。海水と淡水の浸透圧差で発電する方法があるが、浸透膜の開発が先でわが国技術陣は先端にある。

 これから更に自然再生エネルギー源開発は多様化し、未来科学の研究拠点を島内に設けたい。

 もう一つ沖縄科学技術大学新竹積博士が開発した小型プロペラを人工島10キロ以上に及ぶ防波堤先端に何百基もの装置を取り付け、打ち寄せる波で回転させることによって発電させる。大型プロペラは海流によって回転させる。実用化は近い。

 世界に眼を転ずると再生可能エネルギーの未来として、波力・潮力のパワーによる発電の研究・開発事業に取り組み、未来の自然エネルギーはこれだとの認識は高い。特に欧州は盛んで、EUとスコットランド政府の出資で12年前に設立されたのが「欧州海洋エネルギーセンター(EMEC)」で、海洋の実証実験サイトとして実用化に向け研究・開発に取り組んでいる。太陽光や風力に比べ、波力・潮力はこれからの技術開発となるが無限のエネルギーを秘めていることは事実で、如何に技術が開発できるかにある。

 既にスコットランでは、電力の占める再生可能エネルギーの割合は50%あり、50年後には100%にする計画を立てている。英国全体では19%に達している。EU全体では2030年までにその比率を27%にする目標がある。

 四面海に囲まれ、かつ島々が点在する我が国こそ海洋エネルギーの宝庫になり得る。人口島に「海洋エネルギー開発・研究センター」を設立し積極的に取り組むべきだ。長崎県でも海洋開発計画が進み、スコットランド政府と連携しようと計画を進めている。

 これこそが国家事業として本格的に取り組むべきではないか。海洋国家の未来は明るい。

近未来の発電施設(風力発電)

 地表から空に向かって伸びる巨大な葉巻、あるいはアスパラガスのような物体が群生するような異様な光景が、近未来の風力発電になるかもしれない。

 それはスペインのVortex Bladeless社が提唱する新風力発電機で、風が作り出す渦を利用した発電方法であるから、低コスト、無音、そしてプレートがないから野鳥が衝突することもないし、低周波の騒音もない。

 また風力発電はプロペラの回転により発電するにはギヤやボルトその他が必要で、従って維持管理のメンテナンスが必要だが、この渦回転の風力発電にはすべてが不要となる。

 発電の原理は、「渦度」と呼ばれる渦の回転から生ずる空気力学的効果がある、この渦は大きな建築物には大きな障害となり、風が強ければ渦度によって建物に振動が生じ、建物に悪影響が生ずることになる。この例としてタコマナローズ橋の事故がある。1940年、アメリカ・ワシントン州のピュージェット湾口の海峡タコマナローズに架かる吊り橋が、風により大きく揺れ、その現象を撮影しようと、映画用のカメラがスタンバイしていたところ、風速が19m/秒に達すると大きく揺れ、上下方向の揺れが、大きくねじれる揺れに変わり、やがて崩壊した。この揺れは約一時間に及び、その事象はすべて撮影され、映画劇場で公開された。

 原因調査の結果、この振動は横風によって桁の上下に発生した空気の渦が桁を上下に振動させ、さらに大きな渦が発生して振幅を増大させる自励振動(発散振動)と呼ばれる振動が起きたとみられる。だが現在でも明確な事故原因は判っていない。

 ただし、風によって引き起こされる渦度と呼ばれる渦の回転から生ずる空気力学的効果は大いに利用価値ありと考えられ、それらを勘案されて創作されたもので、この風力発電方法は風車による発電よりもより効果的と考えられ、人工島建設される頃は、実用化されると考えられ、島内敷地に巨大な葉巻状の棒が林立する光景が見られるかもしれない。

 事故は風による振動が増幅してついには橋を崩壊するような大きな力となったわけだが、その振動を増幅することによって電気を起こそうとする発想による。風力発電は風の運動エネルギーを風車(風力タービン)により回転力に変換し、歯車(増速機)で増速した後、発電機により電気エネルギーに変換する発電方式。

 これに対して、このシステムは振動を楕円力に換えるのが原理で、いわば行ったり来たりの振動であるから交流の発電に適している。風車型発電との違いはギヤ、ベアリング等を使用するが、この方式では無用だ。

 通常の構造物であれば、振動する周波数は決まっているが、このVortexは風が強くなれば内蔵する磁石の磁力も強まって減衰作用が働き、自身の振動数を自動的に調整する機能を持っているので、幅広い風速に対応して最大限の発電ができる。

 このVortexは風車に比べると製造コスト53%、運用コスト51%、メンテナンスコスト80%削減でき、カーボン・フットプリントも40%下げることができると試算された。

バイオマス発電

 2015年3月19日、富岡町で仮設焼却炉の火入れ式が行われた。現在、福島県内では災害廃棄物や汚染廃棄物等を処理するための焼却炉が次々と建設され、その数は地元調整中の物を含め119カ所に及ぶ。富岡町焼却炉の処理能力は500トン/日、50万都市の焼却施設に匹敵する能力を持つとのこと。

 富岡町仏浜、毛萱地区に建設され、周囲には汚染物資の入ったフレコンバックが山積みされているが、富岡町だけでも廃棄物総量は30万トンと想定され、そのうち22.5万トンの可燃物は焼却処分にする。焼却灰は放射線濃度10万ベクレル/kgを超えものは、中間貯蔵施設へ、以下は埋め立て処分にするのかは未定という。

 福島県内の汚染廃棄物、地震、大津波の被害による廃棄物、さらには東北地方、関東地方を含めた各地にある膨大な廃棄物を一つ箇所に集めて処分する方法の一つとして人口島を提唱したが、焼却処分、埋め立て処分ばかりではなくバイオマス発電という処理方法もあるのではないか。焼却処分であれば当然二酸化炭素が排出され、公害問題を惹起することになる。

 汚染という不可抗力の問題で焼却、あるいは埋め立て以外に処理方法がないが、元来、落葉、糞尿とは肥料として、里山から得られる薪炭がエネルギーとして活用してきた。

 2002年、循環型社会を目指す長期戦略「バイオマス・ニッポン総合戦略」が閣議決定され、農水産業からの畜産廃棄物、木材や藁、工芸作物等の有機物からのエネルギーや生分解性プラスチック等の生産、食品産業から発生する廃棄物、副産物の活用を進める構想があったが、厳しい状況にあってなかなか進展はなかった。特に林地残材の大半は放置されたままになってしまった。

 富岡町および周辺には多くの廃棄物が存在し、その処理に苦悩しているが、その解決方法として焼却施設が建設されたわけだが、もう一歩前進してバイオマス発電という処理方法はできないだろうか。バイオマスの原材料としては主に乾燥系、湿潤系、その他として黒液、廃材があるが、双葉郡下では乾燥系が大量に排出され、これらの処理が主眼である。

 乾燥系とは林地残材、建築廃材、農業残渣があるが大半は林地残材と建築廃材で、それらの処理にバイオマス理論を応用できないか。

 これからは大熊町、双葉町に中間貯蔵施設が建設されるが、両町の建物の大半は取り壊しになる。当然ながら大量の建築廃材がでることになり、さらに敷地内の森林も伐採されるから、巨木から雑木林まで大量の林地残材が出ることになる。従ってこれら膨大な廃材、残材を効率よく処理するシステムを作る必要がある。

 さらには放置されている膨大な水田や耕作地は雑草に覆われているが、これら放置された農地を利用しケナフのような成長の早い草を植え付けたらどうか。成長が早い分二酸化炭素の吸収も活発になる。

 先進七カ国首脳会議(G7サミット、ドイツ)で、極めて高い目標が示された。世界全体の二酸化炭素などの排出量を、2050年までに10年比で最大70%削減するとの内容を発表した。目標を達成するためには、水素エネルギー等の革新的技術を開発し、脱炭素社会を世界的な構築する必要がある。そのためには双葉地方が率先して脱炭素社会を構築する先駆けとなり得る。

 豊富な電力、海上風力発電を用いて海水からの水素エネルギー生産は可能であり、そのエネルギーを用いての工業化の可能性、二酸化炭素吸収が活発な森林地帯、ケナフのような成長の早い草木の植え付け、これらを利用したバイオマス発電という処理方法の確立、脱二酸化炭素の発信地としたい。

 この自然再生エネルギーによる発電方式を人工島関連で数多く設置し、その豊富な電力を用いて、燃やしても二酸化炭素を排出しない水素エネルギーの生産ができる。

 安倍総理は、11月30日、パリで開催されている国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP2=気候変動パリ会議)の首脳演説で、気候変動対策と経済成長を両立させるために水素エネルギーの活用化や次世代蓄電池などの「革新的技術」の開発を強化する方針を表明した。我が国の持つ高い技術力で、地球温暖化対策に貢献する姿勢を鮮明に打ち出した。

人工島は二酸化炭素削減基地

 人工島は再生可能エネルギーの宝庫であり、それらによる発電能力は絶大である。ならばその消費に関して考える必要がある。

 これに関し、2015年11月30日からパリで開催されている国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21=気候変動パリ会議)の首脳会議で、安倍首相が演説した骨子から引用する。

 日本が太陽光発電や燃料電池自動車などの技術革新に取り組んできた実績を強調し、「経済成長しながら、CO2の排出削減を実現するには、革新的技術の開発が不可欠だ」と主張した。

 太陽光発電など再生可能エネルギーの課題として、天候に左右されることや、貯蔵困難な点などを挙げ、「水素エネルギー(の活用)はこれらを同時に解決できる可能性を秘めた技術だ」として、開発支援の重点とする考えを表明した。

 具体的には再生可能エネルギーで発電した電気を使って水素を生産、貯蔵し、輸送技術を進化させCO2排出削減を図るとともに、クリーンエネルギーを「世界中に安定供給できるようにしたい」と訴えた。

 政府が開発支援している次世代蓄電池についても、「電気自動車の走行距離を現在の5倍にする」と触れ、能力強化の実現に取り組んでいくことを表明した。

 首相は、革新的技術に関する政府の開発支援策について、政府の「エネルギー・環境イノベーション戦略」に盛り込むことになった。

 途上国の地球温暖化対策に、2020年までに官民で年間約1.3兆円の資金援助を行う、と表明した。

 第21回締約国会議、2015年11月30日から12月11日まで、フランス・パリで気候変動枠組条約(COP21)、京都議定書第11回(CMP11)が開催された。

 今回の会議は、京都議定書に続く、2020年以降の新しい温暖化対策の枠組みが、すべての国合意のもとにどのようにつくられていくかがポイントになる。

 各国の削減目標(国連気候変動枠組条約事務局に提出された約束草案)13年度の二酸化炭素の排出量に基準にして、2030年の数値目標。

 我が国は26%削減(2013年比)

 世界各国の削減目標として、高率の順位、ロシア・70から75%(1990年比)。

 中国・60.5%(2005年比)。EU・40%(1990年比)。インド・33.35%(2005年比)。

 アメリカ・26.28%(2005年比)

 我が国は2030年度に2013年比で温室効果ガスを26%削減する約束草案を提出した。中でも私達の暮らしに関係する家庭部門CO2については約40%削減目標を掲げた。

 環境省はこの国際的な削減目標を盾に石炭火力建設を阻止することになるが、残された途は、現行の効率の悪い石炭火力を廃止し、最新式石炭火力への切り替え、天然ガス火力の排出量程度に抑えられた高効率の石炭火力発電装置の開発に期待したい。

 アメリカは石炭火力発電から全面撤退、天然ガスに切り替える方針を明らかにした。これはアメリカ国内でシェールガスが大量に生産出来る見込みとなり、その結果、シェールガスの価格が安価になったことに由来する。

 だが、現在の日本列島は石炭火力発電所の新増設ブームに沸く。東日本大震災後の電力不足が引き金となり、電力自由化に向け、新たな会社を設立、または設立計画中の会社が多い、ほかの燃料に比べて価格が安く安定している石炭を使う発電事業が計画されている。

 削減目標とエネルギーミックスによると、30年度の石炭火力による発電量は、約2,810億キロ/ワット時、環境省の試算では二酸化炭素(CO2)排出量は、2.3億トン。一方。13年度の電力会社10社の石炭火力発電所の発電量は、約2,850億キロ/ワット時あり、排出量は年2.7トンであった。

 ところが現時点で、大小併せて全国34か所で石炭火力発電所の新設が計画されており、環境省によると、これらがすべて建設された場合、CO2の排出は30年時点で13年の排出量をやや上回る年2.74億トンとなり、目標を4,400万トン上回ることになってしまう。

 我が国では、温室効果ガスの総排出量の9割を占めるのが化石燃料の使用に伴うCO2排出量、このうち約4割が火力発電など電力部門から出ている。

 二酸化炭素排出量の削減には主燃料を替えなければ目標達成は難しいのではないか。

 機関の発明にあって、その主役は石炭であった。続いて内燃機関の開発、その主役は石油に替わった。さらに原子力になったが、最初が悪魔の兵器として登場し、その後も原子力潜水艦、原子力空母等、軍事力が主役だったため、平和的利用は遅れて原子力発電が開発されたが事故を起こしてしまい主役にはならないまま衰退するのではないか。

 では次の主役として注目されるのが水素ガスとなる。その利点として水素は無限に存在する。次世代エネルギーの主役は水素ガスになる。歴史上、最初の産業革命はイギリスでの蒸気機炭素を排出しないで、ただ水に戻るだけ。これ以上理想のエネルギー源はない。

水素とは

 中・高の理科で水素は最も多く学んだ元素番号一、元素記号はH。ただし一般的には「水素」と言っても、水素の単体である水素分子H2を指していることが多い

 水素は宇宙で最も多く存在し、地球表面の元素では酸素、珪素に次いで三番目に多い。漢字の「水素」の由来は「水の素」という意味の表現だが、そもそもヨーロッパで発見された水素は「水を生む」という性質に着目し、フランスでは「水を生むもの」という単語の頭文字がH、イギリスも同じくHの頭文字なので、元素記号がHになった。

 水素は、エネルギー変換効率が高く、燃焼後に二酸化炭素を排出しない理想の燃料である。だから次世代は水素ガスが主役になる可能性がある。再生可能エネルギーが急速に拡大して電力が余ってしまった場合、余剰電力を使って水から水素ガスを作って貯蔵しておくことは可能だ。その水素ガスで発電すれば再び電力に転換できる。「電力は貯められない」ということは昔話になる。水素ガスは貯蔵することも運搬することもできる。

 余剰電力で水を電気分解して水素ガスと酸素ガスを発生させることは可能だ。電力(Power)からガスを作るので、欧米では(Power to Gas)と呼び、電力を貯める新しい方法として研究に着手している。

 我が国でも具体的な取り組として、本年(15年)4月から東京湾岸にある川崎市の公共施設に太陽光と水素を組み合わせたエネルギー供給システムを導入する。太陽光で発電した電力を使って水を分解して、発生した水素をタンクに貯蔵して、各方面で再利用する計画だ。

 ならば水素ガス製造に最も適しているのは人工島になる。自然再生エネルギーによる豊富な発電量、海に囲まれた島である好条件であれば水素ガス製造には最適な地となる。

 一方バイオマスからも水素ガス製造は可能である。この技術開発は経産省の地球環境国際研究推進事業の一課題として行われており実用化は可能の段階にある。

 水素ガスは貯蔵、運搬が可能で、船で国内各地に配送できる。

 まずやるべきは国内の水素ガス対応の施設を充実させ、クリーンエネルギーに対応した社会を作ることにある。

 人工島には豊富な再生可能エネルギーによる発電がある。敷地もある。水素製造に必要な条件は全て揃っていることになる。クリーンエネルギーへのシフトができれば二酸化炭素の排出削減の大きな力になる。水素ガス革命は人工島からとしよう。

 続いてやるべきは中国の大気汚染撲滅にあり、呼吸も困難な中国の現状を打開するには石炭燃料からの脱却であり、クリーンエネルギーへのシフトにある。政治的には対立関係にあるかもしれないが、水素ガスを援助することによって、中国の大気汚染撲滅を諮りたい。そうすれば世界の二酸化炭素排出量削減におおいに役立つものであり、地球温暖化、気候変動阻止に役立つものと期待したい。

 できれば我が国南方洋上には赤道付近までミクロネシアの島々がある。今になってはあまり知られていないが、これらの島々は帝政ドイツの植民地だったが、第一次世界大戦で敗退し、我が国は日英同盟の関係で連合国側に立って戦争に参加して戦勝国となり、これらの島々の委託統治を当時の国際連盟から託され、1922年(大正11年)から我が国の委託統治領となり、南洋政庁をパラオ・コロール市に置き、南洋興発株式会社を設立し、島々の開拓、産業振興に活躍した。島内の現地人の子弟も日本と同じようなプログラムを基準として専門の教師を派遣して日本語で教育を行った。

 私は戦後、昭和30年代の後半頃に何度かパラオ、その他の島々を訪問したことがあるが、現地の人達が全員きれいな日本語を話すので驚いたことがある。

 そのような関係で日本に親しみを持っている多数の島民がいる。したがってこれからも善良な関係を保っていく必要からも、水素ガスの支援、海洋温度差発電建設等の援助を実施、よりよき絆を確かのものしておく必要がある。将来的にそれが必ず国益に繋がることになる。

 水素ガス革命は人工島から始めよう。

 ベンチャー企業としてミドリムシで空を飛ぶ「国産バイオ燃料計画」があり、製造プラント建設中で2020年に実現するという。

 バイオベンチャー企業のユーグレナが発表したもので、同社が開発を進めている藻類の微生物「ユーグレナ(和名・ミドリムシ)」を利用したバイオジェット燃料製造に向け、横浜市臨海部に製造実証プラントを建設すると発表した。バイオジェット燃料の2020年の実用化と将来的な量産化に向け、研究開発を加速させる。ユーグレナは太陽光による培養が可能で、バイオ燃料の元となるワックスエステルという油脂成分の高い生成能力を持つ。環境への負荷を抑えてバイオ燃料の原料を生成できる生物の一つとして注目されている。

 製造実証プラントの建設地の面積は9千平方m、完成は2017年、稼働は18年前半の予定。支援は千代田化工、伊藤忠、いすゞ自動車、全日本空輸等の一流企業が名を連ねているから相当有望なベンチャー企業だと推察する。ならばさらに大規模にして人工島を基盤として創業したならばどうであろうか。

 人工島には数限りない夢がある。有望なベンチャー企業を育成する人工島にしたい。

目指す海洋牧場

 人工島の地の利を活かした海洋牧場開発に挑戦したい。地球上にはエクマン輸送による湧昇流という自然現象がある。また、沿岸でも地形によって湧昇流が起きるところもある。この湧昇流あるところ豊富な漁場となる。これは深海である水深1,000m以深の領域では、主にマリンスノーなどで形成された表層から沈降してきた有機物が、バクテリアその他の働きで分解され、リンや窒素などの無機化合物として大量に蓄積されている。この層が白っぽく見えることからマリンスノーと呼ばれるようになった。

 一方、太陽光の届く200m位までの表層は、無機物は植物性プランクトンにより栄養塩として直ぐに使い果たしてしまい、常に枯渇状態にある。そこに湧昇流によって栄養塩豊富な深海水が上昇してくれば、即座に植物性プランクトンの爆発的な増殖が始まる。すると植物性プランクトンを餌にする動物性プランクトンが増殖することによって、それを餌にする小魚が増殖しそれを狙う魚と、食物連鎖によって一大漁場になる。

 その湧昇流を温度差発電と同時に共同事業として行うことが出来ないか。農場経営と同じく海洋牧場も経営として成り立つことになる。

 島の外側には波浪の被害を食い止める為、多数のテトラポットと沈船等で緩衝地帯を設けなくてはならないが、多数の大型船舶を沈め、これをインプラント工法で固定化し、周囲をテトラポットで固める。そうなると航行禁止の浮標が外側には配備されることになる。

 その浮標の錨鎖に光フィバー、電線を抱き合わせ海底に光を送る。その標識が光を発し、その電源は浮標の上下振動波動発電の原理を応用、フロートに空気室を造り水の上下で空気圧が上下運動を応用して発電し、係留索に電線と光フィバーを抱き合わせ、この電気で海中にランプを多数設置し照射すれば、相当広い光の届かない海底でも光合成ができて海藻類は繁殖できる。

 そうすると光が満足に届かない海底でも藻が生育し、海藻の大森林地帯を形成すれば立派な産卵場になり得る。さらに沈船や多数のテトラボットがあれば小魚の隠れ家となり、成魚に成長するまでの棲家となる。

 豊富なプランクトン発生こそが、海洋牧場の第一条件であり、湧昇流を人工的に発生させる創意工夫が必要とする。外洋に面した人工島こそが海洋牧場になる各種条件を備えていることになり、一大漁場に成長するのも夢ではない。

 石炭燃焼火力発電所があれば、石炭の燃焼後の石炭灰を利用してブロックを製造し、これを海底に順序良く敷き詰め、人工の海底山脈を造り湧昇流を誘発することも可能だ。

 その他、国の施設として造りたいものは数多くあるはず、例えばこれからは更に重要となる次代を背負う海洋開発で、その拠点港、研究施設を人工島に一部に建設しよう。海洋牧場のより発展の為の研究・管理施設を整備する。

 人工島に降る雨は全て貯水できるように施設を造り、火力発電で使用する淡水として利用し、海水で冷却して循環する。また外洋に面して立地した人工島の特性を生かし、海底から直接海水を汲み上げるのではなく、海底の砂の中に取水管を埋没設置する新技術で、海底の砂や礫層を通過してから取水する「海の緩速濾過システム」と呼ばれている。そうするとゴミ、海藻や不純物ばかりではなく、フジツボやイガイの卵等が濾過され、取水管を害する生物も駆除できる。

 新技術である浸透取水方式を用いて海水をUF膜濾過装置の中を通過させることによって淡水化する技術が開発されている。淡水の利用価値は大きい。

 すでにこの方式で福岡地区水道企業団、サウジアラビア淡水化事業団等で活動している。

 逆浸透膜生産では我が国が最先端の技術を有し、東レ、東洋紡、日東電工がある。

海洋開発拠点港

 次の世代は海底資源開発になるのは確かだが、それらの研究機関、海洋調査、海洋開発専用船舶の係留港、その他政府機関所属の船舶の母港等々の活用はいくらでもある。

 15年6月、海洋調査船「かいめい」(5,800トン)が下関造船所で進水し、来年春、海洋研究開発機構に引き渡された。

 この「かいめい」の進水式には、初めて一人での地方での公務に臨まれた、秋篠宮家の次女佳子様は、船から延びた綱を切る「支綱切断」を担われ、両手で握った銀の斧を振れ下ろされると、綱と結ばれたシャンパンボトルが割れ、「かいめい」は関門海峡へと進水した。

 水深3,000mまでの海底掘削が可能、水深一万m超えの海底からの物質の採取可能、レアアースの採取も可能となる。さらに期待されるのは海底地震発生前後の地殻の変化を立体的に映像化するシステムを搭載している。その他優れた調査機材を搭載しているので、次世代は確実に海洋資源開発が本格化するのであって、そのパイオニアとして活躍することになる。

 だとすれば新人工島に国内の関連海洋研究所、海洋調査船基地を集約すべきで、一大基地をこの島に造り、次世代は確実に海洋開発世代となる準備機関としたい。

 新情報によれば、資源エネルギー庁は2017年度に、深海の海底で見つかった亜鉛、銀等の鉱物の採掘試験を行う方針を決めた。

 水深約1,600m、1,000トン規模の資源回収を目指す。「石油・天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が開発した採鉱機と掘り出した鉱物を海上の作業船に引き上げる専用ポンプが開発され、深海の採掘が可能になった。

 日本近海には数多くの海底鉱床が眠っており、開発が可能になれば、本格的な探査、開発が行われ、我が国は「資源小国」から「資源大国」に変身するのも夢ではない。

 近未来の大規模な海底資源開発に備え、必要な研究機関や援助施設を一カ所に纏め、大規模な基地を建設すべきだ。

 15年7月20日、「海の記念日」に安部総理は海洋資源開発の開発強化に向け、海洋調査や掘削等の技術者を現在の2,000人から2030年までに1万人に増やす方針を表明した。ならば技術者養成機関も必要となる。

 東京都内のホテルで開かれた「海の日」特別行事の総合開会式で「未来の海パイオニア育成プロジェクト」と題し講演を行い、「日本の周辺にはメタンハイドレートを始め、多様な資源が眠っている。プロジェクトが輩出する人材が海洋資源開発をリードし、新たな海の恵みを手にすることを期待している」と述べた。

 我が国は領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせた面積が世界六番目の広さを有し、これから本格的な開発が始まる。資源大国になるのも夢ではない。21世紀後半、22世紀を見据えた我が国の展望を具現できる一大開発拠点を人工島に建設すべきだ。

電炉の建設

 人工島建設を提唱した。その為には島の一周、30数qを統べてインプラント構造で鋼矢板を打ち込んで人工島を建設する。また約10qに及ぶ長大な岸壁もインプラント構造で水深20mというに日本一の巨大港になる。その全ての構造を支えるのが鋼矢板とその他のH鋼となる。

 その必要鋼材を統べて生産できる電炉を建設し、地産地消で問題解決しようとする計画で、人工島近く、あるいは一部できあがった人工島に建設する。

 火力発電所が稼働すれば、地産地消、地元の電力料金割引を利用して、大電力を消費する電炉を稼働することは出来ないか。電炉とは、鉄スクラップを原料として鉄鋼を生産する鉄鋼メーカーで主に棒鋼(鉄筋)、形鋼、平鋼、鋼板等野一般的な製品としているのと、特殊鋼だけを生産する電気炉がある。高炉が鉄鉱石と原料炭を主原料として生産する方式と違い、電炉は不純物を 多く含んでいる鉄スクラップ類を主原料にするため、鉄鋼の加工性はやや劣る。

 但し高炉のような広大な敷地と設備を必要としないメリットがあり、未だ処理されていない膨大な津波被災のスクラップがある。また船舶のスクラップに関し、引き受けてくれる施設が少なくて、船舶運航会社は困り果てている。

 これは、世界的な問題で何処も引き受けるところがなく、インドのグジャラート州やバングラデシュのチッタゴンなどの砂浜に、満潮時に沖から全速で走行して砂浜に乗り上げ、付近住民が手作業で解体しスクラップにして業者に売るという原始的な方法で解体するので、燃料や鉄屑で海や砂浜は汚れ放題、高所での作業なので怪我や死人まで出ていた。

 この作業を電炉の近くで解体できれば経済的にもメリットがあるし、浮きドックとクレーンがあれば、モビルシャーと呼ばれる鋼材切断アタッチメントを付けた重機で、一挙に裁断してしまう。2004年頃、新造ラッシュで大量の船舶が就航したが、そろそろ解体の時期になり、解体引き受け手を探すのが大変になることが予想される。

 この船舶の解体にはシップリサイクル条約が新しく締結されており、この条約に基づく施設で行う必要がある。これは発展途上国での不法な解体を取り締まるためで、最近批准され施行されるようになり、解体が厳しく取り締まられるようになった。自動車、鉄道車両等のスクラップも有望で、リサイクルと電炉が一体となって活動できる施設を建設し、スクラップ・リサイクル一貫工場を建設したい。

 世界中の中古船舶、あるいは廃船予定の船舶が自力で航行するか、あるいはタグで曳航するかであるから、外洋に面して建設された電炉は有利で、しかも生産された鋼材は、即人工島建設で使用されるから、いかような型の鋼材も注文に応じて生産できる。

 また、単に電炉でスクラップを溶解するばかりではなく、船舶の内部には数多くの電子部品、暗車系統その他に貴金属が使用されている。

 同様に自動車の排ガス浄化触媒には白金、バラジウム、ロジウムといった複数の白金族金属が使われているが、白金族金属同士の分離精製は難しく、回収は最難関とされていたが、電解と溶媒抽出を組み合わせて回収に成功した。しかし、回収が可能になったが、全てを回収できる訳ではない、電炉と都市鉱山が併存することによって、鋼材と貴金属類を分離して作業できるようにすれば、より一層効率の良い作業が可能になる。国の肝いりで操業すればレアメタル王国になれる。そうすれば双葉の地は文字通り‘黄金郷’に生まれ変われる。

 我が国のものづくりは、世界最高水準にあることは確かだが、そのものづくりにはレアメタルがなくては成り立たない。例えば自動車の美しい曲面ボディーを造るには、高張力鋼板を使うが、その強さと加工をしやすくするには、鋼材に数百ppmほどという極少量のニオブというレアメタルを添加しなければならない。同じことは小型モーターのようなものにもレアメタルが必要で、残念ながらこれらは世界の需要の九〇%は中国産で、ネイジム、ジスブロシウム等絶対必要なレアメタルなのだが、日中対立の煽りで中国は日本には輸出しないと宣言した。

 従って、わが国は廃品から取り出す技術を開発した。都市鉱山の役は重要だ。沖の鳥島近海の泥の中に、レアメタルが多く含んでいることが発見されたと報道があった。

都市鉱山の知恵(ゴミこそ資源)

 平成25年4月1日、小型家電リサイクル法(正式名称:使用済み小型電子機器等の再資源化の促進に関する法律)が施行された。

 この法律の目的は、使用済みの小型家電(携帯電話、パソコン、デジカメ、ゲーム機、ファクス等)を自治体や認定業者が回収し、その中に含まれているベースメタル(鉄、銅、アルミ等)、 レアメタル(金、銀、リチウム、プラチナ等)を分離、リサイクルすることを目的とした法律。2001年4月1日、施行された家電リサイクル法(特定家庭用機器再商品化法)との違いは、この法の対象物(テレビ、エアコン、冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機・乾燥機)の四品目に限られており、小売業者が回収して、メーカーがリサイクルする流れになっていた。

 従って、その他の小型家電は回収の義務はなく、ゴミとして回収された小型家電は主に中国・汕頭に送り、人力で分別・回収・資源化と原始的な方法で行われていたが、環境破壊のため中国政府は輸入禁止の法を施行した。

 一般家庭から出たゴミとして、処理されてしまう小型家電製品の中に含まれている有用な資源であるレアメタルを鉱山に譬え、そこから資源を回収してそれを再生させ、有効活用しようとする資源リサイクルの一環であって、捨ててしまえば始末に困るタダノゴミ、有効活用の方策があれば「都市鉱山」に変身する。

 東北大学の南条教授が、1980年代に提唱したのが最初で、その後東北大を中心とした人工鉱床計画などの構想があった。

 かつて、手塚治氏の漫画「鉄腕アトム」の続編「アトム今昔物語」の中で、日本中のゴミを資源として、東京湾の中に理想的な大都市を創るという都市鉱山の劇的な構想があったが、現代では実現段階に至っている。

 独立行政法人物質・材料研究機構という組織があって、そこで計算された資料を拝借して述べると、我が国には世界有数の天然資源国の埋蔵量に匹敵する位の金属が存在し、まさに都市鉱山と呼ばれても不思議ではない。そこで環境省は小型家電リサイクル法を施行して、自治体が回収して認定した業者がリサイクルを行う。

 7月6日環境省によると全国75%の自治体が参加の意向を回答してきたと発表、他の自治体も国の補助があれば参加したい意向らしい。昨年の調査では参加の意向が30%程度であった。

 最も進んでいるのは秋田県で、もう何十年も前から県内各自治体には回収ボックスが設置されており、廃棄物は県内の大館市に運ばれ、ここでは小坂精錬所がリサイクル事業を行っている。戦前秋田県には秋田鉱山専門学校(秋田鉱専)があり、現在でも全国で唯一秋田大学鉱山学部として存在する。これは小坂精錬所があったからで、国として如何に重視していたかが判る。小坂精錬所の前身は明治時代に創業された、地元鉱山から採掘した「黒鉱」から、金や銀、銅等を生産してきた企業で、1994年廃業したが、長年の製錬技術を生かしてリサイクル都市鉱山に活路を見出して見事な転身を遂げた。

 小坂精錬所には連日大量のパソコン、携帯電話、その他の家電製品が次々と運び込まれ、基板を粉砕し、炉で溶解し、電解精製を経て、純度の高いレアメタルや、金、銀に生まれ変わっており、その技術は健在だ。

 現在では年間10万トンを処理される原料のうち6割をリサイクル原料とし、金6トン、銀500トンのほか、インジュウム、ガリウム等のレアメタルを産出している。国内にただ一つ残る金山の菱山鉱山(鹿児島県)の年間生産高は約7トンだから、金鉱山と同じ位の金が使用済み電子機器の廃棄物から生まれることになる。

 北九州市に日本磁力選鉱株式会社の本社がある。この会社の事業の中に自社が開発したスラグのリサイクルを行っており、その中で小型家電を細かに裁断し、鉄、銅、アルミ、プリント基板、プラスチック等に自動的に仕分けし、人力を全く介入させない全自動化のシステムを開発していることによって、採算がとれるシステムだと公表、西日本各地に工場がある。

 双葉地方は首都圏にも近い、使用済みの家電製品の回収も容易であれば地の利はある。

 ただ未だ回収の意識が低く、回収に苦労しているらしいが、要は意識改革で、回収し易い方策を執る必要があり、しかも関東地方には回収・処理工場は未だ少ない.

 だからこそ人工島に大ゴミ処理工場を建設し、その一部に都市鉱山を設置し、分別された廃品として処理できるシステムを創ろう。

 液晶画面用の電極に使われるインジュウムは、世界の現有埋蔵量の約61%(1,700トン)、金約16%(6,800トン)、銀約22%(6万トン)、錫、約11%、タンタル、約10%、その他。推定世界埋蔵量の約一割超の金属が放置されているらしい、だからこそ都市鉱山として有効活用できれば、レアメタルの宝庫になる。単純明快な答えは、廃棄パソコン一万台分で金メッキ端子から金50gが回収される。勿論その他のレアメタルも回収できる。

 家電の電子基板類を処理すれば、金、銀、銅のほか、スズ、ニッケル、アンチモン、セレン等、20種類以上のレアメタルの回収が可能とのこと、実業としてDOWAホールディングスという会社が行っている。最も回転率、回収率が良さそうなのが携帯電話で、販売店が個人情報秘匿のため、裁断して回収しているが、その後は都市鉱山の最大の鉱脈、鉱石になり得る。

 またサイクルは早く、すぐさま新商品に飛びつくから、回転も早い。

 この携帯電話を更に紐解くと、一年間国内販売総数4千万台強、同じ数だけ廃棄されるわけだが、実際には家庭内に残っているものも多いらしい。これはメールや個人情報が入っており、写真があるので捨てるのが惜しくなるらしい。

 個人情報漏洩が不安ならば回収ボックにハンドルで作動する万力穴開け機設置を義務付けるとか、創意工夫があってしかるべきだと思う。自然にある金を含んだ鉱石中には一トンで約数cから数十gが含有している。ところが廃棄携帯電話からは同じ量に含まれるレアメタルは10倍以上の数百gaという効率で回収できる。まさに都市鉱山といえる所以だ。

 その他の家電製品も家電販売店が回収しているのだから、行政機関が積極的に参加し回収、回収ボックスの設置、その他、回収方法は創意工夫で幾らでもあるはずだ。また、回収品を受け入れてくれる大きな施設があれば、回収にも拍車がかかり、行政も助かる、都市の美観にも役立つ、全てが「利」となるリサイクルだ。

 レアアースの抽出方法の触媒に鮭の白子が有効だとの朗報があった。レアアース(希土類)を効率よく分離、回収する方法とし特殊の樹脂を用いて行っていたが、手間と費用がかかり過ぎたが、鮭の白子を使うと簡単に分離・抽出できる方法を考案したと広島大学教授が発表した。

 請戸川、木戸川を始め、多くの鮭が帰ってくる双葉地方こそ、レアアースの産地になりうることになる。その都市鉱山を、「双葉鉱山」として建設し、働ける場所を創って欲しい。

 各市町村が回収した家電類を、トラック輸送、復旧なった常磐線で関東地方から定期的に貨物専用車を走らせ集積することができないか。

 2013年6月14日付、新聞報道によると、国連が発表として、小型家電で廃棄された品E-Waste(電気、電子機器廃棄物)の約七割は最終的に中国に持ち込まれ、中国は今や世界最大の電子廃棄物の「ゴミ捨て場」となってしまったと報じた。

 アメリカ等先進国は中国やベトナム等にE-Wasteの輸出を禁じ、中国もまた持ち込むのを禁ずる法律がある。それでもなお、不法に持ち込まれるE-Wasteがあり、無認可の小さなヤミ工場で分類、金目の物だけが回収され、他は放棄してしまうので深刻な重金属汚染にさらされ、プラスチック燃焼後の有害な粉末が、大気、土壌、川などに拡散しており、大気汚染、土壌汚染、水質汚染、国民が健康的に生活できる最低限の必要事項を自らの手によって否定してしまった。もしE-Wasteのリサイクルの完全自動化が確立できれば、資材・資源は無限にあることになり、これからの社会ではゴミを宝に換えることができる企業が優良企業として脚光を浴びることになる。

 世界最大の総合リサイクル会社はアメリカにあるシムズ社で、家電リサイクルの年間処理量は50万トンを超える。メタルスクラップ量は1,600万トンと躍進している。我が国では三井物産がシムズ社の筆頭株主で、二名の取締役を送り込んでいる。勿論国内でも、リサイクル業をこれからの有望な業界として三井物産メタルズを立ち上げ、リサイクル法に基づく業務展開は順調に業績を伸ばしている。どうにも利用価値のないスクラップの残りは、人工島埋立てに利用すればよい。

 環境省によると、1年間で使用済みになる小型家電は65万トン、含まれる有用な金属で、844億円に上る。小型家電リサイクル法は、資源の再利用の義務はなく、「促進」が目標、このため住んでいる自治体によって取り組みの度合いが異なり、回収方法もさまざまになっている。このため環境省は「それぞれの自治体の事情があるが、資源を有効に使うため、ゴミの出し方を改めて確認して欲しい」と呼び掛けた。

 それには回収した廃棄物を処理する確かな施設があってこそ、各自治体は回収に本腰を入れて取り組むことになる。

 ある地方都市では、リサイクル業者と宅配便業者が提携し、自治体がその周知を手伝うという協定を結び活動を開始した。三辺の合計が140センチ以内の段ボール箱に、総重量20キロ以内なら小型家電製品をいくつ入れてもよい。回収料金は、送料とリサイクル料込みで、一箱880円(税抜き)パソコンのデータ消去ソフトを無料提供し、処理完了まで荷物の追跡情報も追跡できるという。回収方法は地域にマッチした方法があると考える。

 さらに朗報がある。ヤマト宅配便が小型家電製品の回収に参入することを検討している。そうすれば他の宅配業者も参入することだろう。従ってそれらを受け入れる大がかりな都市鉱山を建設することが急務となる。

 国連大学がこのほど2014年における世界全体の電子ゴミの量は4,180万トンに達し史上最多を記録したと報告した。

 電子ゴミの発生量を国別に見た場合、米国、中国、日本の順であるが、一人当たりではノールウエー、スイス、アイスランドの順になる。

 続いて2014年に世界で回収・再利用された電子ゴミは650万トンにとどまり、全体の六分の一にすぎない。ゴミとして廃棄処分された電子ゴミに含まれていた貴金属を回収できたと仮定した場合、その価値は「約520億ドル(約6兆2千億円)」に達していると計算した。

 貴金属のうち金だけをみると約300トンもの金が含まれていたと推測される。この量は13年に世界で産出しされた金の約11%に該当する。

 さらに報告書によると、電子機器製品の販売量は増え、同時に製品としての「製品ライフサイクル」が短くなる傾向があり、18年には全世界で排出される電子ゴミは5,000万トンに達する見込み。ならば人工島に大電子ゴミ処理工場を造り、国内ばかりでなく世界中からコンテナで電子ゴミを運び込み処理できればまさに一大都市鉱山で、金銀財宝がザックザクの宝島になり得る。

 ところが、環境省によると、国内で年間約65万トン発生する小型廃家電には、約844億円に相当する約28万トンの金属が含まれているとされて、金、銀、プラチナなどの貴金属や、パラジウムなどのレアメタルも含まれる。

 15年度は1,000以上の市区町村が小型リサイクル制度に参加し活動しているが、回収率は目標に届いていない。14年度は5万2,000トンを目標としたが、約1,500トン少なく、再資源化された金属の価格は計18.9億円であったであった。

 この原因は、未だ制度が浸透していない。回収の方法に改善の余地がある。秋田県は国内一に回収であるが、これは県独自の回収方法を採用しているからで、県内の市役所・出張所、役場、郵便局等にまで回収ボックスが設置するなど、回収の工夫がなされている。

 また最近は、宅配業者が小型廃家電を回収するサービスを始めた。

 都市鉱山の工程に問題があるのではないか。廃家電は集積され、まずバッテリー類を外し、プラスチクや金属類を分別、それを一度粉砕し、別の工場に搬送し、細かに砕き金属などを抽出し、電子部品などに再利用する。これらの工程を一か所ですべてお行い、最終的な廃棄物を埋め立てに活用できる人工島ならではの都市鉱山の運用が可能だと推奨した。

 人工島に電炉と電子ゴミ工場を設置するメリットは、船舶、車両、自動車等を処理する電炉と、大型廃棄物に含まれた電子機器や貴金属を分離し、相互依存関係として処理できる。さらに処理できないし廃棄物、ゴミや焼却灰を埋め立てに利用できることにある。

 かつて電子ゴミはE-Wasteとして、中国やベトナムに持ち込まれていた。ならば港湾施設と都市鉱山施設が隣接している有利さを生かし、諸外国から廃小型家電製品を船舶で運ぶことは出来ないか。

 さらに人口島内に着陸だけが可能な滑走路を設け、旅客機その他、寿命が来た各種航空機を受け入れ、廃機、解体を行う。ハイテクの塊のような航空機であるから、価値ある素材の塊でもある。国内ばかりを対象とするのではなく、広く近隣諸国からも受け入れることができる。またジェットエンジンを取り外し再生活用も可能だし、ジェットエンジンを母体とした強力な発電機としても活用できる

 現在、これら廃棄航空機の受け入れはアメリカが殆どで、我が国航空会社所属の旅客機の大半もアメリカで廃棄・処分している。

 アメリカ国内の土漠地帯に滑走路を設け、廃棄処分にしているが、土漠地帯なるが故に廃棄処分後の有効活用はあまり出来てはいないようだ。

 この構想の最大の利点は電炉と都市鉱山と埋め立ての三点が同一の場所にあり相互に補完しあい、かつ船舶で大量運搬が可能なことにある。人工島に巨大な廃棄物処理施設ができればゴミの有効活用の一大拠点になり、世界の模範になり得る。

 かつ、国外からのE-Wasteの持ち込みも可能になる。

 さらにもう一つ、海岸に漂着するゴミがある。これは世界的な大問題で、ドイツ・エルマウで昨年開かれた先進七ヵ国首脳会議(G7サミット)では、海洋ゴミの問題について、国際社会で連携して対策に取り組むことが、首脳宣言に初めて盛り込まれた。世界のどんな問題がおきているのか。

 海洋ゴミはプラスチックを中心とした多くのごみは、国内では日本海側の海岸及び東シナ海に面した海岸に多く見られ、太平洋側は比較的少ない。これは海流が関係している。全国的な統計はないが、推定で年間数十万トンのゴミとされている。

 日本海側のゴミの多くは韓国・中国・東南アジアの国々と推定される。また我が国東日本大震災の大津波で多大な被害を受けたが、流されたものは海流に乗ってアメリカ大陸西海岸に大量のゴミとなって漂着した。

 今年5月の伊勢志摩サミットでも取り上げられるかもしれない切羽詰まった大問題である。国際社会が海や川への不法投棄を防止することにあるが、住民にすれば不法投棄の意識はなく、ゴミの分別処理など我が国独自の制度であって、不法投棄は通常に行われており、理解されることはない。

 ゴミは海岸の景観を悪くするだけではなく、海洋生物に悪影響がある。不法投棄厳禁を周知することが肝要だが、達成することは困難だ。回収した漂流物の処理が必要であり、その中のプラスチク製品の処理施設が必要となるのではないか。

洋上浮体式風力発電が登場

 通産省は再生可能エネルギーの固定買取り制度で、洋上風力発電の買取り価格を新設すると発表した。政府の実証試験のデータを集めてコストを計算し、早ければ来年度の価格改定時にも新価格を設ける。

 現在は陸上、洋上共に風力発電買取り価格を23.1円としており、洋上風力発電の方がコスト割高になってしまい、企業の参加を促すためにも優遇する必要がある。

 風力発電は太陽光に比べ稼働率が高い。更に陸上よりも洋上の方が強い風が安定して吹くほか、大規模な風車を設置しやすく、住民とのトラブルもない。

 ただ難点は設置コストが割高な点で、これも政府の強い後押しと、研究・開発によって克服できる問題だから、浮体式洋上風力発電方式は有望な発電方式と期待できる。

 日本風力発電協会によると、洋上風力の国内導入量は2012年末で2万5,300kW、2013年末には導入量はほぼ倍増し4万9,600kWに達する見込みである。

 自然エネルギーこそ、我が国発電の主力になると表明した元総理もいたが、今までに普及しなかった。理由は簡単、平均風速6.7m/秒以上の所でなければ、威力を発揮できない。

 この水準をクリア出来るのは、北海道、青森県、秋田県、鹿児島県だけであり、他の都府県ではクリア出来ない。これは風が平均的に吹く必要があり、季節風や低気圧が接近した時だけ吹く風では対象にならない。

 ところが近年、洋上での浮体式風力発電構想が持ち上がり、2012年初頭、経産省は、いわき沖に世界最大級の洋上風力発電所を設置すると表明した。

 洋上風力発電は、付近住民に及ぼす低周波や騒音の被害がない利点があるし、立地的な制約も少なく、かつ電力需要地であるいわき工業地区に近い利点がある。沖合の水深は600mまで、平均風速7m/秒以上の基準とすれば、相当に広い範囲が適用範囲となる。陸上でありながら洋上と同じ条件になる人工島における風力発電は有望だ。

 風力発電の世界シェアは欧米勢の圧勝で、デンマークのヴェスタスとアメリカのGEウインドーとがトップ争い、我が国のトップメーカーである三菱重工が12位と下位にある。

 資料は古いが2010年末の統計によると、世界の風力発電総容量は1945.4ギガワットあり、太陽光発電の約六倍であった。再生可能新エネルギーとしては有望とみられているが、我が国の導入率は非常に低く、これは地上では風にムラがあり、出力が不安定、地域住民の反対も多いが、もしこのプロジェクトが軌道に乗れば、名実共に世界一の風力発電王国になる。

 福島県は「再生可能エネルギー推進ビジョン」を策定し、2040年までに県内のエネルギー需要の100%以上に相当する量のエネルギーを再生可能エネルギーで、生み出そうと計画している。その実現に向けた試みが浮体式洋上風力発電による。

 政府も洋上風力発電方式を、再生可能エネルギーの一翼を担うものとして後押しを決めた。コンピュータシミュレーションによれば、日本の洋上風力発電の利用可能な発電量は16億kwもの可能性を秘めていると計算された。この数値は現在全国10電力会社が所有する総電力設備容量が、合計2億397万kWだから約8倍弱と計算された。

 現在の計画では、三菱重工は世界最大規模の出力7メガワットの風力発電機建設のため、中心となる新技術を組み込んだ風力発電機の試運転を2.4メガワットで始めており、2014年にはいわき沖で出力7メガワットの風力発電機を建設するとしている。

 また、日立製作所、三井造船所も参加しており、「浮体式洋上風力発電」の実証研究で使われる風車が、2013年6月25日、千葉県市原市三井造船所で報道陣に公開され、世界初の実用化を目指すプロジェクトで使われる風車で、10月には発電を開始する。

動き出した「ふくしま未来」

 最大の朗報がある。三井造船所が制作した高さ32mの鉄鋼製の浮体の上に、日立製作所が手掛けた直径80mの風車を載せた設備で「ふくしま未来」と命名、いわき沖約20km、水深約120mの海上に船のように浮かべ、浮体と海底を鉄の鎖で繋いで設置し、実証・実験を開始する計画だ。

 この計画は、遅くとも2050年までには福島再興計画の一つとして完成させる予定。経産省が中心となり国家プロジェクトとして遂行、東大、丸紅、三菱商事、三菱重工、IHIマリンユナイテット、三井造船、古河電気、清水建設、みずほ情報総研の十一社からなるコンソーシアムで行うという。

 2013年10月4日、双葉沖第二原発沖の約20kmの海上に、直径80mの風車が現れた。海面から一番高くなる羽根の先まで106m、土台になるのは、船のように浮く柱状の浮体で、経産省の委託を受けた丸紅を中心としたグループが建造した。設置が完成すれば試運転開始、今は一基だが、2年後には三基の風車が活動を開始する予定で、世界初の海に浮かぶ風力発電所が完成する。風車の名は「ふくしま未来」、出力は三基で2メガワット、一万世帯超えの電力を賄える計算になる。被災地双葉に訪れた最初の光明がこれだ。

 双葉沖は、二つの海流がぶつかり合うため波やうねりが強く、かつ台風の通過も予想され、最も厳しい自然条件だが、それに堪える風力発電装置を開発した。

 風車が乗る土台は、中が空洞になった四本の柱が浮力を生み出す構造で、波を受ける面積を極力減らして揺れを最小限にしたという。なるほど船のような揺れ方はしないとその着想に敬服、しかも50年に一度の台風にも耐えられるとしている。

 来年以降に設置が予定されている二号の風車は、直径167mという世界最大級になる予定で、三号基は未発表だが更に大型になるのだろう。メーカーは三菱重工が手掛ける。「ふくしま未来」は、世界最大の大型風車ばかりではなく、世界初の変電所(日立製作所製)を海に浮かべたことにある。送電中のロスが少ない高電圧で陸地まで送電できる。

 発電設備から洋上変電設備までは22kVイザーケーブル、洋上変電所から66kVライザーケーブルで沿岸付近まで曳き、66kV海底ケーブルにジョイントして広野火力発電所に送電する。ケーブルのメーカー、古河電工の新開発だ。更に有利な点は、変電設備と風車の間をケーブルで繋ぐだけだから、風車を増設することは可能になる。

 柱となる浮体は三井造船が建造、浮体となる揺れを防ぐ土台はジャパンマリンユナイテットが開発した。柱状の構造物を組み合わせて半分程度が海面に潜るようにしたセミサブ方式と呼ぶ構造、セミサブ方式は柱の数によって三コラム型と四コラムがあり、実証実験を繰り返し、実用にこぎ着けた。

 海底に繋ぎ止める鎖は、断面が13.2pの特殊鋼材で作られ、最大1,070トンの負荷に耐えられる。濱中製鎖工業(姫路市)製で国内最大の鎖になる。

 ちなみに戦艦大和の主錨のレプリカだが、重量15トン錨が呉市役所前の通りに展示されているが、錨鎖の直径9p(呉市・大和ミュージアム調べ)。戦艦陸奥は瀬戸内海で沈んでいたため戦後引き揚げ、詳細が明らかとなり錨鎖直径は7.8pだった。鎖止めは、海底に確りと固定する索止台を構築する。

 ともかく福島県浜通りは我が国最大の電力生産地となる。

電力特区で生み出せ新事業

 富岡地区に東京電力の大火力発電所、浪江・小高地区に東北電力の大火力発電所が稼働し始めたとしよう。この火力発電所があれば膨大な熱源があり、その余熱を温室ハウス栽培の熱源、あるいは熱帯地方の果物を温室栽培で可能になる。

 第三章の植物工場で述べたように、豊富な熱源の使い道は色々あるが、排出される二酸化炭素も植物栽培には欠かせないし、さらに海藻類の繁殖にも役立つことになる。

 平成25年8月1日、朝日新聞朝刊の記事に朗報があった。

 光合成に必要な二酸化炭素を採り入れる葉っぱ表面の「気孔」を研究、これを開け閉めさせる「PATROL」という遺伝子を発見したと九州大研究チームが発表した。この遺伝子を活用したら、気孔を限界まで開いて二酸化炭素を採り入れるようになり、通常の三割増しで成長したという。「この遺伝子は多くの植物が持っており、いろいろな作物や樹木の増産に応用出来そうだ」と九大の教授が談話として公表した。そうすると二酸化炭素(火力発電)を植物工場に導入、汚染による荒廃した田畑の活用として、食用ではなく、バイオ燃料としてのトウモロコシ、サトウキビを大きく育て、再生可能なエネルギー生産と結びつかないか。ともかく従来の手法での再生、再興はありえない、新しい分野で双葉地方を再興するには、知恵を出し、パイオニアの心意気を持ちたい。

 津波の被害で再生不能な荒れ地と化してしまった双葉の海岸線の適地に企業を誘致したい。ともかく帰還後に働けるところが欲しい。

 生産工場だと人件費の安価な海外へのシフトしか考えていないから、海外シフトが出来ない、国内だから操業できる企業を誘致、あるいは創業する企業を考えてみよう。

 勿論その他の企業でも双葉の地にやってくる企業があれば大歓迎だ。

 更に再利用として火力発電の余熱を有効利用しての屋内栽培に関し、熱帯植物の栽培、熱帯観葉植物、香辛料の樹木、種実樹木、その他、熱帯、亜熱帯性植物の生育に余熱を利用し、さらに温水での淡水魚の養殖も可能だ。また、石炭燃焼の火力発電所であれば石炭灰で製造したブロックで海底に湧昇流を引き起こすブロックの山脈を造れば、小魚の棲家にもなり、海藻の繁殖の手助けにもなり、ウニやナマコの繁殖地にもなる。

 全てプラス思考でいこう、未来を開くカギがそこにある。

タンカー清掃

 さらに火力発電所から出る蒸気を使ってタンカーのスラッジ清掃を行う事はできないか。元タンカー乗りの提案としてお願いしたい。タンカーのスラッジとは初耳の方が大半だと想うが、当事者にとって大変頭の痛い問題で何とか解決したいと願っている。

 スラッジとは汚泥のことだが、タンカーのスラッジとは原油を積載すると、油田から汲み出した原油をそのままパイプラインを通じてタンカーに積み込むから,原油に含まれた諸々を全て積み込んでしまう。そうすると原油に含まれているワックス、アスファルテンなどの炭化水素系の物質とそれ以外の海水などの水分、微生物などの分解生成物及び砂、土、砂利や石ころ等々で構成されるが、これらがタンカー船槽内に堆積される。何度か原油の積載を繰り返すと船槽の底に膨大なスラッジが蓄積されることになり、原油の積み込み量に影響が出る。

 従って定期的にスラッジ清掃が必要になるが、これが難作業で船槽内にはガスが充満しており、充分排出してから作業に取りかかるのだが時にはガス中毒で死者が出ることもある。

 先進国ではなかなか引き受ける会社がなく、原則発展途上国で行ってきたが、原始的な方法なので能率が悪く、運航予定に支障が出ることになる。このタンカーのスラッジ清掃を火力発電所から出る豊富な蒸気を利用して清掃作業を行い、融解したスラッジを強力なポンプで汲み上げ、陸上のタンクに貯蔵し、油層分とスラッジ、水分を分離するという新しい作業を人工島で行ってはどうか。人工島内側に巨大タンカーを係留するシーバスを設置し、蒸気のパイプラインを繋ぎ、効率の良い作業ができる施設とする。

 スラッジの回収装置は各種あり、遠心分離法、電解式分離法等があるが、それらを能率よく組み合わせ、火力発電所の副業としてタンカースラッジ清掃を請け負う会社を起業してみてはどうだろうか。人工島に大型タンクを設置し、蒸気で溶かして強力なポンプで吸い上げ、このタンクに貯蔵して分離する。分離した重油は再利用し、滓部分は人工島に埋め立てる。一カ所で全てが処理できる事になる。

 ともかく豊富な電力がある。すべての企業の原動力となる電力があれば各種の企業を誘致できる。知恵を絞ればさらに増えるだろう。被災地復活の原動力こそ豊富な電力がカギを握ることになる。

福島第一原発廃炉への途

 第一原発の廃炉に関し、当事者である東電及び監督責任がある国は、これからどうするかは綿密な計画と、展望は確立していることと思う。

 だが、避難中の皆さんや一般庶民にとってはさっぱり判らない雲の上の出来事、また知ったところでどうにもならん、が庶民感情だ。

 福島第一原発1〜6号機が稼働していたが、2011年3月の東日本大震災の被害で、1号機から3号機はメルトダウン、4号機は定検で停止中であり、5、6号機は検査のため稼働停止していたため津波の被害は受けず、正常に冷温停止した。無傷であった5、6号機も、平成25年9月、廃炉が決定した。

 現在事故処理の第二段階にあり、クレーンを使用しながら、燃料棒を取り出す作業を行っている。

 4号炉は最も被害が少なかったため、ここから作業を始め、4号機の使用済み核燃料プールから移送した使用済み燃料22体を輸送容器(キャスク)から取りだし、新たな保管場所の共用プール内に作業を終え、原発事故以降、初めての使用済み燃料取り出しは成功した。

 内部には使用済み燃料約400トンがあり、燃料棒は60〜80本ずつにまとまっており、そのブロックが合わせて1500ある。放射線水準でいえばそれぞれのブロックが広島型原爆10個分、取り出された後は近くに設置されたプールに入れられ、この作業だけでも一年を要する。1〜3号機はメルトダウンしているため、このまま落ち着くのを待ってから作業する予定なので30〜40年を要するとしている。

 ここに更なる難題が持ち上がった。汚染水漏れが深刻になり、その対策に悩まされて、東京オリンピック誘致にも悪影響があるとして、安倍総理自ら国が責任を持って汚染水問題を処理すると宣言した。

 幸いオリンピック誘致には成功した。政府は平成25年9月に、地下水が原発建屋に侵入するのを防ぐ「遮水壁」の建設や、汚染水を浄化する技術に、計470億円の国費を投入することを決めた。 このうち今年度予算の予備費から210億円を支出したが、原発の汚染水対策費として150億円程度の国費を追加投入することを決めている。平成25年度補正予算案に盛り込むとしているが、どうなるか。世界で初めて商業用原発を稼働させたイギリスは、稼働を終えた原子炉の廃炉に向けた作業を始めたのも世界初となっている。負の遺産である廃炉には様々な難関が待ち構えており、 対応として政府が専門機関をつくり、100年単位での対策を考慮しなければならないという。

 三基で炉心溶融事故を起こした福島第一原発では、高い放射線に阻まれ内部がどうなってるのか、全く判らない状況の中での作業であるから、東電と政府がいう30〜40年で廃業作業が終えるという見通しは甘すぎるのではないか。100年単位の作業になるかも知れない。

 イギリスの例を検証すると、トラウスフィニス原発、イギリスが独自に小型の旧型ガス炉(23万5,000kW)二基、1965年から大きな事故もなく26年間の稼働を終えて閉鎖、その後二年間をかけて原子炉内の燃料を取り出し、95年から本格的な廃炉作業に入った。

 2016年頃に、ようやく汚染を取り除く作業の大部分を終える作業工程表を作っている。使用済み燃料は既に専用の処理施設に運び込んだ。次は放射性廃棄物が二つあり、一つは原子炉で、コンクリートで周りを固めて原発建屋の中で長期間保存する。

 もう一つは使用済み燃料プールで、プール底に溜まった汚泥を処理し、プールのコンクリート壁を剥がし細かに砕いてから、放射性廃棄物として箱形のコンクリートケースに入れて、敷地内に建設した巨大保管施設に運び込むことになっている。

 これらの作業の区切りが付けば、その後60年間は現場で保管する。

 その後、建物を壊し原子炉を取り出す。更地になるのは2083年の予定としている。

 総費用は約8億ポンド(約1340億円)、廃炉作業に90年程かかるとみている。

 イギリスにはこの他にも20地区近くで廃炉が進むことになる。核兵器を作るためのプルトニウムを製造したパイル炉や、世界的に有名な再処理工場ソープも閉鎖しており、廃炉に進むことになる。その他にも世界初の商業原発の旧型ガス炉四基、改良型ガス炉一基、計七基の汚染、廃炉作業に入った。これらの施設が集中しているセラフィールド地区が完全に作業が終了するのは2120年と見込み、まさに世紀の大事業になる。

 廃炉・除染の経費の見込額は235億ポンド(約3兆9,500億円)である。

 膨大な経費と気の遠くなるような長期の作業を余儀なくされるとなると、その作業を担う企業体が問題になる。

 イギリスでは電力事業は国営だったが、1990年に民営化・自由化が始まると、出力が小さい旧型ガス炉は次々と廃炉に追い込まれた。

 廃炉費用も不十分だったため、国が取り組まざるを得なかった。

 2005年に発足した原子廃止措置機関(NDA)という組織が担当している。

 そのため、実際の作業はNDAと契約した企業が担うことになる。NDAとして廃炉事業は、100年以上を要する大事業で長期的な視点が必要であり、日々の作業は企業に任せ、NDAは最良の戦略を決定することに集中するとしている。

 そうするとNDAがイギリス全土の廃炉作業を掌握し情報を収集していれば、情報公開にも繋がり、各現場で得た教訓を他の現場でも活かすことが出来る。海外での技術開発の情報や資金の流れなど様々な情報を一括集中的に掌握できるメリットがある。

 我が国では民間の電力会社が建設から運転、廃炉までの全てを対応する仕組みになっている。現在進行中の第一原発の廃炉作業は始まったばかりだが、難題山積で前途多難を想わせる。東電は40年の工程表で廃炉作業終了を謳っているが、イギリスの例から推測して甘すぎる見通しではないか。100年近くかかるとすれば、不吉なことをいうようだが、資本主義社会の一私企業である親会社が長期間には倒産もあり得るし、資金の算段が出来なくなる可能性もある。

 汚染水漏れ問題を解決しようと政府は巨額の国費を投入している。だからといって廃炉作業を中断する訳にはいかない。

 イギリスのようなNDA組織が日本でも必要になるのではないか、今後残りの50基の原子炉も何時か遠くない日に廃炉になる、

 それならば、また現場で働く中堅技術者が必要になる。

 それも50〜100年を要する大事業で、入社から定年まで確実に保証される優良組織でもある。更に言えば原発が稼働しているのは先進国ばかりではない。先進国が売り込んで建設した原発が、途上国でも稼働しているし、これから建設予定、あるいは売り込み中の原発が多数ある。

 これら全ての原発は有限であって、何時の日か廃炉の運命にある。その期限は40年前後と考えれば、すでに始まっている廃炉作業は世界中で急速に廃炉件数が増えることになる。

 そして廃炉作業は稼働期間より長い、半世紀に及ぶ長期間の作業になる。しかも廃炉業務に携わる従事者は特殊な技能を持った技術者集団でなければならない。

 これから廃炉の特殊技能者の需要は、確実に増大する。現在、日本には50基、世界には431基の原発があるが、終期は必ず来る。それも近いうちに次々とやって来る。

 これこそがビジネスチャンスと捉えるべきではないか。更に現在でも世界中で原発誘致、売り込みと熾烈な競争をやっているから、いくら原発廃止運動をやっても、原発が世界中で新設されるだろうことは否定できない。とすれば廃炉事業は今後100年以上続くことになる。

 それも我が国が指導的立場に立って世界をリードし、核のない世界を築いて行く、これこそが21世紀最大の使命だ。

 その原発発祥の地ともいえるイギリス本国での原発建設参加、事業者買収合意という情報があった。1月15日、東芝は英国で原発の建設計画を進める海外企業を買収すると正式に発表した。原発三基を建設する。第一原発事故後、日本で原発を新たに造ることが難しくなり、海外での受注に力を入れており、今回の買収もその一環としている。買収するのは、電力大手の仏GDFスエズとイベルドロラ(スペイン)による合弁会社「ニュージェン」。東芝の子会社である米原発大手ウェスチングハウス(WH)を通じ、発行済み株式の60%を約1億ポンド(約170億円)で買い取る。英国では、2020年半ばまでには火力発電や原発が相次いで運転を終えるのに合わせ、原発の新設を計画している。

 ニュージエンは英中西部の建設計画を進めてきた。東芝はニュージエンの経営権を握り、新型原子炉3基(発電能力で計340kW分)を造る。完成後は、ニュージェンの株式を欧州の電力会社に売って出資比率を過半数未満にして、経営には直接参加しない方向で調整している。WHを含めた原発建設で世界最大手の東芝は海外での受注に力を入れてきた。

 ニュージエン買収は東電の事故後、東芝にとって国内外で初の原発受注となった。

 日立も昨年、英国で原発事業者「ホライズン」を買収した。英中部のセラフィールドには英国の原子力関連の中枢にあたるところで、そこでの買収はどのようなメリットが秘められているのか。

 セラフィールドの原子力施設NDAと、福島第二原発が提携した原子力関連のふたばプロジェクトが共同での事業展開はできないか。

廃炉は最大のビジネスチャンス

 原発の廃炉とは建設より更に難題が山積している。各国とも前例のない廃炉工事に取り組まなければならない。ならばいっそのこと、経験豊かな廃炉請負会社があればそこへ一括委託した方が安全であり確実となる。

 従って廃炉専門技術者は大いに珍重されることになる。しかも先駆的な技術者であるから、パイオニアとして君臨することになる。中堅技術者養成を目的とした教育機関が、必要になるのではないか。さらに世界の原発廃炉を請け負う会社が組織され、世界中の廃炉を請け負う、現場へ技術者を派遣できる会社組織が必要になるのではないか。しかも一度請け負えば、50年前後かかる計算になり、契約するのはその国の政府自体、あるいは政府保証になるのではないか、途中で契約打ち切りは考えられない。

 原発建設を請け負う会社があれば、当然廃炉を請け負う会社があっても当然だし、建設から維持管理、解体・廃炉の全てを請け負う会社があって当然だ。

 東芝は世界最大手の原発メーカーであるならば、世界最大手の廃炉請負会社でもあるべきではないか。更に廃炉技術者には技術者としての国家資格、若しくは世界共通の資格制度を創ることはできないか。

 原子力関連の始まりは原爆開発のマンハッタンプロジェクトに始まり、フタバプロジェクトで終焉を迎えるような第一原発事故の後始末でありたい。原発事故はとんでもない大災害をもたらしてしまったが、何時までも悔やんでもきりがない。プラス思考へ切り替えても良いのではないか。転んでもただでは起きないしたたかさをもって、世界の廃炉事業を請け負う事業に邁進しよう。

 現在進行中の第一原発の廃炉、解体工事が生きた教材であり、楢葉町に原発の模型を作り、廃炉工程の実験、研究をするとしているが、そうであればなお一層進展・拡大して、中堅技術者養成の教育機関を開設すべきではないか。廃炉解体の生きた教材に使える。第一原発は1〜4号機の被害を受けた原子炉、メルトダウンした世界一困難な廃炉解体工事、5〜6号機は通常に冷温停止した通常状態だった炉の廃炉・解体工事、二例の廃炉教材が同じ場所にあり、教材としては役に立つ存在である。学ぶべき理論や技術や方法、体で覚える現場での体験、必要な機材、遠隔操作方法、ロボット、それこそ現場に適した機材を開発するには最高の教場になる。技術者養成と共に廃炉現場に是非必要な遠隔操縦装置、ロボット等現場で学びながら研究する研究機関を現場に設置すべきだ。

 原発事故後の対応で、世界に冠たるアシモ君を有する我が国ロボッ陣が大活躍をするだろうと期待していたが、残念ながら全く奮わず、急遽アメリカで開発された軍事用ロボットが辛うじて適応出来たくらいで、これから開発すべき廃炉作業適応機材は数多くあるはず、しかもその後は世界で使用されることになる。

 12月21日、福島第一原発事故をきっかけにして、アメリカ・フロリダ州で災害現場用のロボットコンテストが開かれた。

 日本から参加したチーム「SCHAFT」が、参加チーム十六チーム中第一位になり、2014年12月にある、決勝に出る資格を得た。

 「チームSCHAFT」は東大のロボット研究者がチームを組んで研究開発したロボットで、世界最高の技術を有していることが証明されたことになる。

 従って第一原発の現場作業を通じて本当に必要な作業機材、ロボット等の開発は必要であり、それこそがこれから世界中での廃炉現場で活躍することになり、日本が世界をリードすることになる。よって中堅技術者養成の学園を創るメリットが充分にある。

 ふたばフェニックスシティに学園と宿舎を建設し、中堅技術者を養成すべきであり、かつ世界中で需要が見込まれるのであるから、各国政府の依託学生を積極的に受け入れ、そうすれば各国とも日本の会社に廃炉業務を請け負わせることになるだろう。

 東電第四代社長木川田氏が創立した東電学園があったが、次の段階として廃炉に関する技術やその方法、必要とする作業機材、リモコン操作の機材、ロボット等開発すべき諸々の研究・開発をする機関も必要だ。従って原子力関連の研究・開発の拠点とし、廃炉関連の教育機関の学術都市にできるはずだ。

 拡大して考えると、核燃料サイクルではなく、トイレのあるマンションとして核そのものを廃絶できる研究を続ける機関を国で創るべきだと想う。

 第一原発周辺の土地を、中間貯蔵施設として国有地化を諮っているが、イギリスのセラフィールドと同じ面積になると聞く。その中に専門の研究機関を設けることは可能だと思う。更に東芝は英国中西部に三基の原子炉建設を契約した。ならば廃炉までを請け負うべきだ。

 セラフィールドの英国研究機関との連携した研究もできるはずだ。

 セラフィールドにプルトニウムを保管する貯蔵庫を建設しているが、地上にある貯蔵庫で、何万年も貯蔵する訳ではない。そのうち処理する技術が発見されるだろうと一時的な保管倉庫としての貯蔵庫建設だろう。世界に魁となってトイレのあるマンションへの途を開拓できれば、平和国家への途を歩む証でもある。

 もしかしたら、その答えは安全な原発と言われる、次世代原子炉高温ガス炉か、トリウム原発の開発にあるかも知れない。

 トリウム燃料サイクルと言う考え方がある。トリウム232からウラン233を得て利用する核燃料サイクルである。

 核燃料として、ウラン燃料サイクルでは天然ウランに含まれる核分裂性のウラン235を濃縮するが、トリウム燃料サイクルでは天然トリウムを核反応で核分裂性のウラン233に変換する。

 これをトリウムーウラン系列とよび、2011年現在インドが商用炉で利用している。しかし、わが国では法令上核燃料物質に指定されているが,商用炉では使用されたことはない。一度は理想的な原子炉としてトリウム燃料は注目されたが、暴発し易い構造や理想的燃料サイクルと言われていたが、非常に多くのゴミが発生する等のマイナス点が多く指摘されて、わが国の基本方針は未だ未解明の点が多く、トリウム発電の可能性は少ないらしい。

 もう一つ問題がある。原発の再稼働で再び増える使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」も遅れている。政府は資源の有効利用や放射性廃棄物の削減を理由に進めているが、1997年に運転開始を予定していた青森県六ヶ所村の再処理工場はイラブルが続き、本格稼働はしていない。

 このまま再稼働が進むと、使用済み核燃料が原発敷地内のプールなどに貯まる一方で、やがて保管能力を超えてしまう怖れがある。

 政府は、高レベル放射性廃棄物を地下300mより深い場所に埋めて、数万年以上保管する方針を示したが、最終処分場を引き受ける道府県、市町村は皆無だ。

 さらにもう一つ問題は、原発政策の不透明感は原子力産業の人材離れを招いている。原子力関連企業などが開く就職セミナーの参加者数が明らかに減少している。

 東日本大震災前の2010年度は計1903人が出席、14年度は計393人と激減している。

 これから廃炉の本格的工事が始まるのであるから人材育成は急務であり、新産業都市の業務の一環として本格的な教育・養成機関を加えるべきだ。

 原発の廃炉とは建設より更に難題が山積している。各国とも前例のない廃炉工事に取り組まなければならない。ならばいっそのこと、経験豊かな廃炉請負会社があればそこへ一括委託した方が安全であり確実となる。

 従って廃炉専門技術者は大いに珍重されることになる。しかも先駆的な技術者であるから、パイオニアとして君臨することになる。中堅技術者養成を目的とした教育機関が、必要になるのではないか。さらに世界の原発廃炉を請け負う会社が組織され、世界中の廃炉を請け負う、現場へ技術者を派遣できる会社組織が

 必要になるのではないか。しかも一度請け負えば、50年前後かかる計算になり、契約するのはその国の政府自体、あるいは政府保証になるのではないか、途中で契約打ち切りは考えられない。

 原発建設を請け負う会社があれば、当然廃炉を請け負う会社があっても当然だし、建設から維持管理、解体・廃炉の全てを請け負う会社があって当然だ。

 東芝は世界最大手の原発メーカーであるならば、世界最大手の廃炉請負会社でもあるべきではないか。更に廃炉技術者には技術者としての国家資格、若しくは世界共通の資格制度を創ることはできないか。

 原子力関連の始まりは原爆開発のマンハッタンプロジェクトに始まり、フタバプロジェクトで終焉を迎えるような第一原発事故の後始末でありたい。原発事故はとんでもない大災害をもたらしてしまったが、何時までも悔やんでもきりがない。プラス思考へ切り替えても良いのではないか。転んでもただでは起きないしたたかさをもって、世界の廃炉事業を請け負う事業に邁進しよう。

 現在進行中の第一原発の廃炉、解体工事が生きた教材であり、楢葉町に原発の模型を作り、廃炉工程の実験、研究をするとしているが、そうであればなお一層進展・拡大して、中堅技術者養成の教育機関を開設すべきではないか。廃炉解体の生きた教材に使える。第一原発は1〜4号機の被害を受けた原子炉、メルトダウンした世界一困難な廃炉解体工事、5〜6号機は通常に冷温停止した通常状態だった炉の廃炉・解体工事、二例の廃炉教材が同じ場所にあり、教材としては役に立つ存在である。学ぶべき理論や技術や方法、体で覚える現場での体験、必要な機材、遠隔操作方法、ロボット、それこそ現場に適した機材を開発するには最高の教場になる。技術者養成と共に廃炉現場に是非必要な遠隔操縦装置、ロボット等現場で学びながら研究する研究機関を現場に設置すべきだ。

 原発事故後の対応で、世界に冠たるアシモ君を有する我が国ロボッ陣が大活躍をするだろうと期待していたが、残念ながら全く奮わず、急遽アメリカで開発された軍事用ロボットが辛うじて適応出来たくらいで、これから開発すべき廃炉作業適応機材は数多くあるはず、しかもその後は世界で使用されることになる。

 12月21日、福島第一原発事故をきっかけにして、アメリカ・フロリダ州で災害現場用のロボットコンテストが開かれた。

 日本から参加したチーム「SCHAFT」が、参加チーム16チーム中第一位になり、2014年12月にある、決勝に出る資格を得た。

 「チームSCHAFT」は東大のロボット研究者がチームを組んで研究開発したロボットで、世界最高の技術を有していることが証明されたことになる。

 従って第一原発の現場作業を通じて本当に必要な作業機材、ロボット等の開発は必要であり、それこそがこれから世界中での廃炉現場で活躍することになり、日本が世界をリードすることになる。よって中堅技術者養成の学園を創るメリットが充分にある。

 ふたばフェニックスシティに学園と宿舎を建設し、中堅技術者を養成すべきであり、かつ世界中で需要が見込まれるのであるから、各国政府の依託学生を積極的に受け入れ、そうすれば各国とも日本の会社に廃炉業務を請け負わせることになるだろう。

 東電第四代社長木川田氏が創立した東電学園があったが、次の段階として廃炉に関する技術やその方法、必要とする作業機材、リモコン操作の機材、ロボット等開発すべき諸々の研究・開発をする機関も必要だ。従って原子力関連の研究・開発の拠点とし、廃炉関連の教育機関の学術都市にできるはずだ。

 拡大して考えると、核燃料サイクルではなく、トイレのあるマンションとして核そのものを廃絶できる研究を続ける機関を国で創るべきだと想う。

 第一原発周辺の土地を、中間貯蔵施設として国有地化を諮っているが、イギリスのセラフィールドと同じ面積になると聞く。その中に専門の研究機関を設けることは可能だと思う。更に東芝は英国中西部に三基の原子炉建設を契約した。ならば廃炉までを請け負うべきだ。

 セラフィールドの英国研究機関との連携した研究もできるはずだ。

 セラフィールドにプルトニウムを保管する貯蔵庫を建設しているが、地上にある貯蔵庫で、何万年も貯蔵する訳ではない。そのうち処理する技術が発見されるだろうと一時的な保管倉庫としての貯蔵庫建設だろう。世界に魁となってトイレのあるマンションへの途を開拓できれば、平和国家への途を歩む証でもある。

 もしかしたら、その答えは安全な原発と言われる、次世代原子炉高温ガス炉か、トリウム原発の開発にあるかも知れない。

 トリウム燃料サイクルと言う考え方がある。トリウム232からウラン233を得て利用する核燃料サイクルである。

 核燃料として、ウラン燃料サイクルでは天然ウランに含まれる核分裂性のウラン235を濃縮するが、トリウム燃料サイクルでは天然トリウムを核反応で核分裂性のウラン233に変換する。これをトリウムーウラン系列とよび、2011年現在インドが商用炉で利用している。しかし、わが国では法令上核燃料物質に指定されているが,商用炉では使用されたことはない。一度は理想的な原子炉としてトリウム燃料は注目されたが、暴発し易い構造や理想的燃料サイクルと言われていたが、非常に多くのゴミが発生する等のマイナス点が多く指摘されて、わが国の基本方針は未だ未解明の点が多く、トリウム発電の可能性は少ないらしい。

 もう一つ問題がある。原発の再稼働で再び増える使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」も遅れている。政府は資源の有効利用や放射性廃棄物の削減を理由に進めているが、1997年に運転開始を予定していた青森県六ヶ所村の再処理工場はイラブルが続き、本格稼働はしていない。

 このまま再稼働が進むと、使用済み核燃料が原発敷地内のプールなどに貯まる一方で、やがて保管能力を超えてしまう怖れがある。

 政府は、高レベル放射性廃棄物を地下300mより深い場所に埋めて、数万年以上保管する方針を示したが、最終処分場を引き受ける道府県、市町村は皆無だ。

 さらにもう一つ問題は、原発政策の不透明感は原子力産業の人材離れを招いている。原子力関連企業などが開く就職セミナーの参加者数が明らかに減少している。

 東日本大震災前の2010年度は計1,903人が出席、14年度は計393人と激減している。

 これから廃炉の本格的工事が始まるのであるから人材育成は急務であり、新産業都市の業務の一環として本格的な教育・養成機関を加えるべきだ。

 我が国の原子炉は確実に減少する。一方、世界はどうだろうか。英国は北海油田の産出減などをきっかけに原発推進に舵をきったが、原発1基の建設費は約8千億円が見こまれる。そのため中国の資本に頼った。

 我が国も国内の受注は無い見通しで、海外に活路を見出すことによって技術力の維持や若いエンジュニアのノウハウの伝授が難しくなってきた。

 インフラ輸出を成長戦略の柱と位置づける安倍政権も、日本企業による原発事業の海外展開を後押ししている。

 昨年12月、安倍首相はインドのモディ首相との間で日印原子力協定の原則合意にこぎ着けた。協定が締結されれば、深刻な電力不足を背景に原発増設を計画するインド市場への道筋がつく。トルコやベトナム、カザフスタンでも建設を目指し、官民一体で原発輸出を進めている。

 中国政府が本年1月27日発表した原発に関する初の白書は、「原発強国」の実現を目指し、世界60か国に200基の原発を輸出する計画を持つとされている。

 アジアや中東、アフリカなどで需要が高まっており、国際原子力機関(IAEA)は、世界で2030年までに原発の設備容量が最大70%増えると予想し、年平均17基ずつ新設される計算になる。

 13年には安倍首相によるトップセールによって、トルコの原発4基を三菱重工業などの企業連合が受注することで実質合意した。世界の原発は現在稼働中の原発よりはるかに多い原発が建設されることになる。

 そうすると廃炉産業も途絶えることなく成長産業として躍進することになる。

電力業界に改革の動き

 東電は原発事故の賠償金支払いが嵩み、単独では発電所建設が資金面で覚束なくなったので、2019年〜21年度に新設する火力発電所の入札に連携して応札を募集したところ、東電、中部電力の連携によって応札することになった。電力供給エリアがはっきりと分かれている地域独占型の電力会社が、新しい方向性を見出そうとしている現れである。

 即ち中部電力は新設火力の電源を利用して、東電の供給エリア内での電力販売を目指すことになり、東電はそれを認めたことになる。政府は電力システム改革で、一六年に家庭向けを含む小売市場を全面自由化して企業間の競争を促す方針。首都圏がその先行ケースとして自由化を牽引する。東電・中部電力連携の石炭火力発電所は茨城県常陸那珂に建設(出力約60万kW)、もう一つは同じ茨城県内で新日鉄住金・Jパワー(電源開発)のグループが石炭火力発電所の新設を目指すらしい。

 東電の計画では、計260万kWの電力を東電に供給してくれる事業者を撰ぶ作業を始めており、外部資金導入によって発電コストを抑えたいとしている。

 電力小売り自由化」、「地域独占体制」の崩壊を意味するのか、戦後続いた九電力態勢の曲がり角なのか、今後の動きに注目したい。

 何故、地球温暖化に繋がる二酸化炭素排出が大問題である石炭火力に拘るのか、最新の石炭火力でもLNG火力発電の約二倍程度の排出量になったので、環境省は「アセス法」で発電に使う場合は厳しい規制を設けている。

 ところが同じ政府は石炭火力発電を奨励に踏み切った。これは原発停止に伴い、一斉に火力発電にシフトしたが、消費燃料が増大、輸入燃料費が高騰、火力発電の燃料費は震災前との比較でも明らかなように、3.8兆円も増え、電力会社は電力不足と燃料費高騰に悩まされてきた。困った政府は、石炭火力発電所の新設奨励に転換した。

 その理由は、12年度に1kW/時、発電するのにかかる燃料費比較では、石炭4円、LNG11円、石油16円、メガソーラー42円から36円に下げて、洋上風力発電の買い取り価格を新設三六円とした。石炭が最安価で埋蔵量が多く、世界中で採炭できるので、地域紛争や政治的取引材料になりにくい利点があり、環境省と経産省は四月末、環境影響評価(アセスメント)の新しい基準を決めて、最高水準の環境技術を使うことを条件に、石炭火力の建設を認める方針を打ち出した。審査も約三年を要していたものを最短一年で可能にする。

 火力発電所の新設は、東電に限らず基本的に競争入札を経るように制度化された。

 石炭火力発電所は人工島に設け、豪州炭の広大なヤードが設けられるし、石炭灰はブロックにして、海洋牧場の湧昇流を創り出す海底山脈の礎となる。

 通産省が発電所建設にも競争原理を導入し、発電コストを抑えようとしている。

 従って東電は、経営再建中で資金力が乏しいため、他社との連携を模索し、中部電力との連携に踏み切ったが、Jパワー、東京ガス、大阪ガス等のエネルギー会社も名乗りを上げており、鉄鋼、商社等の異種業種からも名乗りを上げたから、今後全く新しい勢力が発電事業に参入してくる可能性が大いにあり得る。

 ならばLNGや石炭輸入を取り扱う商社が、発電事業に参入しても不思議ではない。

 電力は我が国エネルギーの原動力であり、全ての活力の源と言える。経済成長を支える基本は電力にあり、豊富に安価に生産することが望ましい。その点からいって自然エネルギーに過度に頼るのは危険で、メガソーラーの買い取り価格を42円と決めたが、余りにも高額なため36円に下げた。その結果はメガソーラー着工見合わせが続いた。

 原発事故以来、脱原発、廃炉の主張が日本国中に広がりを見せたが、では絶対必需な電力をどうするのか。その代換え電力生産方法の提案、提供はない。自然再生エネの利用が最適なことは間違いないが、発電総力は少なく、経費は膨大で経済効率は低すぎる。

 従って原発の再稼働は一部行われても、それは新しい電力生産が軌道に乗るまでの期限付きであって、経済活動は一秒たりとも休むわけにはいかないのだから、ヤムを得ない処置だと考える。一時的な感情に押し流される事は短慮でしかない。

 「餅屋は餅屋」、電力生産は電力会社に任せよう。電力会社が如何に大電力を安価に生産できるかが日本経済の要になる。生産コスト3円以下を目標にして、新エネルギー源、発電施設・設備を充実させ、その中心は双葉地方に目標を定めさせよう。

 そしてこのふたばフェニックスシティに電力特区を設け、大電力消費の工場を誘致しよう。

 各種の工場が中国や東南アジアに移転したが、電力事情が不安定な他国より、安定供給が出来る国内回帰は必ずある。ネックは電気使用料が高額であることだが料金が安価になれば必ず戻ってくる。

 ふたばフェニックスシティに集中的に発電所を建設、大電力の生産地になれば、地産地消の電力特区によって安価に電力を供給できれば各種大電力消費工場を誘致できる。

 火力発電所、洋上浮体風力発電、海洋発電等の大電力生産地帯とし、電力大量消費の工場群、地産地消の電力特区を建設、かくして鹿島臨海工業地区と同じ程度は無理でも、その何分の一かの新工場地帯を誘致できないか。ともかく住民の就業の場を確保したい。

 人工島活用の一つとして、二酸化炭素削減基地と提唱し、水素ガス製造基地建設を薦めてきた。それとは矛盾する見解だが、人工島は石炭火力発電所建設の最適地でもある。

 発電コストは一番安価なのが石炭火力で、豪州炭を大量に運搬でき、かつ貯蔵出来る設備を設ける必要があるが、人工島には巨大バラ積船の接岸設備建設可、巨大石炭ヤード建設可、隣接して石炭火力発電所を建設すれば、発電コストの大幅削減が期待できる。

 そのためには大幅な二酸化炭素排出量の削減が求められるが、不可能ではない。

 16年2月8日、丸川環境相と林経産相の会談によって、石炭火力発電所の新設計画を認めることになった。ただし条件として、二酸化炭素排出量を削減する計画を各社が責任をもって作成することを義務付けた。

 最新鋭の火力発電設備も開発されている。これからも更に改良された設備が開発され、二酸化炭素削減は進化するものと思考する

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第50章 被災地再興の原動力は教育にあり

最大の被害者は子供達

 子供の目線から考えると、最大の望みは大震災以前の友人と、従来の学校に戻り以前と同じように共に学び共に遊びたかったろうが、五年を越える歳月が流れてしまっては、当時小学生は中学生に、中学生は高校生にと大きな変化を遂げてしまったから、避難地に馴染み、友達も大勢出来たし、現在通学しているところが母校だ。

 子を持つ親としても放射線量の心配のない安全なところに住みたい、通学させたい、との願があって当然だろう。

 しかし、何時までも仮住まいとはいかず、必ず避難生活の終わりはある。避難指示解除になるのか、慰謝料一括支払いで終わりを告げるのか、必ず次の生活を決めなければならない時期が来る。避難前の生活が復元できれば問題ないが、これは夢物語でしかない。

 だからこそ、ふる里近くに住環境創生を提案し、そのためには避難者皆さんの自治体別の垣根を取り払い、運命共同体として双葉郡八ヵ町村の大合併による「ふたば市」創生を提唱した。

 もし、旧来のままであれば避難指示解除になっても戻る人は限られ、年配者が少数戻ったとしても、最初から限界集落であって、崩壊するのは時間の問題になってしまう怖れがあると警鐘してきた。

 ならば理想的な住環境を創生しよう。理想としての第一は、子育て中の女性が積極的に戻ろうと自身の意思で決めることにある。それは子育てに優しい環境を造ることができるか、文教施設の充実こそが最大の魅せられるポイントになる。それでは先に述べた岩沼市の例のような主婦層が計画の段階から積極的に参加して、自分たちの手で理想を立案できるとすれば素晴らしい理想郷ができる。

 新しい街には保育所、幼稚園、小学校、中学校の充実。公園、憩いの場、スポーツ施等、若いお母さんからの目線での提案が必要だ。

 しかし、国や県からは未だになにも示されていない。グランドデザインもなにもない。ならば皆さんの方から提案することを薦めたい。

 最初に述べたようにインフラ計画を立案しよう。住環境創生計画を推し進めよう。皆さんのパワーで国や県を動かすことは出来る。若い主婦層が立ち上がれば最大のパワーとなる。

 即ち住環境創生は若き主婦層の賛同と推進力なくして成功はあり得ない。だからこそスマートシティの重心は文教地区とし、子育て中心の街造りにある。

 先に例を挙げた岩沼市の集団移転の成功は、女性パワーが計画の段階から積極的に参加していたことにある。

 街造りの第一は次世代を背負う子供達を如何に育てるかにある。即ち母親が魅せられる街でなければならない。それには母親自身が最初から参加して街造りを企画してはどうか、きっと成功するに違いない。子育て中の母親の最大の関心事は学校教育にある。

 現在は、各避難地にある市町村で就学しているが、ふたば市が成立すれば、総べてが「ふたば」市民として市立小・中学校に入学することになる。

 一つの都市としての教育施設であるから、教育制度そのものを全国に先駆けで改革も出来るのではないか。国では「教育再生実行会議」で学制改革の議論が本格化している。

 現行「六・三・三制」の教育制度は、戦後GHQ指令が突如執行され、大混乱の中制度化されたもので、我が国の実情に適しているかどうかは判らないが、アメリカ国内の制度を押しつけたものに過ぎない。現在審議されているのは、小中高六・三・三を廃止し、小中高の十二年間を四年ごとに区切り「四・四・四」制、「小四年、中四年、高四年」になる制度だ。出来れば十二年間の一貫教育とすれば成果は得られるものと考える。

 最良と思われる教育制度を編み出し、ふたば市の教育制度とし、全国の魁になることも出来るのではないか。

被災地の高校の現実

 双葉郡内にある五つの高校の一つである双葉高校は、三年前(2013年)に創立90周年を迎え、10月12日、避難先のいわき市明星大学児玉記念講堂をお借りして記念祝典を開催、多くの卒業生や関係者が集い、盛大な祝賀会が開催された。

 だが参加者の表情は冴えない。それは進学校として、各界で活躍する多くの人材を輩出し、全国高校野球福島県代表として、甲子園3回出場の伝統の灯が絶えてしまうのではないか。絶対に絶やしてはならないと願いながらも、校舎のある双葉町の現実を見れば厳しいとの思いがあり、話題は暗く湿っぽくなりがちだった。

 双葉高校の現況は、被災時年度480名規模の高校が、現在双葉高在学生全学年64人、いわき明星大学の一部を借りて授業を行っている。

 少数の寺子屋風授業が功を奏したのか、進学率はアップしたらしい。

 進学率が震災前の60%前後から、80%になりそうだと現校長が見通しを語った。

 更に朗報は進学希望者の大半は理系を志望し、卒業後は双葉の地に戻り、再興に役立ちたいと願っていると聞き、実に頼もしいと悦びを感じた。

 矢張り危機意識の共有が大きな力となるのだろう。ならば卒業後双葉の地に戻り大いに活躍できる企業や施設を設けておきたい。だが、本年度生徒募集は中止となった。

 在校生は全て卒業し、新入生の募集は中止であるから、このまま一時的な休止なのか、廃校なのか、県立高校であるから決定権は県にあるのだろうか。だがOBとしては伝統の灯は消したくない。なんとか再興する方法はないものか。

 双高OB達は存続を願って署名活動を続けてきたが休校の喪失感は大きい。

 双葉郡唯一の旧制双葉中学校から93年、幾多の有為な人材を輩出してきた名門校が消えってしまうのか。双葉郡の由来について第一章でも述べたが、平安・鎌倉時代の武将、楢葉氏と標葉氏に由来する二つの葉を合わせた造語が双葉であって、旧制では雙葉中学校であった。

 双葉郡のシンボル的な存在が双葉高校であって、その双高野球部が甲子園に出場したときは郡内すべてが狂喜乱舞、まさに双葉郡が一つになった一時だった。

 「楢葉標葉(ナラハシネハ)のいにしえの,名も遠きかな大八洲(オオヤシマ)、その東北(ヒガシキタ)ここにして天の恵みは満ちたれり」双高校歌の一節、土井晩翠作詞。

 双葉地方の再興は、双高OBが中心となってやるべきだ。「ふたば」の認識は一つ、したがって「オラ方の町」の認識を超越した「ふたば」の認識を一つにしてふたば市創生に尽力し、その中に伝統を受け継ぐ双葉高校を改めて誕生させることは可能だ。それが双高OBの夢ではないか。頑張れ双高OB諸君。夢は必ず叶えることができる。

 もう一つ富岡高校の輝かしい特色を述べたい。

 1950一年創立、最初は平凡な田舎の高校であったが、Jヴィレッジ内に設置されたJFAアカデミィ福島の創設に伴い、その受け入れ中高として野心的なブロジェクトを推進してきたのが富岡一中と富岡高校である。2006年設置学科の改変を行い、普通科を廃止、スポーツ科等の学科設置等を行い、国際スポーツ科(「三クラス)を設けた。このため、校舎脇の岡を削ってグランドを新設、新体育館の建設、大幅な設備投資を行った。

 JFAアカデミーについて説明すると、サッカー選手のエリート養成において、30年以上の歴史を持つフランスのクレールフォンテーヌ国立研究所をモデルに創られたものである。

 Jヴレッジ開設と共に生まれたJFAアカデミー福島が誕生、Jヴイレッジ近郊に建てられた専用の寮に寄宿しながら、地元である中学、高校に通うシステムを造ったのだ。

 男子寮は広野町にあり広野中学に通い、女子寮は楢葉町にあったので楢葉中学に通い、高校進学は全て富岡高校になった。

 このJFAアカデミー生になるには、男女とも入学時に中学一年生(応募時は小学六年生)になる者のみを対象として県内で選抜試験を行い、夏から冬にかけて三から四段階に及ぶ選考試験が行われて撰ばれた。

 中高一貫教育の6年間を厳しいトレーニングと国際選手として活躍するための英会話、マナー講習、リーダー講習等、JFAの専属スタッフや講師等で最高の教育と指導を受けることになる。

 この成果は直ぐに現れ、創部三年目にして、2008年度第87回全国サッカー選手権に初出場し、東北を代表する強豪高として目覚ましい活躍を見せた。

 2011年3月の福島第一原発事故で、富岡高校は避難を余儀なくされたが、県内にサテライト校を設置し、サッカー部員は福島市内にプレハブ校舎を設置、ここで学びながら借用のグランドで練習に励み、見事に第92回全国高校サッカー選手権大会福島県大会の決勝戦で尚志高校を二対一で破り、二度目の出場を決めた。

 東京・国立競技場で、12月30日開幕に先立ち出場48チームの入場行進が行われたが、福島県代表富岡高校チームは「皆様のご支援に感謝、感動と勇気を伝える」と書いた横断幕を持って行進した。

 この富岡高校生達は、母校である富岡高校の校舎を知らない。避難後に入学してきた生徒達が富岡高校生としてこの団結、このチームワークで栄冠を勝ち取ったのだ。

 この全国高校サッカー選手権大会で福島県代表になったが、資金難で出場困難かと思われた。しかし、その苦境が伝えられると,県内外ばかりか海外からも善意の寄付が寄せられ、目標額の3倍にもなる3千万円にもなった。

 その協賛金には、東京電力の中に募金箱を設け有志一同が145万円の寄付を寄せてくれたと聞く。

 前回の大会出場の経費は、富岡町内の企業や商店からの寄付が約1200万円あったが、今回は町民全員が避難中であり、賛同する企業もなく,約1千万円の不足に悩んでいたが、遠く離れた大阪府枚方市のコミュニティFMが協賛を呼びかけ、他のコミュニティFMも協力してくれたのだという。善意に支えられ力一杯戦うことが出来たことに、選手と共に声をからして応援した応援団の一人として、全国の皆さんに感謝したい。

 2013年12月31日、市原市ゼットエーオリブリスタジアムで全国高校サッカー選手権一回戦、富岡高校対愛媛県代表松山商高と対戦、2対0で降し一回戦を突破した。各地に避難している在校生、OB、各地に避難している富岡町民が駆け付け約千人の大応援団となり、夜ノ森公園の櫻を模した桜色のポンチョを纏って、声を枯らしての応援を背に受けて初勝利、涙、涙の感激だった。

 二回戦、水戸啓明高校と対戦、富岡高一対一水戸啓明高引き分け、PK戦4対3で惜敗、無念の涙を呑んだ。しかし、凄まじいハンデを跳ね返しての全国大会出場であり、二回戦進出だから、その苦闘は賞賛に値する。

 Jヴィレッジは、本来のサッカー用トレーニング施設として、2018年(平成30年)を目途に使用を再開する方向で、関係者と調整に入ったという。日本サッカー協会は20年東京オリンピックにあわせ、各国代表が練習拠点にすることを決めた。

 今では、JFAアカデミー福島出身のJリーガーが、男女とも多数活躍している。

活躍する富岡一中・高校バドミントン部

 更に特筆すべき業績がある。サッカーに次いでバドミントン部、高校としては珍しいゴルフ部もあり大変な活躍をみせた。しかも避難生活3年近くの苦境の中でのこの成果であるから称賛以上の感動がある。

 富岡一中・富岡高校と6年間一貫教育に、バドミントン部とゴルフ部がある。

 全国から集まってきた精鋭達だ。本来通学するはずの富岡一中は現在、三春町の工場跡地を利用して開校しているが、中高一貫校の富岡高校が猪苗代サテライト校で運営されていることもあり、一中バドミントン部員21人は猪苗代町に合流し、町内に寄宿し、猪苗代中学に通学しながらバドミントンの練習に励み、この春5人が卒業して富岡高校へ、そして全国から5人の新入生(男子1名、女子4名)が入学してきた。三重県、大阪府、東京都、秋田県、岐阜県など全国各地の出身者である。

 2013年だけを見てもこれだけの大記録の連続となった。

 8月8日、全国高校総体(インターハイ)バドミントン競技が北九州市で開催され、富岡高は,男子団体で見事優勝、女子は準優勝。男子シングルスも準優勝、男子ダブルスでも優勝した。

 8月17日、第43回全国中学校バドミントン大会(静岡県富士宮市)で、富岡一中は男子で大会史上初団体四連覇、女子も団体三連覇の偉業を成し遂げた。

 男子ダブルス、女子シングルスでも優勝、四冠を達成したのである。

 9月4日、全日本社会人バドミントン選手権(大阪市)男子シングルスで昨年(2013年)富岡高校を卒業、NTT東日本に今年入社したルーキー桃田賢斗選手が初優勝し、昨年世界ジュニアで優勝、今や世界ランキング35位、日本代表である。

 9月6日、マレーシアで行われたアジアユースU-19の女子シングルスで大堀彩選手は、初優勝を遂げた。

 9月26日、第32回全日本ジュニア金沢大会、女子シングルスで二連覇、男子シングルス、女子ダブルスはそれぞれ準優勝となった。

 9月29日、ロシア・オープン(ロシア・ウラジオストック)年齢制限ないバトミントンで女子シングルス大堀彩選手(富岡高二年)はロシアのクセニア・ポリカルポア選手を破り優勝。

 10月13日、バドアジアユースU-17選手権(インドネシア・クドゥス)女子シングルス決勝で、仁平菜月選手(富岡一中三年)が優勝した。

 仁平選手は水戸市出身、富岡一中に入学前に、震災、原発事故で入学を断念し、水戸市内の中学に入ったがどうしてもバドミントンをやりたくて、避難先であるサテライト猪苗代に移り今回の大活躍となった。

 2014年に入っても、富岡高校バドミントン部の活躍は止まらない。

 5月4日、スラバヤカップ2014、一般女子シングルス、U-19男子ダブルス、女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルス、U-17女子ダブルス、いずれも優勝。

 5月28日、日本ランキングサーキット大会、女子シングルスで大掘彩選手初優勝。7月28日、ロシア・オープン2014、大堀彩選手優勝、二連覇を遂げる。

 8月6日、全国高等学校総体(インターハイ)バドミントン競技で,男子・女子の団体戦で、史上初のアベック優勝を遂げ、男子シングルスでも優勝した。

 9月15日、第33回全日本ジュニアバドミントン選手大会でも、男子シングルス、女子シングルス、男子ダブルスで優勝した。

 富岡一中バドミントン部も、活躍中だ。

 4月15日、札幌で行なわれた第14回全日本中学生バドミントン選手権大会で、3回続けて埼玉県との決勝戦を制し優勝を遂げている。

 追記ながら、富岡高校には全国でも珍しい高校ゴルフ部があり、全国的にも強豪校として名が知られた活躍をしてきた。特に女子選手の活躍が顕著で、福島県大会、東北大会に優勝者を出すようになっている。

 この中高校一貫校で、生徒たちが地元の生徒たちではないからという声も聞かれるが、遠く親元を離れ多感な青春の一時を母校で、学問にスポーツに捧げた情熱は、決して生徒たちの心から離れることはないだろう。もう、この双葉の地は生徒たちにとって故郷なのだ。

 それこそが、この中高一貫教育の目指すものと考える。

 前述の桃田賢斗選手が、富岡一中の頃、海辺を走りながら地元の人達に「頑張れよ」と声を掛けて貰ったことが、どれほど勇気を与えてくれたかと、地元新聞に語っている。

 この桃田賢斗選手が、15年12月6日、バトミントン・全日本総合選手権最終日、各種の決勝が行われ、男子シングルスは桃田賢斗選手が前回王者の佐々木翔選手を2対0で破り、初優勝した。桃田選手は弱冠21歳、その勢いは止まらず続いて12月13日ドバイ(アラブ首長国連邦)で開催されたバトミントンのスーパーシリーズ年間上位8人によるファイナル、男子シングルスで優勝した。次はオリンピックでの活躍だ。

 この素晴らしいアスリート達から、東京オリンピックで大輪の花を咲かせる選手が現れる気がするのは、私だけではないだろう。

 2014年1月13日、成人の日の前12日、日曜日には、富岡町、楢葉町、浪江町等、それぞれの避難先の会場で式は行われ、華やかな衣装に身を包み、新成人の誓いをたてた。その際、新聞社によるアンケート調査が行われたが、その結果は、8割以上が家族の絆の強さを実感し、故郷復興に役立ちたいと考えていることが判った。

 ところが、将来地元に戻ることを考えているのは三分の一に留まったが、このアンケートの結果については失望ではないどころか希望が持てた。何故なら家族を想う気持、故郷復興に役立ちたい気持が有りながら、将来故郷に還らないとしているのは、現在のように故郷がこれからどうなるか皆目見当もつかないときに帰還するとはとても言えない。従って、具体的な復興計画が示されれば、還って復興に役立ちたいと言う意志が潜在的には存在することになる。

 この青年の決意こそが復興の原動力になることは疑いない。

 楢葉町の成人式には、サッカー女子日本代表で次世代のエースと注目される田中陽子選手が出席した。

 INAC神戸レオネッサに所属するミッドフィルダーの田中選手は、山口県山口市出身で、小学校卒業後、日本サッカー協会の選手育成校「JFAアカデミー福島」第一期生として、楢葉中から富岡高に進み、日本代表ナデシコジャパンに撰ばれるという栄冠を担い、今後の活躍が期待されている。

 その田中選手が故郷である両親が住む山口市での成人式ではなく、第二の故郷である被災地の成人式に戻ってきてくれた。若い力は確実に成長している。若人には前途があるとともに知恵も能力も満ちあふれている。この力を結集することから始めよう。

 スマートシティ・ふたば市内に伝統を受け継ぐ統合した中高一貫校を設立しよう。東京オリンピックも近い、サッカーやバトミントンでは代表入り候補選手も控えている。また伝統に魅せられて全国からアスリートの卵達が馳せ参じてくる。

 そのような伝統を受け継ぐ中高一貫校を必ず設立しよう。

 教育の充実した街には人が集まってくる。江戸時代において藩校が充実していた藩は栄えた。現代も同じ教育に熱心な街はきっと繁栄する。

 立ち上がれ、ふたばの若人よ

 2014年3月1日、福島県の県立高校の卒業式が一斉に行われた。

 双葉郡から各地に避難している高校でも卒業式が行われ、入学から3年間本来の校舎で過ごすことが出来ないままの卒業、富岡高校では四ヵ所に分かれていた3年生71人が福島市で行われた卒業式に参列し、新しい門出を祝した。

 まず居住地の選考、教育、雇用、高齢者の対策等々問題は山積している。再興にはどのように対処すれば良いのか、最適な理想像は自分達で描かなければならない。

 旧町村がそのまま再興することはとても無理なことを前提として、双葉地方再興を目指さなければならない。それには旧弊な価値観の否定から始まる。

 だからこそ若者の創造力、実行力が必要なのだ。

 旧町村の再興はあり得ない。だからこそ次世代を背負う若者が、自分達が活躍するであろう社会を、自分達の手で、自らの場所で道を切り開こうとしているのだから、これほど恵まれた時期と機会はないと考えるべきで、過酷な運命に打ち萎れている場合ではない。

 若人の力で新しい社会を創生させるのだ。

 明治維新の大改革をやってのけたのは20代の若者達の溢れる祖国愛とエネルギーが原動力となっての働きによって大改革をやってのけた。

 立ち上がれ若人達よ、双葉地方の将来は若人の皆さん達の双肩に懸かっている。

 そして社会は、そんな若人を育て活躍できる場を用意、提供することにある。

 双葉地方の再興は零からの出発となる。真っ白なキャンパスには理想的な画を描くことが出来る。だからこそ若人が中心となって新鮮な発想で、未来志向の素晴らしい画を描いて欲しい。

 苦境にあるからこそ、打開に立ち向かうヒーローが生まれる素地がある。

 双葉地方を故郷とする若人達が集い、理想的な故郷再生の画を描こうではないか。

 「JFAアカデー福島」の現況はどうか、第一原発事故の影響で、その拠点を静岡県御殿場市に移し活動を継続している。今年度(15年)は、男子が応募者約350人に対し合格者16人、女子は約170人の応募から7人が合格したという超狭き門。選手は親元を離れて

 地元の中,高校へ通学しながら、寮生となってサッカーに打ち込むことになる。

v 「Jヴィレッジ」も復活する。次は「JFAアカデー福島」を双葉の地に甦ることにある。そのためにもふたば市に中高一貫校を創立し、この若人達を迎え入れることにある。

 世界中が熱狂するワールドカップやオリンピックで活躍する選手が双葉の地から巣立った時こそ双葉が完全に甦った時となる。

 全国高校総体(インターハイ)が15年8月8日、京都府長岡京市で行われたバドミントン団体に、富岡高校3年生と今年4月開校した「ふたば未来学園」の新入生とで結成した「富岡・ふたば未来学園」として出場した。昨年は富岡高校単独で出場し、男女とも優勝したが,今年は男子三位、女子準優勝だった。

 ふたば未来学園の開校に伴い、富岡高校は募集を中止しており、17年3月、最後の3年生を送りだして休校となる。富岡高校のインターハイ挑戦は来年が事実上の最後になる。

 東京オリンピックももうすぐだ。各地に散ったアスリート達が再び一堂に会してトレーニングに励める施設を提供したい。そしてオリンピック会場で、日章旗が掲揚されるときこそ、ふたば創生の証となる。

 新生「ふたば」市に双葉郡下の全高校を統合した新生「双葉」高校を創立することは可能だ。それこそが双高の伝統を受け継ぐ新生双葉高校になり得るものと確信する。

 OBの諸兄姉、創立に邁進しようではないか。

 各自治体にとらわれた発想では再興は難しい。双葉郡の地域全体を視野に入れた復興計画でなければならない。即ち全地域の横断的な結びつきでの発想が必要となる。それには全地域に双高OBが存在する同志的結びつきが肝要となる。それも次世代を背負う若いOBこそ適役だ。若きOB諸兄姉頑張って欲しい。

 最後に私事を少し述べたい。もうすでに老爺の域に達し復興には何のお手伝いも出来ないが、せめて一文を書くことによって皆さんを鼓舞できないかとの思いに駆られ駄文を書いてしまったのかもしれない。

 私は人生の大半を外国で働いてきましたが、華やかな先進国ではなく物騒な国ばかりに赴任し、悪戦苦闘の連続であったが、貴重な体験を得たという悦びもあった。

 それらの国々とは、中東とアフリカのギニア湾岸諸国を舞台として連日右往左往の連続で走り回ってきたが、戦乱、動乱は付きもので、特に1970年代、80年代の中東の動乱では、イラン、イラクのイライラ戦争では開始時にイラクに駐在しており、突如戦闘機の空襲に始まり、機銃掃射の洗礼を受け、次に戦車が現れ、目の前で激しい戦闘が始まり仰天したが、映画の1シーンを視ている様な不思議な体験であった。

 しかし戦争が激しくなるほどアメリカ本社からは数多くの指令が届き、その処理に忙殺され、命の危険性など微塵も感じられず走り回っていたから、激戦の中、かえって働ける喜びさえあった。

 その後はブラックアフリカ勤務となったが、こちらは更に内乱が日常的な国々で連日危険が隣り合わせであった。事務所の前に川があったが、後ろ手を縛られた死体が毎日流れてきたが、誰も事件とは思っていない。騒ぎもしない、警察も全く関知しない、日常茶飯事の出来事でしかない。そのうちこちらの感覚もマヒしてしおまったのか、何も感じなっくなってきたから不思議だ。

 「郷に入れば郷に従え」まさに名言で、同化することが身の安全を守ることでもあった。ただし飲み水がないのには参った。遠く離れた国際空港の構内にあるマックだけには飲料水があった。アメリカ本国から毎日飲料水が運ばれてきていたからだ。

 生水が飲める、きれいな空気が胸一杯すえる。自然の豊かさこそ生活の宝となる。更に安全が保障されている中での暮らし、これほど全てに恵まれた国はない。人々の絆も確かなものだ。だからこそ必ず双葉地方は甦ることができると信じている。

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