コラム
「令和の誓い」片寄 洋一(高6回)
国内半数近くの地方自治体が消滅の危機(日本創生会議レポート)
原発事故被災地の住民「要介護」急増(11市町村、避難者の体調に影響)
福島県内堀知事が主張する避難者の救済(3月10日NHK日曜討論より)
【第十一章 東電原発事故公判結審(判決は9月19日)(旧経営陣は無罪主張)】
はじめに(栴檀の双葉)
魔の日から8年が経過した。弥生3月、小学校入学目前とし、真新しいランドセル、通学服も揃え、後は入学式を待つばかりとなった3月11日、あの忌まわしい魔の日から平穏な生活が一変し、避難指示、他所地の体育館や催事場に収容され、ダンボールで仕切られた僅かな空間が家族に与えられた生活の場であり、朝昼晩支給されるおにぎりが辛うじて飢えをしのぐ糧となった。
ふる里を追われて入学した先は避難地に急造した仮設の小学校であり、全く見ず知らずの避難先の小学校であった。
その小学一年生はもう中学生になって、もうすぐ高校進学だ。だがふる里へ戻って高校に進学する選択肢はない。
義務教育期間を過ごしたその地が「ふる里」であり、遠く離れた双葉の地は両親のふる里でしかない。
これ以上避難生活が続ければ避難地に定着し、または他に移住して定着する人が増えるばかりになってしまう。
これまで数多くのアンケート調査をしてきたが、ふる里には戻らないとする人が大半であり、事実避難指示解除になった地域でも戻る人は少ない。特に働き盛りの人は戻らない。何もないふる里に戻る訳がないのだ。
ふる里双葉郡はこれからどうなるのであろうか。国、県、東電に任せておけば何とかしてくれるだろうと期待するのは無いものねだりにすぎない。
地元町村当局は頑張っているとは思うが、残念ながらその力には限界がある。またいくら計画を立案しても住人が戻らなければ単なる画餅にしぎない。更に縦社会に固執する限り柔軟な発想は生まれることはない。
このままでは双葉郡に明日はない。事故前でも双葉郡は福島県のチベット地方と呼ばれていた。それが今は超過疎地帯となり、このまま推移すれば消滅さえも囁かれてしまう。
2011年3月の東日本大震災、福島第一原発事故から8年。避難指示解除の地域が約8割までになった。被災地の更地には次々と復興住宅が新築され、避難者も戻りつつある。時間と共に進む復興。これはマスコミが報じていることだが、残念ながら希望的観測に過ぎない。
旧ゴルフ場跡地、遊休農地は大規模な太陽光発電のパネルで埋め尽くされた。転用面積は計783ヘクタール(18年12月末時点)。東京ドーム約167個分。風評被害や担い手不足、米余り等、農業に対する逆風を受け、農業の再開を諦め、業者に貸し出すことを選択する農家がいかに多いかを示すもので、敷地貸し出しは20年契約だそうだ。
その他の農地は町が工業団地の造成を進めているが、進出してくる企業があるか見通しは全く立たないのが実情で、生産年齢層はほぼ零、若い層が戻ってくる気配は更にない。そのような地域に工場を誘致することは最初から無謀といえる、しかも各自治体がバラバラにやっては互いに足の引っ張り合いをしているとしか思えない。
また汚染土の黒色土嚢仮置き場は更に広がり、雑草が生い茂る周辺の放置された荒れ地と共に重苦しい雰囲気を漂わせる。そこには復興を思わせるものは何もない。
事故前は1万人以上の人口を有していた、富岡町、浪江町についてみると、避難指示解除2年目の現在、僅かな人が戻って来たに過ぎない。
大熊町は避難指示解除になった大川原地区に町役場を新設し、今春5月連休明けに開業をすると宣言し、周辺には復興住宅を建設しているが、帰還者を1000千程度と見込んでいる。
この様に双葉郡下各町村が独自の計画でバラバラに行動しても成果は期待できない。最悪の場合、共倒れになる危険性もある。そこにあるのは縦社会の悪弊があるからだ。
だからこそ全く新しい発想での再建、再興の計画が緊急課題ではないか。双葉郡には双葉高校OBという知的集団がおり、横社会の人々がいる。その人達が知恵を出しあい、手を携え原動力になれば創造できる世界は必ず存在する。
双高OBの皆さんが立ち上がるのは今が最後の機会だ。OB諸兄姉は双葉高校の再興・再開を叫ぶが、人が住む新しい双葉郡を創造しなければ双高の再建はあり得ない。
まずやるべきは新しい双葉郡の創建に全力を尽くすべきだと思考する。今、立ち上がらなければ機会は二度と訪れることはない。悔いを千歳に残すだけになる。では何をすべきか、それはこれから説くことを参考にしていただきたいが縛られることはない。
遠く離れた会津若松市に避難した大熊町の人達の中に手芸団体が生まれ、会津地方とふる里大熊町は空で繋がっているとの思いから「會空」と名付けたという。この会は会津特産の会津木綿に出会い、可愛いクマのぬいぐるみを仕立てた。クマは大熊町のキャラクターをモデルにしており、復興への想いが詰まる。そしてその作品展を東京・銀座で開催した。
ではもう一歩前進して、見上げる紺碧の大空は一つ、垣根を取り払った大地は一つ、運命共同体であった双葉郡住民も同じ歴史を歩み、同じ方言を喋り、喜怒哀楽を共にしてきた全てに繋がりがあり、何よりも双葉高校という繋がりがある。
その双葉郡が消滅の危機にあるからこそ、一致団結する必要がある。その中核をなすのが当然双高OBこそが相応しい。
ならば双葉郡を一つの単位と考え、柔軟な発想で挑めば必ず再興の途を見いだすことは出来ると確信している。その中心にあるのは双葉高校OBの諸兄姉が旗を振ってこそ芽生えるのだ。
新元号は「令和」となった。出典は万葉集の「梅花の歌三十二首」「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、欄薫珮後之香」の文言を出典としている。
「梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」梅の花と蘭の香りで風薫らす。
「栴檀は双葉よりかんばし」白檀は発芽(双葉)の頃から香気を放ち風薫らす。
大成する人は幼少より優れている。ならば「双葉」を冠するこの地方の再建と「令和」とが結びつき、最先良いスタートになる。地元の原動力こそが肝要であって、その中心は双高OBである。双葉の地に日本一の「福祉の街」を創生しよう。
双葉高校OB諸兄姉の決起を促し、「令和の誓い」を宣言したい。
このページのトップへ 第一章へあとがき
国立社会保障・人口問題研究所は、45年までの「地域別将来推計人口」を発表した。それによると2045年の総人口は2015年比で2000万人減の1億642万人となり、東京を除く46道府県で減少となる。65歳以上の高齢者が占める割合は3割りを超えることになる。
特に減少率の激しいのは秋田県で41.2%、青森37.0%、高齢化率も高く秋田県では50.1%と予想されており2人に1人が高齢者という異常事態になる。県民も昨年100万人を割った。45年までには人口60万人程度に落ち込むことが予想され、そうなると東京都の足立区や船橋市と同程度の人口になってしまい、県という存在そのものが怪しくなり、まさに秋田県存亡の危機にある。
一方、双葉地方は人口僅かからの町興しであり、そのカギは避難している人達が戻ることが出来るかどうかにかかっている。しかし、ふる里ではあるが戻ってくる気配は少ない。何故ならふる里は全てを失い、戻れるような環境ではなくなってしまった。そこで各自治体は企業誘致に動き、戻れる環境創りに動いた。だが、一部の人達には戻れることになるかも知れないが、ふる里に戻れる日を夢見ながら各地に避難している高齢者にとっては無縁な所業でしかない。
避難指示解除になった現在、次に来るのは現住の住家を追われる恐怖、東電からの生活保障費の打ち切り、その他各種の保護の打ち切りの恐怖に打ち拉がれている。
生活能力ある人は己が生活の途を自ら切り拓いた。だが、生活弱者である大半の高齢者はどうすることも出来ない。ただ途方にくれるだけ、取り残されたこの人達をどう救済しようとしているのか。さらに高齢者の多くは何らかの病に冒されており即刻の救済を待ち望んでいる。残念ながらふる里にはその人達を受け入れる医療設備、福祉施設はない。
しかし、それは言い訳にはならない。なければ創れ、それが当然の義務だ。だがそれには巨額の資金が必要であり、現地自治体単独では負担できない。しかし、いかなる方法であっても高齢者救済はやらねばならない。
そこでこれまで「Dカフェ」を含む「福祉の街」建設を提案してきた。それには自治体という垣根を越えて規模を大きく広げ、避難中の高齢者を対象として救済する「福祉の街」建設を繰り返し述べてきた。さらに間口を広げてより多くの高齢者を対象とし、国家プロジェクトとして施設建設は出来ないか。
世界一の高齢化社会に突入した我が国にとって、執るべき途は全国各地にこの様な「福祉の街」を設けることではないか。
今必要なのは、ふる里に戻れる環境を創ることであり、就業の場を創ることにある。
世間一般では避難指示解除が下令され、それで全てが解決した、良かったねと安堵し、もう記憶も薄れ関心もない。いま避難者が置かれている苦境を訴えても、戻らないのは我が儘勝手としか写らない。このままの状態が続けば避難者の存在さえ忘却の彼方へ追いやられてしまうのではないか。
大熊、双葉両町は中間貯蔵施設建造予定地に指定されており、返還されるのは30数年後の2050年代になってからになる。その頃の世帯主は、避難時には小学生以下、あるいは避難後に生まれた世代になる。その人達にとってふる里とは両親、あるいは祖父母が住んでいた所であって、自分達のふる里ではない。従ってふる里だから戻ろうという発想はない。それよりも現住の地がふる里であり、生活の場となる。
また、避難指示解除になった地域に新しいマチを創ろうとの動きがあると聞くが、多くの人達が戻ってくるとは思えない。それは既に解除になった町村の帰還状況を見ればその答えがある。
さらに30数年後には返還されるとしても、その間、全国の自治体は半数近くが消滅すると言われている。そのような嵐の中で住民のいない自治体が生残れるとは思えない。
また、これからを考えれば他所へ住民票を移す人達も増えることになる。そうなると町民の数は減るばかりになってしまう。同じことを他の町村にも言える。このような状況の中で復興事業を進めても限界集落になるだけではないか。
全てを失ってしまった町が再び甦ることを試みても、住民の大半が戻らないと表明している限り再興は不可能といえる。住人のいない自治体は消滅する。このままの状態が続けば、やがて消滅の運命にあり、双葉郡全域が消える日が来るかも知れない。
各自治体が独自で努力しても限界がある。だからこそ組織が動かなければ再興は無理だ。双葉郡全体が一つになって人の住む点を創り、そこを復興拠点とすべきと主張してきた。
従って、「オラ方のマチ」意識を捨て、地域町村が大合併により、拠点を一つに絞り復興の核を創らなければ、「地図から消される街」(何故帰らないのか、何が起きているのか!)(朝日新聞記者・青木美希著)、3.11後の「言ってはならない真実」になってしまう。
だからこそ、今、双葉地域全体が結束して「国策とコラボ」して核を創るべきではないか。その核となるのは「福祉の街」創設だと主張してきた。町村の枠を超越して避難者全員が結集した組織を創り、自分達の考え、意思を明確に統一・表明すべきで、交渉相手は加害当事者である国・東電であって、特に「福島の復興なくして我が国の将来はない」と明言した安倍内閣こそが解決のカギを握る司令塔であり、これを揺り動かすことが出来るかにかかる。福祉の街を創ることは国の為にもなる国家的プロジェクトの一つと捉えよう。
言葉は不適切かもしれないが、第一にすべきは「橋頭堡」を築くこと、諸々の計画を展開するのはその後の事だと思考する。
その後のことは私見だが、国の力で高齢者総合医学の研究・開発としてのクラスターを創ることを願いたい。ふる里は必ず甦ると信じている。
双葉郡を一つの単位としてCCRC方式の施設を集中させ、各地に避難している高齢者の帰還を促進させ、かつ県内に居住、若しくは都会地に居住し、第二の人生をCCRC方式の施設で人生をエンジョイし、かつ健康寿命延伸を願う高齢者の賛同を得て、移住を促進すれば、それに付随する多くの職種が創設でき、若い層の帰還も可能になる。事実、アメリカでのCCRC施設ができれば、地場産業として多くの若い層が働くことが出来る事業として成功し、かつ税収も増えた「一石三鳥」以上の成果を得ている。
双葉郡の存続が危ぶまれているとき、旧来の価値観にとらわれていては救済できない。
コペルニックス的大転換こそが肝要、全てが発想の転換から始まる。まず双葉郡全体を考えることから始めよう、如何にしたら人が住むマチを創ることが出来るか。市に発展させることが出来るかにかかる。少子高齢化の時代であるから、高齢化対策としての事業を推進することによって国や県の積極的な援助も期待できるのではないか。あるいは国家事業として建設出来るかも知れない。時代の先取りこそマチ創生の王道であり、健康長寿の福祉の街を建設すべきだ。福島第一原発事故の被災者救済と高齢者対策問題を一挙に解決できる。それこそが「地方創生」になる。
願いは一つ、双高OB諸兄姉の奮起によって新生「ふたば」市を創立する為の途を切り開くことにある。それが母校、双葉高校の復活・再建に繋がることではないか。
新元号は「令和」と決まった。万葉集の梅花の唄23首の序文
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前に粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
安倍首相の談話「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」
何よりも嬉しいのは、日本の元号はこれまで中国の古典(漢籍)を典拠としてきが、令和の出典となったのは万葉集からで、令和の一節は、歌人で大宰府長官だった大伴旅人の手によるもので、元号「大化」(645年)以降、248番目の元号だが、やっと日本の古典からとなった。新しい途を披く令和だ、新しい日本の船出だ。双葉創生のスタートだ。
令和の春 2019年4月1日
高6回卒 片寄 洋一
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