東京栴檀会 コラム    

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コラム

「ふたば創生」片寄 洋一さん(高6回)

 あの大惨事から4年が経過した。避難生活は未だ続き、何時になったら避難指令解除になるのか誰も判らない闇の中にある。また避難指示解除の令がでても、以前と同じような生活が戻ってくる保証は全く無い。それどころか新たな苦難の始まりになりかねない。

 ふる里の人々は苦しみ、悩み、絶望の淵にいる。このような時に安閑として傍観している場合ではない。ふる里の惨状を救済したい、手助けの方法は何かないか、恩返しをしたい。双高OBとして思いは同じ、東京栴檀会として何か出来ないか。ここに各種の資料を提供し、OB諸兄姉の叡智と行動を期待したい。

高6回 片寄 洋一

 まえがき 【第四編 我が国の電力事情】
【第一編 東日本大震災】   第25章 我が国の電力事情
  第01章 福島第一原発事故再考   第26章 只見川総合開発
  第02章 大熊町全町民避難   第27章 原子力発電への途
  第03章 双葉町全町民避難   第28章 原発と福島県
  第04章 浪江町全町民避難   第29章 地元誘致の動き
  第05章 富岡町・川内村避難   第30章 磐城飛行場
  第06章 楢葉町・広野町・葛尾村   第31章 福島第一原発建設開始
  第07章 双葉病院の悲劇   第32章 原発建設の必要性
  第08章 福島第二原発   第33章 中東情勢と原発
  第09章 第一原発吉田所長の活躍   第34章 中東の複雑さ
  第10章 外国での反響・協力   第35章 中東からの輸送路確保
  第11章 核の恐怖   第36章 海洋資源
  第12章 数々の隠蔽工作   第37章 海の国境線
  第13章 福島県知事の叛旗   第38章 ロシア革命
【第二編 事故後の混乱】   第39章 ポーランド孤児救済・保護
  第14章 原発事故後の混乱   第40章 第二次大戦への突入終結
  第15章 SPEEDI情報   第41章 北方四島問題
  第16章 その他の情報があった 【第五編 栴檀のふたば】
  第17章 事故は防げたのか   第42章 五年目の春
  第18章 国会最終報告書   第43章 残留放射線(能)汚染再考
  第19章 顧みて   第44章 ふる里は聖地
【第三編 核の知識】   第45章 双葉地方の農業
  第20章 原子力発電所の仕組   第46章 これからの農業形態
  第21章 放射線量(能)の知識   第47章 双葉地方の工業化
  第22章 除染作業   第48章 太平洋に挑む
  第23章 中間貯蔵施設   第49章 人工島の活用
  第24章 もう福島には住めないのか   第50章 被災地再興の原動力は教育にあり

第20章 原子力発電所の仕組

Q:原子力の原子とは?

A:最も基本的なことから学びましょう。モノは原子で出来ています。中学や高校で習った通りです。

 更にその原子は、陽子と中性子でできた原子核と電子に分かれます。

 その原子核の中に陽子や中性子が、クォークという

 基本粒子でできており、これを素粒子といいます。

Q:原子はどんな働きをするの?

A:この原子がいくつか結合して、一つの分子を造ります。

 例として水を分析すると、水素原子(H)と酸素原子(O)からできており、酸素原子1と水素原子2が結びついて出来ているのです。

 いきなり難しいことをいってご免なさい。でも絶対に理解してやるぞ、と意気込んで扉を勢いよくノックする、きっと扉は開かれます。

Q:原子の存在は判りましたが、それがどうして原子力になるのですか?

A:原子核は「安定した」結合をしておりますが、これにある刺激を与え、別の安定した原子核にすることができます。このとき別な原子核に変わると、質量に変化が生じ、その質量差がエネルギーに変わり膨大なエネルギーを取り出すことが出来る。

 これが核分裂と核融合で、この核分裂を応用したのが原子爆弾、平和利用が原子力発電です。

 核融合を利用したのが水素爆弾、物騒な話になりました。

Q:1つの原子は、どの位の大きさですか?

A:原子の大きさは、約1億分の1cmの大きさで、原子核の大きさは約1兆分の1cmの大きさになります。

 原子の中心にこの原子核があり、その周囲(軌道)の電子で構成されており、さらに原子核は陽子と中性子とそれらを結びつける中間子などで構成する。

Q:核分裂とはなんですか?

A:原子力発電についての解説ですから、ウランやプルトニウム等の 原子核について考察します。

 ウランやプルトニウム等の原子核が、中性子を捕り込む(吸収)ことによって、ほぼ二つ(まれに三つ以上)の原子核(核分裂片)に分裂する現象を原子核分裂という。

 中性子の吸収による核分裂では、1核分裂当り2億電子ボルト(=200MeV)程度のエネルギーを放出する。このとき、2個または3個程度の中性子が放出される。

 それらの中性子が次の核分裂を呼び起こすようにして、連鎖的に反応を継続させながら、放出されたエネルギーを得る装置が原子炉です。

Q:核分裂で生じるエネルギーの大きさはどの位ですか?

A:核分裂の際に放出されるエネルギーは、核分裂する原子核の種類によって異なるが、核分裂片の運動エネルギー、核分裂中性子のエネルギー及び γ線やβ線のエネルギー等で、約190〜250MeV(1億9000万〜2億5000万電子ボルト)になる。

 反応が異なるので単純に比較は出来ないが、判りやすく具体的な例で比較すると、同じ1グラムの質量で得られエネルギーを換算すると、石炭や石油の燃焼で得られる

 化学反応のおよそ300万倍に相当する。

Q:核分裂から生まれた中性子って何ですか?

A:陽子とともに原子核を構成する素粒子が中性子ですが、陽子がプラス、電子がマイナスの電荷であるのに対して、電荷が零であることから中性子と名付けられた。

 電気的に中性なので原子核に入りやすく、反応を起させるために使われる。

 核分裂すると中性子が飛び出すが、核分裂直後に放出される中性子が「即発中性子」一方、核分裂片である生成物の一部には、自らも中性子を放出するものがあり、これを核分裂による放出中性子の一部と見て「遅発中性子」という。

 ウラン235の核分裂の場合、99%は即発中性子として核分裂直後に放出されるが、1%程は遅発中性子が放出される。遅発中性子0.2秒から1分近く遅れて放出されるので、原子炉の制御に重要な役割を果たす。(制御棒で詳しく説明する)

Q:核分裂性物質とはどのようなモノですか?

A:ウラン235やプルトニウム239などのようにその原子核に中性子を取り込んで核分裂する性質の物質をいう。熱中性子(低速中性子)で効率よく核分裂し、天然に存在する元素ではウラン235のみで、人工的に製造されるのはウラン233,プルトニウム239がある。

Q:天然のウランは何処にあるのですか?

A:世界の埋蔵量、合計458.8万トン

Q:天然のウランは直ぐ使えるんですか?

A:天然ウランを採掘して、これを濃縮しますから原子炉で使用できるウランを加工してイエローケーキにして核燃料としますから、採掘しウラン鉱のほんの僅かになります。従って、世界に458.8万トン埋蔵されていても、枯渇する先が見えています。

Q:平和利用の原子力発電と原子爆弾の違いは何ですか?

A:人工的に核分裂反応を起させて、熱エネルギーを放出され、その熱を利用して水蒸を造り、蒸気機関としてタービンを回して発電するのが原子力発電で、その核分裂を制御出来ます。

 一方、原子爆弾は核分裂の爆発だけですから制御は出来ません。

 これはウランと中性子の割合にあります。

 原子爆弾に使われるウランは高濃度に純化され90%〜99%になり、周り全てがウラン235だらけですから、どんどん原子核に衝突して、一挙に核反応しますから、一瞬にして全ての熱、爆風が起きて周辺全てを破壊する、怖ろしい悪魔の兵器です。

 原子炉の中のウラン235の濃度は低く抑え3%〜6%と低くなっています。そのために、たとえ中性子が2個出たとしても1個は原子炉の材料に吸収されたり、ウラン238に吸収されたりします。更に制御棒を使うと中性子を吸収することが出来ます。こうして、中性子の数をコントロールして、核分裂で放出された中性子のうち1個だけを次の核分裂を起すのに使うようにコントロールすれば、核反応は緩やかに進み、これが「臨界」で、中性子の数をコントロールできる、これが制御と呼ばれ、制御できるのが原子炉、制御できないのが悪魔の兵器となる。

Q:科学者は人類が滅亡しかねない「悪魔の兵器」だと承知していて意図的に研究、開発に従事していたのですか、それとも偶然の発見が利用されたのですか?

A:難しい質問ですが、広島、長崎で世界最初の原爆投下、その後も第五福龍丸被曝事件、そして今回の福島第一原発事故と原子に関心を持つのは当然です。

 原子の存在は偶然に発見されたモノではありません。

 全てのモノは分子でできており、その分子は原子によって構成されている、とは理論として大分前から知られておりました。

 世界的にみれば、1900年初頭(明治時代)原子は単一の粒子ではなく、正電荷に帯電する粒子の集合体であるらしいことは判っておりました。

 当時の著名な物理学者、英国のJ・Jトムソン博士は、1903年、正と負に帯電する粒子が均一に混じって原子を構成しているという、ブドウパンのような原子モデルを発表した。

 これに対して1904年(明治37年)我国の長岡半太郎博士が、中央に正電荷を帯びた原子核があり、その周りを電子が廻っている土星型のモデルを発表した。

 その9年後ボーア博士が長岡理論が正しいと実験の結果を発表した。

 長岡半太郎博士(1865〜1950)(東京帝国大学教授、大阪帝国大学総長、日本学士院院長歴任)が、物理学会の第一人者で、数々の業績を残した先達で、大学院時代は磁歪の研究、地震、地球物理学、地磁気等を経て、研究の対象を原子構造理論になり、世界初の土星型モデルを考案しております。

(湯川博士) (朝永博士)

 更に博士の業績の凄さは、その弟子達の育成にあり、本多光太郎、寺田寅彦、仁科芳雄各博士等の世界的な学者を輩出し、その後、彦根忠義博士、湯川秀樹博士(ノーベル賞受賞、中間子理論、物理学賞)朝永振一郎博士(ノーベル賞受賞、くりこみ理論、物理学賞)いずれも原子に関する新理論が認められた功績ですから、我国の理論物理学は世界でも有数の水準にあった訳です。

 1934年(昭和9年)、彦根忠義博士(東北帝国大学教授)は「陽子と中性子は原子核内でハッキリと分かれており、その間には宇宙最大のエネルギーが潜んでいる。だから人類はそれを悪用せずに制御しなければならない」と核兵器が誕生するかもしれない危険性を世界初として発表したが、国内では完全無視、世界的にも反応はなかった。

○原子核分裂の発見

 ドイツの首都であったベルリンにあるカイザーヴィルヘルム化学研究所(自由大学)でオットー・ハーン博士とリーゼ・マイトナー博士の二人の研究者が30年来、原子の研究に携わっていたのですが、時、ナチスの政権下になり、ユダヤ人であったリーゼ・マイトナー博士(女性)は、ユダヤ人狩りの前にスウェーデンへ脱出、その後も互いに連絡は取り合っていた。1938年、ハーンは一人で実験を続けていると「ウランの原子核に中性子を照射しても核が大きくならず、しかもウランよりも小さい原子であるラジウムの存在しているのが確認された。何が起きたのか説明して欲しい」とマイトナーに手紙で尋ねた。

 マイトナーはウランの原子核に中性子を衝突させると、割れるはずのない原子核が分裂することを理論的に導きだし、マイトナーは、甥でともに亡命していた物理学者のロベルト・フリッシュと共に核分裂であると発表したが、ハーンは亡命中のマイトナーを外し、単独で原子核分裂発見と発表、その後も自分だけで核分裂発見と主張し、後年、ノーベル賞を受賞した。

 裏切られたマイトナーはハーンを裏切り行為だと詰ったが、世間はノーベル賞受賞者を支持した。

○連続核分裂

 この核分裂発見に注目した、物理学者フェルミは、この核分裂を連続的に起せば、莫大なエネルギーを取り出せるかもしれないと考え、核分裂の際に、2.3個の中性子が放出され、それが隣の原子核に衝突し、次々と核分裂を起す。核分裂の回数が多いほど放出するエネルギーは大きくなる。

 フェルミはシカゴ大学にあった小さな原子炉で実験したところ、核分裂を連鎖的に起すことに成功した。

○危険性を予告

 ハンガリー人の物理学者オシラドは、ドイツ人のオットー・ハーンが核分裂反応に成功したことを知って危惧を抱いた。それはハンガリーが当時ナチスドイツの支配下にあり、ヒットラーの狂気性を身をもって体験していたから、もしヒットラーが原爆の威力に気付き、開発を命じたら、ドイツが世界初の原子爆弾を持つことになり、ナチスドイツが世界は征服してしまうかも知れない、という恐怖であった。

 そこで、世界的な科学者アインシュタイン博士の名をかりて、アメリカ合衆国大統領に原子爆弾を開発して、ナチスドイツの暴走を防いで欲しいと懇願した。

 また、ナチスのユダヤ人狩りが激化し、アウシュビッに代表される収容所に送り、ガス室で殺害し、その犠牲者600万〜700万人といわれ、1日でも速くユダヤ人を救うのには、原爆を開発してナチスドイツを壊滅させなければならない、と在米ユダヤ系物理学者が結束して大統領に陳情した。さらにドイツ、日本も核開発に着手しており、もし先に原爆を開発したら、連合国側は滅亡してしまう、との恐怖を陳情した。

○アメリカが唯一国家プロジェクトとして開発に着手

 ルーズベルト大統領は、当初はあまり気乗りしなかったようだが、アインシュタイン博士や著名なユダヤ系学者の陳情があり、かつ著名なユダヤ系議員、金融界を支配するユダヤ系の人達の圧力もあり、1942年6月、ルーズベルト大統領は国家プロジェクトにゴーサインをだした。

 目的は原子爆弾開発「マンハッタン計画」と命名され、総責任者は、リチャード・グローブス准将、開発責任者は、ユダヤ系の物理学者オッペン・ハイマー博士、研究施設は秘密裏にニューメキシコ州のロスアラモスにおかれ、その他各地に研究所がおかれ、第一級の科学者が4年間で延べ約5万人集められ研究開発に従事した。

 その中には、最初に原子の灯をともしたシカゴ大のフェルミをはじめ、後にノイマン型コンピュターを提唱した、ジョンフォン・ノイマン、天才児リチャード・ファイマン等後にノーベル賞に輝く逸材ばかりが集められた。

 投下された資金は約20億円、現在の貨幣で約2兆円、そしてやっと完成したのは、1945年7月17日、ついに2個の原爆を完成、しかし、既にドイツは破れ、ヒットラーは自決していた。

 戦う能力も、気力も消え失せていたが、未だポツダム宣言受諾を躊躇っていた日本が標的になって、そのうちの1個は広島に投下されたリトルボーイ、もう1個は長崎に投下されたファットマンであった。

○ドイツ、日本でも核分裂研究に着手

 核分裂に着目、マッチ箱の大きさの一個の爆弾で戦艦1隻を葬ることができる夢のような強力な兵器と喧伝され、それぞれ独自の方法で研究・開発に着手したが、結局はウラン原料の入手困難、膨大な開発費用負担、大電力を必要とし、さらにドイツではヒットラーをはじめとするナチス幹部は科学にはあまり興味なく、原爆開発を理解していなかったため、開発資金を出し渋った。

 我国も同様で、陸軍、海軍別々に開発に着手したが、国外からのウランの入手に苦労し、資金難でも行き詰まり、また軍部が核兵器開発の研究に着手したことを訊いた昭和天皇は、「大和民族が世界初の核兵器を使用することは絶対に許さない。直ちに研究を中止しなさい」としたが、隠密に研究は続けられたが、空襲の激化で中止となった。

 第二次大戦後、アメリカ軍はドイツと日本の核開発状況を調べたが、核開発にはほど遠い段階であり、核の脅威は全くなかったと結論付けた。

○ この課題の解答は

 第二次大戦中という社会的背景があり、戦争に勝つためという大義名分で悪魔の兵器「原子爆弾」開発が最初でした。

 このようにしてアメリカが独占的に開発した原子爆弾でしたから、アメリカが世界を支配できる位の軍事力を持ったわけですが、マンハッタン計画にはソ連側スパイが入り込んでいたり、科学者が買収されていたり、原子爆弾開発の秘密は鉄のカーテンの中に持ち込まれ、核実験が世界中で行われ、放射能を撒き散らす愚行が行われてきたのです。

 かつて海軍力が強国の証であったように、より性能の良い原・水爆を多数持つことが強国のステイタスとばかり実験を繰り返され、アメリカ1122回、ソ連715回(西側の観測)その他の国を含めた世界の核実験回数は3000回を超える。

 このため半減期の長いヨウ素131は福島第一原発の放射した量の約5000倍、セシウム137が約100倍を放出した。

 これらの実験は、自国では実験できないので、南太平洋の島々や、アフリカ、オーストラリヤの砂漠等で行われた例が多い、しかし過疎とはいえ原住民が生活していたのだから何らかの被害を及ぼしている、が、実験国は無視して強行した。

 マーシャル群島では、島を追われ別の島に強制移住されたり、放射能の被害もでている。我国でもマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が被曝した。

 この猛烈な核開発競争は、第二次世界大戦が終わり、やっと世界に平和が訪れたと思いきや、同盟国であった米ソが対立、世界は二極に分解、冷戦状態に陥り、より多くの権力を握るのには、かつては砲艦外交の脅しあいであったが、時代は核兵器保有の脅し合いに替わり、いかに性能の良い核兵器を持つかに鎬を削った。

 従って開発するより他国の進んだ技術を盗んだ方がてっとり速い方法だとばかりに、猛烈なスパイ合戦、ここにまた悲劇がおきた。

 原爆開発の総責任者であったロバート・オッペンハイマー博士は、その後の核実験に反対を表明したため、全ての公式な役職から追放され、晩年はインド哲学に救いを求めた。

 ユダヤ系市民であったローゼンバーグ夫妻は、ソ連のスパイとして逮捕され、裁判の結果死刑判決、電気椅子に送られた。

 そのほか、赤狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れ、多数の犠牲者で暗いアメリカとなってしまった。

 そして現在、平和利用として原子力発電が推奨され、原料が安価、二酸化炭素を全く排出しない夢の原子力と喧伝されてきたのが、ここにきて大きく躓き、蒸気機関、内燃機関、原子力と続いてきたエネルギー革命は人類に豊かな生活をもたらしてきたとされるが、本当に豊かな生活だったのか、豊かさと何だったのか、豊かさと恐怖が同居する二面性をどう解決するのか、今後の生活はどうあるべきなのか。これに替わるエネルギーをどう求めるべきなのか、課題は多い。

Q:原子爆弾の投下のあった我国としては、当然核アレルギーがあったと思いますが、原子力発電所建設には反対がなかったのですか?

A:二度の原爆投下、世界初の被爆国となった国民に核アレルギーがあるのは当然ですが、現在我国はアメリカ、フランスに次ぐ世界三位の原発稼動国なのです。

 では原爆と平和利用である原子力発電を完全に区別し容認したのでしょうか。

 1945年、我国はポツダム宣言受諾、無条件降伏で第二次大戦を終えた。

 被占領国家となった我国は、国家としての主権を失い、原子力に関する研究、開発は全面禁止、核に関する研究機材、施設は全て連合軍の手で海中に投棄されました。

 1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効し、独立国として認められ、原子力に関する研究も再開された。

 しかし、最初からの出直しですから世界の水準からは遠く引き離されていた。

 我国の原子力発電所建設計画は、1954年3月当時改進党に所属していた中曽根康弘、川崎秀二、稲葉修三氏等の若手議員が原子力研究開発予算を国会に提出したのが、我国原子力関連事業再開の起点になった。

 この時の予算は2億3500万円、ウラン235にちなんだモノなんだそうで、予算案をこのようにして創り上げるものなのか、と驚かされる。

 1955年12月19日、原子力基本法が成立、原子力利用の大綱が定められ、この時に定められた方針が「民主、自主、公開」の「原子力三原則」であった。

 1956年1月1日、原子力委員会が設置され、初代委員長は民間人で読売新聞社主であった正力松太郎氏が就任した。

 原子力委員会委員長の就任挨拶で「5年以内に原子力発電所を建設する」であった。正力氏は原子力平和利用懇談会を立ち上げ、また富山県から立候補して初当選、更に原子力担当国務大臣を新設させて大臣になった。

 このことから我国に原子力を導入に尽力した功績大であることは事実で「原子力の父」と尊称された。

 1956年6月、日本原子力研究所が特殊法人として設立され、研究所は茨城県那珂郡東海村に設置され、以降東海村が日本の原子力研究の中心地となった。

 1957年11月1日、電気事業連合加盟9電力会社及び電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された。

 日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電をおこなった。これを記念して毎年10月26日を「原子の日」となっている。

 日本初の商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所で、運営事業主体は日本原子力発電であり、原子炉は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。

 だが性能に問題あり、その後に導入された原子炉は全て軽水炉であった。

 1974年には電源三法が成立、原発を造る毎に交付金がでる仕組みができた。

 しかし、このようにスムースに原発が建設されてきたわけではない、反対運動は各地で起こり、政府内でも与・野党入り乱れての賛否が争われたが、この時代は世界が眼をみはるような経済成長時代で、電力消費が毎年10%以上の伸びに対処できず、原発建設容認へと流れはできていった。

Q:原発建設が、何故浜通りに集中したのですか?

A:浜通りといっても、全て双葉郡だけに集中しており、第一原発が6基、第二原発が4基、計画中が2基あり、さらに東北電力が浪江・小高地区に沸騰型原子炉建設を予定しており、2020年運転開始の計画であった。これだけ集中しているのは若狭湾沿岸に次いで日本で二番目の集中度です。

 では何故双葉郡だったのでしょうか?

 そもそも福島県は東北電力の電気供給区域であって、東京電力ではない。表現は悪いがいわば縄張り外のはず。

 そこで生産、供給し、需要は関東地方の東京電力管内に限るとは、一寸ムシが良すぎませんか、と言うのが一般的感情ではありませんか。

 原発建設地の前提条件としては、海岸に立地する、過疎地である、需要地になるべく近いこと、地域住民の反対運動が少ないだろと思われる、等が前提になる。

 この結果、東京湾沿岸、神奈川県、房総地区で広大な土地を入手することは、人口密度、立ち退き料、設計震度などの関係から立地困難とされ、需要地に比較的近く、前提条件を満たす候補地として、茨城県、福島県沿岸部が対象となり、調査・検討が行われた。

 福島県浜通りを選んだ根拠を探ると、「関東の電気事業と東京電力、電気事業の創始から東京電力50年への軌跡」(東京電力50年史)に次のような記述がある。

 「原子力発電課を設置し、極めて早い時期に原子力開発への取り組みを始めた東京電力は、その直後から具体的な発電所立地候補地点の選定を進めてきた。世界的にみると、50年代後半には火力発電の大容量化と原油価格の下落によって、火力発電のコストが大幅に低下する見通しがついたため、原子力開発のスローダウン傾向が生じた。しかし、東京電力は、長期的には原子力発電の必要性は明かであるとの認識に立ち、広範囲にわったて立地調査を継続してきた」

 「当時、福島県双葉郡では地域振興を目的に工業立地を熱心に模索しており、また福島県としても双葉郡に原子力発電所誘致に積極的であった。こうしたなか、1960年5月、福島県の佐藤善一郎知事から東京電力に対して、双葉郡大熊町と双葉町にまたがる、旧陸軍飛行場及び周辺地域が原子力発電所建設には最適であるとの打診があった。

 この立地条件としては全ての前提条件を満たしており、東京電力は同地点に建設の方針を固め、1960年8月に福島県に対して正式に建設の意志を表示した。

 1961年9月19日、大熊町議会が原子力発電所誘致促進決議

 1961年10月22日、双葉町議会が原子力発電所誘致決議

 東京電力は福島県側からの要請により、用地買収、漁業権交渉を開始し、約310万平方メートルを買収、これは東京ドームが66個分の広さだとのこと。

 以上が東京電力社史の一節であり、あくまでも福島県側から積極的は誘致運動の結果であるとしておりますが、これは事実で、当時の佐藤善一郎知事は早くから原子力発電の将来について着目しており、県商工労働部に命じて調査に着手していた。

 そこで着目されたのが太平洋に面した大熊、双葉両町にまたがる標高35mの台地で、戦時中陸軍航空隊の飛行場跡地で、終戦後は付近の農家が‘塩焚き’といっていた海水を煮詰めて塩を生産する小屋、仏浜の砂浜にもこの小屋が乱立しておりました。当時塩が絶対量不足していたのです。これも一時的な現象で、直ぐに駄目になり、広大な荒れ地として放置されていたのを、県が眼を付け、原発立地として最適と判断し、東京電力に意向を打診した。

 昭和30年代は‘反原発’の動きも少なく、それよりも過疎化対策、地域振興の決め手となると歓迎されており、県知事の推薦、さらに自民党の長老である、元幹事長の斉藤邦吉代議士は地元(福島三区)選出、相馬市出身、自民党電源立地推進調査会会長のお墨付きとなれば、斉藤代議士の絶対的影響下にあった双葉郡、相馬郡としては町議会が誘致決議をするのも自然の流れだったのでしょう。

 そして大熊町・双葉町にまたがる海岸地帯の約350万平方m(約100万坪)に及ぶ広大な敷地には更に7・8号基建設計画があったほどの広さがあった。

 1971年3月(昭和46年)東京電力とって初の原発が稼動するまではいろいろあったが、もう一人原発推進の主役がおります。

 当時の東電社長は木川田一隆氏、生まれが福島県伊達郡梁川町。父は医者、旧制角田中学(宮城県)、旧制山形高校から、東京帝国大学経済学部卒業、当時の東京電灯会社入社、戦後は東京電力株式会社となり、やがて社長に就任、木川田天皇と言われるくらいの実力者で辣腕を振るった。

 原子力発電所建設が決まると、その建設地として浜通りを推奨し、当時の福島県知事佐藤善一郎、(福島市出身)福島県議を経て、衆議院議員二期連続当選後、1957年知事に当選、この頃から木川田東電社長が福島県庁を訪れ、非公式な会談を重ねていたらしい。

 ところが、佐藤知事は在任中の1964年,急性肝臓萎縮症で急死、その時点では未だ福島原発の調査も始まっていなかった。

(木川田東電社長)

 次の知事は、木村守江氏、四倉町の開業医から1950年参議院議員に当選、1958年衆議院議員に当選、1964年佐藤知事急死による知事選で当選した。

 木村氏は四倉町で代々の開業医(木村医院)、木川田社長も父、兄共に開業医で元々医者として親交があったらしい。そのような関係で原発問題は急進展した、といわれている。

 確かに木川田社長は月に1回は福島へ出向いて知事と会談、地元町長や議会関係者と会談していたことは明らかになっている。

 県トップの知事、地元選出で原発推進派の斉藤邦吉代議士、東電のトップが全て福島県人であり、地元町長、町議会も賛成となれば意志の疎通は完璧で、反原発の運動が疎らにあった程度ですんなりと決定した。

 浜通りに集中したのは海の沿岸であることが条件で、原発は火力発電と同じ蒸気の力でタービンを回して発電します。その水蒸気を冷やして水に戻して再び水蒸気になるよう加熱をするわけですが、水に戻す作業として復水器という装置にはパイプが張り巡らされていて、そのパイプには海から取水した水が通っています。

 復水器を経た水はまた圧力容器に戻って循環しますが、水蒸気を冷却に使用された海水はパイプから放出され海に戻ります。

 ですから海の沿岸に設置しなければならない理由がこれです。では外国では内陸に設置されているのはどうゆう理由だと反論されるかもしれませんが、アメリカ、ソ連、ヨーロッパでは、大きな河川があり、河川の岸に原発を建設すれば海と同じくらいに冷却水を確保できるからです。

Q:原子力発電所の概要を説明して下さい。

A:福島第一原子力発電所を例として説明します。

 我国で最初の原子力発電は、1963年東海村の発電用実験用原子炉で発電に成功、といっても全てイギリス製を輸入したモノですが、当時は「原子の灯がともった」と新聞のヘッドラインになるほどの大ニュースでした。

 その後商業用原子力発電所が建設され、全国で17ヶ所、54基が設置され、発電量は1980年全発電量の17%程度、現在は29%、計画としては2019年までに41%まで増やすとしておりましたが、福島第一原発事故で被害を受けた4基の原発は廃炉止むなしとなっておりますから、今後の原発計画は政治判断となっております。

(沸騰水型原子炉)

 ちなみに、東京電力は福島第一原発、第二原発、新潟県柏崎刈羽原発の三つの原発を所有しております。

 原子力発電の方式は、沸騰水型原子炉(BWR)と加圧水型原子炉(PWR)の二種に大別され、福島第一、第二原発とも沸騰水型原子炉です。

○沸騰水型原子炉:核分裂反応によって生じた熱エネルギーで軽水を沸騰させ、高温・高圧の蒸気として取り出す原子炉であり、発電炉として広く用いられており、炉心で取り出された汽水混合流の蒸気は汽水分離器、蒸気乾燥機を経てタービン発電機二送られて、電力を生み出す。

(加圧水型原子炉)

○加圧水型原子炉:核分裂反応によって生じた熱エネルギーで一次冷却材である加圧水(圧力の高い軽水)を300℃以上に熱し、蒸気発生器によって二次冷却材の軽水を沸騰させ、最終的に高温・高圧の蒸気としてタービン発電機を回転させ電力を生む原子炉、原子力発電炉の他、原子力潜水艦、原子力空母もこの方式の小型プラントに使用している。

 東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力は沸騰水型原子炉。北海道電力、関西電力、四国電力、九州電力は加圧水型原子炉。

◯発電の方法は、火力発電と仕組みは同じで、「大量の水を沸騰させ、発生する蒸気でタービンを回転させ電気を発生させる」力強く走る蒸気機関車と原理は同じです。

 タービンを回し終えた水蒸気は、復水器という装置で冷やされ、水蒸気が元の水に戻り、再び原子炉に入り水蒸気になるという循環を繰り返します。

 蒸気を造る水は必ず真水でなければいけません。この蒸気を冷やす水は大量に必要で、かつ循環して利用できませんから、原発を海岸に建設し海水を冷却水として使用しています。外国の内陸国では大河の沿岸に建設しています。

 火力発電との違いは熱の供給として、石炭、石油、天然ガスを用いる火力発電に対し、原子炉は核物質のウランの核分裂を利用していることです。

 ウランが燃えるわけではなく、核分裂させるともの凄い熱エネルギーを放出するので、その熱を利用して水を沸騰させ水蒸気を利用するわけです。

○物体は全て分子で出来ており、その分子の結合によっていろいろのモノができており、その結びつきが替わることによって、別の物体が出来ます。

 その分子は原子から出来ており、眼には見えない原子の大きさは、想像もつかないもので地球の大きさと比べると、地球1周は4万kmに対しリンゴの大きさ位になってしまいます。

 その原子の中には原子核があり、その大きさは1cmの1兆分の1cmという気の遠くなるような小さな核で、その中に陽子と中性子があり、これに対してよそから飛び込んできた中性子がウランの原子核と衝突すると中性子が吸収され、原子核が二つに分裂する、これが核分裂でウランが持つ特質です。

 「ウランの原子核によそから飛び出した中性子を衝突させると、核分裂を起こし、その時エネルギーを放出する、それが次々と連続して核反応を繰り返せば、膨大なエネルギーを放出させることが出来る」

 この理論は前から判っており、各国の研究所では核反応の実験を繰り返したいたのですが、最初に成功したのが前述しました、ドイツのオットー・ハーン博士(後年ノーベル賞受賞)、1938年(昭和13年)ヒットラーの狂気性が表われだし頃でしたから、もしヒットラーがこのことに着目し、原爆開発に執心したとすれば、世界の歴史は替わっていたかも知れません。

 そして、連続核分裂に成功したのは、シカゴ大学のフェルミ教授、この人は後にオッペン・ハイマー博士と共に原爆開発に従事し成功しております。

 従って、残念ながら核分裂の最初は原子爆弾から始まりました。

○核反応

 中性子がぶっつかると、原子核が二つに分裂し、2〜3個の中性子を放出する。その放出された中性子が、また別の原子核にぶっつかりを連続で繰り返すと、連鎖的に核分裂が起こり無限に続く状態になるのを「核の連鎖反応」と言います。

 しかし、これでは原子力発電には利用できません。

 そこで、この中性子の数をコントロール出来るようにして、1個の中性子だけが次の核分裂を起すようにすると、反応は増えることも止まることもなく持続するようになります。

 この状態が「臨界」と言いますが、別項で説明します。

 原子力発電の原子炉内では、中性子が飛び出しますが臨界状態で核反応を起こし、コントロールで出来るように制御システムが働きます。

○ウランの濃縮

 ウランには核分裂しやすい「ウラン235」と核分裂しにくい「ウラン238」の二種があります。

  ☆ ウラン235 ― 陽子92 + 中性子143 = 235

  ☆ ウラン238 ― 陽子92 + 中性子146 = 238

 ウランの数字は、陽子と中性子の数字をプラスした数字ですが、両者の違いは中性子の数であることが判ります。そしてこの中性子の数値が核反応で全く違ってくるのです。

 自然界にあるウラン鉱石の殆どはウランが核分裂しないウラン238で、核分裂し易いウラン235は僅か0.7%位しかありません。

 我国ではウラン238の鉱石が1942年頃、福島県石川郡の山中で見付かり大量に採石したのですが、含有率が低すぎ、すべて破棄されたことがありました。

 従って、ウラン238の鉱石から、僅か0.7%含んでいるウラン235を抽出する努力を重ねてきました。

 その方法として「自然界にあるウラン鉱石から、僅かに含んだウランを取り出し、ガス状のウラン化合物にして、遠心分離器を使って2種類のウランに分離する」

 遠心分離器で高速回転すると、重いモノほど遠くへ飛ばされ、軽いモノが中心部に留まることを応用し、ウラン238は中性子3個分重いので周辺部に飛ばされ、ウラン235と分離できます。

(ウランペレット1個)

○ウラン鉱石を化学的に処理して「イエローケーキ」と呼ばれる黄色の粉末(重ウラン酸塩)に加工され、ウラン235の割合を高める濃縮作業を繰り返し、3%に濃縮したウラン235をガス状の化合物が焼き固められセラミック状になり、大きさは直径と高さが約1cm、重さ6gの円筒形の塊に形成され、この塊が「ウランペレット」と呼ばれ、熱には非常に強くこれらが溶ける温度は約2,800度くらいです。

○ウランペレットは「被覆管」と呼ばれる長さ4m、直径10mmの金属の管でジルカロイというジルコニウム合金で出来た鞘状の棒で、その中にウランペレットが370個ほど詰められる、これが燃料集合体ですが、通常は「燃料棒」と呼んでいます。

 燃料棒も熱に強く1,800度位でやっと溶けます。

 このウランペレットを詰めた燃料棒が約60本を1束としたモノが、原子炉の中には548個入ります。

◎原子炉格納容器

 燃料集合体は判りやすく「燃料棒」と呼ばれています。この燃料棒の集合体が、圧力容器内で大量の水の中に入れられ、燃料棒が核反応によって生ずる熱で、この水を沸騰させ蒸気を発するのです。

 この原子炉格納容器は、フラスコのような形で、高さが約34m。11階建てのビルくらいあり、この中に特殊な合金で出来た圧力容器があって、その中に燃料棒が納められています。そしてその外側が厚いコンクリートで出来た建屋になりますが、第一原発事故の水素爆発では、簡単に吹っ飛び破壊されましたから、凄まじい水素爆発でした。

 この爆発の瞬間を衛星の映像で監視していたアメリカ政府では、即座に水蒸気爆発だと判断して、駐日米大使館を通じて在日アメリカ人80km圏内は即避難を命じました。

 それを訊いた他の大使館では、自国民で在東北は勿論、東京、関東地方の住人までも避難、国外退去の勧告を出して大騒ぎになりました。

 水蒸気爆発は格納容器内での爆発ですから、内部の放射能は全て飛び散り、チリノブイリ事故と同じくらいの規模の事故になり、しかもチリノブイリは1基だけでしたが、第一原発は複数基の事故でしたから、さらに世界最大の重大事故だと判断したのでしょう。

 水素爆発は漏れた水蒸気が反応して水素を発生、それが建屋内に溜り、爆発したモノですから格納容器自体は損傷ありませんでした。

○原子炉の構造

 上図のように原子炉格納容器の中に原子炉圧力容器が入っていて、厚さ約16cmもある高い硬度をもつ特殊な鋼鉄で出来ており、容器の中には約300トンの真水を入れておき、その中に燃料集合体である燃料棒がはいり、運転すると核分裂が起き、熱を発し直接沸騰させる。圧力容器内で発生した約280℃の水蒸気になるのは、1気圧では100度が沸点であるが、圧力容器内が約70気圧もあり、沸点が280度になり、水蒸気が勢いよくタービンへ送られる。

○原子炉の中

 ウランは、石炭、石油、天然ガスのように「燃える」という燃焼をするわけではない。ウラン235の原子核は、中性子を吸収すると不安定になり、次に原子核は2個の原子核(核分裂生成物)に分裂、その時膨大な熱を発生する。

 ウラン235の核分裂では、中性子も飛び出し、この飛び出した中性子は他のウラン235に吸収されて次の核分裂を引き起こす。これが「連鎖反応」。ウラン235の核分裂の祭に飛び出す中性子は多くの場合2〜3個なので、それがすべて次の核分裂を誘発すれば、核分裂はネズミ算式に一瞬にして増大しコントロール出来なくなる。逆に、核分裂で生じた中性子が燃料棒以外の物質に吸収されれば、次の中性子、ウラン235は核分裂起すことが出来なくなり、核反応は停止する。即ち制御が可能になる。

○臨界

 原子炉内では、炉内の中性子の数を調整して、一つのウラン235の核分裂が、次のウラン235核分裂,一つを引き起こすようにすればよいので、中性子を1個だけ作用させ、他の中性子は他の物質が吸収するようにすれば核分裂連鎖反応は一定の反応にすることができる。これが「臨界」であり、中性子を全て他の物質で吸収すれば核反応は停止する。

 これが「制御」。これらの技術が実用可能になって原子炉は生まれた。

 「臨界状態」とは原子炉で、原子核分裂の連鎖反応が一定の割合で継続している状態を指す。

 連鎖反応の量が反応を持続するほどの規模に達しておらず時間とともに減少する場合、この状態を臨界未満または未臨界という。

 一方、連鎖反応の量が時間とともに増加していく場合、この状態を臨界超過または超臨界という。

 安定しているが状態を保つのが難しい状態を、臨界という。

○原子炉の出力調整

 原子炉の出力(核燃料の発熱量)調整することは重要なことです。この技術は核分裂連鎖反応の進み具合を調整すればよい、核燃料内のウラン235の核分裂は中性子を吸収することによって起きるのであるから、そこで原子炉内で中性子の数を調整してやれば核分裂連鎖反応を促進したり、制御したりすることができる。

○制御棒

 原子炉内での中性子の量を調整するのを「制御棒」を使用する。制御棒は中性子を吸収する性質を持った物質をステンレスで覆うたもの、この制御棒を炉心に差し込んだり、引抜いたりすることで炉内の中性子の量を調整でき、出力量を調整できる。

 原子炉内の出力制御のためには原子炉内の中性子を調整して反応を制御することが必要である。停止状態の原子炉には中性子を吸収(吸収断面積の高い)する制御材でできている制御棒が差し込まれており、核分裂反応に伴う中性子を吸収して、臨界状態にならないようにしている。

 原子炉の起動時、制御棒を除々に引抜く事で炉内の中性子の数を増加させ、臨界から定格出力になるまで反応をひきあげてゆく、緊急時には全てを挿入させて中性子を全て吸収してさせる。

 強い地震、その他の非常事態、原子炉内に異常事態発生等を検知した場合、事故を防ぐため自動的に全ての制御棒が挿入され、核分裂連鎖反応を停止する。

 この原子炉の緊急停止を「スクラム」という。福島原発は第一、第二とも地震を感知し、緊急停止に成功した。

Q:原発が緊急停止していながら、何故原発事故が起きたのですか?

A:当然の疑問です。原発には安全の三原則があります「止める、冷やす、閉じこめる」この三つが原則で、最初の「止める」は成功しましたが、次の「冷やす」が巧くいかなかったのです。

 放射性物質は、放射線を出して、次々とその姿を変えていく、これを「放射性崩壊」という。

 放射性崩壊が起きるときは、必ず熱(崩壊熱)が発生する。従って、炉心が緊急停止しても燃料が引き続き熱を発し続けるのは、核分裂ではなく、この崩壊熱が原因。

Q:崩壊熱と核分裂反応の熱とはどう違うのですか?

A:原子炉が停止した、核分裂連鎖反応が停止した。だが熱は出し続ける。確かに不可解な現象です。地震がきた緊急措置として自動的に制御システムが働き、全ての制御棒が挿入されて核分裂反応は停止されました。

 しかし、燃料棒の中にはまだ、核反応で出来た種々の物質が詰まっています。それらが少しずつ、放射線などのエネルギーを放出しながら安定的な状態に戻っていくのですが、その過程で熱を出し続けていくのが「崩壊熱」と呼ばれるモノです。

 ではどの位の熱量かというと、原子炉停止直後の崩壊熱量は、運転中に発生している熱量の1%くらいの熱が出ます。僅か1%とはいえ、一般家庭用浴槽約10杯分(3トン)の水を1秒で沸騰させるくらいの熱量を発生します。

 この崩壊熱は1週間くらいで大分下がります。ところがその後は少しずつしか下がりません。福島第一原発事故でのステップ2はこの崩壊熱の冷温化で、9月28日東電は1〜3号機に関し原子炉圧力容器底部の温度がいずれも100度以下になったと発表した。

 具体的には9月28日現在、1号機が78℃、2号機99.4度、3号機79度、これで冷温停止状態を宣言するわけにはいかない、それは今回の事故では原子炉からの飛散した放射性物質の飛散状況が判らない、冷温停止状態とは未だ宣言できない。永続的に原子炉を冷やすためのシステムも完成されたモノではない。

Q:ステップ2の目標である冷温停止でも安心はできないのですか?

A:ステップ2は安全三原則の「冷やす」ですが、1つのステップであって、道半ばの一里塚に過ぎません。

 配管の中には予期せぬ水素が溜っている可能性もある。二次、三次の災害の可能性は否定できないとして、冷温化に一歩近づいただけと、宣言した。

 冷温化になっても完全に冷えて作業が出来るようになるには、未だ1年以上はかかり、だらだらと冷えていくのです。

 更にもう一つ予断を許せない事には、冷温化が出来たとしても、第1〜3号機で何らかの事故、事件が発生し原子炉への注水が中断し38時間過ぎると、核燃料が再び溶けだし、多量の放射性物質が放出される最悪のシナリオが存在する。

 注水が止まる原因は、炉内に注水しているポンプの故障、電源の喪失、水タンク等水源の喪失、注水ラインの破壊等があるが、これらが単独で起きた場合は修理可能であっても、複数の事故が同時発生であれば危険だ。例えば再び地震、津波等の災害が起きた場合で、絶対無いとは断言できない。

 現在100度未満の冷温停止状態にあるが、もし冷却水注入が停止した場合、1時間で48〜51℃上昇し、18〜19時間後には水素が発生する1200度に達し、再び水素爆発の危険になり、更に38〜50時間後には燃料の再融解が始まり、圧力容器の底に溜った燃料が更に外側の格納容器に漏れ出すメルトダウンの悪夢の怖れがある。

 安全宣言が出るまでは絶対に予断は許されないのです。

 原発事故は人為的なもの、人間の心に隙が生まれた瞬間、神の火は、悪魔の劫火に変わる。核分裂は悪魔の劫火として生まれたモノ、それを人間が神の火に換えたのだから、悪魔の劫火を鎮めるのも人間の手でしなければならない。

◎福島第一原子力発電所事故の経過

 2011年3月11日14時46分、三陸沖、日本海溝を震源地とするM9.0、史上最大とも言える大地震発生、第一原発のある大熊町の震度6強

 稼働中の原子炉は自動停止、発電所内は停電、水管が壊れ水が噴出した所もある。

 この地震により原発に電力を供給していた6系統の送電線のうちの鉄塔1基が地震による土砂崩れで倒壊、5号機、6号機の外部電源を喪失した。

 1〜4号機の外部電源もまた、送電線の断線、ショート、関連施設破損、故障等によって外部電源を喪失したので、6系統全ての電源を失った。

 外部で電源を失ったので、非常用電源であるディーゼル発電機が起動し切り替わって電力を供給した。

 地震発生から41分後の15時27分、第一波の大津波が襲って、第二波、第三波と数回に及び最大は波高15m超えとなった。

 津波は防波堤を超え、本原発施設に浸入、設備を破壊、地下室、立坑にも浸水し、地下にあった1〜6機用の非常用電源は全て水没、二次冷却系海水ポンプや冷却水循環系のポンプ、燃料用のオイルタンクも流失した。

 このため各プラントは全交流電源喪失に陥り、非常用炉心冷却装置(ECCS)や冷却水循環系のポンプを動かせなくなった。しかも海水系冷却装置は海面に向けて露出状態で設置していたため、第一波の津波で破損してしまった。

 各原子炉を個別に検討してみます。1号機では地震発生後、14時52分非常用復水器が起動したが急激な圧力低下を緩和するため作業員が手作業で調整していたが、津波の来襲で15時50分非常用電池が水没して、遮断状態のまま非常用復水器が使用不能となり、同時に計器、動弁電源も失われた。

 東京電力は17時電源車を出動させたが、地震後の混乱と渋滞で進めず、東北電力に電源車の出動を要請し、22時頃到着したが、津波の被害、電圧不一致もあって翌日15時まで可動できなかった。

 一方、冷却水を循環できなかったのであるから、結果は最悪の状態になり、11日19時30分に1号機の燃料は蒸発した水量低下で全露出して炉心溶融が始まり、所内での直流小電源融通で動かしていた非常用復水器も翌12日1時48分に機能停止、翌12日朝6時には全燃料がメルトダウンに至った。

 1号機は地震発生後5時間で燃料露出したとみられ、15時間程でメルとダウンしたと思われる。

 2号機、3号機では蒸気タービン駆動の隔離時注水系(RCIC)が、2号機は約3日、3号機は約2日の間、炉心に水を注入し続けた(2号機、3号機は全交流電源の喪失を考慮して、隔離時注水系(RCIC)・高圧注水系(HPGF)と、2系統の蒸気タービン駆動注水装置がある。2号機の高圧注水系はバッテリーが水没で駆動しなかったが、3号機ではバッテリーが生きており、HPCFがRCIC停止を感知して入れ替わり起動し、その後15時間程稼動し続けた)

 しかし、バッテリーであるから放電し続けている間に電源車の到着を待ったが、渋滞で遅れに遅れた。

 震災翌日に開通した仮設電源ケーブルが開通6分後に1号機の水素爆発で吹き飛ばされてしまった。

 自衛隊、米軍の電源車を手配し、ヘリコプターにぶら下げての輸送を試みたが重量オーバーで不可能、鉄道は常磐線、磐越東線は寸断、常磐道、国道六号線も寸断、海路は電源車を運ぶ高速船はなし、打つ手なしの状態で冷却水循環のための電源確保に腐心したが方策が立たないままメルトダウンへの時間を経過してしまった。

Q:メルトダウンの怖ろしさを教えて下さい?

A:炉心溶融、或はメルトダウンとは、原子炉中の燃料集合体(場合によっては炉心を構成する制御棒等を含めて)核燃料の過熱により溶融することです。

 福島第一原発では、地震を感知した自動制御システムが作動して、稼働中の原子炉は緊急停止しました。

 しかし、何度も述べている通り、崩壊熱が放射されるので冷却水循環を継続しなければならないのですが、地震と津波で6系統の電源全てを失い、冷却水を注入出来ず、炉内の水は蒸発してしまい、中の燃料棒は露出しまい、燃料棒の崩壊熱はどんどん上昇し2,800度迄上昇すると、その過程で燃料棒と呼ばれる燃料被覆管にはジルコニュウムの合金ジルカロイが使用されており、ジルコニュウムは熱中性子の吸収断面積が全金属中で最小なので被覆管には最適だが、反面、冷却手段を喪失し、被覆管が高温になり、そこに水蒸気が高温のジルカロイに接触すると酸化還元反応で酸素が奪われ水素が発生する。

 圧力容器の中で発生した水素は、水蒸気と一緒に格納容器へと流れ、その水素が格納容器の何らかの隙間から原子炉建屋の上部に溜って、何らかの衝撃が火種になって引火爆発したのでしょうか、勿論推論であって確証はありません、が、水素爆発で建屋の上部が吹き飛んだのは事実ですし、その際放射能が飛び散ったのでしょう。

 事態が悪化させないために「ベント」(排気、ベンチレーション。圧力容器の弁を開放し内圧を下げる)や不活性ガスの注入等の対策があるはずだが、未だ詳細な経過の発表はない。

 一方、高温になった燃料の融解が進行し、自らの発する熱が硬度の高い特殊鋼で出来ている圧力容器の融点より高くなると原子炉圧力容器や原子炉格納容器を損傷、或は底を貫いて外部へ漏出の可能性がある。

 格納容器外に漏出するのが「メルトスルー」、建屋を抜けて外部へ漏出すると「メルトアウト」。溶融(メルト)した燃料が底部へ落下(ダウン)することを指す。

 「チャイナ・シンドローム」という言葉があり、本も出版され、同じタイトルのハリウッド映画もありました。

 これはアメリカでこのような事故があれば、地球を貫いて中国にまで達する、という仮説の話しですが、勿論このようなことは理論的にも現実的にも絶対に起きません。が、そのくらい怖ろしいモノだとの警告だと受け取るべきでしょう。

Q:1号機と3号機が水素爆発したのは理解できましたが、原子炉内に燃料棒がないはずの4号機も水素爆発し、火災まで起きたのは何故ですか?

A:1〜3号機は原子炉稼働中でしたが、地震を感知して緊急停止しました。

 4〜6号機は定期点検中でしたから、原子炉内の燃料束は別の容器にありました。

 原発は年に1度、約2ヶ月程度稼動を止めて燃料棒を交換し、同時に定期点検も行います。取り出した燃料棒は同じ建屋内にある「使用済み核燃料一時貯蔵プール」に収納し、たっぷりの水を循環して崩壊熱を出し続ける燃料棒を除熱しますが、なんと3〜4年も時間がかかります。

 除熱中の一時貯蔵プールの使用済み燃料棒の冷却水用ポンプが作動しなくなり、水が循環しない結果、プールの水は蒸発してしまい、使用済み燃料棒が露出して、その後の経過は同じです。

Q:水素爆発、水蒸気爆発、水素爆弾の違いを教えて下さい?

A:水素爆発は説明してきた通り、燃料棒が高熱を帯びた場合、燃料棒の鞘の部分にあたるジルカロイという合金が高温になり、ここに水蒸気が触れると酸化還元反応により酸素が奪われ水素が発生し、水素は軽いので上昇し上部に溜り爆発する危険がある。

 水蒸気爆発は、もの凄い高温の物体が大量の水に触れると水蒸気爆発が起こります。

 例えば大量のマグマが大量の地下水に直接触れる、マグマが大きな池に流れ込んだ、海底爆発でマグマと海水が接触したような場合、水蒸気爆発が起き猛烈な爆発となります。

 例としては明神礁海底爆発があり、調査中の海上保安庁の調査船が凄まじい水蒸気爆発(別の監視船が撮影した爆発の瞬間の写真があります)に呑み込まれ、全乗組員が殉職したいたましい遭難事故がありました。

 水素爆弾:初めての解説ですから、一寸長くなります。核兵器の一種で、水素及びその放射性同位体の核融合反応を利用した、水素の同位体や三重水素(トリチウム)の核融合反応を誘発して莫大なエネルギーを放出させる。高温による核融合反応(熱核反応)を起すことから「熱核爆弾」、「熱核兵器」と呼ばれ、その性能は核出力としては原爆を遥かに上回る、史上最悪の核兵器です。

 第二次大戦末期、マンハッタン計画で2個の原爆を開発しましたが、水爆は1952年にアメリカが実験に成功しております。核出力は10.4メガトン、史上最大の核兵器の開発でしが、重水素、三重水素を零下二百数十度まで冷却液化しなければならず、大規模な装置が必要になって、総重量65トンになり実用兵器にはならなかった。

 ところが翌1953年ソ連が重水素などの熱核材料をリチウムと化合させて重水素化リチウム(固体)として用いた水爆を開発、軽量化に成功、その後は米ソが鎬を削り、1956年には大型爆撃機に搭載可能な水爆を開発した。

 中国は1966年5月に120キロトンの最初の水爆実験に成功し、1976年11月、4メガトンの水爆実験に成功し、その後 専用の重水生産工場の運転が開始された。

 水素爆弾の威力は、原爆よりも更に大きく、アメリカが南太平洋で水爆実験をしたとき危険海域を定め、船舶の立ち入りを厳しく禁止していたが、実験をしたところ予想外の威力に危険海域と定めていた海域の何倍もの海域が影響を受けた。

 計算違いだった発表したが、予想もしなかった威力にアメリカも驚いたらしい。

 マンハッタン計画の総責任者であったオッペン・ハイマー博士は、全ての公職から追放された。理由は、水爆は人類を滅亡させる、として水爆実験阻止を訴えたためだ。

 現在水素爆弾を保持している国は、アメリカ、ロシア、イギリス、中華人民共和国、フランスで、これらの国は、国連の常任理事国であり、第二次大戦連合国を構成した戦勝国でもある。

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第21章 放射線量(能)の知識

 “眼には見えない放射線、実体が判らないからよけいに怖い
 更には恐怖を煽る情報が飛び交い、無責任な風評被害が広まり世の中は混乱しています。
 特に避難されている皆さんにとって、憎き放射線です。しかし怖れてばかりでは前進はありません。落ち着いて正しい知識を汲み取って下さい。”

 単語の解説から始めます。

 まずは原子爆弾からです。1945年8月6日午前8時広島市上空に侵入したB29爆撃機が原爆投下、一瞬にして死の街、廃墟と化した。続いて8月9日長崎市に投下

 別論「避難地からの報告」で述べた通りですが、ここで再び述べたいのは、放射性物質の正体が初めて明らかになったのは投下後に明らかになったからです。

 原爆開発はマンハッタン計画によって、研究開発されたモノですが、開発に努力していた研究者達は物理学者や理学者が大多数で、放出された放射性物質が人体にどのような作用があるのか全く判らなかったようです。

 終戦になり、アメリカ軍が日本占領を果たしてから、原爆開発を担当した研究達が成果を知りたくて、チームを編成して広島入りしたが、そこで眼にしたのは焼け爛れ、ボロをまとって幽霊のようになって彷徨って人達の群に驚き、更に日を追って歯茎から血を流して死んでいく、直接原爆の被害を受けなかった人々も、投下後救助に駆けつけた人々も続々と死んでいく、その現象に仰天したのです。

 開発者達は熱線と爆風の怖ろしさは十分研究しており、通常爆弾のように爆発した瞬間に直接熱線・爆風の被爆を受けた人々が犠牲になり、直接被害を受けなかった人々が、その後で放射線による被曝で大変な被害を受けることをアメリカ側も把握しておらず、もしこのような惨状をアメリカ市民が知ったならば、投下を命じた大統領や軍幹部、開発した技術者が非難されるだろうことを怖れて、報道を禁止したのです。

 そこでアメリカ軍の執った処置は、マスコミやその他の報道機関者の広島・長崎入りを禁止、原爆に関する一切の報道・取材の禁止、報道管制を敷いたのです。

 アメリカ国内の報道も規制し、被曝の怖ろしさは機密事項として報道禁止、学校教育においても原爆は世界に平和をもたらした素晴らしい最新兵器だと教え込んだ。

 広島における原爆慰霊祭にアメリカ政府関係者が出席したのは半世紀後のことでした。

 原爆の怖ろしさ

 原爆1個でTNT15`トンに相当する(第二次大戦当時の爆弾は最大1トンでしたから、1トン爆弾15,000個以上に相当する威力があった。

(1) 原爆1個の全エネルギーの35%が熱線、地表面の温度が瞬間3,000〜4,000℃になり、人体は一瞬にして蒸発、(太陽の表面温度が5800℃)

(2) 原爆1個の全エネルギーの50%が爆風、中心部は数十万気圧に達し、この爆風をもろに受ければビルも簡単に吹っ飛ぶ程の威力。

(3) 残りの15%が放射線のエネルギーとなり、放射線障害は放射線と残留放射線になる。

 この悪魔の兵器、原子爆弾より、更に千倍の威力があるのが水素爆弾で、原爆は核分裂によるエネルギーの放出ですが、水素爆弾は水素を高温・高圧で融合させる時に生ずる核融合エネルギーを爆発力に使うモノで、原爆の千倍の威力がありとされていますが、実際は更に大きくなり、理論上は無限大の威力があり、もし1個爆発させればこの世は終わりとなり得るモノで、国連の常任理事国5ヶ国のみが保有している悪魔の兵器です。

 原爆が持つ怖ろしさは、爆発の威力とともに放射能を撒き散らし、それが何十年もの間外部被曝、内部被曝と人々を苦しめ、死に追いやる文字通りの悪魔の仕業なのです。

 原子爆弾と原子力発電所の違いは、原子力の稿で説明した通りですが、もう一度復習します。

○ 原子爆弾

ウラン235を濃縮し90%〜99%にして、ウラン235を一瞬にして核分裂反応させ全エネルギーを放出、爆風、熱、放射線となり、制御は出来ない。

○ 原子力発電所

ウラン235を加工し濃縮度は3%程度のウラン化合物で、焼き固めて小さな粒状のものがペレットと呼ばれるモノで、このペレットをジルカロイという棒状の刀の鞘状のものに入れ、これを少しずつ、ゆっくりと核分裂させて熱エネルギーを放出させるので制御ができる。

○ 臨界

ウラン235が核分裂すると2〜3個の中性子が放出され、この中性子が次のウラン235の原子核に衝突をして核分裂を起す。

原爆の場合は90%以上の高濃度にしてあるので、周りはウラン235ばかりで、全ての原子核が反応して、一挙に核反応が進み、猛烈はエネルギーが一挙に放出される。

原子炉の中の核燃料であるウラン235の濃度は3%位の低濃度で、核分裂反応で中性子が2個放出されても1個は原子炉の材料に吸収されたり、ウラン238に吸収されたりする。更に制御棒という中性子を吸収できる制御の手段があり、これによって中性子の数をコントロールして、核分裂で放出された中性子1個だけを次の核分裂を起させるようにコントロールすることによって、核反応をゆっくりと進むように制御できる。

この状態で進行することを「臨界」といいます。

従って、原爆と原発の違いは、中性子の数をコントロール出来るか、出来ないかです。

○ 被爆と被曝の違い

被爆:原子爆弾の爆発によって直接的な熱線、爆風、放射線を浴びた被害。

被曝:放射能汚染により、放射線を体の外側に受けてしまった(外部被曝)

   放射性物質:空気中にチリとして浮遊しているのを呼吸で体内に入ってしまった。

   または飲食物に付着した放射性物質を体内に取り入れてしまった。体内で放射線を放射する。(内部被曝)

○ 難しい単語、単位、数値が出てきますが、出来るだけ理解しましょう。

 素人である私自身が理解できるよう、できる限り易しく解説します。

Q:放射線・放射性物質・放射能の区別を教えて下さい。

A:理解しやすく解説します。

 蛍に喩えると、蛍が光を発する本体とすると、

 蛍は「放射性物質」になり、

 蛍の光が「放射線」になり、

 蛍の光を発する能力を「放射能」と仮定します。

 放射性物質が外に漏れないように原子炉の場合は格納容器に入れて漏れない対策をしている。他の場合でも特殊な容器で漏れない工夫をして厳重に保管している。

 だが漏れてしまった場合、格納容器等を‘蛍の虫かご’にすると、蛍の光が外に漏れると‘放射線漏れ’

 蛍が虫かごから外へ飛び出してしまったら‘放射能漏れ’

 外部被曝:放射性物質が体の表面に付着した、放射線を浴びてしまった。

 内部被曝:放射性物質が呼吸、飲食物に付着して体の中に入ってしまった。

 我々の身の回りにあるモノは全て分子で構成されており、その分子は原子で構成されております。

 大きさの比較として、分子の大きさを地球に喩えると、原子はリンゴ位の大きさになり、原子の中には原子核があって、その大きさは1兆分の1cmの大きさで、核の中には陽子と中性子が入っております。

 原子核には安定していて核分裂をしない核と、不安定な原子核があり、安定した核に変わろうと(壊変)する時に放射線を放出する能力を「放射能」。

 放射線を放出するような不安定な元素(原子核)を含む物質も放射能を有するといい、「放射性物質」とする。

 核分裂に伴い放出されるのが「放射線」である。

 核分裂の際に猛烈なエネルギーを放出します。そのエネルギーを熱量に換算してみますと、石油1グラムが燃えると約1万カロリーの熱量になり、ウラン235が1グラム、全部が核分裂したとして熱量に換算して200億カロリーが放出されたことになり、ウランは石油の2百万倍のエネルギーの熱量を放出することになります。

 このように原子核エネルギーは地球上のいかなる化学反応によるエネルギーに比べようもないくらいの桁違いの膨大なエネルギーを放出することになります。

○ 放射性物質:

 放射能を持った物質が「放射性物質」であるが、放射性物質そのものを放射能と呼んでいることが多い、ただし厳密には区別すべきものです。

 原子核が放射線を出して別の原子核に変わる性質、能力を持った物質をいいます。

 喩としては‘蛍の本体’そのものです。

 ウランやラジウムのような不安定で放射線を出して分裂する自然放射性同位元素、人工的に作られたセシウム137の様な人工放射性同位元素があります。

○ 放射能:

 新聞報道やTVでレポーターが報じているのを聴くと、「放射性物質」と「放射能」を全く区別することなく報じていますが、厳密にいうと放射能とは「放射性物質が放射線を出す能力」をいいます。

 更に厳密に定義すると、原子核が放射線を出して別の原子核に変わる性質、能力のことをいいます。

 放射性物質の本体が‘蛍’とすると、その蛍が発する光、即ち放射線を発する能力が放射能となります。蛍が光を発する能力です。

○ 放射線:

 原子核が分裂するとき出てくる電子やヘリウムイオンのような粒子線を指します。原子核から飛び出す粒子線は強力で、別の原子核を破壊する核分裂をおこす粒子線若しくは電磁波を「原子力基本法」では、放射線と規定しています。

 蛍の発する光と喩えましょう。蛍の光を放射線とすれば、高速で飛び出す粒子か、光の仲間である電磁波のいずれかであり、たとえば‘中性子線’は、高速で飛び出す‘中性子’という粒子です。

‘α線(ヘリウムの原子核)’や‘β線(電子)’も粒子の放射線です。

 一方、レントゲンに使われる‘χ線’や殺菌に使われる‘γ線’は光の一種だと解釈して下さい。

 即ち蛍の発する光にも色々な種類があることを理解して下さい。さらにその光にも種類によって働きも違います。光は電磁波の一種で、周波数の数によって働きが異なります。

Q:放射線が検出されると、何故か三種の単位が示され区別が付きません。

A:ベクレル(Bq) グレイ(Gy) シーベルト(Sv)の三種です。

 放射線が検出されたとき、人体にどのような影響があるのか、作用するのか、を表わす単位で、放射線研究に功績のあった学者の名前が単位になっています。

 判り易く喩えで説明しますが、前の項で蛍に喩えましたから、次は‘蛍雪の功’に因み、雪に喩えましょう。

 「放射性物質が出す放射線」(蛍の光)を雪が降ってきたことに喩えます。

○ ベクレル:単位Bq(アンリ・ベクレル、フランス人)

 雪が降ってきました。どの位の量が降ったのか、積もったのか、

 雪の量が「放射線の量」になりますから、これを表わす単位が「ベクレル」。

 具体的には、1秒間に崩壊する(放射線を放出)原子の数を表わす単位。

 放射性物質の原子核は不安定な状態にあり、放射線を出して、別の原子核か、同じ原子核のより安定した状態にかわる。

 この変化を‘放射性崩壊’という。1秒間に1回崩壊することを‘1ベクレル’(Bq)という単位になる。

○ グレイ:単位Gy(ルイス・ハロルド・グレイ、イギリス人)

 降った雪は地面に積もります、が、溶けて地面に染み込んでいきます。

 その地面に吸収された量を表わす単位が「グレイ」。

 グレイは、大量の放射線を浴びたとき、数時間〜数週間以内にでる急性症状である「確定的影響」(白血球の減少や臓器の壊死など)の推定に使われる。

 「確定的影響」とは、ある一定以上の放射線量でしか起きない。

○ シーベルト:単位Sv(ロルフ・シーベルト、スウェーデン人)

 降ってくる雪が地上を歩く人にも降り注ぎ、するとその人は冷たく感じたり、濡れたり、人体に及ぼす影響があります。ですからその人にあたる雪の量によって人体に及ぼす影響を表わす単位が「シーベルト」。

 数年以上経過してから起きる可能性のある「確定的影響」(癌、白血病や遺伝性影響)を推定するときに使う。明確な確定的影響は、100mSv前後より大きな被曝によって起きるとされている。

(1Sv=1/1,000、1mSv、1mSv=1/1,000、1μSv 単位に注意)

換算方法

ベクレル(Bq)× 実効線量係数 = シーベルト(Sv)

ベクレル(Bq)は放射能の強さを表わす単位、単位時間に壊変する粒子数をいう。

これに核種や人体の部位によって異なる影響度を加味した係数を掛けるとシーベルト(Sv)の値が求められる。

グレイ(Gy)× 放射線加重係数 = シーベルト(Sv)

グレイの放射線荷重係数という放射線の種類(α線、β線、γ線、中性子線等)によって定められた係数に掛けて、シーベルト(Sv)の値が求められる。

Q:最大の関心事は、人体に影響を及ぼす単位であるシーベルトですが、これがサッパリ判りません。

A:確かに人体に影響がありますから、気を付けて聴いていると思いますが、報道関係者自身が間違えている事がありますから気を付けて下さい。

 ミリ、マイクロの単位を使います。

 1Svの1/1,000が1mSv、(ミリ、m)、1mSvの1/1,000が1μSv)

 (mSv)の1/1,000が(μSv)になりますから気を付けて聴いて下さい。

 ですから、単位をミリシーベルトで表現したときは聞き耳を立てましょう。

 報道で「放射線量が通常の10倍になった、100倍になった」と報じられれば誰でもギョッとします。わざと脅かしているのか、判りませんが、通常といっているのは、放射線量は毎時0.05マイクロシーベルトをいっております。ですから10倍、100倍でもマイクロシーベルトの範囲内です。

 また、某地で「400ミリシーベルトの放射線を検出した」といった報道があると、健康被害を及ぼす最低の基準が500ミリシーベルトだから、これは大変だと身構えます。

 しかし、殆どの報道が「毎時」を抜かして報道しています。

 400ミリシーベルトの意味は、その場所に1時間もの間、ジィーと立っていて放射線を浴び続けたら、被曝量は400ミリシーベルトになります、ということです。

 一瞬で400ミリシーベルトを浴びてしまうのだとは誤解しないで下さい。

 大半の人は通りすぎるだけの一瞬でも放射線を浴びると、致命的と思い込んでいるようです。

 政府発表も「毎時」を抜かしていましたし、時々ミリシーベルトとマイクロシーベルトの単位を読み違えておりましたから、次の機会に訂正するのかと思っていたら、我関せずの様子でした。(1Svの1/1,000が1mSv、その1/1,000が1μSv、覚えて下さい)

 東京・世田谷でガイガーカウンターを持って自転車で区内を走り回り、測定していた方が、とある古い民家の前で突如警報音が鳴り。区役所に通報、調査したところ床下に埋めてあった箱に放射性物質が発見され、正体はラジウムが入った瓶で家主は全く知らないという、続いて同じ世田谷区内のスーパーの駐車場と道路の地下に放射性物質があるようです。続報として11月15日、瓶に入ったラジウムが掘り出され回収されましたが、相当古いもので何かの研究に使ったのを放置したようです。

 11月3日ソウル発、韓国でも福島原発事故の影響を心配し、ガイガーカウンターを持って調査していたところ路上で強い反応があり、毎時3μSvの前後のもので、それも複数箇所のところですから、福島原発の被害だと大きく報道されましが、調査の結果はセシウム137が検出されたが、地表面ではなく道路の舗装内部からなので剥がして調査したところ、10年位前に道路工事に使用したアスファルトに含まれた放射性物質らしいことが判明、ソウル全市の道路を調査することになった、と報じています。

 放射線防護に関する国際学術団体であるICRP(国際防護委員会)、世界の専門家が結集して、専門的立場から放射線防護に関する勧告を行う民間団体の非営利団体で、公認の慈善団体、本部はイギリス、学術事務局はカナダ、支局は先進各国にあり、勿論我が国にもあります。

 2007年の勧告では、「1年間の被曝限度となる放射線量は1mSv未満、緊急時には20〜100mSv、緊急事故後、復旧時には1〜20mSvと定めた。」

 福島第一原発事故に関してのICRPの勧告は「被曝線量の許容値を通常の20〜100倍(20〜100mSv)に引き上げることを提案した。但し、事故後も住民が住み続けるならば、1〜20mSvを限界として、長期的には1mSw未満を目指すべき」と勧告した。

 これを受けた内閣府、原子力安全委員会は「累積被曝量が20mSvを超える地域については特別の防護策の措置を構ずるべきだ」と政府に提言した。

Q:放射線にも種類があるそうですが?

A:放射線という一種類のモノではありません。自然界には様々な放射性物質が存在し、放射線を放出しているし、宇宙の彼方からも「宇宙線」が降る注ぎ(0.3mSv)、空気中(0.4mSv)、地面(0.4mSv)、食物(0.4mSv)、こうした放射性物質からの放射線を浴びたり、体内に取り入れたりして、日常的に受け入れている。

 また、医療用としてX線、癌その他放射線による治療、日常生活の中に放射線は存在していた。従って日本国内では年間被曝量を1.4mSv(1988年・推定値とされていたが、改定値は1.5mSv)としている。(現在は1.0mSv)

 現在、福島第一原発事故により、放射性物質(セシウム137等)が拡散し、チリやホコリとともに飛んできた放射性物質はあたり一面の地面や草木に付着し、広い範囲の地域が汚染され、これらの全体から受けるγ線が外部被曝になります。

 他方、放射性物質に汚染された食物等を摂取した。放射性物質が浮遊しているところで呼吸した、といっても呼吸しない訳にはいかないから体内に入ってしまったのが内部被曝。

 体内に入った放射性物質の多くは数時間から数十時間で体外へ排出されますが、体内にあるうちは放射線を出し続けることになります。

 さらに放射性物質は血液とともに体内を流れ、骨や筋肉に入り込むことがあります。

 内部被曝は、どの部位にどんな放射性物質がどれだけ留まり、どの位の影響を及ぼすのか、これからの研究課題だそうです。

Q:放射線とは、どんなモノなのか説明して下さい。

A:自然の放射線と原発事故で漏れだした放射汚染、或は医療に使われている放射線に本質的な違いはない。放射線は、高速で飛び出す粒子か、光の一種である電磁波のいずれかなのです。 ○ 放射性物質の種類によって、放出する放射線の種類も異なります。セシウム137やヨウ素131はβ線、γ線。プルノニウムはαを出します。

 γ線は殆どのものを透過し、厚い鉛でなければ防ぐことが出来ません。β線は空気中で1.5m程度、プントニウム等から放出されるα線は、空気中数cmしか飛びませんから、外部被曝に関してはあまり神経質になる必要はありません。

 その例として、JCOの臨界事故では、作業を担当していた作業員二人は直接外部被曝にあい、搬送先で死亡しましたが、数m離れた所にいた監督者は入院治療は受けましたが、3ヶ月後退院しております。

Q:放射線の種類によってその影響は違うのですか?

A:放射線にはα線、β線、γ線、χ線、のほか、中性子線や陽子線等数多くの放射線の種類があります。吸収した線量が同じでも放射線の種類によって人体に及ぼす影響は異なり、それによって細胞のDNAの破壊の仕方、細胞核の傷め方にも違いがあり、体内器官への取り込まれ方にも違いがあり、結果、癌、白内障、白血病その他、発症にも違いがあります。

 どの種類が人体のどの部位に影響を及ぼすかは、一つの目安として「放射線荷重係数」と「透過力」とがあります。

○「放射線荷重係数」

 放射線荷重係数Wrは、数値が大きいほど、内部被曝で体内の部位での放射線の影響が大きくなると理解して下さい。

χ線、γ線 1
β線 1
中性線 5〜20
陽子線(2MeVを超えないもの) 5
α線 20

 これで看るとχ線、γ線、β線が1に対してα線は20ですから20倍の大きな影響を及ぼすことを示しています。ところがもう一つ「透過力」が影響します。

 「透過力」:放射線にはモノを突き抜ける力があり、種類によって大きく違いがあり、透過力が強い中性子線では鉛の板をも透過する力があります、それに対してα線は紙1枚も透過できません。β線も弱いのですが、外部被曝では皮膚を透過して、直ぐに留まってしまうため皮膚内部でのβ線熱症など、皮膚被曝を起こす可能性がります。

 どの種類の放射線を放出するかは、放射性物質の種類によって異なり放射性ヨウ素やセシウムはγ線、β線を、ストロンチウムはβ線、プルトニウムはα線を放出します。

 また、放射線も種類によって放射線の到達距離に違いがあり、外部被曝の場合は大きく違いがありますが、内部被曝の場合は影響を受ける細胞が至近距離にありますから、外部被曝、内部被曝の影響に大きな差が生じます。

○ 放射線の種類、透過力、影響力

 ● α線(アルファ)

 α線は原子核がα崩壊を起したときに放出される放射線、ほかの放射線よりもエネルギーと粒が大きいのでα線は近くのモノに与えるエネルギーは大きいが、直ぐにエネルギーを失い、透過力が弱く、紙一枚で遮断できる放射線、ですから外部被曝では皮膚を透過出来ないので、害はない。

 ところがα線を出す放射性物質が体内に入ってしまうと直接組織や臓器に影響を与え、臓器の1つの細胞などの小さい範囲でα線が放射されると大変危険なことになり、細胞核やDNAを傷付け、癌や遺伝的問題になるかも知れない。

 ● β線(ベータ)

 原子核がβ崩壊を起したときに放出される放射線。

 β崩壊で原子が別の原子に変身するが、質量数は変化しない、この時高速で放出される電子がβ線で、空気中は透過出来るが、薄い金属板で遮断できる。原子炉の中でウラン238からプルトニウムが生成するときに発生する。

 ● γ線 (ガンマ)

 原子核が崩壊したときに必要なくなったエネルギーがγ線で、α線、β線と異なり電荷を持たない放射線。α崩壊、β崩壊の時に共に放出されるが、γ線は光や電波と同じ電磁波の一種なので、極めて波長が長くエネルギー型が高いので物質を透過する力が強く、被曝すると外部から直接体内に入り込む。厚いコンクリートや鉛で防ぐ。

 ● X線

 1895年、ウィルヘルム・C、レントゲンによって発見された放射線で、電磁波の一種で、病院でレントゲン写真撮影に使われているように透過力が大きく人体を透過します。

 ● レントゲン

 照射した放射線量の総数を表わす単位に使われていたが、1989年に国際単位系が替わり、現在は単位としては使われていない。

 ● 中性子線

 中性子は原子核を構成する素粒子の一つで電荷はない。質量は水素の原子核(陽子)とほぼ同じ、中性子線は水、パラヒン、厚い鉄板、コンクリート、鉛で止めることが出来る位の透過力が大きい、人体には外部から中性線を浴びると人体の組織、臓器に影響がある。

被曝線量限度

○ 日本における平均の被曝量は年間約1.5mSvとしていたが(1mSvに改訂)

○ 被曝量「100mSv」というのは生涯に受ける被曝量をいいます。(全人生)

○ 原子力産業作業者の5年間積算線量限度「100mSv」

○ 原子力産業作業者の1年間積算線量限度「50mSv」

○ 我が国の一般公衆の1年間積算線量限度「1mSv」と改訂した。

○ 世界平均1年間積算線量限度「2.4mSv」

 (報道では、生涯、年、月、日、時間等の単位を省略して場合がありますから、数値だけで解釈すると誤解することがありますから注意して下さい)

* 放射線作業従事者の1年間積算線量が一般公衆の1年間積算限度値の1mSvより50倍である1年間積算限度値が50mSvと設定されておりますが、これは許容被曝量をこのくらいに設定しないと経済的に「原子力産業」が成立しないからだそうですから、一般公衆の積算限度額がいかに厳しくしているかが判ります。

* JCO事故では、作業員が2名なくなりましたが、現場近くの住民が強制避難したが、後の調査では住民の被曝量、科学技術庁(当時)発表では「3.5〜87mSv」

 ところが民間病院の調査では「13.8〜650mSv」と発表、同じ住民を測定してもこのような大きな相違が出ました。

 その後体調不良を訴えた住民は、科学技術庁が250mSv以下であるから急性障害が出るはずがないと、その因果関係を否定したそうです。

 ところがJCO付近の住民で数mSvの被曝でも下痢、嘔吐など体の不調を訴えた人がいたことが判明し、急性障害のしきい値の再検討が求められています。

* 幸いにも、2011年11月現在、福島原発事故の後始末に従事している作業員には確定的影響は見られていない。

Q:福島第一原発からどの位の距離を離れれば安心といえますか?

A:原子力・保安院が事故の翌日3月12日の発表によると、「第一原発正門付近の放射線量が通常の8倍、1号機の中央制御室で通常の約1000倍」

 これを受けて菅総理が即座に、当初3km圏内の住民だけに出していた避難指示を10km圏内に拡大、さらに20km圏内に拡大、15日には半径20kmから30kmの範囲の住民は屋内避難、10日後の25日には、国内避難の住民に「自主避難」を呼びかけた。

 避難住民の地域を半円を描いて決めるのにはどんな意味があるのか。さらに自主避難とは何なのか。

 万が一に備えてシミュレーションをやり対策の策定、マニュアルを作成しておくべき政府も地方自治体も、何もない状態でのぶっつけ本番ですから、対策が後手になるのは当然の結果なのでしょう。安全管理、安全対策後進国の悲劇です。

 ただし、保安院では放射能飛散の状況をシミュレーションして汚染状況マップを作成していたところ、官邸の独断で先に半円を描いて避難区域を決め、各自治体に避難要請を出したとのことのようです。

 では半径10km、20kmに広げていった根拠は何でしょうか。

 放射線及び放射能漏れを起している原発から離れれば離れるほど放射能を浴びる量は減るからです。

 理論を申しますと、放射線の強さは、放射線を放射する放射線物質(第一原発)からの距離の二乗に反比例します。具体的にいいますと、第一原発から倍の距離離れて遠くへ行けば原発周辺で浴びる放射線が1/4に減少します。

 さらに4倍、8倍離れれば1/16、1/64・・・・といった数値は理論上成り立ちます。ですから避難範囲を半円の数値を広げていけば大丈夫と理論上で決めていったのでしょうか。

 ところが、皆さんが承知している通り、そうはいかなかった風に乗った放射性物質が遥か遠くへ飛ばされ、30km圏より外側に存在していた飯舘村等の5市町村が「計画的避難区域」に指定され、飯舘村は全村避難した。

 富岡町よりも飯村の方が汚染度は高いようです。距離で比較すると遙かに近い広野町は警戒地区が解除になりましたから、等心円周上での避難区域決定はあまり意味がないことになりますが、一刻を争う緊急事態発生でしたからからヤムを得ない措置だったのでしょう。

 チェルノブイリ事故では、最初に気付いたのが遠く離れたスウェーデンであり、全欧州が被害を被ったのだから、理論はあくまで机上の理論に過ぎないのです。

 従って何キロ以上離れれば大丈夫という、具体的な数値を示した円を描くことは出来ない、と言うことになります。

Q :被曝は避けられなければ、どの程度までの被曝量であれば影響がないのか?

A:福島第一原発事故以来、「ただちに健康には影響はない」「数回食べたり飲んだりしても健康に影響はない」という報道や解説が繰り返されていますが、これを聴くと余計に不安になることでしょう。ただちに、とか数回とか限定された表現では、これから長く続く、或は数十回続けば必ず影響がでることを告げていると解釈してしまうのです。

 ここでいう影響とは、一定の量(しきい値)以上を被曝したときのみにおきる「確定的影響」を指すのですから、説明の言葉が足りない、配慮が足りない報道・解説なのです。 しきい値に達しなければ、確定的影響は起きない、ということです。厳密にいえば、しきい値とは、急性症状の発症率や死亡率が1%となるときの放射線量(Gy)で表わされる。

※「しきい値」とは、難解な言葉ですが、お役所の文章には度々でてきます。といっても官僚用語ではなく、生理学や心理学では「閾値」、物理学や電気工学では「しきい値」として学術用語として定着しおり、意味は「境目」或は「限界」となる値を指します。

 「閾」という漢字は難解なので、「敷居値」を用いていましたが、現在は「しきい値」が定着してきました。

 それでは被曝の影響を受ける「しきい値」の数値を示してくれ、なりますが、これがまた困難なのです。何故なら胎児、乳児、幼児、子供、成人、老人、更に男、女によっても影響する「しきい値」が異なり、更に困難なのは人体の臓器によっても、しきい値は異なり、それぞれに適した「しきい値」を示すのは現段階では無理で、これからの研究課題です。

 広島の原爆投下では2年後から白血病の発症例がみられ、6〜8年後にピ〜クがあったと放射線影響研究所の発表があったが、被曝量との因果関係が不明で、発症例の統計だから、確定的影響の例にはならない。

 現在の研究では、多くの臓器の癌を含めて、100mSv(実効線量)前後より大きい被曝では、被曝量が多いほど確率的影響が起きやすい、とされている。逆に言えば100mSv前後より少ない被曝量であれば確率的影響力が増える証拠は統計的に得られていない。

 なお遺伝的影響に付いてはヒトでは確認されておらず別な面で考察する。世界には自然放射線が高い地域がある。例えば世界最高値はイラン・ラムサールでは年間被曝量が10.2mSv。ブラジル・ガリパリ5.5mSv。中国・陽江3.51mSv、と日本の基準値の約7倍、世界値の4倍強であるが白血病、癌の発症例が特に多いわけではない。自然放射線が高いのは地質学的なのものでウラン238を多く含む花崗岩地帯にみられる現象です。

 一方、原子力施設での業務や、CTスキャンなどの業務に従事する医療スタッフも低線量の被曝をしているのは事実だが、これらの人々のリスクの程度についてもはっきりしたデータは未だ示されてはいない。

 福島第一原発事故後の健康へのリスクがどの程度なのか、急性症状等の健康への影響は未だ報告されていない。癌・白血病や遺伝性影響はどの程度なのか気になるが答えはない。このような確定的影響のない被曝に於いて確率的影響のリスクは「様々な癌に発症率・死亡率やそれによって失われる寿命などを総合的に考慮した値(損害リスク係数)」で表わされる。

 ICRPの勧告によれば、1Svの被曝で癌のリスクは5.5%増加し、遺伝性のリスクは0.2%増加する、と見積もられているが、全集団で平均した値であり、年齢によって異なるはずだからあまり参考にはならない。

 喫煙、アルコール、交通事故の例は実際の死亡数の統計によって算出されているので「どのくらいの寿命が失われるか(損失余命日数)」という指標があり、それによると、喫煙やアルコール摂取量による生活習慣により損失日数は、1年以上の寿命を失わせる事になっているが、同じように方法で、原子力施設従事者、医療行為で被曝する「放射線業務従事者」調査、研究した結果、失う寿命は僅か23日と計算された。

 どのような行動を執ったとしてもリスクゼロはあり得ないことで、今回の事故でも避難を優先するあまり、双葉厚生病院では搬送中に数人が亡くなったが、緊急の搬送に反対した医療スタッフがマスコミの糾弾を受けた。老人ホーム、寝たきり老人の搬送中、搬送後に死亡に至った、あるいはより悪化させてしまった例があり、結局、リスクどうしのバランス、どの程度のメリットがあればリスクを受け入れるのか、箇々のケースがあり、その判断は神の領域に入るような難しさです。

 怖がりすぎは風評被害を増すばかりであり、どの程度の被曝量なのか、その影響はどの程度なのかは個々人が把握しておくべきです。

Q:低い被曝量でもどこまで影響があるのか、具体的に教えてください。

A:確定的影響の「しきい値」は臓器や組織によって異なりますから、はっきりした数値を挙げることはできませんが、国際放射線防護委員会(ICRP)が出した勧告によると、低い数値からでは、精巣に0.1グレイを浴びると一時的な不妊の症状が現れる。グレイをシーベルトに換算するには、放射線の種類を考慮しなければならない。

 なお、グレイの単位をシーベルトに換算するには、ヨウ素131やセシウム137が出すγ線やβ線であれば1倍だから同じ数値になり、プルトニウムなどが出すα線の場合は、20倍になる。

 精巣では6グレイから永久不妊となるが、卵巣では半分の3グレイから永久不妊となる。骨髄では0.5グレイで血液中のリンパ球の数が一時的に減り、2〜3グレイになると治療を施しても1%は死亡する。3〜6グレイ以上では、広範囲に皮膚の火傷症が現れ、目では、0.5グレイで水晶体の「にごり」が看られる。

 胎児への悪影響もあり、原爆被爆者の場合、確定的影響に分類され、原爆被爆者の疫学調査では、約200ミリシーベルト以上を被曝した妊婦は、胎児の先天的な知能障害のリスクが高まると報告しているが、具体的な報告はないが、細胞分裂と器官形成がさかんな胎児が、被曝による細胞やDNAの‘傷’の影響が大きいと考えられる。

 ICPMの勧告では「重篤な精神遅滞」のしきい値を、約0.3グレイとしている。

 低線量の放射線では、どの程度の障害があるか心配ですが、生涯被曝の基準量として100mSv(ミリシーベルト)が示されていますが、この量を短期間で浴びたとすると、放射線にもっとも敏感なリンパ球の現象が看られるときがあります。

 これ以下の線量では、検査で検出できる症状は現れないとしています。

 しかし、低線量被曝でその被曝して直ぐには症状が現れなくとも、何年後かに症状が現れる可能性は否定できませんので、国際放射線防護委員会(ICRP)では、一般公衆の積算限度額を1年間で1mSvと定め、我が国政府もこれに準じて1mSvと決めています。

 これでも絶対安心だという数値ではなく、ICRPの見解では「1年間に1mSvの被曝があると1万人に0.5人に症状が出るかも知れない」としており、我が国では「10万人に1〜37患者があるかも知れない」としており、そうすると被曝によるものか、他の要因によるものなのか因果関係の証明は難しいものになる。

 放射線の影響には癌、白血病、遺伝性影響等の確率的影響があるが、確率的影響で最も早く現れるのは白血病ですが、放射線影響研究所の資料によると、原爆被爆、被曝者の例では、2年後から高い発症例がみられ、6〜8年後にピークがあったようです。

 その他の臓器の癌も含め100mSv(実効線量)前後より大きな被曝では、被曝量が多いほど確率的影響があるということが判っておりますが、100mSvより低い場合である低線量被曝の確率的影響については統計がないとしており、いくつかの仮説だけのようです。

 なお遺伝性の影響については、動物実験だけで、ヒトについては推論だけです。

 なお、フランス科学・医学アカデミーによると「一定線量以下では癌等は発症しない」低線量被曝で癌のリスクがあるとしても、一般的に発症する癌による死亡率30%に対して100mSvの被曝ではリスクが0.5%増えるだけだと、発表しています。

○ 最大100mSv前後被曝の、低線量被曝について述べましたが、100mSv以上の高線量放射線による障害についても参考として述べます。

 身に一度に高線量を被曝した場合はその障害は早期に始まりますので急性障害と言われます。

 人間の場合一度に6〜7Sv以上(単位に注意、ミリ(m)が付きません)の放射線を全身に浴びると99%死亡しますが、その浴びた線量によって死亡までの時間差が生じます。

 もし仮に100Sv程度の光線量の放射線を全身に浴びると、短時間で方向感覚、平衡感覚を失い運動機能失調等の中枢神経機能を失い、ショックに陥って2、3日で確実に死亡します。

 10Svの高線量の場合は、骨髄に障害を引き起こし、骨髄で作られる血小板、赤血球、白血球が減少し、出血、貧血、感染症等が起きるため、死亡します。

 4〜5Svの線量であれば約50%が死亡します。5Sv前後の被曝であれば大半が永久不妊になります。

 250mSv以下の被曝であれば、急性の臨床症状は現れないということで、これをしきい値としJCRPが採用していますが、この根拠は広島、長崎の被爆者に対する日米合同調査で急性障害の一般的症状である脱毛、皮膚出血斑(紫斑)下痢、嘔吐、食欲不振、倦怠感、発熱があるが、脱毛と紫斑だけを放射線症と定義し、他を切り捨ててしまったことと、調査範囲を半円2km以内と限ったことで、大分見落としてしまったことが後で判明しました。

 その後の調査で2km以上離れた3〜4km離れたところで被爆した、あるいは100mSv以下の放射線を浴びた人でも脱毛や紫斑、口内炎、嘔吐等の症状があり、JCOの事故でも同様な報告がありましたから、250mSvという数字の根拠が危ぶまれ再検討の余地があります。

 急性障害から回復し、一見健康そうに見える人も、実は疲れやすく、普通の労働が出来ない、そのため「ぶらぶら病」等と言われ周囲から冷たい目でみられるという、経験を持つ人も少なくありません。さらに何年後かには癌や白血病になる不安に悩まされることになります。

 広島、長崎に原爆投下があり多くの犠牲者が出ましたが、戦後になっても被曝による犠牲者がでた事故がありました。

 国連理事国である強国が競って原水爆の実験を繰り返し行っていた頃の1954年3月1日、ニューキャッスル作戦として水爆実験を南太平洋のビキニ環礁で、米国が行った水爆実験海域の危険海域圏の外で鮪延縄漁をしていた焼津港所属の第五福竜丸が操業中、突如黒い霧状の細かな灰が降ってきて、甲板に黒く積もり、足跡が付いたというから相当な量の放射能を帯びた降灰があったのです。乗組員はどうゆうことなのか意味が分からず、黒い雪が降ってきたと冗談をいっていたらしいが、 何か危険を感じて現場から遁れるようとしたのですが、揚げ縄作業中でしたから、作業は十数時間を要し、かつ全乗組員23名が甲板上で長時間作業を継続したため、忌まわしい外部、内部被曝をしてしまったのです。

 後の調査では乗組員23人が浴びた外部被曝量は、1.7〜6.9グレイ(Gy)と推定される(主に影響したγ線の場合は、1Gyは1Svと換算できる)

 この放射線量は急性症状が出る被曝量にあたり、事実全乗組員が嘔吐、頭痛、皮膚障害、脱毛、白血球の減少などの急性症状が出たという。

 焼津港帰港後、直ちに検査を受け、即全員入院となって、懸命の治療にあったが、半年後の9月23日最年長であった通信長久保山愛吉さんが死亡(享年40歳)。

 他の乗組員は小康を得て退院したが、健康に優れず過酷な労働である漁船員には戻れず、軽作業の仕事に従事したが、まもなく肝硬変や肝臓癌その他で亡くなったが、被曝との因果関係はハッキリしないまま、プライバシーの問題もあり、ひっそりとこの世を去った。

 1999年9月30日、茨城県東海原発にある、JCOで作業中臨界事故が起きた。

 三人の作業員が作業中、臨界事故が起き大量の被曝で、直ちにヘリコプターで千葉県にある放射能研究所病院に搬送され治療を受けたが、作業員の大内さんが59日後の99年12月21日死亡、篠原さんが83日後の00年4月23日に亡くなった。もう一人は監督者で数メートル離れていたため一命はとりとめ99年12月20日無事退院した。

 周辺の住民も強制避難し、健康調査が行われたが、異常なしと診断され、その後体調不良を訴え、損害賠償を求める訴訟を起こしたが、因果関係が認められず却下された。

Q:外部被曝と内部被曝で身体影響に相違がありますか?

A:外部被曝:外部被曝は身体外部に放射線を浴びた、放射性物質が付着して放射線を放射した、ことですがγ線以外はそれほど飛びません。β線が空気中1.5m程度、α線は数cmですから、放射性物質が大量に放射線を発してそばに近づかなければ外部被曝の心配はありません、が、原爆投下後数時間して降った黒い雨や、第五福竜丸は黒い雪と言われるくらいの放射性物質のチリや粒子でしたから、怖ろしい外部被曝でした。

 内部被曝:呼吸で浮遊していた放射性物質を帯びたチリやホコリを吸い込んでしまった。放射性物質が付着した食物、飲料水等を摂取してしまった。これが体内でどんな活動をするのか、体内に入っても消滅することはなく、放射線を放射しますが、体内ですから細胞や細胞の中にあるDNAは大きなダメージを受けます。ですから外部被曝より内部被曝の方が遙かにダメージが大きいことになります。

 魚や肉、あるいは飲料水や牛乳等にどれだけの量の放射性物質が含まれているかを表す単位に使われているのがベクレル「100ベクレル/kg」(100Bq/kg)の意味は、その肉や魚には1kg中には、「1秒間に100回放射線を出すだけの放射性物質が含まれている」という意味になります。

 放射性物質が多ければベクレルの値も上がります。

 シーベルトの単位は、逆に人体が放射線による障害の大きさを表示します。

 外部被曝の場合は別項で述べましたから、内部被曝について看ますと、250mSv以下の放射線でも、細胞内部に活性酸素と呼ばれる有害物質を発生させ、それがDNAを破壊します。体内にはDNAを修復する器官がありますが、その作用の程度は人によって違いますから、人によっては細胞分裂が阻害されたり、異常な細胞が増殖し癌化することがあります。

 これが同じ量を被曝しても被害が表れたり、なかったりするので「人口10万あたり何人が将来癌になる」というのが確率で危険度を表示し、確率的影響とします。

 また、放射性物質によって吸収される器官があり、ヨウ素131は甲状腺へ、セシウム137は筋肉やその他の臓器へ、ストロンチウム90はカルシュウムに似ているために骨に蓄えられる性質があり、これを放射性物質の臓器親和性といいます。

 内部被曝の恐ろしさは臓器と放射性物質の距離が余りに近すぎるためβ線やα線の放射線をモロに受けてしまい、影響が大きいのですが、骨と甲状腺に取り込まれる以外は尿や排便で排出することが出来ます。

 ところが空気と共に吸い込んだ場合は肺に付着してしまい長期間放射線を放射し続けることになります。

100μSv 胸部レントゲン1回分
170μSv 体内のカリウム40による被曝(体重60kgの男性、1年間)
190μSv 飛行機で成田〜ニューヨーク往復(宇宙線の影響)
1mSv 宇宙で1日過ごす(宇宙飛行士の被曝量)
1.5mSv 一般日本人の上限(1年間)
6.9mSv CTスキャン1回
10.2mSv イラン・ラムサールの自然放射線量(1年間、大地)
50mSv 原発で働く人の許容限度(1年間)
100mSv 癌のリスク0.5%上昇(確定的影響)
500mSv 白血球の減少(確定的影響)
1Sv 10%の人が吐き気、嘔吐
2Sv 福島第一原発1号機建屋地下の汚染水(1時間当たり)
5Sv 白内障、皮膚の紅斑
7Sv 100%死亡
20Sv 福島第一原発2号機格納容器内(1時間当たり)

 ※ 1時間、1日、1月、1年に注意

 ※ mは1/1,000、μはmの1/1,000

Q:原発の1号機が水素爆発した時は、川内に避難、3号爆発時は三春か郡山に避難していた富岡町民でも内部被曝をしていますか?

A:専門家の計算がまちまちなので断言は出来ませんが、某権威者の計算を引用します。福島原発事故は、熱量で計算すると広島に投下された原爆の約30個分の放射性物質が漏出したと計算しており、放射線残量は広島では1年経過で1/1,000程度に低下した、が福島原発では1年経過しても1/10程度にしかならないだろうと証言していますが、その理由は明らかにしていません。

 水素爆発で飛散した放射性物質は風に乗って遠くまで飛散し、風下に当たる地域は要危険地域になり、飯村、福島盆地、中通りも汚染されました。特に3月20日〜24日にかけての雨の時、多くの放射性物質が雨と共に降下し地表を汚染したと思われます。この範囲は広く三春や郡山へ避難していても微量ですが内部被曝していると思って下さい。

 但し、微量ですし、既に排出した、半減期が過ぎたかも知れませんが、検査の機会があるならば検査を受けることをお奨めします。

 内部被曝の検査には、主に2つの方法があります。ホールボディーカウンター(WBC)という大型の機器で全身のγ線を計測するのですが、γ線だけですからセシウムとヨウ素だけしか計測できません。さらに大型機器なので設置している病院は数少なく、福島県では福島県立医大付属病院だけで、その配置は原発所在の県に限られているようです。

 ですから内部被曝の自己申告の外来患者では受け付けてくれません。放射線被曝の症状があり、担当医が検査の結果必要ありと認めた場合のみ測定されます。

 もう一つは、バイオアッセイという尿などの試料を計測する方法です。この方法では、γ線α線β線が計測できますが精度が落ちる弱点があります。

 更にもう一つ、白血球を検査することによって被曝線量を計測するバイオドシメトリ(生物学的線量推定)は精度が高く簡便で、サンプルを採取される人の負担も少なく、迅速に検査結果が判るので優れた検査方法です。

 甲状腺の検査は、11月14日から福島県下で18歳未満約36万人を対象に検査を実施がスタートしました、避難している皆さんは優先的に検査をしたと思いますが、今まで実施されてきた検査では、約45〜50%の割合で微量の放射性ヨウ素が検出された、ということです。

 一般的な報道によると、ある市民団体が福島県の子(地域、年齢、人数等は不明)から採取した尿を、フランスの民間団体「ACRO」に放射能分析を依頼したところ、セシウム134が、0.41〜1.13Bq。セシウム137、0.43〜1.30Bq(尿1リットルあたりのベクレル数値)

 ごく僅かな数値であり、心配する数値でないと言われておりますが、人体内には絶対にない元素であるセシウムが体内に存在していることは、内部被曝している証であり、微量といえどもセシウムを取り込んでいることは体内の細胞めがけて放射線を放射し続けており、無害であるはずはなく、セシウムの半減期は30年で、生物的半減期つまり体外に排出され、その影響が半分になるであろう期間は約100日(幼児は20日位)ですから、微量であっても内部被曝はしていると思って下さい。特にお子さんは直接的な影響が認められないからと言って安心は出来ません。できる限り検査は受けておくべきです。

 もう一つ、福島県下の乳児を持つ母親の母乳から2〜13Bq/kgのセシウム137が検出されたと報告されています。この濃度はチェルノブイリ住民の尿中のセシウム137に匹敵するものですから乳児の影響が心配です。

Q:被曝の影響は、胎児、乳児、子供、女性、男性によって違いがありますか?

A:放射線による人体への影響は、細胞分裂の際に表れるとされ、特に成長のための細胞分裂が盛んな子供と大人とでは大きな違いがあります。

 たとえば、癌の発生率は被曝した時点での年齢に依存して、10歳未満で被曝した場合、それ以上で被曝した場合い比べて明白に高く、特に白血病や甲状腺癌で顕著です。

 全ての癌を含めると、子供の発癌リスクは成人よりも数倍高いと報告されています。

 また女性と男性を比べると、発生部位により差があって、特有の癌も存在しますが、全ての癌を比較しても女性の方が癌の発症例が多く、これは体質的なものではなく、ホルモン等が異なるためと看られています。

 ただし、この例は放射線の影響があった場合で、放射線の影響がない場合は、男性が癌にかかる率、死亡率でも男性の方が圧倒的に多いのですが、放射線の影響があると女性の癌発症が多くなるのです。

 何故、放射線の影響を受けると女性の方がリスクが高いのか、女性の方が放射線に対する感受性が強いのと、罹患する部位が多いことがあり、セシウムの内部被曝の場合、男性は筋肉に蓄積しますが、女性の場合は筋肉量が少ないので子宮や乳腺に蓄えてしまうことが多いのです。

 また、女性は妊娠や授乳等により胎児や乳児に対する影響もあります。

 外部被曝、内部被曝で最も放射線により被曝の影響を受けるのは胎児です。

 胎児に対する直接的な影響は、放射線は細胞分裂を阻害するのです。

 さらに、子供に対する悪影響として、放射線量は地表に近い方が高くなりますから、大人は顔まで150cmあるとすれば、子供は100cm前後ですから、より多くの放射線を浴びてしまうことになり、放射線はより弱い子供により多くの影響を与えることになります。

Q:胎児、乳児、幼児、学童に関してはどうですか?

A:外部被曝、内部被曝はいずれも妊婦、とりわけ胎児に悪影響があります。

 それは胎児に対し直接的な影響として、放射線は細胞分裂を阻害する働きがあるので、妊娠8〜15週では100mSv以上、妊娠16〜25週で200mSv以上の被曝があると重度精神障害、奇形、胚死亡等の影響があるされておりますが、福島原発事故で富岡地区では、1号原子炉が水素爆発する前に川内に避難し、更に三春・郡山へと避難していますから、被曝量は僅かなはずで、そう心配はないと思います。

 もう一つ懸念されることは、女性の卵母細胞への影響があります。女性は胎児の段階で卵母細胞を形成しており、卵子の元になる細胞は胎児の間に生成されているのです。

 従って、出生後に新たに生成することが出来ません。

 これまで医学的な見解として胎児の発育に関するリスクは認められており、研究対象になっておりましたが、出産後順調に成長していれば被曝の影響はなかったものと考えられてきたが、近年大きな問題が提起されました。

 それは、チェルノブイリ原発事故後、25年が過ぎましたが、事故当時幼児や胎児で被曝した女性達が成人し、結婚、出産の時期を迎えたところ、「生殖系に対する影響が大きく、不妊や流産などが深刻な問題になっている」と現地の医師が証言しています。

 生殖細胞に与える影響に関する研究や治療方法はこれからの問題になりました。

 民間団体である「母乳調査・母子支援ネットワーク」が、母乳の調査をしたところ一部ですが、母乳から1kgあたり6.4〜36.3ベクレルのヨウ素131が検出されたことがあります、が、この数値は乳児の暫定基準を下回っており、乳児の健康を損なうようなことはありません。

 医学的な見解ですが、母親が取り込んだ放射性物質の4分の1が母乳になり乳児の体内に取り込まれる、となっております。

 仮に母親が100ベクレルの放射性物質を含む水を飲み続けていると、乳児は母乳を介して25ベクレルの放射性物質を体内に取り込んでしまい内部被曝になります。

 全ての成分に関し母乳に勝るモノはありませんが、もし心配であれば一部粉ミルクにするのも1方法でしょうが、原料となる原乳が僅かですが汚染されている可能性もあり、また水道水も絶対に汚染されてないという保証はありません。但し全てにいえることは暫定基準値以内であり、それほど神経質にならなくとも大丈夫です。

 それでも心配ならミネラルウォーターにしますが、もしスーパーで各種のものがあったら軟水を選びましょう。国産の粉ミルクはミネラル成分の少ない軟水用に成分調整がされておりますから、硬水が多い欧米からの輸入品より、国産である軟水を選びましょう。

 避難圏から各地に避難し転校した児童あるいは幼稚園児が「放射能がうつる」といじめられたり、疎外されたりと二重、三重の苦痛を味わっていることが報告されております。結論を先に言いますと、放射能がうつるなど、まさに非科学的なとんでもない誤解で、悲しむべき無知といえますが、子供達が勝手にそう考えたわけではなく、母親が「うつる」から近づくなと指示したことも併せて報告されています。

 事故直後は福島ナンバーの車が駐車を断られたり、ホテルのフロントで住所を福島県と書いた途端宿泊を拒否されたり、無知なるが故の不法行為は数多くあったようです。

 冷静に考えてみて下さい。放射線は光の一種(高いエネルギーをもった電磁波や粒子線)ですから「うつる」なんてとんでもない誤解です。

 レントゲンを例にしましょう。レントゲンは放射線の一種であるX線を利用したモノで、レントゲン撮影した人に対してX線がうつるから近づくなと言う無知な人はいないでしょう。それと同じ事なのです。

 放射性物質としての粒子やチリが毛髪や衣服に付着していて、それを周囲に拡散した場合はゼロとはいえませんが、それは一時的なモノで風呂に入ったり、衣類を洗濯したりでなくなります。

 福島原発の原子炉近くで作業をしている人であっても、その人が現場を離れてから、他の人に放射線や放射能の影響を与えることはありません。

 全てが無知からの発想であって、高校で物理・化学を学んでいるのに、卒業時、高校に置き忘れてきてしまったからの恥ずべき言動です。

 さて幼稚園児や学童が受ける被曝について考えます。

 問題は外で活発に動き回ることです、が、地表面では放射性物質に汚染されている可能性があり、浜通り、中通り全域で高低はあっても汚染されていることは否定できません。といって子供達は風の子であって、室内にじっとしていろというのは無理なことであり、可哀想すぎます。

 それでは校庭、園庭だけでも除染しようと、文部科学省は、福島県の小学校、幼稚園の校庭の利用基準を、年間の被曝量を20mSvとすると発表したのですが、この基準値はICRPの勧告に基づくもので、20mSvで健康に悪影響があったという報告はないのですが、学校へ通わせる親としてはこの数値に納得せず、可能な限り被曝線量を減らす努力をするように、と1mSv以下に抑えることを目指すことになりました。

 この1mSv以下というのは1年間においての被曝量であることを留意して下さい。

基準として

* 屋外3.8μ Sv/hを超えない学校は校舎・校庭を平常と通り使用しても良い。(1時間あたり3.8μSvを超えないという意味です)

* 屋外3.8μSv/hを超える学校は屋内活動は問題ないが、校庭・園庭での活動は1日あたり1時間にとどめるなど学校内外での屋外活動はなるべく制限する。

 但し、この毎時3.8μSvという利用判断の目安は、児童・生徒が放射線の強さが毎時3.8μSvの校庭に毎日8時間立ち続け、残り16時間を同じ校庭にある校舎の中で1年間365日過ごしたと仮定しており、このあり得ない仮説をもって計算すると、年間20mSvになりますから、この目標1mSvというのは1/20を目標とするモノで実現困難な数値といえますが、児童が対象ですからより厳しくするのもヤムを得ない措置かも知れません。

 しかし、目標達成できなければいつになっても使用できないことになり、しきい値の問題になってきます。

 校庭の表土の5cm以内に90%の放射性セシウムが留まっており、約15cm削ると99%除染出来ることが判りましたが、問題は削った表土を何処で保管するのか大揉めです。結局、より大きな穴を掘り、表土の土と、より深いところの土とを入れ替える作業に落ち着きそうが、今度は地下水の汚染が問題になります。

Q:甲状腺障害で10歳以下子供ほど発症例が多いと聞きましたが、チェルノブイリ原発事故での発症例を教えて下さい。

A:1985年4月26日、ソ連邦内チェルノブイリ原発事故発生、大量の放射性灰、チリが飛び散った。事故当時クリムリンでは書記長チェルネンコは病床に臥し、次期ゴルバチョフに権力が委譲始めた頃で混乱していたせいなのか、この世界的な大事故を公表しなかった。

 そして、チェルノブイリ原発事故の後、5〜6年してベラルーシで多くの子供に甲状腺異常が発症し大問題になった。

 事故が起きた時は、未だソ連邦でしたが、ソ連邦が崩壊(1991年)し、チェルノブイリはウクライナ共和国になり北側がベラルーシ共和国となって隣接した独立国となりましたが、事故当時南東の風が吹いていたので、火災で上空に吹き上げられた放射能を帯びた灰や粒子が北側にあったベラルーシに大量の放射能を帯びた灰が降り、汚染した。さらに悪いことにはソ連政府は沈黙したままで、何の対策も執らなかったので、より被害を大きくしてしまったのです。

 原発は火災となり約10日間燃え続け、その間消火にあたった消防士や兵士は通常の火災として対処したため、後に被曝症で大勢の人々が命を落としたのですがソ連政府は全く沈黙したままですから、詳細は分かない。従って各種の数値が発表されていますが、西側が調査した推定の数値になります。

 5〜6年後に子供達の甲状腺癌が大量発生したという報告があり、この時ベラルーシは西側との窓口が開いていたので、このニュースは世界駆け巡り、驚かせました。

 甲状腺の働きと症状を述べます。

 甲状腺とは男性は首の付け根あたり、女性は首の真中あたりにあり、大きさは男女とも幅約2cm、長さ約4cm程の臓器で、その役割は様々のホルモンの生成、分泌、を行い、肝臓などの内臓器官に信号をおくって代謝の維持を行う重要な器官ですから、甲状腺は別名「内分泌腺」と呼ばれております。

 内分泌腺には、甲状腺の他に、脳下垂体、副甲状腺、膵臓、副腎、精巣、卵巣等があります。ホルモンは内分泌腺で作られて、血液の流れに乗って体中を周り、様々な作用を働く、人の体には、インスリンや甲状腺ホルモン、成長ホルモン等多くのホルモンが働く、甲状腺は、甲状腺ホルモンを分泌し、蓄え、必要に応じて血液中に分泌する臓器。

 甲状腺モルモンは子供の成長に関わり、大人になってからは主に、体の新陳代謝の調節を行う。即ち、体のエネルギーを上げる働きをする。

 女性は、更年期以降、女性ホルモンは減少するが、甲状腺ホルモンは生涯分泌する。

 また、甲状腺ホルモンの分泌量を調整するには、脳下垂体から甲状腺刺激ホルモンが分泌される。

 甲状腺ホルモンの分泌量は、ストレスなどにも影響されるが、基本的には常に一定量を供給している。

 分泌量が多すぎると、「甲状腺機能亢進症」いになり、不足すると「甲状腺期の低下」になる。

 甲状腺機能亢進症になると、体のエネルギーを無駄に使うので、疲れやすくなる。

 甲状腺機能低下症は、逆にエネルギーが出ないので、元気がなくなる。

 この甲状腺に悪性の腫瘍ができ癌になるのだが、甲状腺癌の初期症状は、甲状腺全体が腫れ上がるようになり、甲状腺内部にこぶのようなモノができて、具体的にはエンドク豆よりも小さな、注意しないと判らない位の程度であり、痛みがなく、なんとなく体調不良で見過ごしてしまうケースが多いようです。

 甲状腺癌の発症の原因は何か?はっきりした原因は突き止められておりませんでしたが、喫煙が最大の原因とされてきました。

 ところが異変が起きました。1990年以降、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国における小児甲状腺癌の著しい増加という共通の現象が確認され、1995年末までに、この三ヶ国で約800名の小児が甲状腺癌の治療を受け、その半数以上の508名がベラルーシ共和国内で発見され、外科治療を受けた。

 ベラルーシ全土において、原発事故前11年間で僅か7名の発症であったのが、事故後11年間で508名と事故前に比べ72.6倍に急増したのだから、誰もが原発事故との因果関係を疑うのは当然ですが、各政府とも低線量被曝の甲状腺癌と自然発生の甲状腺癌の症例との違いが立証されなかったので、調査には消極的でした。

 ところが低線量被曝と癌発症の因果関係は認められないとする見解を覆す、画期的な遺伝子マーカーが発見されたのです。

 放射線被曝したことを示す甲状腺癌の遺伝子を発見、遺伝子マーカー、いわゆる「放射線被曝指紋」とも言うべき画期的な発見で、チェルノブイリ原発事故被災者の甲状腺乳頭癌患者のみに認められ、放射線被曝のない患者の甲状腺癌には認められなかった。

 HZM研究センター放射線細胞遺伝学斑のホルスト・ジゼルスベイガー教授とクリスチャン・ウンガー博士の率いる研究チームは、インペリアル・カレッジ・ロンドンのジェラルディン・トマス教授と協同して、チェルノブイリ原発事故による放射性ヨウ素降下物に被曝した児童の甲状腺癌を研究、これらの腫瘍から得られた遺伝子情報と、放射性ヨウ素が崩壊した後、爆発事故1年以内に生まれた児童に発症した同タイプの腫瘍に見付けた遺伝子情報と比較し、第七先染色体の小片のコピー数は、放射線被曝した児童の腫瘍にのみ増加がみとめられた。これは癌の放射線病因論を示す初めての遺伝子マーカーの一つであることが立証された。

 放射線と甲状腺癌との因果関係は、事故によって大量に放出された、放射性ヨウ素131等のヨウ素(半減期8日)による被曝で、甲状腺ではヨウ素を原料として甲状腺ホルモンの合成が行われるため、体内に摂取された放射性ヨウ素の殆ど全ては甲状腺に集まるので、事故当時、急速に取り込まれた放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれ、内部被曝の結果が甲状腺癌に繋がったとされました,と説明されましたが、ヨウ素の半減期が8日ですから、さらに研究の結果は、放射能に汚染された飼料を摂取した乳牛のミルクやバター、チーズ等の乳製品を摂取したことが原因ではないかと言われています。確かにこの辺は酪農地帯で、昔からの習慣で乳性製品の摂取量は多いようです。

 もう一つの原因は、甲状腺はヨウ素を取り込む働きと、それを蓄えておく働きがありますが、自然のヨウ素を多く含む海草類の摂取量が少ないので、甲状腺は放射線ヨウ素を急速に取り込んだのではないか、と言われております。この辺は内陸国ですから海草類を食べる習慣はありません。(自然にあるヨウ素と放射性ヨウ素を区別して下さい)

 我が国は海草類を多く食しますから少し安心だといわれております。

 不幸にして、甲状腺癌が発症し手術をした患者に、さらなる不幸に巻き込まれました。それは子供の手術に大人用のメスで執刀したもので首に大きな手術痕が残ってしまい、また医学的水準もやや低かったため、必要以上に大きく切り開いてのオペだったようです。

 そこで立ち上がった日本人医師がおります。

 信州大学医学部付属病院・甲状腺専門医 菅谷昭氏です。

 信州大学医学部卒後、同付属病院医師と同大准教授を務め、甲状腺癌の専門医としての確固たる地位を築いていたのですが、ベラルーシの悲惨な状況を知り、1991年、25年間勤めて築いた全ての役職を捨て、退職してから自費で単身ベラルーシへ行きボランティア医師として働き始めたのです。

 我が国の優れた医術である内視鏡手術で手術痕が全くない画期的なモノで、多くの若い人や子供達の未来を明るくする素晴らしいオペと絶賛されました。

(ベラルーシで執刀中の菅谷医師、手前)

 現地の医師にもこの方法を伝授し、この様子は当時のNHKの番組「プロジェクトX」でも採り上げられ,その活躍振りが紹介されました。

 5年後帰国、長野県知事は衛生部長の席を用意し迎え入れております。この間、吉川英治文学賞を受賞。やがて市民から推され松本市長選に出馬、当選、現在二期目です。

 菅谷・松本市長は、福島原発事故で避難している子供達を松本市の郊外に迎えられる施設を造りたいと抱負を述べておりましたが、是非ともお願いしたいことです。

 その後日本人医師団が支援に入り、優れた医術で手術痕はありません。

Q:チェルノブイリ原発事故を教訓として国、電力会社は対策を執らなかったのですか?

A:チェルノブイリ原発事は痛ましい教訓でした。レベル7史上最悪の原発事故、周辺30km圏内の住民13万5千人が避難、25年以上経過しても還ることが出来ず、還る予定も不明、25年以上たつと世代も替わってしまい、仕事でも現地に定着してしまっているようです。

 この事故では多くの教訓を残しております。

 第一に言えることは、事故が起きたことをソ連政府が全く通報せず、第一報は現場から数千キロ離れたスウェーデンからで、この報に驚いた近隣ヨーロッパ諸国は混乱に陥入ったようで、環境汚染防止を早急に着手しなければならず放射性ヨウ素131に対する備えで、前項で述べたように、その影響を予防するためには、一番敏感な乳幼児にいかに素早く安定ヨウ素剤を服用させることで、これは時間の問題です。

 ですからその時政府がどう動いたかが問題です。ソ連邦は不幸にして動きが鈍すぎたし、当時はソ連邦でしたが、その後まもなくソ連邦が崩壊したので現在のような独立国なりました。現在の地図でみますと、チェルノブイリ原発はウクライナ、北側がベラルーシ、西側がポーランドと国境を接し、地図を見ると判るように、南東の風とするとポーランドの方が被害大のはずです。ところがベラルーシで甲状腺癌の症例が多発し、ポーランドでは問題になりませんでした。

 これは素早く反応して、安定ヨウ素剤の服用を指令したことにあり、では政権がよほど確りしていたのかというと、これが大混乱の時代でしたが、後に大統領になる連帯のワレサ(正式な名はレフ・ヴァウエンサ)議長が力を付けてきた頃なので、実質的には政権を掌握しており、素早い行動が執れたとのこと、さすがノーベル平和賞受賞の実力者でした。

 平和な国、日本ではかえって動転し、安定ヨウ素剤服用の指示を忘却してしまった。

 では何故ソ連邦は情報を公開しなかったのか、あるいはわざと隠したのか、この疑問は西側諸国で長い間くすぶっていた疑惑でした、が、近年の情報によると「原発は安全だ」だから放射線測定器の設置の必要はない、観測モニターの制度もなかった、といいますが、どうも俄には信じられないことです。というのは当時米ソ対立の二極時代で、明日にでも核戦争が始まるのではないか、と世界中が怯えていた時ですから、放射線観測網がなかったというのが信じられないからです。

 ただし、原発は安全だ、事故は絶対に起きない、という安全神話はあったことは確かで、一党独裁の社会主義国家でしたから、政府が安全だと宣言すれば、それが全てであったかも知れませんが、全国民が政治評論家のような我が同胞が「安全神話」をそのまま鵜呑みにしていたのも不思議な話です。

 原発事故後、被害の大きさに驚いた国際原子力機関(IAEA)は、その国際安全諮問委員会(INSAG)として、「安全基本原則」を取り纏め、原発保有国にその実施を勧告しました。「安全基本原則」の根本は、原発の現在の技術では、過酷事故である炉心融解に至る事故が起こりうる状態にあることを前提に、各国は原発の安全対策を執るように、との勧告をしたわけですが、この勧告に対して我が国政府は無視したのか拒絶したのか、判りませんが全く反応することなく、スリーマイル島(レベル5)、チェルノブイリ(レベル7)の原発事故を知りながら、具体的な対策をナニも執らなかったのは事実です。

 このような勧告は直接電力会社に来るわけがないので、どこかの政府機関が受け取って居るのですが、この勧告を無視したのか、拒絶したのか、前向きに検討しますと放置したのか、判りませんが、受け取ったのは経産省、保安院、内閣府、どこなのでしょうか。絶対に大事故は起きないという「安全神話」を妄信していたのはこの担当部局で、今は口を噤んで知らん振りを決め込んでいるようです。

Q:被曝してしまった子供達が、これからどうなるのか心配です。

A:甲状腺被曝を抑える安定ヨウ素剤の服用がありますが、富岡の皆さんは服用しましたか、これは被曝前に服用すれば効果があります。

 甲状腺はヨウ素を原料として分泌液を造り、送り出していますから、身体の中のヨウ素は甲状腺に集まるようになっておりますが、甲状腺にヨウ素がたっぷり蓄えてあれば、後から入ってきたヨウ素は閉め出されやがて排出されます。

 もし内部被曝して放射性ヨウ素が入ってきても、あらかじめヨウ素剤を服用していれば、甲状腺がヨウ素満杯ですから、放射性ヨウ素は入り込まないことになります。

 では何処にあるのだ、保険所か病院に行くのかということになりますし、事故前に服用すれば効果があるし、事故後でも直後であれば効果ありとのことですが、事故が起きることなど判る訳がないとおっしゃるでしょう。

 この安定ヨウ素剤は各自治体に備蓄してあります。これは原発事故に対処するために備蓄しているわけではありません。

 もし外国から核攻撃を受けた近海、近隣で核爆弾の爆破があった場合、国が各自治体に服用を指示することになっております。

 ですから、原発とは関係なく全国の自治体に配布してあるはずです。

 原発事故で1号、3号の水素爆発以前に避難完了しておりましたから、安定ヨウ素の配布はしていたのだろうか、また、あの混乱時政府が適切に服用の指示を出したのだろうか、と心配しておりましたが、大分過ぎてから明らかになったのは政府は服用の指示は出していなかったようです。

 政府の指示は、原子力安全委員会の意見を参考に、自治体に指示をだすことになっており、原子力安全委員会は、1号機の水素爆発が起きた翌日13日未明、政府の緊急災害対策本部に対し電話とファックスで「体表面汚染後1万cPm(体の表面にくっついた放射性物質から1分間に出る放射線の数を測った数値)以上の住民には服用した方が良い」というコメントを2、3回送った、ところが13日朝、現地対策本部が自治体に出す予定の指示案を安全委員会にファックスしてきたが、その中には安定ヨウ素剤の服用には触れてなかったので、再度助言として、「除染及び安定ヨウ素剤の服用」実施することを再度提言した、と証言しているが、政府対策本部である経産省原子力安全・保安院の作業部会はそのような連絡は一切受け取っていない、と反論している。まさに責任のなすり合いの様相です。

 福島県衛生部によると3月13日以降、各地の保健所や避難所などで検査を受けた約23万人のうち、1万3千cPm以上が約900人いるというが、皆さんはどうですか。

 検査の結果、安定ヨウ素剤を服用していれば被曝の影響を軽減できる可能性があった、というが、責任官庁は沈黙しています。

 今後の検査は積極的に受診するようお子さんを連れて行って下さい。

Q:子供に安定ヨウ素剤を服用させませんでした。これから服用させてはいけませんか?

A:放射性物資のヨウ素131は、甲状腺に蓄積され、内部被曝により甲状腺癌になる怖れがあります。安定ヨウ素剤の服用は、その甲状腺に先に入り込み、後から侵入してくるであろう放射性ヨウ素131を阻止するのがその働きです。

 ですから大分時間が経過してしまった8ヶ月も過ぎた現在では全く意味がありません。

 安定ヨウ素剤は、個人輸入がありネットでも見かけますから、比較的容易に手に入ると思いますが、しかし、安易に手をださないことです。

 本来は医師の処方箋が必要な劇薬であり、心配のあまり過剰に服用すると甲状腺機能障害やアレルギー反応、胃腸障害を引き起こす怖れがありますから、どうしても心配なら医師に相談し、その指示に従って下さい。

 ヨウ素含有サプリメントはヨウ素と名が付いていますが、安定ヨウ素剤とは全く関係がない別物ですからご注意下さい。

 では、内部被曝してしまったら諦めるしか方法はないのか、定期的に医師の検査があるはずですから、積極的に受診しましょう。

 もし疑わしと診断されても、放射性物質・セシウム137、タリウム等の排出を促す排泄に効果があるブルシアン・ブルーのような薬品もあります。

 但し、服用に関しては放射線医学総合研究所への報告が義務付けられておりますから、医師の指示に必ず従い、素人判断での服用は危険で、副作用の怖れがあります。

 国の関係機関にはそれなりの備蓄もあり、必要に応じて医療機関に配布されます。

 ベラルーシの悲劇は、ソ連邦の崩壊、連邦から突如独立という社会的大変動の最中であったので、政府機関がうまく作動せず、甲状腺癌の危険性を見逃してしまった悲劇でした。

 隣国ポーランドは対応したので被害を免れています。

 我が国の政府機関は一時的な混乱もありましたが、しっかりと機能していますし、担当大臣もいて充分に配慮しております

 ベラルーシの悲劇を繰り返すことは絶対にないと信じて下さい。

Q:甲状腺以外で注意しなければなら部位はどこですか?

A:放射性物質としてヨウ素、セシウム137等が有名で身体に害を与える代表になっていますが、この他にも多数の種類が存在します。

 放射性ストロンチウム89と90が、原発近くの土壌から発見されました。ストロンチウムは沸点が1382度という高い沸点なので気化しにくく、飛散しないので、原発付近の土壌にあったのでしょう。

 このストロンチウム90は非常に検出が難しく、発見したということは相当綿密な調査を実施しているという査証です。

 但し、このストロンンチュム90はセシウム137とともに検出されることが多いので、セシウム137が検出されもセシウムの基準値以下であればストロンチウムも基準値以下と推定されます。

 ですから原発事故の周辺以外ではストロンチュウによる被曝はないと推定されます。

 ただし、ストロンチウムは内部被曝すると、骨に蓄積されると骨の癌、白血病の原因になることがありますから、内部被曝としては最悪のケースになりかねません。

 放射性セシウムは筋肉と骨に蓄積されます。

 ストロンチュウムは事故の原子炉付近に限られる、と述べましたが、これは陸上のことであって、ストロンチウムの化合物はセシウムに比べて水に溶け易い性質があり、現場付近でも雨水に溶けて土壌の深いところまで届きますし、また植物にも吸収されやすい性質があります。

 更に危険なのは汚染水が大量に海に流れ出したことです。当然ストロンチウムが含まれていた推定されます。

 その危険性は海水に溶けたストロンチウムを魚が吸収し、その魚の骨に吸収されることで、小魚であるコウナゴや小アジは骨ごと食べる習慣がありますし、あらゆる種類の干物は大好きですから、知らないうちに内部被曝してしまう可能性は否定できません。特にストロチュムは骨に蓄積しし易いことに留意して下さい。

 最初に常磐沖で水揚げしたコウナゴの流通を禁止したのはこのためで、現在でも水産庁が中心となって魚の検査を行っております。

(ストロンチウム、セシウムともに半減期は30年)

Q:自分は被曝したかも知れない、しかし全く自覚症状はない、外部、内部被曝の状況を測定する方法はありませんか?

A:確かに心配なことですが、身体に被曝量計測器を当てて数値が積算されるような計測器があれば理想なのですが、残念ながらありません。

 しかし、1年間1mSv以下であれば問題ありません。外部被曝はよほど放射線量の多い現場に遭遇し、長時間放射線を浴びない限り心配することはありません。

 各スポットに放射線の強さを表示していますが、その場所にジィーと1時間立っていた場合に被曝する数値ですから、一寸通過するだけでは数値になりません。

 富岡町各地で放射線モニタリング調査の結果(地上1cmで実施)

 1.0〜19.0μSv/hで未だ還れる状況ではないのですが、富岡町役場付近は3.0μSv/hと測定されています。

○外部被曝:役場付近で野外作業を8時間続け、後の16時間を役場内に留まっていたと仮定します。

 コンクリートで出来た役場内は放射線を遮断するので0.2(係数)とします。

 3.0μSv × 8h = 24.0μSv

 3.0μSv × 16h × 0.2 = 9.6μSv

 24.0μSv + 9.6μSv = 33.6μSv

 33.6 × 365 =1 2.265mSv

 ICRP(国際防護委員会)の勧告である1年間許容被曝20mSvで、この数値は許容範囲ですが、我が国が決めた、1mSvには、遙かにオーバーしてしまいます。

○ 内部被曝:前例は外部被曝ですが、より大きな影響は内部被曝ですが、内部被曝線量の計算は非常に難しく、かつ、食品の放射能の強さを示す単位はベクレル(Bq)で表示されており、人体の影響はシーベルト(Sv)ですから換算しなければなりません。その際、「実効線量係数」を用います。(食品衛生法、暫定基準値)

 実効線量係数は、放射性物質の元素や、摂取した人の年齢(成人、幼児、乳児)等を換算した数値が決められています。

例として

* ヨウ素131の場合の実効係数

 成人、0.000016、 幼児、0.000075、 乳児、0.00014、と決められています。

* セシウム137の場合の実効係数

 成人、0.000013、 幼児、0.000012、 乳児、0.000020

 この係数を使って摂取した食品放射能から内部被曝の程度を計算できます。

 その計算例として、原発事故後、冷却水が大量に流失した事実が明るみにでた頃、常磐沖で操業し、大洗港で水揚げしたコウナゴから最大4080ベクレル/1kgの放射能を検出したと発表された。

 勿論流通は差し止めとなりましたが、仮に食べたとして計算してみます。

 ヨウ素131の場合、1日100gを1週間連日食べ続けたとします。

 4080Bq/kg×100/1000×7×0.000016=0.04569(成人)0.045mSv

 4080×100/1000×7×0.000075=0.2142(幼児)0.214mSv

 4080×100/1000×7×0.00014=1.142(乳児)1.142mSv

 現実としては乳児が食べるわけがありませんから、あくまでも仮の計算とします。

 しかし、数値で判ることは同じ量を摂取した場合、大人に比べ乳児は何十倍もの被害を受けると言うことです。

 大人であっても僅か1週間でこの数値ですから、1年間で1mSv以内というのは非常に厳しい数値ですが、内部被曝の危険性の方が重要であり、放射線物質の汚染には気付けなければなりませんが、徹底的に検査は実施しておりますから、検査済みであれば安心して下さい。ただし、風評被害には絶対に惑わされないように注意して下さい。

Q:内部被曝を防ぐ方法はありますか?

A:呼吸しない、飲まない、食べない、どれも停止することは出来ません。ですから細心の注意で、いかにリスクを少なくするかです。

 外出時はマスクをしましょう。帰宅したら衣服を払い落とす、手洗い、嗽の励行、空中に浮遊している放射性物質を防ぐのはこれしかありません。特に風が強い日は注意して下さい。セシウムは土壌に付着していますが風が強いと土の粒子と共に舞い上がり浮遊していますから要注意です。

 雨の日は粒子は舞い上がりませんが、上空に浮遊している放射性物質であるチリやホコリが雨滴になって降ってきますから濡れないようにしましょう。

 広島、長崎の原爆投下では、数時間後に降った「黒い雨」に濡れた人々が、後日原爆症に苦しみながら多数の人々が死に至りました。

 飲食物は「入れない」「素早く排出する」「放射線との闘いに勝つ」が三大原則です。

 「入れない」は放射性物質を含む野菜、肉、魚等を見分けることですが、その方法は検査済みを確認すること程度しか出来ませんが、こまめにチェックしましょう。

 飲料も同じですから表示を確かめて下さい。

 「素早く出す」は、大量に被曝したのが明らかな場合、たとえば原発の爆発の際現場にいた、周辺の警戒に当たっていた人達は、病院で安定ヨウ素剤やプルシアンブルーを服用したはずです。

 内部被曝であれば、排出されるまでは体内で放射線を出し続け、しかも最短距離で細胞を痛めつけますから、いかに素早く排出を促すかです。

 しかし、微量であったり、内部被曝があったかどうかでは処方してくれませんから、自衛として、自分なりの創意工夫をしましょう。

 不運にも体内に入ってしまった場合、直ぐには各部位に吸収されませんから、素早く排出するように努めましょう。便通や利尿をよくしましょう。便秘は体内での滞留時間が長くなり、その間放射線を放射続けているのですから、細胞を痛め続けているのです。

 セシウム137の場合は、リンゴや柑橘類に含まれるペクチンが効果的な要素が含まれており排出を促しますから、果物類を摂取することをお奨めします。但し、皮は剥いたり、丹念に洗って下さい。果樹園でいきなりがぶりは危険ですから注意して下さい。

 我が国には優れた伝統食品として、数々の醗酵食品がありますが、最もポピュラーな味噌が放射線で傷んだ細胞の分子を修復する働きをし、放射性セシウムの排出を早める効果があります。但し、加熱しない味噌ですから、要するに生味噌を食しましょう。

 洋風食事ばかりに傾倒しないで、我が国伝統の食事を見直しましょう。世界最高水準の健康な食事が世界最高の長寿国になった要因の一つで、外国人の方がその良さを見直しております。

Q:毎日の食事を用意する主婦としては、どのような料理なら無難なのか食材の選択に悩んでおります。どのような食材がよろしいのでしょうか?

A:お子さんのいらっしゃるご家庭では、乳児、幼児は大人に比べ何倍もの被害を受ける比率が高いのですから、お子さん中心、あるいは大人用、子供用に分けるか、考えて下さい。

「マゴワヤサシイ」をモットーにした料理を研究してはどうでしょうか。

 文字通り、小さなお子さんを中心とした食事です。(マメ、ゴマ、ワカメ(海草類)、ヤサイ、サカナ、シイタケ、イモ類)を中心としましょう。但し、シイタケとサカナは検査済みを確認して下さい。魚は青魚が効果ありです。

 米は玄米、七搗き米がよい。醗酵食品の味噌、納豆、ヨーグル等は欠かせません。

 放射線防護効果が期待される食材として、ミネラル類は亜鉛、銅、マンガン、鉄、セレン等少量でも含んでいる食材、ビタミンC、B3等のビタミン類、乳酸菌、Nーアセチルシステイン等のアミノサン類です。

 特に乳酸菌は放射線防護効果が期待できますし、青魚に含まれるタウリンは放射性被曝による白血球減少に有効な効果があり、減少を食い止めます。含硫アミノ酸にも放射線防護効果が認められています。

 内部被曝は、絶対に避けなければならないことですが、多くの地域で放射線量が通常より高い数値を示していますから、多少の被曝はヤムを得ない状況です。ですから被曝に負けない身体作りを目指す必要があります。

 といって身体の鍛練に勤しめ、ということではありません。

 低線量の放射線は細胞内に活性酸素(フリーラジカル)を発生させ、DNAを傷つけます。攻撃されたら、防御するのが当然で、身体の中には抵抗する勢力が準備しています。それがスーパーオキシドディスムターゼ(SOD)、タカラーゼという心強い酵素の助っ人がおり、フリーラジカンを消去する能力があり、また、DNAが傷付いてしまってもDNAポリメラーゼというDNA修復酵素により自己修復が可能になるので、これらの働きを助けるのが前に述べた栄養素群で、これらを積極的に摂取すれば、内部被曝の影響をより少なくする働きがあることを留意して下さい。これが「放射線との闘いに勝つ」ことの意義です。

 ただ一人で悩んでいたのではマイナス効果しかありません。これらのこと踏まえて栄養士さんや地域グループで勉強会を開いてみては如何ですか。

 富岡に帰れても完全に除染が行われたわけではありません。低線量であっても、これから長い間、放射性物質との闘いは続くのです。どうか賢い主婦になって家族を護って下さい。

 チェルノブイリ原発事故では欧州全土に放射性物質が拡散し、汚染され農産物、酪農製品、主食の小麦に甚大なる被害を受けましたので、ある程度汚染されていてもヤムを得ない、低汚染程度であれば調理方法で取り除くことに知恵を出し合ったようです。

 野菜は丹念に水洗いし、皮のあるモノは丹念に皮をむく、葉っぱ野菜は表面の葉は捨てる。一度茹でて煮汁はよく絞って、汁は捨て、それから調理する。これでセシウムやヨウ素は大半を取り除くことが出来る。

 欧州の調理法ですから我が国とは一寸違いますが、冬の長い国が多いので、伝統的に塩漬けや酢漬けにした保存食を作り、肉、魚を塩漬け、酢漬けにして食べます、マリネード風のレシピと思って下さい。

 肉類や魚類のセシウムは食材の水分に含まれていることが多いので、水分を極力吸い出してしまう塩漬け酢漬けは効果的とのことです。

 注意すべきことは、骨と内臓は食べないこと、更に野生のキノコは絶対に食べないことと注意書きがありました。(欧州の各地では森へ一家で出かけ野生のキノコ狩りをすることが伝統的な遊びの一つとして定着しています)

Q:軽度の被曝でも影響の大きい子供が心配です。どのようなモノを食べさせたら効果があるのでしょうか?

A:怖ろしいのは内部被曝ですが、大気中に放出された何百億ベクレルの放射性物質が風に流され広い範囲に拡散してしまいましたから、絶対に安全だと言い切れる地域はありませんし、飲食物も検査が適正値だと言うだけでゼロではありません。  成人は影響を受けることはないとしても、乳幼児には影響あるかも知れませんし、胎児は更に心配です。

 しかし、内部被曝で入ってくるのを気を付けることはできても、完全に阻止することは不可能です。ですから一度入ってしまった放射性物質をいかに早く排出するかが問題で、その方法を考えてみましょう。

 セシウム137、134はカリウムと化学記号が似ているため身体の器官はカリウムと間違えて体内に蓄積する指令を出してしまいます。ですから体内にカリウムが充分あれば、蓄積する必要がないのでセシウムの代謝が早くなり、排出してしまします。(セシウム137の半減期は70日ですから早く排出する必要がある)ですからカリウムを多く含んだ野菜や果物、海草類を多く摂取すれば効果的である、と考えられているのです。

 カリウムの含有率の高い食品を挙げるとパセリ、豆味噌、ヨモギ、昆布の佃煮、アボガド、納豆、ホウレン草等の身近な食材ばかりで、豆類、芋類が多く含んでおります。

 海産物では、煮干し、たたみいわし、するめ、干しエビ、昆布、のり等で、日常の食生活で摂取しているモノばかりですから、日本食の良さを見直して下さい。

 カリウムの働きはナトリウム(塩分)による血圧上昇を抑える役割と筋肉の活動を促進する働きがあります。汗を大量にかいたり、夏バテはカリウム不足です。

 カリウムは過剰に摂取すると素早く尿と共に排出する働きがあるので、内部被曝のセシウムも一緒に排出してしまう働きがありますから、大いに食しましょう。

 但し、肝臓、腎臓に病気のある方で、食餌療法として、医師からカリウム摂取を制限されている方は担当医師に相談してみて下さい。

 その他、甲状腺に関しては前項で述べましたが、放射性ヨウ素131に関しては海草類を多く食べて甲状腺にヨウ素を蓄積しておくと、後から入ってきた放射性ヨウ素131を撃退することが出来ます。

 ベラルーシは内陸国で海草類の摂取が少なく、かつ酪農地帯なので放射性ヨウ素で汚染された飼料とした乳牛からの牛乳を原料とした乳製品を多く摂取した結果でした。

 ストロンチウム90に関しては、カルシウムを多く摂取することで、代謝を早めることが期待できます。

 その他、放射性物質の排出に効果があるモノは果物に含まれているペクチンですが、リンゴや柑橘類に多く含まれています。また排出ではなく細胞のDNAを保護するのは生味噌が効果的ですから食してみて下さい。

 やっかいなのは呼吸により肺に付着すると、自然に排斥するのは期待できませんが、ではどうすれば良いのかと尋ねられても素人には答えようがありません。

Q:食料品から放射性ヨウ素と放射性セシウム137が検出と報じられ大騒ぎしていますが、体内に入ってしまった場合どうなるのですか?

A:放射線にはいろいろの元素から放射されますが、食料品からの検出は放射性ヨウ素とセシウム137が検出されたという報道ばかりです。

 放射性物質は時間の経過とともに放射線量が減少していき、最初の不安定な状態から放射線を出しながら、次第に安定的になっていきます。

 放射性ヨウ素131の場合、半減期、放射線が放出される量が半分になる期間が約8日で、8日毎に半分になる計算になります。8日で半分、次の8日で零になると誤解しないで下さい。

 8日で半減(50%)し、次の8日経過でその半分、つまり最初の1/4、それを繰り返すと80日で約1/1000、160日で1/100万、限りなく零になります。

 一方、放射性セシウム137は、半減期が30年、これが体内に入って30年も居座ると大変なことになると恐怖ですが、実際は体内に入っても尿や便で体外に排出され、70日から100日位で半分以下になると言われています。

 しかし、その期間中は体内で放射線を出し続けるのですからやはり危険です。

Q:幼い子供がおりますが、避難する場所として、ここなら絶対安心という地域があればどこへでも移住する心積もりですので、教えて下さい。

A:福島原発事故で大気中に放出された放射性物質が北は北海道から西日本、四国、一部九州まで拡散しているとの解析を日米欧の研究チームが纏め、11月15日アリカ科学アカデミー紀要電子版で発表した。

 図表はセシウム137(半減期30年)による全国の汚染状況であるが、僅かだが九州でも沈着している可能性がある。

 米宇宙研究大学連合(USRA)の主任研究員である安成哲平研究員(名古屋大教授)が中心になった研究チームが、大気中の汚染物質の拡散を20km四方で計算するシステムを使い事故後の天候として風向、降雨等を換算しシミュレーションをした。

 福島県内の事故現場近くでは現地での立ち入り測定を行っており、細部に至る分布図があるが、遠隔地ではこのシミュレーションによる拡散状況が参考になる。

 研究チームは、「直ちに人体への影響がある量ではなく、除染を必要とするレベルではない」としています。ここで注意していただきたいのは、‘直ちに’という言い回しですが、直ちにではなくとも、将来的には影響があるのかと、疑問視しますが、日本語の言い回しで、余り意味のない巻頭語だと解釈して下さい。

 沈着量は、土壌中濃度に換算した値でも、汚染米の作付け制限の基準を下回っている。

 ただし、このシミュレーションのデータは3月20日から4月19日間の資料であって、3月19日以前のデータはないために解析の対象に含んでおらず、実際の沈着量はこのシミュレーションより多めになるだろう、としています。

 内部被曝に関する研究が京都大学防災研究所の石川裕彦教授(環境災害)の研究チームが7月2日〜8日の間、20km〜70km圏の住民が食事のために購入するであろうスーパーマーケットで野菜、魚、肉、飲料水等を購入し、放射性セシウムの含有量から食事による内部被曝量を推定、これによると、平均で年間0.03mSv、濃度の高い食料を毎日食べ続けたと仮定しても0.083mSvと推定した。

 呼吸は地上1.5mの大気中のチリを集め、含まれたセシウムから呼吸による内部被曝量を推測した結果、殆どの地域で1年間で0.03mSv以下であった。

 最も高い地域は浪江町の赤宇木地区で0.07mSv、食事の最大値と合わせると0.16mSvになる。但し、これは内部被曝に関する研究であって、実際はこの量に外部被曝の影響があるので、これらを勘案しなければならない。

 同研究チームの測定によると、許容年間被曝量を数時間でオーバーしてしまうスポットが散在していると報告されており、外部被曝には細心の注意が必要であり、20km圏内の帰宅はまだ時間がかかりそうです。

 ステップ2も年内か遅くとも1月までには収束する予定ですから、冷温停止となり、新たな放射性物質の放射がなければ、これ以上の大気汚染がなくなり、落ち着くのではないでしょうか。そうすると外部被曝、呼吸による内部被曝の心配も薄らぎ、後は飲食物の汚染度ですが、検査済みを信用するしかありません。

Q:原子力災害対策特別措置法が初めて施行されたと聴きましたが?

A:1999年、東海村のJCOでの臨界事故を受けて、翌2000年に成立、施行された法で、国が事故の拡大防止策や自衛隊の派遣、住民の避難などを判断する根拠になります。

 福島第一原発事故を受けて原子力災害対策特別措置法が成立後は初めての施行で、「原子力緊急事態宣言」はこの法律が根拠になります。

 原発事故後10日目位から、飲料水、野菜、海産物から放射性物質が検出された、との報告が相次ぎ、「福島産のホウレン草、キャベツ等から暫定規制値を上回る放射性ヨウ素や放射性セシウム137が検出しました」。「常磐沖で漁獲したコウナゴから、1kgあたり1万2500ベクレルの放射性セシウム137が検出された。」

 「東京金町浄水場で1klあたり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出され、食品衛生法に定める乳児が飲んでもよいとされる上限の2倍にあたるモノです」と報じられたら、母親はパニック状態に陥ります。

 消費者も困ったが、もっと困ったのは生産者で、一生懸命働いて収穫した農産物、或は水産物が捨てるほかない、絶望的になってしまいます。

 でも一寸待ってください。暫定値とは「これ以上沢山の放射性物質を含む食品を食べ続けなければ全く安全です。」と安全なラインを示しているのが「暫定規制値」なのです。

 ところが放射性物質が何ベクレルと数値を言われても、それが何を意味するかを考えるよりも、「絶対に食べないように」とアドバイスされたと解釈してしまいます。

 特に水道水に放射性ヨウ素が含まれている、と報道されたときはミネラルウォーターがスーパーの店頭から瞬間的に姿を消してしまいました。

 「人間の体に害になるもの、性のあるものは出荷していけない、摂取してはいけない」と食品衛生法にあり、それぞれの規制値を明記してあります。

 ところが放射性物質は規定がない、これはよもや原発が事故を起して放射性物質を撒き散らすなど想定外ですから規制値は規定されていなかったのです。

 それで急遽、内閣府原子力安全委員会が出していた「飲食物摂取制限に関する指標」を採用することになり、文字通り「暫定」となったのですが、これも詳しく内容を説明しないで数値だけを発表したから、かえって混乱してしまったのです。

 暫定規制値とは「その放射性物質の濃度の食べ物、飲み物を平均摂取量で1年間摂取し続けたときの被曝量を5mSv以下にしましょう」という目安です。

 放射線の影響が人体に現われるかも知れない最低の基準値が1年間で100mSvですから、1年間で5mSv以下に抑えようと規定しているのですから、1/20で厳しい規定といえます。

 それを1回でも食べたらこの世も終わりみたいな騒ぎをしたのですから、誤解が生んだ騒ぎですが、誤解されるような発表をした政府は配慮が足りなすぎです。

 さらに官房長官の発表には「ただちに影響はない」と断言しました。それでは「ただちにでない」が、後になると影響が出ますよ、といっているようなもので、主婦感覚では余計に心配になります。「直ちにも、将来的にも全く心配ありません」と言うべきです。

 例えばキヤベツが暫定規制値を上回ったと発表された。その数値は1年間にわたって摂取した場合であって、365日連日キヤベツを食べますか。

 そして福島産の農産物、水産物は危険だ、中国産の野菜は大丈夫と書いていたが、2年前は農薬まみれで中国産野菜は危険だと主張していた、おなじ誌です。

 最近、新しい売り場を実験的に始めた売り場がある、産地の表示の他に「測定値が表示してある」、野菜や果物の値札、産地、測定値が表示してある札が付いている。

 店頭に置く放射能測定器で放射性ヨウ素、セシウム137が検出されれば、それを表示し暫定規制値が安全を示す数値であることを消費者が理解してもらうためにも必要なことで、産地別だけの表示は単に差別化を強化するだけに過ぎない。

 店内では各国の規制値一覧表を配布、特にチィリノブリ事故があったウクライナの規制値の比較も出来る。

 国が安全宣言したから安全だ、国が暫定規制値を発表したから、これは危険なのだ、と短絡的に判断しないで、消費者参加の安全基準値を考えましょう。

 放射性物質が人体に与える影響を検討してきた食品安全委員会は「悪影響が見出されるのは、生涯の累積で100ミリシーベルト(mSv)以上」とする結論を纏めた。

 健康被害は内部被曝、外部被曝を分けることはできない、として外部被曝を含めた生涯累積線量を示すことにした。ただし、自然にある自然由来の放射線量は除かれる。

 また、子供は成人より影響を受け易いから、きめ細かな基準値を決めるべきです。

◎:11月18日、千葉市で開催されたシンポジュウムで、非常に関心を呼んだ報告があったので記載します。

 報告したのはロシア連邦立小児血液・腫瘍・免疫研究センターのルミャンツェフ・センター長。

 チェルノブイリ原発事故から25年以上も経った今日でも、周辺住民の放射性セシウムによる内部被曝が続いていると、ロシアの小児癌専門医がシンポジュムで報告した。

 更に子供の免疫細胞も減少している可能性があることも明らかにした。

 2009〜2010年にベラルーシに住む約550人の子供の体内の放射性セシウムを調べると平均で約4,500ベクレル、約2割の子供からは7,000ベクレル以上の内部被曝があったと推定される。

 2003年にベラルーシで亡くなった成人と子供の分析では、脳や心筋、肝臓などを調べた8臓器すべてからセシウムが検出された。どの臓器でも子供の方が濃度が高く、甲状腺からは1kg当たり1,200ベクレムが検出された。

 内部被曝の要因は、食品の検査、規制が徹底していなかった可能性があり、報告者の研究によると、周辺の子供を試験的に3ヵ月間、汚染されていない地域に住ませ、提供する食料は徹底的に検査したから与えたところ、体内のセシウムの量はかなり減った。と報告しております。

 また、事故3年後の1989年からの約10年間、事故の影響を受けたロシアのブリャンスク州の子供の血液細胞を調べると、過剰に発生すると、癌や心臓疾患の一因で、細胞を傷つける活性酸素などのフリーラジカルが通常の約2倍多かったという。病原体を攻撃する抗体を作る免疫細胞は、通常より1割以上減っているという。

 「内部被曝により細胞レベルで様々な影響が出ていると考えられる。因果関係の調査・追求が必要だ」報告は結んでいる。(新聞報道を要約した)

Q:避難区域でも除染作業が開始されたと聞きましたが?

A:放射性物質汚染対処特別措置法に基づき防衛大臣は陸自化学防護隊約300名の派遣を決め、富岡、浪江、楢葉3町の庁舎の除染作業を行うことを決めた。

 それとは別に除染モデル事業の初めての除染現地作業が、5km圏内である大熊町で試験的に11月18日行われた。国は警戒区域や計画避難地域等がある12市町村で除染モデル事業を行い、来年1月以降、本格的な除染事業を進める計画を発表した。

(大熊町各地区 土壌測定結果)

 現在、大熊町で行っているのは大熊町役場周辺、夫沢地区、民家30軒で、サーベイメーターを使っての空間の放射線量を計測しているが、地表、地表1cm、空間地上1mの各点を計測する、空間1mでは毎時約10〜17μSvだが、木の根元や落ち葉の吹き溜まりでは最高43.4μSvを計測している。

 ホットスポットが各地に散在していると思われる。

 これから役場周辺や田畑などの地域のそれぞれ約5ヘクタールが対象。10m間隔で各400地点の線量を計測する。そのデータを基に除染計画を立てる.としています。

 但し本格的な除染作業が開始されても、汚染土の仮置き場、処理場は決まっていない。

Q:原爆投下による被爆の犠牲者以外の被曝による犠牲者を教えて下さい。

A:1945年8月、広島、長崎に原爆投下、被爆により多数の犠牲者がでたが、その後の被曝による犠牲者も何十年と続いて癌その他の病に冒させ苦しみもがきながら死んでいった。

 原爆投下(午前8時)後、午後遅く猛烈な降雨があった。これは原爆投下で猛烈な熱が放射され大気が熱で膨張して、熱を帯びた大気が上昇し、上空で急速に冷やされ猛烈な降雨となったが、原爆の爆発で放出された放射能を帯びたチリが拡散し、このチリが水滴の核になり、黒い雨となったのですが、これが放射能を帯びた死の雨となり、この雨に濡れた人々の大半は原爆投下の直接的な被爆者ではなく、救援のために近隣から広島市内に入ってきた人達が雨に濡れ被曝したことになり、後に原爆後遺症に悩まされ次々に亡くなっていったのです。

 勿論黒い雨と放射能の関係など知るよしもなく、雨に濡れながらも救援に努めていたのです。

 この事実は、1989年5月「黒い雨」のタイトルで映画化され、ご覧になった方もいると思います。井伏鱒二原作、今村昇平監督、主演田中好子、で数々の賞に輝いた映画でした。

 戦後においても、原爆被害の後遺症は何十年も続いており、原爆の日の慰霊祭には新たな名が刻まれております。

 更には、前項で述べた通り、第五福竜丸被曝事件、JOC臨界事故がありました。

 世界はどうだったのでしょうか。戦後の昭和二十年代、三十年代、先進各国は競って原爆、水爆の核実験を各地で行い、地上、海上、海中、地中、大気圏での核実験を繰り返し、判明しているだけでも二千数百回に及んでいます。

 このため核分裂で生じた放射性物質は、上空10km以上の対流に乗って世界規模で拡散した。例えばヨウ素131とセシウム137の全放出量(国連科学委員会報告)は、福島第一原発でのヨウ素131、セシウム137の推定放出量のそれぞれ約5,000倍と約100の量にあたるという。当時、新聞やTV、ラヂオで絶対に雨に濡れないよう呼びかけ、降雨に含まれている放射能の測定値を報じており、雨に濡れると禿になると本気で信じられていた。

 団塊の世代から、東京オリンピック以前に生まれた方の生涯許容シーベルトは高いのではないでしょうか。

 原水爆の実験を開始した頃は、広島、長崎での原爆後遺症の怖ろしさを公表していなかったらしく、核の実験場付近の警備にあたっていた兵士は通常の戦闘服で立哨しており、内部被曝をしてしまい、後年後遺症に苦しんだ元兵士が多数いたようですが、各国とも公表はなし、国益優先で沈黙したままです。

 原・水爆の実験場になった南太平洋のビキニ環礁やムルロア環礁付近の島民は強制移住させられ、半世紀たった現在でも帰島は許されていない。しかも移住させられた島でも被曝しており放射性のヨウ素などによる子供の甲状腺癌、大人は甲状腺機能低下の症状が多く見られるという。

 甲状腺の被曝量は、子供で3〜5.2グレイ、成人で1.6〜12グレイと見積もられているが、発病率は他の正常な地区に比べると100倍以上。残念ながら積極的な調査や医療行為は行われておらず、医療機関も少なく、なかば放置されたままといえる。

 チェルノブイリ原発事故では全欧州に放射能の降灰があり、地元ウクライナでは住民は各地に避難したままで、25年経った現在でも故郷へ帰れる目途は全くなしです。

 最大の被害を被った隣国ベラルーシでは甲状腺異常の症状の多発、各種癌、白血病その他による後遺症に苦しむ人達がいることは前項で述べました。

 同じロシアでは古くなった原子力潜水艦を多数放置、電気代が払えないから冷却しないで原子炉を止めてしまった。当然メルトダウンしていると思うが、沈黙したままでナニも判らないが、汚染していることは確かだし、内部被曝の乗組員もいるはずです。あるいは原子炉をそのままにして日本海や北海に沈めてしまった。強国の暴挙、国際法無視、近隣諸国も強国の前では抗議もなし沈黙のままです。

 原水爆ではない砲弾による放射能汚染があった。それは湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によるもので思いもよらぬ内部被曝が発生した。

 劣化ウランとは、ウラン鉱から採掘された天然ウランを濃縮し核兵器や原子力発電の燃料として使えるようにウラン235(U235)を精製するが、低レベル放射性廃棄物となるウラン(U238)に分離される。

 高レベルの放射性元素U235は1%程度、残り99%は劣化ウランとして廃棄される。

 この劣化ウランは鉄の2.5倍、鉛の1.7倍の比重があり、鉛の2倍に密度がある。

 米軍はこの特性を生かして対戦車攻撃の砲弾として利用することを思いつき、この砲弾は重くて、硬いので戦車の装甲を貫通し、車内の装置を破壊する、また貫通する際に猛烈な熱を発し、車内の兵士は焼死してしまう。また廃棄物の再利用だから製造が廉価なので、各国陸軍は対戦車用砲弾として採用している。この砲弾が数多く使われたのが湾岸戦争時で砂漠での戦車戦だったので、米軍が一方的にイラク軍を撃破した闘いでした。

 このときの闘いで使用された劣化ウラン弾の70〜20%が酸化ウランの微粒子となって大気に飛散し、それを吸い込むと肺などに付着し放射線による化学毒性により、肺癌やそのたの癌、白血病、奇形児の出産、イラク現地では悲惨な状況になったのです。

 さらに、湾岸戦争に参加した米軍兵士が無事帰還しながら、除隊になってから発病、あるいは奇形児を出生するなど悲惨な事例が数多くあったのですが、アメリカ国内では報道管制であまり問題にはなっておりません。

 これはベトナム戦争の時の枯れ葉剤ダイオキシンの猛毒を飛行機から散布し、ベトナム現地では数多くの奇形児が出生したのですが(ベトチャン・ドクチャン双子で1体となっていた兄弟を覚えていますか)このときもアメリカは沈黙でした。

 広島・長崎の原爆投下後の原爆症による後遺症については全く報道しておりません。

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第22章 除染作業

 やっと汚染地帯での作業が開始されそうです。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき防衛大臣は陸自化学防護隊約300名の派遣を決め、富岡、浪江、楢葉3町の庁舎の除染作業を行うことを決めた。

 それとは別に除染モデル事業の初めての除染現地作業が試験的に5km圏内である大熊町で11月18日に行われた。国は警戒区域や計画避難地域等がある12市町村で除染モデル事業を行い、来年1月以降、本格的な除染事業を進める計画を発表した。

 現在、大熊町で行っているのは大熊町役場周辺、夫沢地区、民家30軒で、サーベイメーターを使っての空間の放射腺量を計測しているが、地表、地表1cm、空間地上1mの各点を計測する。空間1mでは毎時約10〜17μSvだが、木の根元や落ち葉の吹き溜まりでは最高43.4μSvを計測している。

 ホットスポットが各地に散在していると思われ、これから役場周辺や田畑などの地域のそれぞれ約5ヘクタールが対象。10m間隔で各400地点の線量を計測する。そのデータを基に除染計画を立てる、としています。

 但し本格的な除染作業が開始されても、汚染土の仮置き場、処理場は決まっていないし、これからの難題が山積しており、中間貯蔵施設の決定が重要です。

 11月21日、東日本大震災からの復興策を柱とする12兆1千億円の今年度第三次補正予算が成立した。

 この中に除染作業や放射線被曝医療の施設整備などを掌括する原発事故対応の福島県基金を創り対応する、としているが今年度予算総額は、三次補正までで106兆円と過去最大の予算額になった。更に必要であれば第四次補正予算も視野にあるとしている。

Q:福島第一原発事故でどの位の放射性物質が放出されたのですか?

A:下表のような放射性物質が放出されたと計算されております。

 但し、大半の放射性物質は物理学的半減期が過ぎており、その影響は少ないのですが、問題は人体での蓄積部位による生物学的半減期が異なりますから注意して下さい。

 最大のやっかいな放射性物質はセシウム137で半減期30年です。このセシウム137とセシウム134が川に流れ出て、その支流や枝流が中通りを貫通する阿武隈川に流れ込み、東北本線と平行して流れ、宮城県岩沼市付近で太平洋に注ぎますが、この阿武隈川で流れ出るセシウム137の量が、現在(11月下旬)1日当たり500億ベクレルにのぼると、気象研、各大学の合同調査チームの研究成果を発表した。

 この数値は福島第一原発事故に伴い、東京電力が4月に海に放出した低濃度汚染水のセシウム量に匹敵する量になる。

 阿武隈川の流域面積5400平方キロですから、如何に汚染が大きな範囲に広がっているかが実感できます。

 河口付近では、セシウム137が1日当たり291億ベクレル、セシウム134が234億ベクレルで計約500億ベクレルと推定される、と発表されました。

 その9割以上は浮遊する粘土などの微粒子に付着した分で、残りが水に溶けた分と解析している。

 中流である伊達市付近での観測では、1日当たりセシウム137、925億ベクレル、セシウム134、838億ベクレルが検出されており、河口付近の3倍強になりますから、流れが緩やかになる平野部の流れや堰などで沈殿している可能性が高い。

 表土に付着したモノが降雨毎少しずつ流れ出しているようですが、来年の田植が始まる前の代かきで一挙に流れ出るおそれがある。

 中通りの広範囲が汚染されていることは推測できます。

 浜通りの調査はこれからですが、さらに高濃度であることは覚悟しておかなければならないでしょう。

Q:具体的な放出量、その危険性、その対策等教えて下さい。

A:福島第一原発事故ではいろいろな放射性物質が飛び散ったことは事実です。

 そもそも原発とは、燃料のウランが核分裂で他の放射性物質に変わる際に生まれる熱エネルギーで水蒸気を発生させ、この蒸気力で発電する火力発電と同じ原理で、熱の発生方法が異なるだけです。ですから通常の火力発電のように二酸化炭素の発生もなく、大気の汚れもなく、貴重な石油、石炭、液化ガスの大量消費もない、しかも発電コストは非常に安価、全ての点で高評価を得た発電方法ですから、重要なエネルギーの確保に国を挙げての推進することは当然の帰結であったでしょう。

 始まりがあれば終わりがあるように、原発の施設が永久に使用できるわけがなく、当然耐用年数がありますから、第一原発の原子炉は製造したGEでは30年としておりましたが、東電は我が社の優秀な技術陣の頑張りにより未だ使えるんだと、延命策を施しながら運転しておりました。

 しかし、その後はどうする予定だったのでしょうか、廃炉は簡単にはいきません。放射能というどうにもならない厄介者が付着しているからです。解体して地中に埋めるとか、米日協同でモンゴルの砂漠に埋めるとの案がありましたが、当然ですがモンゴルが怒り心頭で断ってきました。当然ですが当事国の責任で始末しなければなりません。

 青森県六ヵ所村ではどうなのか、しかも廃炉には30年を要する長期戦です。

 厄介者の正体は、ウランの核分裂の際には熱を発生すると同時に、約80種類の放射性物質が発生してしまうのです。

 これらの放射性物質が原発事故の水素爆発の際に放出され、単純な比較ですがセシウム137だけで比較すると広島原爆168個分に相当する量が放出されたのですから最悪の事態に陥りました。

放射性物質 半減期 放出量 体位の影響
キセノン133 5日 1100万テラベクレル 特になし
ヨウ素131 8日 16万テラベクレル 甲状腺
セシウム137 30年 1万5千テラベクレル 筋肉
ストロンンチュム90 29年 140テラベクレル
プルトニウム239 2万4千年 0.0032テラベクレル

 放出の仕方にも元素により異なり、キセノン133は気体になって空中に拡散するから、事故直後南相馬市では放射腺量が瞬間的に通常の400倍に跳ね上がったのは、多くはキセノン133の影響と思われます。

 ヨウ素131とセシウム137については、特に影響が大きいので別項で解説しますが、セシウム137の場合全国的に汚染されていると汚染マップが公表されております。

 プルトニウム239の半減期は2万4千年、内部被曝で肺に付着すると生涯放射線を浴びることになり、癌に繋がる怖れがありますが、空中での放射は4cmしか飛ばないので外部被曝の怖れは少なく、しかも重いので空中はあまり飛ばず原発周辺に限られる、が海中に放出された汚染水から魚が取り込む怖れがあることに留意して下さい。

 ステップ2が完了すれば、後は放射能汚染との闘いが始まります。

Q:放射能元素により半減期が示されていますが、半減期を説明して下さい。

A:放射性元素により半減期が異なることは何度も解説しましたが、どうもスッキリとは理解できない、との問い合わせがありました。

 確かに「半減期」とは、今回の原発事故以来よく眼にしますが、事故以前は高校の化学の授業で僅かに習った程度です。

 「半減」とは文字通り半分になることであり、「期」とは、期間・時間の経過ですから、「半減期」とは半分に減るまで要する期間(時間)になります。

 そうすると半減期で半分に減り、次の半減期でゼロになる、と解釈していませんか?

 これがとんでもない間違いで、半減期で半分になって、次の半減期でそのまた半分になるのであって、ゼロにはなりません。最初の量の1/4(25%)になり、次の半減期で更にその半分(1/8)になる、これが物理的半減期だと理解して下さい。

 更にもう一つ「生物学的半減期」というのがあります。これは内部被曝により体内に入ってしまった放射性物質が、排泄作用等により、体内から排出することによって半分になる期間を「生物学的半減期」とします。

 放射性物質は放射線を出し続けているわけではなく、一個の放射性原子が変身して別の原子に変わるときに放射線を出します。数多くの原子が次々と変身するので連続して放射しているようにみえるのです。ですからどの原子が次に変身するのかは判りません。しかし全体的にみると、半減期が計算できるということです。

Q:スリーマイル島、チェルノブイリ原発事故の前例がありながら、何故我が国では事故時の対応システムを構築していなかったのですか?

A:福島第一原発事故は、地震と津波によるダブルパンチの東日本大震災の混乱の中で発生しました。このとき報じられた情報はあまりも少なく、更に錯綜したものでした。

 このようなときこそ内閣危機管理室や保安院が活躍するはずが、そのシステムが機能しなかったのか、システムに欠陥があったのか、疑問を持たれ方、大勢いるでしょう。

 最新技術を誇っていたはずの我が国の対応はあまりにもお粗末でした。

 では「安全神話」を妄信して無防備だったのでしょうか。まさかそれほど愚かではありません。

 JOCの臨界事故以来、その対策として「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)というシステムで、情報を集め予測により、国はどの周辺の影響はどの位ときめ細な情報を流し、避難方法を指示できる優れもののはずでした。

 その迅速さを視ると、事故後

 (1) 計算条件入力 事故より2分後に完了

 (2) 局地気象予測計算  7分後

 (3) 風速、風向予測計算 8分後

 (4) 濃度、腺計算    11分後

 (5) 図形、作成 配信  15分後

 事故後20分以内に第一回の放射性物質の放出図形が発表されるはずでした。

 ところが、実際は3月23日にやっと大気中の濃度、被曝腺量、環境への影響を示す予測図形が発表されただけでした。

 政府発表によると、気象庁は国際原子力機関(IAEA)に毎日詳細に報告していたようです。

 ではどうやってデータを集めるのでしょうか、このシステムを紹介します。

 このシステムは(財)原子力安全技術センター(東京・文京区)に設置された中央情報処理計算機(文部省管轄施設)を中心として経済産業省原子力安全・保安院緊急時対応センター、原子力施設所在地もしくは隣接地の地方公共団体及び(財)日本気象協会を専用通信回線で結び、平時には各地方公共団体のモニタリングスティーションからの放射線情報や風向・風速等の気象情報を10分毎に、また(財)日本気象協会からアメダス情報を1時間毎に受信し、6時間先までの風向・風速を予測計算して緊急時に備えていた。

 このシステムの構築費用は100億円以上、付帯設備で総額150億だそうです。

 万一、原子力発電所等の事故が発生した場合、予測される風向・風速の結果と放出源情報から大気中・地表面の放射性物質の濃度計算を行い、更に、この濃度計算の結果から外部被曝線量等の線量計算を行う。

 われらの結果は原子力発電所を中心とした25km×25kmの地図上の図形を出力したのを緊急時対応センター及び原子力災害現地対策本部へ送られ防災対策を構ずるための重要な情報として活用する。これが基本方針です。

 このシステムは現場からの情報が最重要ですから各原子力施設にはオフサイトセンターが設置されており保安院の職員が常駐しております。

 福島第一原発には大熊町にオフサイトセンターとして「福島県原子力災害対策センター」が設置されており、第一原発からは離れた所(約5km)にありましたから、津波の被害は受けておりません。

 場所は常磐線大野駅近くで旧6号国道の信号機のある十字路を山側に一寸入ったところにあり、下図のような建物です。

 このシステムは、事故現場である第一原発からのデータのモニターがオフサイトセンターに設置されており、ここが集めたデータを東京・文京区にある文部科学省管轄の施設である中央コンピューターシステムに送り込まれ、気象庁による現地の気象情報予測・風向・風速が加味され、分析が行われるスピーディシステムで、文字と通り「SPEEDI」に配信できるシステムのはずでした。が、肝心の福島県原子力災害対策センターが地震により外部電源が断線、停電になったが、非常用電源機関が1時間ほど作動したが、これまた停止してしまい、非常用発電機関の故障箇所が判らず、しばらくの間停止、電話回線その他も断線です。

 従って、第一原発の事故では、事故発生当初から、放出源情報を原子炉施設における測定や、測定に基づく予測計算によって求めることができない状況が続いた。

 このため、大気中の放射性物質の濃度や空間線量率の変化を定量的に予測するという本来の機能を活用することが出来なかった。

(SPEEDIの運用は、文部科学省により原子力安全委員会事務局の執務室に派遣されている(財)原子力安全技術センターのオペレーターによって行われている。)

 SPEEDIを用いて発電所周辺の放射性物質の濃度や空間線量率の値を計算できない状態なので、原子力安全委員会では、このSPEEDIを開発した日本原子力研究開発機構の研究者の協力を得て、原子炉施設周辺での測定に替わる方法を検討し、試行錯誤を繰り返して、環境中の放射性物質濃度の測定(ダストサンプリング)結果と原発から測定点までのSPEEDIによる拡散シミュレーションを組み合わせることによって、ダストサンプリングによって捉えられた放射性物質が放出された時刻における放出源情報を一定の信頼性をもって逆推定することが出来るようになり、こうして推定した放出した放出源情報をSPEEDIに入力することによって、過去に遡って周辺施設での放射性物質の濃度や空間線量率量の分布を求め、これによる事故発生時点からの内部被曝の線量を積算したもの(積算線量)の試算結果を公表しています。

 これらの試算結果は、放出源情報の推定におけるものとして不確差を含んでおり、実際の測定値と一致するものではないとして、原子力委員会としては、補助的な参考情報と位置付け、原則的として、測定値の傾向を説明するための限定的な目的での活用に過ぎなかった。

 それでも約5千枚の試算図を作成し、そのうちの一枚だけを公表した。(右図)

 具体的な活動として東日本大震災時に、福島第一原発の第1〜3機で全電源喪失などを想定し炉心溶融などを予測した「緊急時対策支援システム(ERSS)」の解析結果を半年後に公表した。

 同じく2号機の解析も行っていた、という。2、3号機の解析結果は官邸に送信したが、活用されず、最初に爆発した1号機については送信もしていなかった。

 保安院によるとERSSを開発した原子力安全基盤機構(JNES)は3月11日、保安院の依頼でERSSを起動、同原発での全電源喪失の事態を想定したパターンを使い、1〜3号機の原子炉内の水位、圧力、温度が今後どう推移するかの予測結果を出していた。2号機のデータは3月11日午後9時30分には、JNESから保安院に届いた

 保安院での職員はデータに基に「22時50分 炉心露出、24時50分 燃料溶融」等予想される展開を報告書に纏め、同日午後10時45分頃と12日午前零時過ぎに危機管理センターに常駐していた保安院職員に手渡した。

 3号機については13日午前6時30分頃に届いたデータを同様の方法で約20分後には官邸に届けた、という。どこでどう処理されたのか、これらの情報は周辺住民の避難指示には全く活用されていない。

(総理には提出せず、米軍には報せたようだ、新聞情報)

 保安院は当初、全電源喪失でデータが入力できず、SPEEDIは活用できなかった、と発表していたが、後日の発表によると試算はしていたが、事実に基づいたデータではないので試算を公表するわけにはいかなかった、と発表した。

 現地である福島県原子力災害対策センターでの動きはどうであったのか、センターの設備は、外部電源は停電、非常用ディーゼル発電機も故障、何とか復旧したのは深夜になってしまった。さらに通信手段は通常の電話は断線で使用不能、2台の衛星電話に限られ、重要な設備も地震で損傷し使えなくなっており、全てにおいた活用できない状態であった。

 一方、事故時の初動対応のマニュアルでは13省庁の40人のメンバーが招集され、ここで対策を協議、指示するシステムになっていた、が、事故当日午後10時までに集合したのは半数にも満たなかったと内部文書に記されていた。

 さらに1号機が水素爆発した12日には建物内部でも放射腺量が上昇、オフサイトセンターの放射性物質が内部に入るのを防ぐ設備は十分ではなかった。

 このオフサイトセンターを活用するには、食量の備蓄はなし、大熊町や付近の町は既に避難してしまい無人状態、従って食料の調達も出来ず、最新の設備を整えたセンターを放棄、3月15日、安全のためオフサイトセンター機構は郡山に避難、更に福島に移動しており、今回の事故ではオフサイトセンター機構の働きは全く機能しなかった。

 同じように東北電力の女川原発のオフサイトセンター機構は津波の被害を直接受けて壊滅、代替施設と予定していた合同庁舎も浸水被害で使用不能になり、全く機能しなかった。

 そのためかどうか、一国の総理がヘリで現地を飛び回るという事態になったが、緊急事態には総司令部にいて指揮をしなければならない総司令官が司令部を飛び出して最前線に赴くとは唖然、その間誰が指揮を執るのだ。指揮は絶対に空白時間があってはならないのが鉄則、現地に赴かなければならなかった危機管理組織と意識の欠陥が問題だ。

 もう一つ、菅総理が早朝東京電力本店(本社)に事故現場に残って頑張っている吉田所長と社員の引き上げを政府に打診したことに怒り、早朝東電本店(本社)に怒鳴り込んで行ったことは別項でも述べたが、これは正しい判断で快挙です。

 この現職の総理が民間の会社に怒鳴り込んで行ったというのは、我が国憲政史上二度目の行為で、最初は昭和18年1月、第二次大戦中で連合軍の反撃がはじまり、陸海軍が完全に劣勢になりだした頃、東条英機総理が電力会社(当時は複数の電力会社があった)に怒鳴り込んで行ったことがある。(原因は暖房の温度を下げろと、些細なことらしい)

 内閣は替わり、政府はオフサイトセンター機構の仕組みを換えるか、保安院制度の機構そのものを替えるのか。

 オフサイトセンター機構の設置は原子力災害対策特別措置法に基づき、原発事故などに対応する「指揮所」として設置。自治体と政府を結ぶテレビ会議システムを導入し、被曝を防ぐための防御装置や換気装置を備える。また使用不能になった場合に備えて代換え施設を設置する等の案が提出されている。

 阪神淡路大震災、1995年1月17日、午前5時56分発生、TVは放送開始と同時に現場中継で阪神高速の横倒し、ビルの崩壊、炎上中の大火災を報じていたが、時の村山内閣は午前中、震災とは全く関係のない定例閣議を行っており、現場中継のテレビの映像が生々しく報じていても、それには反応しなかった。さらには閣議に出席していた大臣にも携帯電話で大災害を伝える緊急電話が入っても反応なし、やっと反応したのが閣議終了後であったという。

 当時は上部機関からの命令がなければ出動できない法制になっていた自衛隊が、救援出動の準備をしていながら、命令が出ず、ジリジリしながら待っていた、そのため1刻を争う初動救援に遅れをとり、後に出動に遅れが生じたことに自衛隊が糾弾されたが、危機管理が何であるかを理解していなかった内閣こそが糾弾されるべきです。

 では何故のんびりと震災と全く関係ない閣議を延々とやっていたのか、その言い分けは正式な報告が上がってこなかった、というのがその理由らしいが、危機管理意識、組織に欠陥があることは確かで、内閣の各大臣にも危機意識は欠落していたようだ。

 更に2ヶ月後の3月20日、「地下鉄サリン事件」が首都東京のど真ん中で発生、世界中が驚愕するような大事件であったが、主犯オウム真理教の動きを把握できなかったのか、最大の疑問だが、憲法が定める「信教の自由」に縛られ、宗教法人には手を出すなが警察、公安の不文律となり、内偵を怠っていたのか、その前に起きた松本サリン事件では、現場の近くに住む全く無関係の人を誤認逮捕し、長野県警はあたかも真犯人であるかのような新聞発表までしてしまった。

 ではオウム真理教の不可解な行動に対して、全く放置していたのか、以下は白昼夢のような話ですが、オウム真理教が武力革命を起こし、東京を制圧、政権を乗っ取る野望があったらしい、その準備としてソ連崩壊に乗じて非合法市場に流出した武器、弾薬を豊富な資金で買い集め、その活動の場はモスクワ市内にオウム真理教の道場を建設、そこを本部として西側へ持ち出す地下組織をオースリアのウィーン、ポーランドの何カ所かに拠点を設けたらしく、おびただしAK銃やその他の武器弾薬を買い集め、サリンを撒くソ連製の大型ヘリコプターまでも準備した。

 当然現地ヨーロッパ各国の公安、情報機関はこの動きを把握し、我が国に連絡してきたが、55年体制が崩壊し、政界再編の動きのなかで細川内閣からはじまる短命内閣の連続で、ついには犬猿の仲であったはずの自民党と社会党の連立内閣であるから動きは鈍く、取り締まりも内偵も何も出来ないままに「サリン事件」を引き起こしてしまった。

 結局、内閣が強力でなければ何も出来ないことを証明したことになった。

 その反省に基づき官邸に危機管理室を設け、情報の一元化を謀っていたが、東日本大震災、それに続く福島第一原発事故でも万全を期した積もりの危機管理システムにも重大な欠陥があったことが証明されたことになった。

 それでも、我が国の組織は国民性なのか縦割り行政は横断的相変わらず、その縦割りの連絡機構は、全ての関連組織が幅広く参加し、衆議を重ねて検討しながら、更に上部機関に上げられるという、決定機関が曖昧になっているから責任の所在がはっきりしなく、当然動きも遅い。(一元的でない我が国の危機管理体制が不安です)

 アメリカでは、アメリカ合衆国原子力規制委員会(NRC)という組織があり、この組織の委員長が原子力に関しては全ての監督責任を大統領より委任され、取り仕切っている。

 従って原発事故が起きた場合、その対策は全て委員長権限で処理しなければならない。

 現委員長であるグレゴリー・ヤコブ氏は、今回の福島第一原発事故に関し、アメリカ議会公聴会で証言台に立ったが、その証言内容は、日本政府と東電の余りにも遅すぎる対応、当初、アメリカ政府から緊急援助申し出をすべて断ってしまった日本政府の危機管理意識の低さ、傲慢に見えるその態度、苛立ちに満ちた痛烈な批判的証言を行った。(CNN中継)

 それに対して我が国政府は寂として声なく、ただひたすら反省と沈黙のみ。

 これからどのようなシステムを再構築しようとしているのか、発表は未だない。

Q:福島第一原発事故で放出された放射性物質は、公表されているよりも倍くらい多いんだとの噂を聞きますが、本当でしょうか?

A:真相は勿論判りません。そのような噂もあり、事実その道の専門家も証言していますから根も葉もない噂ではないのでしょうが、しかし、われわれ一般大衆は検証の方法もなく公表された数値を信ずるしかありません。

 但し、計算方法やデータの取り扱い方によって幅が出るのはヤムを得ないようです。公表されてきたデータを改めて表示します。

Q:汚染水に関しては余り報道されませんが、海洋汚染ですから国際的には大問題になると思いますが、どうなっているのでしょうか?

A:原子力発電方式には大量の冷却水を必要とします。従って我が国では外洋に面した海岸に建設されており、外国では海岸線か大河の沿岸です。

 原子炉圧力容器の中で核燃料が核反応により膨大な熱を発生し、この熱で清水を沸騰させ、その蒸気でタービンを回転させて電気を起こす火力発電の原理と同じです。

 この蒸気を冷やして清水に戻し再び蒸気にて起動力とします。この蒸気、その他過熱した部分を冷却した冷却水が熱くなりますから、この高温の清水を冷却するのが海水です。

 清水である冷却水は何度も使用しますが、海水は冷却後そのまま海に排出します。

 また使用済み核燃料も崩壊熱を出し続けますから、プールに保管して冷却しますが、これまた猛烈な崩壊熱なので大量の冷却水を循環させなければならず、1基の原子炉でも運用するには清水の量は膨大です。

 今回の福島第一原発事故の原因は、この冷却水の循環が停まってしまったことによります。即ち冷却水循環ポンプを作動させる外部電力の断線による停電、非常用電源であるディーゼル発電機が津波の被害で使用不能、冷却水循環システムが全て停止したが故の悲劇でした。

 故発生後は如何にして冷却水を循環させるかで、ヘリコプターによる空からの放水、消防車による放水等あらゆる非常手段による冷却水の循環でした。

 そうすると原子炉のメルトダウンそのたによる放射能漏れにより、冷却による大量の汚染水が処理されないままに流れだし、汚染処理プールその他にあふれ出し、一部は海に流れ出したことにより、海洋汚染という国際問題を提起してしまったのです。

 具体的に放出された放射性物質の時間的経過を辿ると、第一原発の正門に設置されてあるガイガーカウンターは、3月12日午前4時までは正常値である0.07μSvであったが、同日午前4時30分、0.59μSv、午前4時40分5.1μSvと急上昇。

 12日午後3時36分、1号機爆発、火災は視認できない透明な爆発(水素爆発)と同時に地面を這うように白煙が広がった。政府は12日午後6時25分、半径20km圏内の住民に圏外への避難を指示した。

 14日午前11時01分、3号機で1瞬透明な爆発(水素爆発)直後、燃料プール付近で1瞬赤い炎が発生し、爆発煙が上がった(保管燃料由来の水素爆発と発表された)。

 15日の午前10時22分には線量が最大になり400mSvを計測した。従って3号機の爆発で大量の放射性物質の放出があったものと推測される。

 15日午前6時10分、2号機でも爆発音があったが建屋は破壊されなかった。これは水素爆発の被害を防ぐため、事前に建屋に穴を空けておいたのが功を奏した。

 圧力抑制プールは圧力が3気圧から1気圧に低下したので損傷した。ほぼ同時刻に4号機も爆発があり、更に4号機では15日、16日に火災が発生した。

 政府は15日午前11時06分、半径30km圏内の住民に屋内退避を指示した。

 16日以降は、放射腺量の上昇はなく、5月2日午後9時の第一原発正門付近では45μSvと減少した。

 従って放射性物質の放射は3月15日までが大量放出で、その後の放出がゼロではないが少量または微量に留まっていると推測される。

 ところが循環冷却水が停止したために、崩壊熱冷却のために決死の放水作業を行い、大量の放水により、汚染されて水が地下に流れ込んだ。

 3月24日、3号タービンの建屋地下の溜まり水で、濃度390万Bq/立方cmの放射性物質を含み、表面から約400mSv/hの放射線を検出。

 3月26日、1号機の溜まり水から、380万Bq/立方cmの放射線を検出。

 3月27日、2号機の溜まり水の表面で1,000mSv/hの針が振り切れ、測定不能。

 3月28日、1〜3号機の海側にある立て坑の溜まり水からも放射線量が検出され、3月15日に圧力抑制プールが爆発破損した2号機から、核燃料の混じった冷却水が漏れてこれらに流入したとみられる。

 4月2日、2号機海側の立て坑に亀裂があり、高濃度の放射性物質を含む汚染水が海に流出しているのが発見され、防御としてコンクリートを流し込んだが固まらず失敗、その後試行錯誤を重ねての末、水ガラスの導入によって4月6日やっと食い止めた。

 高濃度汚染水をタービン建屋やトレンチから緊急に排出しなければならず、集中処理施設中の6.3Bq/立方cmの低濃度汚染水(約9070トン)を海に放出して、その空になった処理施設に高濃度汚染水を導入した。

 さらに、5号機・6号機のサブドレンピットに増してきた貯水池下水の約1323トンもそれぞれ16Bq/立方cm、20Bq/立方cmで設備水没になり危険なので同時に海へ放出した。 核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律に基づいて政府の承認を受けてから放出、4月4日から10日にかけて実施された。

 放射能レベルは約1500億Bqで、原発から1km沖合の魚や海草類を毎日食べた場合、年間被曝量は0.5mSvであり、年間に自然界から受ける放射腺量の1/4程度であるが、この処置に対して国内、近隣諸国から猛烈な抗議があった。

 一方、2号機からの高濃度汚染水は2万5000トンあって、そのセシウム137の濃度は300万Bq/立方cmで、ヨウ素131の濃度は0.13億Bq/立方cmと発表された。

 この数値を基準としてセシウム137とヨウ素131の2核種の濃度を汚染水2万5000トンに含まれる濃度を換算すると2核種の放射性物質総量は単純計算であるが330京Bqと推定される。(京、兆の1万倍)

 4月5日までに水素爆発その他で大気に放出された放射性物質の量は、ヨウ素とヨウ素131に換算したセシウム137の合計は、保安院は37京Bq、原子力委員会は63京Bqと換算したと4月12日公表した。

 チェルノブイリ原発事故での放出量は520京Bqと公表されている。

 この放出総量は、1瞬の爆発であったため大気に全て放出されてしまい、冷却水の循環はなかったので、汚染水問題は発生しなかった。

 福島第一原発事故の今後の大問題は、冷温停止と共に高濃度汚染水の処理問題である。

 汚染水は既設の貯蔵タンクでは足りず、急遽貯蔵施設を建設したが、それでも足りず、その後も汚染水が急増し、再び海へあふれ出す寸前までになり、慌てた東電は6月に、アレバ社(フランス)の浄化装置(60億円)を急遽導入し、急場をしのごうとしたが、フランスから導入した期待の装置はうまく作動せず、さらに処理してからの高濃度廃液の浄化処理が難しいという。

その浄化の方式は、薬液を使って放射性物質を沈殿させ、分離する「凝縮沈殿」方式で、装置からは、ドロッとした廃液「スラッジ」がでる。

 このスラッジの表面の放射線量は毎時1Svを超えるとみられており、人は近づけず、移動も不可能、保管も厳重な遮蔽が必要で、装置のある建屋の貯水槽には内には約580立方メートルが仮置きされているが、東電は更に厚さ2.5cmの鉄製のタンクに入れ、厚さ1mのコンクリートで囲まれた装置に保管する準備を進めているが、その後の処理方法は未だ見つかってはいない。

 このアバル社製の浄化装置は60億の巨費を投じたが、スラッジの処理には大規模な遠隔操作技術が必要なことが判り、さらに故障が多く、稼働率が70%程度で、9月には事実上「休止」となった。

 現在は8月に追加導入された東芝製の浄化装置「サリー」が活動している。

 このサリーは「凝縮沈殿」方式ではなく、鉱物「ゼオライト」等の固形物に放射性物質を吸着させる方法で、この吸着した鉱物を廃棄物として特殊容器に入れ、容器共に廃棄する方法で、容器の線量は4mSv/hであるから、スラッジより遙かに低い、その反面、量は膨大になるからこれまた事後処理が困難になる。

 従って汚染水処理はこれからの問題であり、膨大な量の汚染水の処理をどうするのか?そして、また流出事故があったようです。

 12月4日、東電発表「福島第一原発に貯まる高濃度放射能汚染水を処理する施設から、汚染水45トンが漏れているのがみつかった。」と発表した。

 処理後の汚染水ですが、基準値を大幅に上回る濃度の放射性物質を含み、総量は最大220トンと見積もれており一部は海に流出したとみられる。

 漏れた水のセシウム濃度は1リットルあたり4万5000ベクレル(Bq)、原子炉等規制法が定める海水での基準値の約300倍、ストロンチウムは処理できないから、セシウムの量から推測すると濃度基準値の約100万倍ある。

 原子炉の冷却水を処理して再利用する循環注水冷却システユで起きた水漏れ事故では過去最大の量、運転を止めて調査中であるが、処理後の水がタンクには1万トン以上あり注水は継続しており、12月中の「冷温停止」には影響しないとしている。

 濃度は、4月に海に放出した低濃度の汚染水よりは「高い」中濃度に該当する。

 表面の放射腺量は、ストロンチウム等由来のβ腺で毎時110mSv、セシウムなど由来のγ腺が1.8mSv/hと発表した。

 海洋汚染を世界的に見ると、チェルノブイリ原発事故とスリーマイル島原発事故

 海洋への汚染水放出はなかったが、1974年、イギリスのセラフィールド再処理工場で169兆ベクレル(Bq)のプルトニウムとアメシウムを放出してしまった事故がありました。

Q:汚染水流出後の海洋汚染はどうなったでしょうか?

A:4月6日以前に流出した高濃度汚染水は毎分2リットルが流出したと換算され、10日間で約2000兆Bqと計算された。IAEAのヨウ素換算係数を適応しない単純合計ベースで、放射性物質放出の総量を約4700兆Bq(テラベクレル)だと推量した。

 では魚介類への影響はどの程度なのか、発表がないので判らない。

 4月4日、常磐沖で漁獲されたイカナゴの稚魚(コウナゴ)からは、放射性セシウムが1kgあたり526Bqセシウム137、4,080Bqのヨウ素131が検出されたことから、出荷停止された。

 この最初の検出から以降も汚染度が上昇し、コウナゴでの最高は1万4400Bqのセシウム137が検出された。

 他の魚種ではアイナメから1kgあたり857Bqのセシウム137、カキから740Bqのセシウム、アカモク(海草)から1640Bqと12万7700Bqのヨウ素131が検出されたことから、放射性物質は海底に沈殿しやすいことを示しています。

 海洋に流れ出た放射能汚染物質は流出たてから親潮にのって南下し、さらに銚子沖周辺で黒潮に合流し、北太平洋へと拡散すると見たれておるので、銚子沖以南では概ね汚染されないだろうとみられております。

 ただし、直接海洋へ放出された汚染水ばかりではなく、陸地の放射性物質も水に溶けて降雨毎に川に運ばれ、やがて海洋へ流れ出ることになり、阿武隈川のような流域面積の広い河川は大量の放射性物質を運ぶことになり、汚染の長期化は避けられない。

 海水魚の体内に取り込んだ放射性物質は、元素により生体内で蓄積し易く組織が決まっています。

 特に骨に蓄積し易い元素が多く、今回の原発事故でも大量に放出されたのは、セシウム137とストロンチウム90は、多くが骨に取り込まれる。

 これはセシウム、ストロンチウムは、カルシウムに似た元素であるため、カルシウムが骨に取り込まれていくのと同じように骨に取り込まれていくのです。

 海水中にセシウムやストンチュムを含んでいれば、魚や海草類は高い確率で生物の体内に取り込まれ汚染物質が濃縮することになり、これを「生体濃縮」といいます。

 そして、その程度を示す数値を「濃縮係数」というのですが、セシウム137はこの濃縮係数が高いので要注意となります。

 仮に海水1リットルのセシウム137が1ベクレム(Bq)含まれていると仮定すると、その海域に住む魚1kgには、100ベクレム(Bq)のセシウム137が含まれていることになります。

 ただし、多くは骨に蓄積されますから、骨を外せばセシウム137の内部被曝は避けることが出来ます。

 ところが、コオナゴのような小魚は丸ごと食しますから、内部被曝の危険性があり、検査で出荷停止になったのは内部被曝の怖れがあったからです。

 では大型魚なら内部被曝の心配はないのか、というと安心だといえません。

 海水魚のセシウム等の生体濃縮は、他の化学物質と比較すると低く100倍程度とされ、また生物学的半減期もセシウムで約50日程度ですが、海では図示のような食の連鎖ピラミットがあり、より高次な捕食魚「より大きな魚の餌になる連鎖がある」あるので、全ての海中生物に汚染が広がる危険性がある。

 より大きな魚の捕食により汚染が最大になるのは海洋汚染時から半年から1年後が最大と推測され、そして2年から3年目に収束すると考えられている。

Q:セシウムという化学元素が度々見聞しますが、どのような元素なのですか?

A:大気中、陸地、海洋でも至る所に存在し、除染作業とは、セシウムを除去できるか、どうかです。

 セシウムとは何でしょうか?

 高校の化学の時間を思い出して、一寸の間、聴講して下さい。

 現在問題になっているのはセシウム137ですが、これはセシウムの放射性同位体であり質量が137のものを指す。ウラン235などの核分裂によって生成するモノであって半減期30年(正確には30.1年)の厄介な存在です。

 セシウム137は自然界には殆ど存在しておらず、極めて低い確率で起こる天然ウランの自発核分裂で痕跡量が僅か生成される程度です。

 他の大半の放射性同位体は安定同位体から生成され得るのに対して、セシウム137から生成される。そのために1940年代前半までは自然界には殆ど存在しなかった。

 ですから我が国での放射性物質による汚染は広島・長崎の被爆より始まるわけですが、第二次大戦後の1940年代後半から1960年代前半までの先進大国と称する各国が競い合って原水爆の核実験を繰り返し20数年間で2千数百回も実験していたのです。さらには当事国がひた隠しにしている核の事故が相次ぎ、放射性物質をまき散らした放射性物質は世界中を汚染したのです。

 当然ながら我が国も汚染被害があり1960年代の前半以前にこの世に生を受けている人は1日1Bq以上摂取していたと言われた位で、降雨があると翌日の新聞には昨日の放射性物質のカウントの数値が発表されておりましたが、余り気にもしませんでした。

 1940年代から1960年代まで世界の各地で原水爆実験が盛んに行われ、世界唯一の被爆国であるから、原水爆実験中止を訴えるデモや糾弾の大会が開催されたが、学生運動も盛んで安保闘争と並んで原水爆実験反対の運動が盛んに行われた。

 右のグラフを覧ると1960〜1964年が最大の放射性汚染が凄かったことが判る。

 その後急速に収束したのは、米ソの核開発競争が冷却したわけではなく、監視衛星の打ち上げ競争に転換し、当時、米ソは宇宙戦争と呼ばれた軍事衛星競争にエスカレートして、巨額の経費のかかる闘いで、経済的に追い詰められ、特にソ連は連邦破綻の路を歩む転落への路であった。

 放射性物質をまき散らす核実験競争はひとまず終止符を打ったが、続いて大国にならんと野望を持った国々が核実験を始めた。

 そして原発事故が続いてまたもや大気や海洋汚染が続いている。

 従って、1960年(昭和35年)頃より以前に生まれた人達は日本全国どこに住んでいたとしても放射性セシウム137の内部被曝は受けているはずで、生涯内部被曝線量は多いだろうと推測します。

 核実験が盛んに繰り返されていた1950年代の放射能飛散のデータを探したのですが、残念ながら入手出来ませんでした。ただ一つフランスの地球汚染調査隊が北極の氷に閉じ込められていた放射能を調査した、氷は縦に穴お開け調査すると年代別のサンプルが調査できる方法なのですが、調査の結果1950年代の放射能汚染は、チェルノブイリ原発事故で放出した放射性物質汚染よりも3倍以上の放射性物質を世界中にまき散らしていたことが判明しております。

 核実験は1960年代〜1970年が最多で大量の放射性物質が世界中に放出されたのです。放出されたセシウム137が降雨とともにウラン235の熱中性子核分裂により直接生成する場合の核分裂収率は、セシウム137は、0.06%に過ぎないが、ヨウ素137(半減期24.5秒)は2.6%、キセノン137(半減期3.82分)は3.2%生成し、その他テルル137(半減期2.5分)0.39%などを含めて、これら短寿命核種がβ腺を放出して崩壊しセシウム137となってしまう、累積の核分裂収率は6.2%となる。

 原発事故で飛散した放射性物質で最も多いのは、放射性ヨウ素(Iー131)ですが半減期が8日ですから、10ヶ月経った年末では完全に零レベルになりました。

 ですから原発事故から10ヶ月以上経ちましたので残るは憎きセシウム137ですが、半減期が30年ですから、30年後に半分(1/2)、60年後に1/4になるのですから、零になることはありません。

 大気中に飛散したセシウム137は降雨と共に地上に落下し、植物や土壌に付着、水に流されても放射能が消えるわけではなく、放射腺を放射し続けます。

 付着した落ち葉等を焼却してもセシウフ137が消滅することはなく、かえって大気へ放射するだけです。

 農作物は、土壌に付着したセシウムは植物の根から吸収されたり、直接付着したり多くの農産物が出荷停止処分になりました。

 牛乳等の乳製品、牛肉の出荷の停止もあり、これは牛が放射性物質の付着した餌を与えられためで、チェルノブイリ事故後、多くの子供達に甲状腺異常が見つかったのも牛乳や乳製品を摂取したことが原因だと、因果関係が明らかになっております。

 出荷停止が解除になってホットした農家の皆さん、またもや福島県産の米に基準値を超えるセシウム137が見付かり、再び出荷停止になりました。

Q:100mSv以上では身体に異常が表れる、と説明を受けましたが、それ以下の場合は、身体的影響はないのでしょうか?

A:外部被曝であれば、100mSv以上だと身体的な障害が現れることがある、と言うのが明らかになっていますが、内部被曝に関してはこれ以下なら大丈夫という基準はありません。

 1987年、チェルノブイリ原発事故でその北側に位置するベラルーシ共和国第二の都市、ゴメリ、人口50万の都市にあるゴメリ医科大学あり、その医大の学長であり、高名な医師でもあったユーリ・バンダジェフスキー博士は事故後、死亡した人々を解剖して臓器毎のセシウム量を調べた。

 その結果は、大人と子供、男と女で臓器毎の蓄積量が異なることを突き止めた。

 放射能汚染の解剖結果、臓器毎のセシウムの蓄積の記録は世界初であり、貴重な資料となり、世界がその論文に注目した。

 ところがベラルーシ政府当局としては、放射線による被害は大量に被爆した場合にしか健康障害はない、としており、発表した論文を否定し、さらには1999年収賄容疑で逮捕し、禁固8年の判決で服役した。

 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、原発被害者に対する政府の対応を公然と批判したため、でっちあげ事件で逮捕されたとして、救援活動に乗り出し、その運動が功を奏し、2005年に釈放された。現在はウクライナ共和国のキエフで研究を再開しています。

 右は同氏の著書で、献体によるセシウム137の追跡解剖による被爆の病理データですから、世界に例がない貴重な医学的資料です。

 福島原発事故の医学的証言はこのデータからの引用が多いようです。それによると、甲状腺が一番蓄積し易く子供くち1kgあたり1200Bq、大人400Bq、心筋には子供600Bq、大人300Bq、小腸には子供700Bq、大人300Bq、その他の詳しいデータが豊富に記載されている。

 その他の内臓にも蓄積し心臓、腎臓、肝臓等で、子供は甲状腺、心臓の心筋に集中するようです。

 「1kg当たり20〜30Bqの放射能は、体外にあれば大きな危険性はない。内部被曝で深刻なのは全身の平均値だからです。心筋細胞は殆ど分裂しないため放射能が蓄積し易い子供の心臓は全身平均の10倍以上になることもある。」と博士の警告です。

 チェルノブイリ原発事故時、周辺住民は何も知らされず、日常の生活をしていたが、その後強制移住させられ、現場から100km離れた移住地で生活しているが、事故から25年以上経った現在でも、脳卒中や心筋梗塞で亡くなる人が多いし、喘息、糖尿病、心臓病等で苦しんでいる人が多い、が内部被曝との関連性が証明されず、救済はないという。

 更に博士は「被爆の影響は、胎児や小さな子供に大きく出る。遺伝の影響で次世代に現れる可能性もある。」と警告しています。

 チェルノブイリ原発事故後の救済に活躍する博士の行動に賛同した日本人がおります。

 茨城大名誉教授の久保田護先生で、博士の論文を日本語に訳し、上記の本は先生が自費出版した本です。

 また先生は日立市に「チェルノブイリの子供を救おう会」という団体を立ち上げ、原発事故の汚染地域に住むベラルーシの子供達を毎年呼び寄せる活動を1993年から実践しております。

 日立市の保養所で約1ヶ月の生活で暮らす、放射能汚染がない場所で、汚染されていない飲食物を摂取すると、体重1kg当たり30〜40Bqがあった子供達が、約1ヶ月後の機帰国時には5Bq程度に減少していることが実証されています。

 同博士は日本での原発事故に心を痛め、「日本の子供達がセシウム137で体重1kgあたり20〜30Bqの内部被曝をしていると伝えられているが、これは大変深刻な問題で、特に子供の身体に入ったセシウムは心臓に凝縮されて心筋や血管の障害に繋がる可能性がある。」と指摘し、大人よりも子供の影響が大きく、幼児、胎児の影響はより大きいことをデータは示している。

 日本を代表する放射線医学の権威である某先生が、低量被曝は健康には影響ないと県内で講演したそうですが、聴講した人が県内には多数いると思います。

 ユーリ・バンダジェフスキー博士や久保田名誉教授の報告と、後述しますが被曝被害にあい健康障害に苦しむ諸外国の例をみても、低量被曝は健康には障害はないと断言するのは、全くのド素人である私さえも驚きです。

 低量被曝でも十分な注意を払う必要があります。因果関係は完全に証明されていなくとも抵抗力が衰えることは確かなようです。

 後で悔やむなら、未知であっても今を大切に最適と思われる方法で対処して下さい。福島の子供達を内部被曝から救って下さい。

 第二次大戦末期、都会の学童を避難させる、学童疎開というのがありました。昭和19年8月頃から終戦の昭和20年8月まで行われ、8月末頃には親の元に帰ったようです。

 同じようなことはナチスドイツも実施しておりました。目的は全く違いますが、福島の子供達を汚染されていない清浄な地で、汚染されていない飲食の摂取で内部被曝をきれいな身体にして戴く手段はありませんか。

 国や県にお願いしても予算がない、前例がないで、門前払いされるでしょうか?それならば全国の有志の皆さん里親になって戴けませんか。そのようなお願いは無理でしょうか、それでも何とか福島の子供達を助けて下さい。

 12月8日、福島県民健康管理調査の結果が発表された。

 今回の調査対象は、県民の健康調査で「先行実施地域」に指定された飯村、川俣町(山木屋地区)、浪江町赤宇木椚平の住民約2万9千人のうち約1730人、選ばれた人は推計に必要な行動記録が明確で、県への提出時期が早かった順に解析したとのことです。

 その結果、約半数の住民は1mSv未満、残りの大半は1〜5mSv。5〜10mSvが40人、10mSv以上が10人、最高は約37mSvであった。

 推計値は事故後4ヶ月の間の外部被曝の合計で、自然放射腺量を引いた値、内部被曝を考慮しても、癌などの健康に影響のある100mSvに達する人はいないと覧られる。

 但し、低線量被曝の健康への影響については十分に解明されているわけではなく、チェルノブイリ事故以来25年以上経過しても調査研究中です。

 県の方針としては、外部被曝推計量は、全県民約200万人を対象に今後30年以上にし、健康への影響を見守る調査の基礎データにする。

 調査の結果、線量の高い人は、空間腺量の高かった避難区域や、プルーム(放射性雲)(P14に表示した図)が流れた地域での滞空時間が比較的長かった地域は影響を受けた可能性がある。

 ともかく浜通り、中通りの福島県民は、大小はあっても全員が外部被曝、内部被曝を前提にし、特に子供達は徹底的に対策をこうずべきでしょう。

○放射性雲(プルーム)の解説

 原発事故時、煙突から煙が出るように、気体状(ガス状あるいは粒子状)の放射性物質が煙のように流れ出る状態を放射性雲(プルーム)と言います。

 放射性プルームには放射性希ガス、放射性ヨウ素、セシウフ137が含まれ、外部被曝、内部被曝の原因になる。

 希ガスは地面には沈着せず、体内に取り込む内部被曝の心配はありません.ところが、希ガスの影響はプルームが空中に滞留するところから大量の放射線を放射しますから、外部に居てもしもプルームの下であれば放射線を浴びたことになり外部被曝となります。

 放射性ヨウ素とセシウム137はプルームに乗って運ばれ、降雨その他で地上に落下して土壌に付着しますから、何度も解説しましたが、外部被曝、内部被曝の怖れが出ずるのです。

 今回の事故では、SPEEDIによるデータ分析で、プルームのルートは解析されているようです。

 この調査の推計は、皆さんも各自記入したと思いますが、事故の起きた3月11日から2週間は、滞在場所を屋外、屋内、移動中に分けて分刻みで記入。屋内の場合は木造か鉄筋コンクリート造りか建物の区別。3月26日から7月11日分は居住地と定期的な外出先、1日の平均的な屋外と屋内の滞在時間を記述.「この記録を基に、文部科学省のモニタリングデータとSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)から再現した各地の時系列の空間線量率を使って、外部被曝線量を計算した。子供の方が放射線に対する感受性が高く、年齢と建物の種類等を考慮した、という。

 子供さんが居る家庭ではくれぐれも健康に留意し、県や国が行う検査には積極的に参加し、受診されることをお願いします。

○国際放射腺防護委員会が勧告する平常時の市民の年間被曝限度は自然由来と医療を除き、1ミリシーベルト(mSv)と決めている。

Q:チェルノブイリや福島以外でも世界には放射性物質汚染で苦しんでいる人達がいるのでしょうか?

A:第二次世界大戦の末期である1945年から1960年代半ばまでに世界の大国は公式に認められているだけで核実験回数は計2037回、その他秘密裏に行った地下核実験、方法は様々でも現時点のおいても密かに行われているらしい、長野県松代にある、戦争末期大本営と天皇御座所の予定であった地下壕に設置されている地震感知設備が世界の僅かな振動でもキャッチしております。

(ビキニ環礁での核実験、黒い影は実験に供された軍艦、戦艦長門、米空母サラトガ等)

 核実験は最初こそアメリカ国内の砂漠を実験場にして実施していましたが、第二次大戦後の1946年〜1958年にかけて数多くの軍事目的の大気中核実験を行った。

 1954年3月1日に行われたキャッスル作戦の水爆実験(ブラボー作戦)は、アメリカ側の核開発者や技術者が驚く位の威力があったらしい(1説では、広島型原爆の1千倍)従って想定外の威力に、立ち入り禁止海域の外側で操業していた静岡県の第五福竜丸(別項参照)が多量の死の灰を浴び、久保山通信長が半年後に死亡、他の乗組員も大半が癌や白血病、肝硬変等で何年後かに次々と死亡した。

 この死の灰は実験から3日後、約240km離れたロンゲラップ島の住民64人が全員1.75Gyの放射線を被曝し、アメリカ側は被曝の後、軍艦でクェゼリン環礁に強制移住させ、治療を行った。

 実験から3年後の1957年、アメリカ政府はロンゲラップ環礁の安全宣言を行い、島民全員の帰宅を認めた、が、帰島した住民の多くは甲状腺腫瘍ができ、子供は白血病で死亡した。

 僅かに残った島民はアメリカ政府に抗議する術もなかったが、1985年、グリンピースが環礁から島民を救い出し、クェゼリン環礁のMejatto島とEbeye島に避難させたが、小さな環礁なので生活の手段がなく、自殺者も出てしまった。

 2001年、アメリカ政府は重い腰を上げ、なんとか島民が帰島できるように放射能汚染除去作業に着手したがマーシャル諸島共和国政府は、アメリカ政府に対して補償問題を提起している、が解決への道は険しい。

 核実験、核兵器、原子力潜水艦、ウラン弾、原発その他核関連による被曝による犠牲者は多数いると思われますが、各国は国の威信にかけて公表することはありません。

Q:核廃棄物保管施設、核実験跡地、その他核関連施設における放射性物質の影響はどの様な影響がありますか?

A:核爆弾開発実験を行い、現に核爆弾を保有している国々、原子力発電所を国内に建設し運用している国々も、核廃棄物問題では各政府とも頭痛の種になっているはずです。

 また、各国とも原水爆実験による死の灰の散布、放射能汚染の後始末、原水爆爆弾製造によって生じた核廃棄物、原子力潜水艦同士の衝突、沈没、原子力潜水艦の海中への廃棄、汚染水の垂れ流し、それが周辺各地に深刻な問題が生じています。

 例を挙げますと、アメリカ、ワシントン州(首府のあるワシントンDCではない)、北米の北西に位置し、カナダに接し、イチロー選手が所属するシアトル・マリナーズの本拠地)このワシントン州の奥地でコロンビア高原の中央でコロンビア川が大きく蛇行し、ヤマキ川にも囲まれた広大な地で、年間の降雨量少ない乾燥地、砂漠に近い状態の荒れ地で、アイダホ州に接する辺りに広大なハンフォード核廃棄物処理場があります。元はマンハッタン計画によりプルトニウムの製造工場の建設地に指定され、アメリカ陸軍工兵司令部がデュポン社と契約して工場建設、生産に従事したのです。このため付近住民であった1500世帯が立ち退きを命ぜられたが、大半は先住民であるインデアンの部族でした。

 1943年にHanford Engineer Work(HEW)の実際の建設が開始、最盛期には約5万人が働いていており、1945年8月、第二次世界大戦が終了するまでに、3基の原子炉(105ーB、105ーD、105ーF)、3基のプルトニウム処理施設(221ーT、221ーB、221ーU)各250mが完成している。

 ここで造られた原料から最初のプルトニウム型原子爆弾がロスアラモス研究所(当時、サイトYと呼ばれていた)で製造され、ニューメキシコ州・アラモゴード爆撃試験場での世界最初の核実験が行われた。(トリニティ実験)

 この実験を経て改良された原爆が長崎に投下された。(広島へ投下された原爆は別の研究所で製造された)

 第二次大戦後は、米ソの対立が激しくなり、核開発競争が始まり、さらにイギリス、フランス、中国が続いて核開発競争に加わり、公式には2037回の核実験が行われ、世界中に放射性物質が撒き散らされた。

 冷戦の激化とともにソ連の核兵器に対抗するため、この基地は拡充され、1963年には、9基の原子炉がコロンビア河畔に配置され、5基の核処理施設が中央高原部に、全部で900棟のビルが建設された巨大な各施設で全米一であると共に、おそらく世界一の核施設であると思われる。

 だが、米ソ対立は軍事衛星の宇宙戦争に推移し、このため各施設は徐々に縮小され、やがて停止になったが、製造過程で生じた膨大な核廃棄物がこのハンフォード施設に一元的に保管された。

 1988年6月25日、ハンフォードは4つの区域に分割され、核廃棄物処理が始まったが、核処理は遅々として進まず、1989年5月15日にワシントン環境庁、アメリカ合衆国環境保護庁、エネルギー庁の三者が合意し、ハンフォードの環境浄化のための法的枠組みを作り浄化を進めているが、現在でも多大な人員と予算を投入している。

[六ヶ所むら再処理工場]

 また付近の農民が癌、白血病、奇形児の出産等、放射性物質関連を疑わせる症状が出ているが政府は認めようとしなし、後始末の浄化が後何十年かかるかの見通しはない。

 世界の趨勢として原子力発電に依存しようとする国が増えてきており、俗にトイレのないマンション建設と言われているように、そのうち浄化出来る方法が見付かるだろうと建設することだけを優先してきたが核処理方法は未だ試行錯誤の道半ばで先は見えない。そうしているうちに核廃棄物はどんどん増えるばかりで、世界中の大問題になることは明らかです。

 ハンフォードの核保管施設は世界の中でのほんの一例であって、我が国の青森県六ヶ所村も使用済燃料の貯蔵場所になっておりますが、「リサイクル燃料貯蔵施設」と名付け、リサイクル燃料貯蔵株式会社といった会社を造って運営しているが、再処理工場が稼働しているわけではないので、使用済み燃料は増えるばかりですから、我が国ばかりではなく世界中の原発保有国は困り果てているのです。

 それでも原発は安上がりな発電方法だとして建設の裾野は拡がっておりますから、間違いなく行き詰まることになります。

Q:核廃棄物の保管、処理に関して今後の見通しはどうなのでしょうか?

A:原子力発電に世界の先進国が競って参入してきたのは原・水爆製造のプルトニウムを製造する目的がありましたが、それ以上に熱を入れて研究・開発しようとしたのが、夢の核燃料サイクルを実現しようとしたからです。  「真っ赤に燃える太陽」は55億年もの間、熱と光を宇宙に放射しております、が、どうして冷えてしまわないのか不思議に思ったことはありませんか。

 太陽の熱と光は原子核分裂によるもので、核分裂を続けて元の原子に戻り更に続ける理想的な核分裂サイクルが行われ永久に繰り返して熱と光を毎日、毎年放射続けているのです。

 そこで思いついたのが、人工的に小さな太陽を造り永遠の動力源で電気を造ろうと思い立ったのです。

 イギリスで蒸気機関が発明され、動力源として活用されたため、それまで人力と畜力しかなかった他国を圧倒して産業革命となり、先進国として100年の間絶対的な力を誇示し、世界を支配してきました。

 次の革命は内燃機関の発明で、産業、軍事力に内燃機関が活用され欧米が圧倒的な力でアジア、アフリカ、中東を支配していたが、植民地再分配で第一次世界大戦が勃発、次は内燃機関の燃料である石油の利権争い、争奪戦が第二次世界大戦で、我が国もABCDライル経済封鎖に締め上げられて戦争に踏み切ってしまった。

 そして現在は脱石炭、脱石油が目標で、夢の核燃料サイクルですから世界が競争するのも当然かも知れません。

 しかし、現実は厳しく余りの難しさと、危険性に各国は撤退を始めています。

 「夢の核燃料サイクル」とは、

 (1) 天然のウランには、燃える(核分裂する)ウラン235と燃えない238の2種類がある、燃えるウランは僅か0.7%しかない。

 (2) ウランを燃料にする現在の原子力発電(軽水炉)だけだと石油よりずっと早くウランを使い果たしてしまいます。

 (3) ところが、燃えないウラン238も原子炉の中で中性子を吸収してウランより燃えやすいプルトニウム239に変わります。

 (4) そこで、このプルトニウムを取り出して高速増殖炉という特殊な原子炉で燃やす。

 (5) その時ついでに、プルトニウム燃料の周りに燃えないウラン238を入れておきます。

 (6) こうすれば、プルトニウム239が燃える傍らでウラン238が新たなプルトニウム239に変わって行き、燃えたプルトニウムより多くの新たなプルトニウム生み出します。

 (7) このプルトニウムを取り出して再び燃料として利用すると、無限のエネルギーを生みだせる、と言う夢の理論です。

 この概略は原発から、再処理工場、Pu燃料加工、高速増殖炉、増殖炉用再処理、高純度プルトニウム、高レベル廃棄物、低レベル廃棄物、下図のような循環型になる。

 我が国の計画として、上図のサイクルを理想として、実現に励んできたが、未完のままです。高速増殖炉の研究開発は「もんじゅ」で行われ、次の段階である実証炉を造っておりました。

 原子炉は段階的に進むモノで、原子炉の前は実験炉「常陽」があり、次の段階で実験炉を造り、商業炉へと繋げるのです。

 しかし、次へのステップであるはずだった「もんじゅ」でナトリウム漏れの事故(1995年)で頓挫してしまった。

 高速増殖炉から出た使用済燃料を」再処理する工場が必要です。青森県六ヶ所村にある再処理工場は能力不足で、新たな再処理工場を建設しなければなりません。さらには増殖黒陽燃料工場も必要ですから、サイクル確立までのハードルは高すぎます。

 我が国では理想として再処理を国内で出来るよう希望を持っておりますが、未だ出来ていないので、フランスに依頼して再処理しております。

 再処理に出して、プルトニウムとウラン、さらに高レベル放射性廃棄物も同時に送り返されます。

 往復の輸送の手段は、船舶によりますが、核爆弾を製造出来るプルトニウムをフランスと日本の間を往復するのですから洋上でシージャックの怖れは十分にあり、護衛として海上保安庁で護衛専用に大型巡視船を建造し、通常の倍くらいの航海距離を偽装として航走し、フランス出港してから、大西洋を南下し、アフリカ南端喜望峰を更に南下、暴風圏近くを東進しオーストラリヤの南沖合を経て、ニュージランドの東側を北上するとい偽装航路をとって無事帰港しましたが、航海監視衛星がある現在では何の意味もありません。

 その打開方法として「プルサーマル方式」が計画され、福島第一原発3号機」がこのプルサーマルでも行っており、幾多の障害を乗り越えてなんとか出来るのではないか、という見通しになった時点での今回の事故でした。

 地元である福島県内でも反対運動が起きたり、佐藤知事との間でも意見の違いがあったり、MQX燃料(再処理で得られた酸化ウランを混ぜて造った燃料)の製品トラブルや欠陥があるなど、重大な事態が重なり、高速増殖炉、プルサーマル計画自体が延び延びになっているのが実情です。

 一方、海外での再処理によって出た高レベル放射性廃棄物はガラスに混ぜて固め「ガラス個化体」としてから、日本に送り返され、それを六ヶ所村で一時保管するのですが、最終的な処理場、あるいは貯蔵所はまだありません。これからどんどん増える、使用済燃料は、現在でも万単位のガラス固化体があり、処理に困り、モンゴルに保管場所を求めましたが、断られるのが当然で、自国内で処理施設を造るのが当然であり、でなければ核サイクルは夢でしかありません。

 スウェーデンではオンカロ(隠れた場所という意味)という名の使用済み燃料貯蔵施設を建設中で、使用済み核燃料は再処理しないで埋め、10万年先まで保管する計画ですが、これは完全にまやかしで、大陸が分裂する地殻運動がありますから10万年先などは‘猿の惑星’より以上のSFの世界で、そんな先のことの責任は持ちません、という宣言でしかありません。

 高速増殖炉の研究の歴史は古く、理論的には原子理論、原子核、陽子、中性子の存在が明らかになった時点で、高速増殖の理論は確立し、高速増殖炉の概念は1950年代にはありました。

 世界は高速増殖炉の研究・開発に血眼になって競争になった。もし最初にこの夢の原子炉を実現したならば純国産のエネルギー形態ができて、世界をリードできる最大の要因になる、と考えられていた。

 この研究・開発を1歩リードしていたのがフランスで「スーパーフェニックス」という実証炉まで造り研究を継続したが、頓挫してしまった。

 ドイツは完全撤退、原発も止めると世界に公表した。イギリス、ロシア、アメリカも公表はしていないが息切れしてしまい中止の方向にあるようです。

 電力の約80%を原発に依存するフランスについて述べます。フランスには世界最大の原子力複合企業であるアレバ社があり、世界をリードしており、福島原発事故でもアメリカとほぼ同時に事故救済を申し出ており、汚染水処理ではアベバ社製の汚水処理施設を導入したが、残念ながら余り結果が得られず、東芝製のサリーに替わった。

 アレバ社はフランス政府が株式の87%の保有する国営企業でウラン鉱山からウラン濃縮、核燃料加工、原発、核燃料再処理等、原子力産業の全ての分野で事業を展開しており、福島原発事故では、サルコジ大統領、アレバ社アンヌ・ロベルジョン最高経営責任者(CEO)が相次いで来日したのは、この福島原発事故の処理如何によっては世界の原発に対する取り組み方が劇的に替わるだろうという危機感であったからで、同時にアレバ社の技術の高さを誇示するためにも事故処理を請け負うという気構えがあったようだが、政府・東電はこれを断り、自国の技術で立ち向かうことを宣言した。

 アンヌ・ロベルジョン総裁は、フランス政府の国策としての原子力産業の牽引者として、地球温暖化対策の柱として、地球に優しい原子力推進を強力に推し進め、「原発ルネッサン」を指揮し積極的な投資を展開した。別称「アトミック・アンヌ」と呼ばれ、世界の女傑ランキングの上位にあったが、しかし、07年、巨額を投じてアフリカのウラン鉱山を買収したが、残念ながら埋蔵量が少なく、投資は焦げ付いた。さらにウランの価格も世界的にダブツキ気味で価格が下落している。

 さらにフインランドに建設中の原発もアルバ社が全面的に建設・運用を請け負っていたが、不具合の連続のため経費オーバーで苦境に陥った。

 アリバ社の今年度決算で約14億〜17億ユーロ(1ユーロ≒103円)約1400億円〜1700億円の大幅赤字が見込まれる。

 その上、福島原発事故で原子力産業の前途に暗雲が立ちこめ、フランス政府内部や実業界からも批判され、総裁が訪日してからまもなくの6月30日、突如サルコジ大統領は、権勢を誇った「アトミック・アンヌ総裁」の首を切ってしまった。

 世界的にみて、原子力産業は頂点を越え、ゆっくりと下り坂を辿ると思わせる一つの動きと解釈した。

 そして、核廃棄物、原発を含む核施設、原・水爆弾の保管管理及び廃棄処分、清浄化作業の実施が可能になった国、あるいは企業が世界をリードすることになる。

 不幸にして我が国は世界的な大事故を起こしてしまった。その原因は自然災害にあるとすることは易しいが、その全責任は日本国政府であり、電力会社であり、安易に容認し、恩恵を蒙ってきた全国民の責任とし、今後一層の災害復旧に取り組み、そこで培われた核浄化のノウハウが、やがて世界をリードする最新技術になる可能性を秘めている。

 今までは全世界が核の活用、応用に狂奔してきたが、これからは核廃棄物洗浄に重点が移ってきているのを感じ、その転機を如何に捉えるのか日本国民の叡智にかかっている。

 世界は未だ何らの方法をも掴んではいない。

Q:何時の日か富岡町へ帰れることを信じていますが、誰もが沈黙したままです。本当に信じていてよいのでしょうか?

A:福島第一原発から半径20km圏内を警戒区域と20km圏外にある計画的避難区域に分かれておりますが、レベル2達成すれば、おおよその未来像が見えてきて、この警戒区域を再編する計画が政権内で浮上してきました。

 それは年間放射腺量に応じて三つの区域に再編することを検討しています。

区域 基準
(年間放射線量)
概要
解除準備区域 20mSv未満 区域に指定後、早ければ来春(2012年)にも指定解除
居住制限区域 20〜50mSv程度 20mSv未満まで数年程度が見込まれる地域
長期帰還困難区域 50mSv以上 20mSv未満までに5年以上見込まれる地域

 現在政府が算定した放射腺量の推定値を覧ると、警戒区域の北部では南相馬市、南部では富岡町、楢葉町、川内村は20mSv未満の地域がある。

 一方、原発から北西に帯状に延びる形で大熊町、双葉町、浪江町、さらに北西に延びて計画的避難区域である飯村とその周辺には50mSvを超えるホットスポットが散在し、その地域を取り巻くようにして20〜50mSvの地域がある。

 これから更に詳しく調査するでしょうから、警戒指定区域は替わる要素があり、流動的ですが、近い将来更に詳しい指定区域が公表されるはずです。

 但し、指定区域は随時見直していく方針です。

 居住を認める基準は、年間放射腺量が20mSvを超えない地域とする。

 20mSv未満の地域と認定されれば「解除準備区域」として、重点的に除染作業を行い、公共施設や道路などの整備を行い、自治体の復旧計画に合わせて環境整備に努める。

 子供の被曝を配慮し、保育園、幼稚園、小中学校などの再開には更に厳しい基準を設けることを検討している。

 「居住制限区域」では、20mSv未満になることを目指すが、指定解除に至るには数年程度をようすると見込んでいる。

 「長期帰還困難区域」は、いくら除染作業を推進しても今後5年間以上にわたって20mSv未満となるのは難しい地域と認定し、今後数十年間は帰還できない怖れのある地域と認定する方針を計画している。

 福島県は12月13日、県民の外部被曝線量について、1727人のうち原発作業員ら放射腺業務に従事してない一般住民で、最高被曝線量は14.5mSvと発表した。全体で最高の被曝と発表された37mSvは、行動パターンから見て原発作業員と思われる。

 外部被曝線量の推計は、全県民約200万人を対象に今後30年以上、健康への影響を見守る際の基礎データとなる。事故後4ヶ月間の合計で、自然放射線量を引いた値になる。

 対象は.飯村。浪江町、川俣町の1727人、このうち138人が原発作業員と放射線技師で、「放射線業務」に業務経験者である途回答があったので、この人達を除いた1589人の外部被曝線量は、1mSv未満が63%、1mSvが23%、3mSvが8%、5mSv未満が97%を占め、5〜10mSvが38人、10mSv以上が4人で、年齢別の線量には差がなかった。

 この程度の外部被曝線量であれば健康の影響はないと考えると、発表があった。

 但し、ヨウ素の影響は判らず甲状腺検査など県民の健康を長期的に見守ることが大切とした。

 この検査対象地は、飯村、川俣町は避難対象地となった20km圏より外環にあり避難対象にはならなかったが、その後の調査で放射能線量が高く、まさに予期せぬ災難で全村避難が6月21日になったことで外部被曝量が高くなってしまった。同様に浪江町の北西部の避難が3月23日まで要したことが原因で、SEEDIによる放射性物質の被災地図が作成されていいたにもかかわらず、正確な資料ではないと採用されず、迅速な避難が行われなかったようで、結果的には避難の判断ミスがあった。

 富岡町、大熊町、双葉町は3月12日までに全町民が避難したため、外部被曝線量は少ないと推定される。富岡町民は放射性物質が拡散された時点では川内村に避難しており、その後の漏れも郡山や三春に避難していたのであるから、中通り居住の人達と同程度と思われます。

 後は、除染作業の進み具合ですが、その前に地域の放射性物質の放射線量の測定があり、それによりどのような測定値がでるか、それにより行政がどう判断するのか、注意深く見守る必要があります。

○12月15日政府発表:低い放射腺量を長期間浴びた影響を巡り、内閣府の有識者会議は、年間20mSvの放射線量を避難区域の設定基準としたことの妥当性を認めた。

 その上で、線量を少なくするように除染の努力を要請、子供の生活環境の除染を最優先する。

 報告書の骨子

 ● 年間20mSvの被曝は他の発癌要因と比べ低リスク、線量低減を目指すスタートラインとしては適切。

 ● 低線量の環境で長期間被曝した場合、短時間で被曝した場合より影響が小さいと考えられる。

 ● 子供に対して放射線防護の措置を優先的に執ることは適切。

 ● 避難区域解除後に学校を再開するには、線量を年間1mSv以下にする。

 避難区域の設定基準については、国際放射線防護委員会が原発事故による緊急時被曝を年間20〜100mSvと定めていることから「安定性の観点からもっとも厳しい値を採用」と指摘。チェルノブイリ原発事故後1年間の被曝限度が100mSvだったことを挙げ、「現時点でチェルノブイリ事故後の対応よりは厳格である」と評価した。

 年間20mSvを被曝した場合の影響は「健康リスクは他の発癌要因と比べても低い」と明記した。

 単純に比較することは適切ではないが、医学的見地からの比較です。

 「喫煙(年間)で1000〜2000mSv、肥満は200〜500mSv、野菜不足や受動喫煙は100〜200mSvのリスクがある」そうですから、受動喫煙程度のリスクより低いのだから安心しろ、と言うことのようですが、単なる目安と解釈して下さい。

 従って、年間放射線量の最大値20mSvが、富岡へ帰れる基準になると思われます。

Q:現時点での富岡町地域の放射線量はどうなっていますか?

A:12月16日、原子力災害対策本部で、東電福島第一原発事故収束に向けた工程表ステップ2(冷温停止状態の達成)の終了を確認した。

 野田首相が記者会見で「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と事故収束を宣言した。

 原子炉を安定的に冷やすステップ1は7月に完了。ステップ2は当初、来年1月中旬までに終える予定だったが、首相は年内完了を公約していた。

 対策本部は1〜3号機の炉の温度は9月以降100度下回り、今月15日現在は38〜68度と報告された。放射性物質の外部への飛散も毎時0.6億Bqで、事故時の1/1300万に減少した。発電所の敷地境界で追加的に被曝する線量も最大年間0.1mSvと、目標の年間1mSvを下回った。

 但し、工程表のステップ2が収束したのであって、終息したのではない。今までは事故現場である福島第一原発内の収束への闘いであったが、これからは除染に着手し、来年度予算を含め1兆円超え準備し、来年4月を目途に作業員3万人以上を確保し進めるとした方針を打ち出した。

 当然住民も作業員として率先して参加すべきだし、故郷再生には全力を尽くすべきだ。

 政府の方針は原発から半径20km圏内の警戒区域と20km圏外にある計画的避難区域を年間放射線量に応じて三つの区域再編し、段階的に住民の帰還を認める方針をしめした。除染作業にどの位かかるのか、廃炉には30〜40年かかると見込まれ、住民の帰還までは数十年を要するとみられる地域もあり、まさに2世代、3世代に渡って難民生活を強いられるのか、政府は「土地の買い上げ、借り上げを含め、県、町の行政体との協議に入る」としている。重い重い決断が必要になるかもしれない。

 野田政権が12月18日発表、原発から半径20kmで線引きした避難区域を見直し、年間放射線量に応じて三つの区域に再編する方針を関係自治体に伝えた。

 それによると、警戒区域と、半径20km圏外であるが放射線量が高い計画的避難区域を設定、地上から高さ1mの放射線量を測定し年間換算20mSv未満を「避難指定解除準備区域」、20〜50mSv未満を「居住制限区域」、50mSv以上を「帰還困難区域」に再編する。

 一番知りたい富岡町は

○放射線量の分布状況11月5日現在の換算値(政府発表)

 富岡町は大半が20〜50mSvで、一部(小良ヶ浜、深谷地区の海岸沿い)は50mSv以上のようで、春までには帰宅の願望は、残念ながら適えそうもありません。

 「居住制限区域」は住めるようになるまで数年程度を見込む、それまでは、現在の計画的区域と同様に「住民の一時帰宅や通過交通は認める」とした。

 原則として立ち入り禁止となる帰還困難区域は「5年経過してもなお、年間20mSvを下回らない区域」と定義し、少なくとも5年間は固定し、その後見直す方針だが「将来に渡って居住を制限することを原則とする。」と記してある。

 第一原子炉の廃炉には今後30年以上かかると見込まれているので、事実上、数十年にわたり居住は禁止されることになる。

 政府の方針はこれらの区域は、希望があれば国による買い上げや借り上げの方針だが、住民の意向を配慮し、一時的に立ち入る機会は設けるとしている。

 今後、除染作業を積極的に進めるとしているが、除染作業によって排出する膨大な汚染土や汚染廃棄物の中間貯蔵場所が決まらなければ、進めようがないのが実情で、現在のところかけ声だけです。

 12月7日より富岡町、楢葉町、浪江町、飯村の4カ所の役場を中心とした陸上自衛隊施設隊が派遣され除染作業基地の設営に着手した。

 地元である陸上自衛隊郡山駐屯地、900名が参加し、4カ所に分かれて作業を行い2週間の予定で作業を実施し、12月20日予定通り完工した。

(富岡町役場周辺の除染作業に従事する陸上自衛隊隊員の皆さん)
(作業をする自衛隊員と右は視察する担当大臣一行)

 除染作業の結果としては成果があり、役場周辺は大分放射線量が下がったようですが、今回の自衛隊の除染作業はこれからの本格的な除染作業のための拠点造りですから、やっと端緒に付いたということです。

☆除染作業に朗報

 放射性物質で汚染された土や水をきれいにする新装置を東芝が開発した、と12月26日に報道陣に公開した。

 コンテナに積んで移動すること出来るもので、新装置は汚染土壌にシュウ酸を混ぜて放射性セシウムを分離し、その後に洗い流すことで97%の放射性セシウムを除去。これで学校の校庭の土を入れ替えないで済むという、全ての装置がコンテナ内に収まり、トラックの荷台に積んで移動出来る。1日に1.7トンの土壌を処理できるという。

 また、放射能に汚染された水を浄化できる移動可能な新装置を開発。コンテナ1個分の装置で、25mプール1杯分の汚染水を飲料水のレベルまで浄化できるという、家屋の洗浄に使った水や農業用水等用途は広い。

 そうすると汚染土壌の保管場所問題や汚染水の保管等の問題もなくなり、その場で全てが処理されるようになれば、除染作業は飛躍的に進展するはずです。

 原発先進国であるフランス・アレバ社製の汚染水処理装置がさっぱり機能しなかったが、その後に導入された東芝のサリーは活躍しておりますから我が国の技術陣もやれば出来ることが証明されたわけで、今回の新開発も活躍するでしょう。そうすれば人件費も大幅に節約できるでしょうし、除染作業も大幅にスピードアップすることでしょう。

 東芝工場内での製造・組み立て中、どんどん生産して、汚染地域で活躍してくれることを願っております。内部構造はサリーの改良型のようです。

 必要は発明の母であり、切迫すれば知恵はフル回転するものであって、今後更に改良型の製品が出てくるでしょう。きっと除染作業は大幅に前進します。

 但し、処理費用が膨大になるらしい。

Q:東電が、国有化されるって本当ですか?もし国有化された場合、損害賠償、補償等どうなるのですか?心配です。

A:事故を起こした福島第一原発の後始末である廃炉費用は膨大な額になるのは事実で、しかも最短でも、これから30年を要します。

 被災者の損害賠償、補償等今後どの位の額になるかは未だ判りません。

 しかし、このままでは東電の借金が資産を上回る「債務超過」になることは確かです。原発事故の賠償支払いを支援する原子力損害賠償支援機構が東電に新たに1兆円規模を出資する。

 ここで金の流れを見ましょう。

 東京電力を支える金の流れ。

 ○ 原発事故被害者への賠償資金

   原子力損害賠償法の補償金・・・・・・・・・・・1,200億円(支払い済み)

   政府からの交付国債 → 原子力損害賠償支援機構 → 交付金 8,909億円

   政府保証 → 原子力損害賠償支援機構 → 出資 1兆円 → 東電2/3以上の株式

   政府保証 → 金融機関 → 融資 1兆円 → 東電

   政府保証 → 金融機関 → 融資 1兆円 → 東電(追加の予定)

 現在の東電の株式の時価総額は約4千億円のため原子力損害賠償支援機構が経営上の決定権(経営権)を握る2/3以上の株式を保持することになる。

 株式を買い取る資金は、東電が経営破綻したら政府が必ず返すと保証してから金融機関が融資する。そうすると事実上の国有化となり、東電の現経営陣は全員が辞任しなければならない。

 政府保証で金融機関は東電に1兆円を融資し、更に1兆円を追加し融資する、というのが政府の方針で、この2兆円で廃炉費用、原発に替わる火力発電の燃料費を賄う。

 この融資の前提として、政府、機構は最大10%の電気料金の値上げ、13年度以降の柏崎刈羽原発の再稼働を見込んでいる。

 原子力損害賠償法の補償金1200億円、交付国債を担保とした交付金8989億円は全て損害賠償金、補償金に当てられる。

 東電は2012年3月期連結決算で純利益が6千億円の赤字になる見込。一方、万が一の時に自由に使える資本金などの「純資産」は12年3月で7千億円の見通し、従って支援がなければ、廃炉費用などで13年3月期にも債務超過になる見通しなので、政府は新しい資金援助が必要と判断、前もって支援体制を敷いた。

 これからの東電は厳しい経緯が続き、人件費削減は避けられないし、資産売却等東電の冬の時代は続く。東電の内部事情はなかなか表に出てこないので、詳しくは判りませんが、できる限り情報をお伝えします。

Q:政府事故調査委員会が公表した中間報告書を解説して下さい。

A:東電福島第一原発事故について、政府の事故調査、検証委員会が12月26日中間報告書を公表しました。

 この調査・検証委員会は政府によって任命された委員によって構成されておりますが、委員長は畑村洋太郎東大名誉教授、‘失敗学’というユニークな分野を学問として成立させた失敗学の第一人者で、今回の事故はまさに失敗の連続でしたから最適の人事だと任命権者の英断を歓迎します。

 委員は9名で原子力関係は放射線医学の放射線防護センター長・柿沼志津子氏一人で、他は元外交官、元検事長、元学長、現役の弁護士等、更に柳田邦夫氏(作家)、古川道郎氏(川俣町長)の各氏ですから、専門外の人の眼から、あるいは被害者側の眼から見たあらゆる視点から真実に迫る斬り込みを期待します。

 これまで行ってきた事故調査等はその道の専門家や役人に委ね、身内の判断で玉虫色の報告書を纏め、それで幕引きを謀るケースが多かったことを思えば、今回の委員会は専門家はおらず、他分野の権威の方々によって十分に失敗点を焙りだし、今後の方策に生かせることを期待しております。

 アメリカでの事故・検証委員会は全て他分野の専門家が任命され、あらゆる分野からスポットを照射していく方式をとっており、いい方法だなと感心しておりましたが、やっと我が国でも、その方式が採用されました。

(中間報告書を野田総理へ提出する畑村委員長)

 中間報告書が指摘した問題点

○ 事前の過酷事故対策

 * 設計基準を超えるシビアアクシデント(過酷事故)において津波のリスクが十分認識されていなかった。

 * 全電源喪失や緊急時対応が不十分だった

 * 地震や津波など複合災害を想定していなかった

○ 現場の事故対応

 * 1号機の非常用復水器が機能不全に陥っているのを運転員が気付かなかった

 * 3号機で消防車などを使う代替注水への必要性や緊急性認識が欠如していた

○ 政府の事故対応

 * 国民への放射能の影響の説明や海外への情報提供が判りにくかったり、遅れたりした

 * 新しい原子力安全規制機関は独立性と専門知識・最新知見の情報収集を求められる

○ 被害拡大防止

 * 原発から5km先の事故対策拠点「オフサイトセンター」が機能しなかった

 * 緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)を住民避難に役立てられなかった

(審議中の事故調査委員会、右奥が畑村洋太郎委員長)

 以上が中間報告に述べられている論の要約ですが、論全体から滲み出るものは、「起こるべくして起きた」という虚しく響く怨嗟の声です。

 但し、失敗学の権威の報告書ですから、ソフトタッチで関係者の個人的責任追及を避け組織的、社会的な背景を明らかにするという方針が読み取れる。

 全体的に言えることは、それぞれの専門分野の人達が、一生懸命考えて実行してきた、それは国であり、監督官庁であり、電力会社であり、地元自治体であったはずだが、専門家も現場責任者も自分の決まった範囲内だけで判断し行動する。

 報告書が強調している点は「全体像を見る視点の欠如」だった、と指摘しています。

 想定を超える事象には触れない、従ってその発想は想定内だけ、過酷事故は絶対にない、という願望じみた想定内だけに留まり、それ以上の想定を唱える者を排除することによって、自分たちの意見を正当化し、「安全神話」を流布することによってさらに正当化の補強にしてきたのに過ぎない。

 東電のこれまでの主張は「想定外の津波」を強調、法によれば賠償免責の規定があり、「異常に巨大な天災地変」であれば免責される、と強調し、あるいは国と一体で安全確保に努力してきた、法に基づき、国の安全基準を遵守してきたのである。との主張を繰り返してきた。が、報告書は「特異な事態だったからという弁明では済まされない」と切り捨て、とっさの対処に限界があるからこそ、もっと事前に手を打っておくべきだった。想定外の津波だから仕方がない、というのは特定の事故原因だけを求めるのではなく安全の考え方自体に問題がある。と近視眼的な発想を戒めている。

 原発開発は、国全体が40年という歳月をその危険性を見落としたまま、安価、大気を汚さない、安定供給の美名の元に電気を使い続け、何の疑問も持たなかった。

 第二次大戦は聖戦だ、神国日本は不滅、世界に冠たる大和魂等を信じて戦い。

 戦後のバブル期には右方上がりの経済成長は当たり前、世界一の商人はユダヤ人であるが、ユダヤ人7人の商才と日本人1人の商才は同一である、と本気で論じて有頂天になっていた時期があった。

 その次にきたのはバブル崩壊、底なし沼のような没落でしかない。国民が全て失望感にさいなまれ、自信も誇りも消え失せてしまった。

 全体像を見通せる指導者が存在しなかった悲劇だが、有能な指導者が出ようとすると足を引っ張る輩が多すぎる国民性にも問題がありそうだ。

 この中間報告者は、現場サイトからの聴き取り調査が主で、次の調査は菅総理や担当大臣、東電上層部、関係官庁の担当上層部に斬り込んでいきますから、どこまで真相に近づけるか、正式の報告書が公表されましたら、もう一度解説したいと思います。

 今回の中間報告書では事前の過酷事故対策の不備、現場での事故対応、政府の事故対応、被害拡大防止の四つの問題点を指摘した。

 過酷事故対策の不備では、東電や経済産業省原子力安全・保安院が、設計思想を超える津波はあり得ない断定し、故障、操作ミス等のことしか想定していなかった。

 地震や津波を何故想定しなかったのか、ここが問題だが地震や津波等の気象や海底物理学の専門家は10mを超える津波、M8〜9の地震は想定されると警告していたが、防波堤を建設するには数百億円を要し、工事には数年かかる、としてこれを退け、それでは非常電源だけでも防水設備を、特に配電盤は絶対に安全設備をとの願いも、東電上層部が拒否してしまった。

 当事者達は日本経済のため電力の確保は天の命題だと、如何に安価で電力を生産するか、が、国のため、国民のためとして、災害の危険性の指摘には耳をかそうともしなかったし、果ては政府の方針に逆らうのは国賊行為だと罵倒した政治家もいました。

 自然災害を想定外に置き「安全神話」だけを信じていきた結果が、未曾有の大事故を引き起こしてしまった。

 事故対応では、1号機、3号機を中心として問題点を指摘、1号機は津波襲来直後に、原子炉を冷却する「非常用復水器」の機能停止を運転員が気付かず、発電所と本店の災害対策本部も気付かないで、原子炉の冷却が正常に作動していると誤認し、原子炉を冷やす作業が遅れてしまった。

 運転員が操作に習塾していなかったのが原因で「原子力事業者として極めて不適切」と判断した。

 3号機は、他の手立てを考えずに「高圧注水系」という冷却装置を止めてしまった。当然他の冷却水を導入するはずだったが、高圧のため冷却水は流れず、その後の連絡も不徹底で7時間もの間冷却が停止していた。

 一部の運転員が独断で手動停止したのだから、その後の手順としてどうするのかを習熟していなかったとしたら危機管理上の大問題だ。

 1、3号機で早くから消防車による注水が出来ていれば原子炉建屋の水素爆発を防げたのではということについては「実際よりも炉心損傷の進行を緩和し、放出された放射性物質の量を少なくなった可能性はある」とした。

 消防車のホースを繋ぐ注水栓がどこにあるか判らなかった、というから想定外の訓練は全くやっていなかった、ということになる。

 被害拡大防止の面では政府や東電が、水素爆発などの事故の進展や放射性物質が拡散して地域社会や影響を及ぼすことなどに思いは及ばず、全体を見渡す視点が希薄だった、とした。

 さらに、情報の伝達方法も確立されておらず、東電と政府の間で連携が取れなくなったことを問題として指摘、停電で発電所周辺の放射性物質測定が出来なくなり、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」も活用されなかった。情報提供も十分でなく住民が避難する際に混乱した。

(上図は11年3月11日から12年3月11日
までの1年間の累積線量(推定))

 ここで問題は、「SPEEDI」「緊急時迅速放射能影響予測システム」の予測結果の取り扱いが問題になった。

 この「SPEEDI」は文部科学省が所管し、同省の原子力安全技術センターは3月11日、オフサイトセンター機構が機能しないため、福島第一原発から毎時1Bqの放射性物質が放出されたと仮定した拡散予測の計算結果を出した。

 結果は、原子力災害の広報一般を担当する保安院に渡り、保安院はそれを官邸に送った。ところが、このとき仮定の放出源情報に基づく計算結果であるから「信頼性が低い」と記載して、補足資料も併せて送った。この情報は官邸地下にあるセンターで受け取った内閣官房職員は「あくまで参考に過ぎない」と判断し、5階にある官邸首脳には報告せず、単なる報告書として処理してしまった。

 SPEEDIの機能は放射線量ばかりではなく、気象庁からの資料により風向、風速を測定し放射性物質の流れを測定するモノであるから、放射線量の資料はなくとも、アメダスの測定値やその他気象庁からの資料は正確であるから、どの方角が危険であるかは掌握できるはず、ところが仮定の資料では住民が混乱するから発表は差し控えた。と後日発表した。

 が、とんでもないこれほど住民を馬鹿にしている発表はない。

 浪江町周辺の住民は避難しろとの指示を受け、避難したが、どこへ避難しろとの指示はなく、要は原発から離れれば良いだろうとの判断で浪江町の山間である赤宇木地区へ避難した。原発周辺に次ぐ最も危険な地区だとは誰も気付かない、勿論情報も無し、大勢の人がここに滞在した。

 ところが、避難して何日かめの夕、防護服を着用した謎の人物が車で現れ、「ここは危険だから直ぐに避難して下さい」と告げ、更にガイガーカウンターの数値を示し、危険性を強調して去って行った、という。この謎の人物、車は東電でも、県職員でもないらしい、民間の会社でもなければ、残るは周辺の市町村の職員がパトロールしていたのかも知れない、未だ謎のままだ。

 この赤宇木地区に居た皆さんは、相当量の被曝があったモノと推定される。

 赤宇木は浪江町から阿武隈山中に分け入る富岡街道があり、津島、川俣町、保原町と中通りへ抜ける街道であるから、山間へ避難すれば大丈夫だろと判断して避難地に選んだのでしょう。

 更にこの地区は20kmの避難指定区域の外側で数km以上離れているからと安心して避難していたようですが、浪江町町内に居たよりも遙かに高い放射線量を浴びたことになってしまった。

 更に遠い山間の飯村の人々は全く関係ないと信じ込んでいたし、何の情報もなかった。そこへ汚染の調査にきた調査チームにより、高い汚染度が判り村は大騒ぎとなったが、その後しばらくしての4月22日避難計画的地区に指定されたが、その間避難を巡る話し合いが延々と行われ、その間危険だから即刻避難しろとの指令はどこからもなかった。

 もしSPEEDIの放射能拡散予想図が、正確でなくとも危険であることは確かなので、即座に活用していたらもっと早く避難しただろうし、被曝量も少なくて済んだはずだ。

 この図で判るように風は北西方、明らかに浪江町の赤宇木地区、その先の飯村、川俣町方面が危険だということはSPEEDIの解析で3月12日朝には原子力委員会や保安院は掌握していたことになる。

 それを公表しなかった、あるいは警告しなかったのは単に正確な測定値ではない資料に基づいて発表すると地域住民の混乱を招くだけだから、ともう一つSPEEDIの情報は一般には公表しない、と規定されているから、言い訳しているが、では5km圏内、10km圏内、20km圏内は危険だから避難しろ、と避難区域を距離だけで判断したのはどの機関なのか、危険性の情報は無し、行く先の指示も手配もない、交通手段も住民任せ、そして最も重要であるべき危険な地域、方向に対する警報、情報を沈黙したまま握りつぶしてしまった機関はどこなのか、責任の所在は明らかにすべきです。

 その間、何も知らされず放射性被曝にさらされた住民に対してどう責任を執るのか、中央官庁は沈黙したまま我関せず。[未必の故意、不作為行為は犯罪です]

 事故調査委員会の報告書ではこの辺のいきさつを是非明らかにして欲しいのです。

 報告書が嘆いているのは東電の現場も、本店上層部も原発に対する理解度、習熟度が低いと断じているが、同じことは監督官庁においても、政治家についても言えることだが、想定内のことであれば習熟しているが、想定外のことになると途端にその対応に混乱を生じ、右往左往してしまった。想定外といえども万が一を考慮して対策を練っていることが習熟度に繋がるものであって、想定外の事象の発生に対して、想定内での認知、対処しかできなかった硬直した発想、行動が悲劇を生んだことになる。

 「安全神話」とは危険度を承知しているから、「安全神話」が先行し、高額の交付金がばらまかれるということは裏がある。しかし、ある一定期間安全に過ぎてしまうと政府、電力会社、地域住民全てが「安全神話」を信じてしまい、千年に一度の災害など全く関係ないと信じ、かつそれを公言していた。

 天災や災害は不測であって、それを考慮しておくことが習熟度、想定外として遁れようとするのは卑怯千万な言動でしかない。

 内閣危機管理監人事 12月27日 米村?朗元警視総監、北村滋警察庁総括審議官を内閣危機管理監に任命した。前任者2名は更迭された模様。(報告書が公表されましたら、もう一度解説したいと思っています)

Q:中間貯蔵施設を「双葉郡」にと政府が要請したが、これからどうなるのですか?

A:放射性物質に汚染された土壌などを保管する中間貯蔵施設の設置場所をようやく地元自治体に伝えた。

 12月28日、細野環境相は双葉郡内の8自治体の長を福島市にあるサンルートプラザホテル会議室に集め、中間貯蔵施設を「双葉郡内」で、かつ、「年間換算の放射線量100mSv以上」の地域に施設を設置したい、という概要を示した。

 菅内閣当時、菅総理は退陣直前の8月末に福島県庁を訪れ、佐藤知事に中間貯蔵施設を福島県内に作る方針を説明した。

 佐藤知事は当然ながら難色を示したが、それ以降政権は設置場所に付いてはお互い深入りを避けて今日に至ったわけだが、レベル2の冷温状態を達成、一応のメドが成立したので本格的な除染作業が各地で着手されたが、汚染土を地元で保管することは、限界があり、地元住民の理解も得られない。仮置き場を設置しているのは、県内では福島市、伊達市、川俣町等数カ所に過ぎない。これから除染作業は本格化するだろうけれども、まず仮置き場の設置が前提になり、中間貯蔵施設の場所の決定がなければ仮置き場設置場所容認がされない。

 従って、中間貯蔵施設の場所決定は、除染作業を本格化するための前提であり、野田政権は12月16日の「収束宣言」契機として避難区域の見直し謀り、長期間帰宅困難地域を公表し、こうして中間貯蔵施設地域を絞り込み、年間放射線量が「100mSv以上」の地域としている。「一定以上の放射線量になると線量が下がりにくくなる。生活を再び始める場所としては厳しい環境だ」と説明した。

 100mSv以上の放射線量では癌になる可能性が5%上昇する、と別項で述べましたが、これは医学的な数字であって、脅しではありません。とすれば癌になる怖れのある場所に住みたいという人はいないでしょう。また除染するとしても部分的にしか出来ないですから、多分そのまま手つかずで放置、従ってこれらの土地は国が買い上げ、あるいは借り上げになることでしょう。

 また中間貯蔵期間を30年としていますが、これはセシウム137の半減期を基準としているのでしょう。但し、半減期(50%減)ですから零にはなりません。また30年後の最終処理場は福島県外としていますが、沖縄の基地問題と同じと考えます。

 左図は政府が発表した推定年間放射線量が100mSvを超える地域で、この赤色部分のどこかに中間貯蔵施設を造ろうとしているのでしょうか。

 推定ですが山間には地下水の関係で造らないでしょうから、海に近い平地が望ましいことになり、当然地域住民は猛反発することが予想されるが、地元双葉郡以外の人達はどこかに中間貯蔵施設を造るなら双葉郡内が最適を推奨している。

 双葉郡内の住民とすれば、もし表立って反対を表明することは、早く除染作業をして欲しい住民から見れば双葉郡の住民が反対しているから除染作業が出来ないのだ、との論法が出るのは必至、そうすれば避難中の身、お世話になっている避難先の住民、自治体と対立してまで反対運動ができるのか、難しい選択になります。

 まして自治体の長にしてみれば、地元町民感情、願望と双葉郡以外の自治体、住民の願望との板挟みになり苦渋の選択を迫られることになる。

◎汚染モデル事業

 東電第一原発事故の警戒区域に含まれる12市町村で国が実施する除染モデル事業が開始し、12月4日、双葉郡内町役場中心とする周辺の除染作業が報道関係者に公開された。

 全面マスクに防護服の作業員が高圧洗浄機でコンクリートの床を、ブラシを使いこすりながら洗浄するが、ブラシも金属とナイロンを使い、効果のテストを兼ねて作業を進め、洗浄した汚水は下にあるタンクに貯め、そこで汚水を濾過して、その水を洗浄に再び使用する循環型方式をとっている。濾過装置は、微少な粒子まで捉えるフィルターがあり、泥に付着した放射性物質を回収する方式で作業が行われた。

 役場前の庭では、作業員が熊手で落ち葉をかき集め、コケ類は土ごと剥ぎ取り、土や葉に付いたセシウムを回収するには原始的な方法かも知れないが、一番効果的な方法だそうで、朝作業開始時に20μSv/hであったのが、夕方の作業終了には6μSvに下がった、と公表した。

 富岡町は2012年1月、開始の予定、場所は夜ノ森桜並木周辺、民家、中学校等計12ヘクタールを計画している。

(富岡町役場排水溝の除染作業)

 しかし、除染のために削った土や枯れ葉等どこに保管に関しては、これからの問題であって、当然一時的保管場所は富岡町内の敷地になるだろうから、住民がどう判断するのか、全面的な汚染除去作業の本格的に着手出来るかは、地元民が町内保管を拒否すれば着手は延期されるだろうしどう、重い課題を背負うことになる。

 双葉町は除染作業に着手することを断り、他町の状況を見てから考える、と決めたようですが、これが賢い方法なのかどうかは判りません。

 福島県は、12月5日、農地や森林の除染作業基本方針を発表した。

 県内産の米や野菜、牛肉等全ての農業産物、木材、キノコなどの林産物についてモリタリング検査で放射性セシウムが検出されないことを目標と定めた。

 田畑の表面の土と深さ30cmまでの土を入れ替えるなどして、作物の根からのセシウム吸収を防ぎ、放射能が検出されないレベルまで下げることを目標とすることを掲げた。

 これは国が定めた基本方針に沿うもので、田畑や森林で働く人や住民の「被曝線量」を「年1mSv、毎時0.23μSv以下」にすると明記した。(単位を理解して下さい)

 「1年間の積算被曝線量。1時間当たりの被曝線量」

 このうち住宅に近い森林については、2013年夏までに被曝腺量を約半分に引き下げることを目指す、としている。

福島県が示した農林地の主な除染方法

【水田、畑】

 ○放射性セシウムを吸着させるゼオライトなどの資材を撒く。

 ○表面の土を30cm程、深い土と入れ替えるか深く耕す。

【果樹園】

 ○幹や枝を高圧洗浄機で洗浄するか、樹皮を削り取る。

 ○除草後、表土を削り取る。

【牧草地】

 ○餌の牧草1kg当たり300Bqを超える地域では、牧草を剥ぎ取る。土壌の処理は水田、畑と同じ。

【森林】

 ○住宅周辺で20m程度入った所までの森林を対象に、落葉や腐葉土を除去。杉など常緑樹は3〜4年継続、落葉樹は1回

 ○常緑樹で線量が下がらなければ枝葉を切り落とす。

☆ゼオライトとは?

 ゼオライトは特定の物質を吸着する特性やイオン交換の特性をもつ天然・人工の鉱物です。従って水質改良、排気ガスの分解・除去、ホルムアルデヒトの除去(シックハウス症候群防止)に用いられている。

○その効果:チリノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故、アメリカの核廃棄施設等でこの「ゼオライト」が放射性物質等を吸着させるために散布された。

○福島原発事故の汚染水処理として、東芝製の、東芝製の濾過装置‘サリー’が活躍しているが、その方式は「凝縮沈殿方式」で放射性物質をゼオライトに吸着させる方法で行っております。

○但し、おびただしい量の放射能物質の付着したゼオライトを回収し、膨大な量のそれらをどう保管、処理するのか

 その処理をどうするのか、その指針は発表されていない。

(駝鳥がさまよう故郷)

 田圃や畑の除染作業は無理だ、養分豊富な表土が削り取ってしまったら、農地としての価値はなくなるから植物に吸収させたら良いだろうとの発想からヒマワリを植える運動が始まったが、全く効果はないと判明して急速に萎んでしまった。

 八方塞がりの状態の中、朗報があった。用水路や池などに生息している水草「マツバイ」(別名ウシノケ)が、この草は非常に繁殖力が旺盛で地下茎でどんどん繁殖する。このマツバイが土壌中の放射性セシウムを効率よく吸収する性質があると愛媛大・大学院の榊原教授が研究成果を発表した。

 マツバイはカヤツリグサ科の多年草で、カドミウムや亜鉛など重金属をよく吸収する性質があり、ここに着目して研究をはじめ、郡山市にある福島県農業総合センターの協力でマツバイが放射性セシウムをどの程度吸収するかの測定を繰り返していた。

 その結果、1キロあたり3800ベクレルの放射性セシウムを含むセンター内の水田にマツバイを植え付けたところ、短期間で放射性セシウムを最大1017ベクル吸収した、とその研究成果を発表した。

 マツバイの良さは吸収するのが早いので、効率よく除染出来る。その後のマツバイの処分、効率の良いマツバイの増殖、植え付け、刈り取り等、指導に力を注いでもらいたい。写真でしか視てないが、田圃や畑が大草原になってしまった故郷の近況に慄然とした。

 このマツバイが汚染された田畑の救世主になってくれるのか、研究成果を待ちたい。

 ただ、現在のところ除染作業が可能だという方法は人海戦術が唯一でしかない。

 ベラルーシの南部、ウクライナとの国境に広がる2165平方キロの「ポレーシェ国立放射線生態学保護区」。1986年のチェルノブイリ原発事故で汚染され、居住は禁止、立ち入りも許可を要し、厳重な監視体制下にある。

 この保護区には、かつて92の市町村があり2万2千が暮らしていたという.原発事故後、住民は強制移住させ、高濃度に汚染された13の村については、汚染を広げないために、壊されて埋めてしまった。

(境界線金網の向こう側が立ち入り禁止区域)

 保護区の外側で居住可能な区域では暮らしを維持するために部分的に除染されたが、削り取った汚染土は化学処理、植物を利用するなど数多くの方法を模索したが、結局、効果的な方法はなく、保護区に運び、埋めるしかなかったという。

 ベラルーシに降り注いだセシウム137の3割(4810テラベクレル)(1テラは1兆)

*ストロンチウム90の7割(444テラベクレル)、プルトニウムの殆ど(14.8テラベクレル)を含む高汚染地帯である故に保護区に指定され国の管理下にある。

 広大な保護区には人は全くおらず、野生動物や鳥類が生息し、絶滅危惧種がここでは繁殖に転じているという。

 この区域に25年以上経った現在でも戻れる可能性は全くなく、将来的な見通しもない。

 双葉郡内にも残念ながら同様な立ち入り禁止区域ができてしまうかも知れません。いくら除染作業を強行しても限度があります。

 現在明らかなのは、原発事故炉の完全冠水まで10年、燃料棒取り出しまで25年、廃炉完成40年後が予定としての案ですが、未だ先に延びるかも知れません。

 原発前の静かな双葉郡になるのは半世紀後です。

 前に述べましたが、50mSv〜100mSvの地域は5年程度、帰宅困難と指定されましたが、100mSv以上の地域での帰宅は何時許されるのか見通しは立っていません。

 これから綿密に測定が行われるでしょうが、スポットとしては相当に高いSvの点があることは確かで、チェルノブイリの近郊にある「放射線生態学保護区」のような立ち入り禁止区域ができるかも知れません。

 誠に残念なことですが、地域住民としては当分の間苦しい避難地生活が続くことを覚悟しなければならないでしょう。

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第23章 中間貯蔵施設

中間貯蔵施設建設に係わるこれまでの動き

平成23年10月 環境省が中間貯蔵施設建設の基本的な考え方を策定・公表
平成23年12月 双葉郡内での施設設置について、福島県、双葉郡8町村に検討を要請
平成24年03月 福島県、双葉郡8町村に対し、3つの町(大熊町、双葉町、楢葉町)に分散設置する国の方針を説明
平成24年08月 福島県、及び双葉郡8町村に対し、中間貯蔵施設に関する調査に付いて説明を行う
平成24年11月 福島県及び双葉郡町村長の協議の場において、福島県知事から、調査の受け入れ表明
平成25年04月 楢葉町現地調査開始、大熊町現地調査開始
平成25年05月 大熊町ボーリング開始
平成25年06月 楢葉町波倉地区住民説明会
中間貯蔵施設安全対策検討会第一回開催
中間貯蔵施設環境安全対策検討会第一回開催
平成25年07月 中間貯蔵施設安全対策検討会第二回開催
楢葉町ボーリング開始
双葉町関係行政区域住民説明会
平成25年08月 双葉町全町民説明会
平成25年09月 中間貯蔵施設安全対策説明会第三回開催
中間貯蔵施設環境保全説明会第二回開催
中間貯蔵施設等福島現地推進本部発足
中間貯蔵施設安全対策検討会第四回開催
平成25年10月 双葉町ボーリング開始
平成25年12月 中間貯蔵施設安全対策検討会第五回及び中間貯蔵施設環境保全対策検討会第四回合同検討会開催
福島県並びに楢葉町、大熊町、双葉町及び富岡町に対し、中間貯蔵施設の設置及び管理型処分場(フクシマエコクリーンセンター)の活用の受けいれに係わる要請
中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送に係わる検討会開催
平成26年02月 福島県知事からの国に対して中間貯蔵施設の大熊町、双葉町への施設集約等を求める申し入れ
平成26年03月 中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送に係わる検討会第二回開催
福島県知事の申し入れに対して、2町に集約する事等を回答
平成26年04月 福島県、及び大熊町、双葉町に中間貯蔵施設集約について改めて説明し、住民説明会開催を要請
平成26年05月 大熊町、双葉町住民説明会開催を了承
大臣が大熊町、双葉町に中間貯蔵施設等に係わる課題について、現時点での国の考えを整理した上で説明するとともに、住民説明会の開催を要請
中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送に係わる検討会開催
平成26年07月 福島県、大熊町、双葉町に住民説明会でのご意見等を踏まえた国としての考え方を提示
平成26年08月 福島県、大熊町、双葉町に住民説明会でのご意見を踏まえての国としての考え方を提示
平成26年09月 中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送に係わる検討会開催

◎大熊町受け入れ承諾。渡辺利綱町長は'14年12月15日、除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設を町内に建設することを受け入れる事を正式に表明した。

 渡辺町長は、会津若松市にある仮役場で開いた行政区長会議で国、県との協議で「話は煮詰まった。これ以上先延ばしは出来ない。町の復興と住民の生活再建のため、受け入れざるを得ない。」と述べた。

 区長からは概ね理解を得たという、町は今後、全世帯に文書で判断の経緯を説明する。

 廃棄物の搬入に関しては、輸送の安全確保に向けた安全協定の合意などの条件が整い次第、改めて判断するとした。

◎双葉町受け入れ承諾。12月27日、双葉町伊沢史朗町長は、環境省井上信治副大臣に現地調査を受け入れる事を伝えた。

 いわき市の双葉町いわき事務所で井上副大臣と面会した伊沢町長は「中間貯蔵施設の調査受け入れを総合的に判断して承諾することにした。ただし、条件付とする。と述べ、施設設置を受け入れることではないことや土地の地権者には事前に必ず了承を得ることなど8項目を求めた。

 地権者の説明会が開かれたが、最大の焦点である用地補償のあり方では、公共事業の一つと位置づけている政府と、「ふる里を追われ、全財産を失う」とする地権者との認識の差は歴然としている。

用地補償の場合

(1) 原発事故がなかった場合に想定される現時点での取引価格の5割で買い取る。

(2) 差額は県の交付金150億を使って両町が生活再建支援金として補填する。

 現時点での取引価格は地価の低下傾向を反映し、事故前の地価を下回る。

 地権者側は、取引価格の100%を国が保証するのが筋。そのうえで県の150億円を使うべきだと、国の姿勢を批判、事故前の価格でなければおかしい、国の誠意が全く見えないと反論が続出した。

 一方では、不満を抱きながらも、「補償は十分とはいえないが、何時までも引きずってはいられない」「東京電力の賠償金もあるので、売却に応じたい」事故前の事に拘り続けても仕方が無い」「生活の再建が出来るかどうか、必要と考えて居る額を上回ればそれで良い」等の意見もあった。

◎中間貯蔵施設建設へ手続き始まる

 福島県内の除染で出た土やその他の汚染物質等を保管する中間貯蔵施設を福島県が受け入れを表明したことで、施設の建設に向けた手続きが始まった。

 中間貯蔵施設は、大熊町、双葉町にまたがる、およそ16平方キロメートルの広大な土地で東京ドーム300個分に相当する。両町の6号国道東側の大半の土地が対象となる。更には6号国道沿いに町の重要施設、学校、商店街、住宅があり、これらを全て失うことになる。

 中間貯蔵施設に運び込まれる汚染土、汚染物質の量は、最大で東京ドーム約18杯分にあたる2200万立方メートルになると推計されている。

 仮置き場は、県内の43市町村に、造成中のものを含めて、約900カ所設置されているほか、自宅や駐車場などで保管している例も多く、全てを含めると約5万3000ヶ所と推計されている。

 従って早期に運び出して欲しいと強い要望があり、また保管場所がないために除染作業が停止しているケースも数多くある。

 従って中間貯蔵施設建設が早期に行われ、1日でも早く仮置き場から汚染バックを運び出したいと地域住民の切なる願いとなっている。

 ちなみにここで想定している廃棄物は、原発事故の除染作業に伴って出てきたものを対象にしており、いわゆる原子力発電所から出る「核のゴミ」とは全く別の物で明らかに区別する必要がある。

 中間貯蔵施設における放射能汚染レベルで主に3種類に分け、このうち、放射能が1キログラムあたり「8000ベクレル以下」「8000ベクレル超10万ベクレル以下」は基本的には土に埋めて貯蔵する。

 「10万ベクレル以上」の汚染レベルの高いものはドラム缶のようなものに詰め込んでから、コンクリートで造られた地下の貯蔵庫の内部に保管される。

 「8000ベクレル超10万ベクレル以下」は遮水シートなど、地下水への漏出を防ぐ厳重な仕組みを構築する。

 中間貯蔵施設はあくまでも暫定的なもので、恒久的な安全性が担保されたものではない。

 政府は中間貯蔵施設を貯蔵開始から30年以内に、福島県外に最終処分を行うとしているが、果たして福島県外で受け入れてくれる地域が出てくる可能性は限りなく低いと思われる。

 このままでは中間貯蔵施設が最終処分場になってしまうのではないかとの懸念が大きい。

 確かに放射能には半減期があるから、放射線量が半減することはあるが、他の化学的な汚染とは異なり、分解や中和という概念はない。

 ある場所で水を流して放射能のレベルを下げても、その水がある場所に留まれば、その地が新たな汚染源になるだけであって、最終的には放射性物質が出す放射能の量が自然に減衰するのを待つしかなく、厳密な意味での除染は困難を極める難事業なのです。(セシウム137、物理的半減期30年)

 中間貯蔵施設の受け入れを大熊町、双葉町が表明したが、未だ全てが解決したわけではない。一方では、県内各地にある汚染土や汚染物質の仮置き場は満杯であり、更には除染作業の進展を妨げている。従って地元では1日でも早く搬出して欲しいと強い要望があり、国は大熊町、双葉町の両町に仮置き場を建設し、'15年1月までには搬入を開始すると言っていたが、仮置き場の建設が遅れ、3月11日を搬入開始の日とすると発表した。'14年8月に佐藤雄平福島県知事(当時)が建設受け入れを表明した際、搬入開始の条件として5項目を提示していた。

 このうち、県外での最終処分の法制化と福島振興に向けた交付金の新設は実現したが、国と自治体との安全協定締結などの項目は残された課題となっている。

 内堀雅雄新知事は「丁寧に協議を進める」と述べている。施設の安全確保は当然だが、国と自治体との安全協定締結への調停も重要だ。

 福島県内には仮置き場が1000ヶ所以上あり、中間貯蔵施設への搬入が始まったとしても、1年目は試験搬入・輸送と位置付け、県内43市町村から運び込む汚染土等は全体の1%未満に留まるとしている。

 環境省福島環境衛生事務所によると、国の直轄除染では'14年8月までにフレコンバックと呼ばれる袋(容量約一立方メートル)が約43万個発生、福島県の説明によると市町村による除染でも仮置き場などの保管場も既に1万3千ヶ所を超えておりこれからもどんどん増える見込みだが、保管場所の手配が追いつかず、除染作業が停滞したままになってしまった。

 従って中間貯蔵施設が完備すれば、除染作業は一挙に進むことになり、仮置き場からの解放、除染作業の進展を望む汚染地域住民は中間貯蔵施設が1日でも早く建設されることを望でおり、もし買収が難航すれば、買収に応じない地権者に対し反発の矛先が向けられるかも知れない。

 環境相はこの数年間は仮置き場での保管をお願いしたいとその見通しを述べたが、仮置き場が長期化することは住民の不安は増すばかりで、政府としては中間貯蔵施設建設の工程表を出来る限り早く公表すべきだ。

 中間貯蔵施設建設に伴う県への新交付金は2014年度補正予算案で総額2500億円が計上された。福島県復興に繋げると共に、施設に関する国民の理解を深めるためにも、政府や県は使途に透明度に務める必要がある。

 これからの難題は地権者との交渉にある。中間貯蔵施設建設のための地権者は約2000名以上と推定されるが、全国各地に避難しているため、個々との直接交渉は難航が予想され、かつ先祖代々の土地を手放すことには躊躇いがあり、そうなると金銭的な交渉ではすれ違いがあり、更に中間貯蔵施設ではなく、事実上の最終処分場になることだとの見解もあり、理解を得てからの着工までにはこれから相当の時間がかかることが予想される。

 環境省によれば、避難先が判らない人が半数近くおり、連絡が取れない状態にあるという。このため環境省は土地買収事業の経験者などを民間から公募し、臨時職員140人を採用し、4月から大熊町、双葉町に派遣して買収交渉を手助けする事を決めた。現時点では未だ買収に応じた地権者はいない。

 地権者との交渉で、金額だけの交渉では必ずいき詰まることになりかねない。

 それは地権者側が躊躇する理由として、先祖伝来の自宅や農地、山林を自分の代で放棄してしまう罪悪感、中間貯蔵敷地内に含まれる菩提寺、墓守が出来なくなる懸念、更にはもしものことがあったとき、祖先の墓に入れなくなってしまうことで、これは自分ばかりではなく、一族全員の懸念だ。

 これらは決して金銭では贖うことができない最大の懸念材料になる。

 復興省の基本的な計画には十分に考慮していると思うが、お寺や墓地を緩衝地帯にするとか、付帯施設帯内にするとか、中間貯蔵施設本体には被らないように設計して欲しい。そしてお墓参りは何時でも自由にとはいかなくとも、お盆やお彼岸等日と時間を決めてお墓参りを認めるとか紳士協定を結んで欲しい。

 またお葬式があった場合、月に1度くらいの割合で納骨の日を決めておく。数々の配慮が必要だと考える。

 また30年間は絶対に戻ることが出来ないことになるが、地権者には買収金を支払うからそのカネで何処にでもいって暮らして欲しいでは、ふる里しか識らない人々にとっては残酷な宣告になる。

 それよりは詳細は後半で述べるが、国が率先して理想的な住環境の創生、就業の創生を提示し、大熊町、双葉町の両町民が悦んで住めるような住環境創生の計画案を地元住民との協議の上で提示すべきで、両町民に寄り添った解決策があるはずだ。それこそが早期に中間貯蔵施設建設への道になるはずだ。

 最終処分場への道筋をどう付けるのかの課題をはっきりと表明すべきだ。

 政府は、施設で保管した土などは汚染の濃度が下がったものは資材などに再利用、残った土等を30年後に福島県外で最終処分を完了させるとしていて、その内容を定めた法案が早ければ秋の臨時国会に提出するとしている。

 しかし、どのように処分し、最終処分場は何処に作るのか、あるいはどう処分するのかは検討課題であり、具体策がないまま中間貯蔵施設建設だけが先行するのは危険性を孕んで船出となる。

輸送計画

 県内各地の指定仮置き場、その他の仮置き場に散在する約2,200万トンの除染廃棄土、廃棄物質を中間貯蔵施設地の搬入することになるが、これが一大事業になることは明らかだ。

 2,200万トンという膨大な量に圧倒されるが、実際に中間貯蔵施設への輸送対象物は、福島県内で発生した

(1) 除染に伴い生じた土壌、草木、落ち葉、枝、側溝の泥等(可燃物は原則として焼却し、焼却灰を貯蔵する)

(2) 上記以外の廃棄物(放射能濃度10万Bq/kgを超える廃棄物、可燃物は原則として焼却、焼却灰を貯蔵)

 全体の発生量は

(1) は減容化前で1,870万立方メートル〜2,815万立方メートル、減容化後で1,601万立方メートル〜2,197万立方メートル

(2) は約1.8万立方メートルと推計している。

輸送手段、輸送車両

 中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送・搬入は

(1) 広範囲にわたる福島県全域から、しかも放射性物質を含む大量の除去土壌等の輸送であるから細心の注意を必要とする。

(2) 初期の搬入においては、仮置き場等からの搬出可能量と中間貯蔵施設の整備に対応した各時点でのギャップが生ずる恐れがあることが想定される。

(3) 除染等実施者、輸送統括管理者、輸送実施者、中間実施者、道路管理者、警察等の多くの関係機関綿密な連携・連絡が必要となる。

 輸送の基本原則に沿った輸送を行うためには、福島県内には狭い道路や住宅密集地も通らなければならず、また各地からの輸送ルートが重なる地点や区間に関して中間貯蔵施設を管理する国が中心となって輸送に係わる情報を一元的に把握・管理する必要がある。「統括管理」である。

輸送車両の運行管理

 GPSシステム等を活用し、輸送車両の位置関係情報等をリアルタイムで把握し、輸送車両の運行状況を管理する。また、交通への影響や二次災害を最小限に抑えるため、万一の事故時の情報を迅速に収集できるシステムを構築するとともに、一般車両に係わる事故に関する情報についても、警察、消防、道路管理者、輸送実施者等と連携して情報を共有する。

使用車両

 狭い道路や住宅地などを通るため各種の輸送車両が必要となる。

 積載量としてフレキシブルコンテナ数、2トンダンプ1袋、4tユニック2袋、4Tダンプ3袋、10トンダンプ、トラック7袋、平ボディー25トン8袋、ウィング車25トン9袋、バン型セミトレーラー15袋、コンテナ用セミトレーラー16袋。

積込・荷下ろし機械

 クレーン仕様バックホウ、クローラクレーン、ラフタークレーンその他の機材が必要となる。

(フレコンバック1立方メートル)

 中間貯蔵施設は大熊、双葉の両町の6号国道の東側の大半を占有することになるから町の機能の大半は失われることになり、今後、避難指令解除になっても町民の大半は戻ってくることは不可能となる。

 一方、6号国道の西側の居住地も町の機能が復活できないとなれば、戻る事を躊躇するだろう。また30年後に全面返還となっても世代は完全に替わっており、子供の頃の記憶しか無い、あるいはふる里を全く識らない世代になってしまっており、かつ現住地で生活が成り立っておれば、祖先の地に戻りたいという感覚は既に無い。

 例え戻ろうとしても地元には就労の機会は殆ど無いだろう。

 そう考えれば中間貯蔵施設そのものが、最終処分場になってもおかしくない。

 最終処分場は福島県以外の場所にすると法に明文化されているが、日本国中探しても引き受けるところがあるわけがないだろうと推測する。

 また地権者が先祖代々の田畑や山林を売り、先祖から受け継いできた家業さえ失ってしまい、その資金で何処かに終の棲家を造ったとすれば30年後に戻ってくる必要性は全くない。売却を決めた時点でふる里とは永遠の別れになってしまうのではないか。

 中間貯蔵施設建設に関し、「最後は金目でしょう」と嘯いた担当大臣がいたが、まさにその通りで、地権者との交渉は金額だけで、避難している町民の意に沿ったものではない。

 では町民の望みは何なのか。それは1日でも早くふる里へ帰還することだ。だがそれは出来ない相談であることは十分承知している。

 だが、その望みを少しでも近づける方法があるのではないか。それはチェルノブイリ・スラブチッチ市の発想だ。

 平成25年11月、「夢の町スラブチッチ市を福島に」という提案があった。

 チェルノブイリ原発事故で旧ソ連政府は放射能汚染が酷い168の村を廃村にし、住民のために新しい「希望の街」スラブチッチ市を建設した。

 1986年4月、チェルノブイリ原発事故発生、1986年10月にはスラブチッチ市の建設決定、同年12月には都市計画が完了し、建設が始まり、1987年から入居が始まり、1988年3月には入居が完了した。

 都市人口2万5112人(2014年4月現在)の小さな街だが立派に機能している。

 既に4年経過したが何も出来ていない我が国のもたつきぶりは如何だろうか。スラブチッチ市のような構想は何故生まれないのか。

 ふる里を失ってしまう大熊、双葉両町民、あるいは他の双葉郡民には何故新しい自分達の街を造ろうという発想が生まれないのだろうか。町村という自治体に拘りすぎているのではないか。

 このまま推移すれば、大熊、双葉両町ばかりではなく、双葉郡そのものが消滅しかねない危機にある。

 1次から3次まで全ての職業が消滅してしまったふる里に戻ってどうやって就労し、生活を維持していけるのか、だからこそ戻ることに戸惑いを覚え、過半数が戻らないと苦渋の選択をせざるを得ない状態にあるのではないか。

 これは復興庁が毎年施行しているアンケート調査で明らかになっている。

 また戻ることを選択している人達の大半が中高年齢者だから各種商店、医療機関、福祉機関がない地域で生活を維持するのは不可能だ。また次世代がいなければ自然消滅は避けられない。

 復興庁が平成26年12月23日、「福島県12市町村の将来像に関する有識者検討会」を立ち上げた。

 東電福島第一原発の事故で避難指示が出ている福島県の自治体などを広域的に復興させる目的で、今夏に提言を纏めるとしている。

 住民の帰還の見通が立たず、単独での生き残りは難しいとの判断が背景にある。

 検討会の復興の対象は、国の指示で計約8万人が避難している10市町村と、4月に避難解除になった田村市、国の指示は出なかったが、町の指示で全町民が避難した広野町。23日の検討会は福島市であり、6町村長を招いて、それぞれが作成してきた復興計画などを聞き取った。

 今後半年をかけて、東京五輪のある2020年迄の「当面の将来像」と、第一原発の廃炉作業が終盤に差し掛かるとみられる「30〜40年後の将来像」を纏める。

 政府は昨年纏めた福島の復興加速化指針で、原発事故で避難した全員の帰還を断念、避難先などでの新生活を支援する「移住政策」を取り入れた。

 これにより避難自治体の人口減少は避けられなくなり、早期帰還を目指す地元首長からは、ふる里再生に不安の声が上がった。

 もしこの「移住政策」が促進されればふる里再生は不安どころか確実に消滅することになる。

 其の兆候は既に避難解除になった広野町、川内村に表れており楢葉町も同様なことになる。即ちある程度の人は戻ったが、それは年配者が多く、子育て世代、更に若い世代は戻らない。

 このような時に増田レポートが発表された。日本創成会議人口減少問題検討会が纏めたものであるが、少子化、人口減を直視しその内容は2010年から2040年の30年間に20才から39才の女性人口が5割以下に減少する市町村が全国の自治体の約5割に達するとのデータを示し、数多くの自治体消滅の可能性を示唆した。

 現在避難をしている双葉郡の各町村において戻らないことを決意した人々は過半数に達している。ふる里は戻ることを切望しているのは年配者が大半であり、子育中の年代層は戻らないし、若い層は都会地を目指すことになる。

 就労の機会のない処に若い層が戻ることはない。時間をかければ徐々に戻ってくるかも知れないという淡い期待もあるが、長い時間をかければ反対に戻って来た人達も、医療機関の不備、福祉施設はない、生活の最低線を守るべき商店もないとなれば、再びふる里を離れることになってしまい、やがて無人となる。若い女性のいない町は時間の経過とともに確実に消滅する運命にある。

 いくら除染やふる里再興を叫んでも、根本的な問題を解決しなければふる里再興はあり得ない。

 このまま推移すれば「ふる里ふたば」は確実に消滅の危機にある。

 もう4年も経過してしまった現在、町村単位で再興、再建に取り組んでも不可能なことは明らかになってきた。

 これまでに避難解除になっても僅かな人達しか戻らない。まして今後避難解除になった町では更に多くの人々が戻らないことは明らかだ。

 若い人達は移住政策にのって拡散していくだろう。問題は移住したくとも出来ない年配者が取り残されることで更なる悲劇が待ち構えていることになる。

 やむなくふる里に戻っても侘しい生活でしかない。更に悲劇は仮設住宅は狭いため大家族が分解してしまい核家族若しくは老人の一人暮らし等、取り残された人々が戻りたくても戻れず仮設住宅に取り残されることになるお年寄り達をどう処遇しようとしているのか。

 除染が完了して避難指示解除が新たな苦難の始まりでは茨の道は果てしなく続くことになる。

 除染が済み、避難指令解除になっても帰還することを望んでいるのは約1割程度、それも大半が年配者に限られている。

 もし帰還が果たせても、将来がない限界集落になるだけの危険性を孕むことになる。

 だからこそ全く新しい発想が必要なのだ。もし時期を逸すれば悔いを千才に残すことになる。

 それは前に述べた「希望の街スラブチッチ市を福島に」を実現することにある。場所は大熊町大川原に給食センターが建設されたが、この周辺地区から富岡町の新福島変電所付近の常磐自動車道の山側(西側)の丘陵地帯を想定した。この付近は比較的放射能汚染が低く、ピンポイントで徹底的に除染し、宅地として整地すれば居住環境は復活する。そこに理想的な街を創ろう。

 放射性物質

◆ヨウ素131:半減期8日、β崩壊、無害のキセノンに変化。

◆セシウム134:半減期2年、β崩壊、無害なバリウム134に変化。

◆セシウム137:半減期30年、β崩壊、無害なバリウム137に変化。

◆ストロンチウム90:半減期29年。

◆プルトニウム239:半減期2万4029年。

 問題はセシウム137は、体内に蓄積される性質がある。このセシウム137は癌治療に利用されており、逆に言えばそれだけ危険な物質であることになる。

 ストロンチウム90は、骨の中のカルシウムと置き換わり体内に蓄積、特に脊髄に蓄積し、白血病の危険性がある。

 但し、避難指示20km圏内は爆発前に避難していたのだから体内蓄積の危険性は少ないと推測する。

 大半の放射性物質は半減期を繰り返し無害になりつつある。

 問題はセシウム137の半減期30年だが、地表を汚染しているセシウム137は雑草に吸収しやすく、根っこから引き抜いてしまえば、かなりのセシウム137は減退する。また地表から2.5cm程度のところまでに留まっているので、地表を削り取れば除染はできる。

 従って集中的に除染作業と宅地造成をおこなえば安全基準までの除染は可能で、住環境の造成と周辺地区とは完全に区別した構造にする。

 例えば中世ヨーロッパにあった城塞都市のように、周辺地区から城壁を持って外敵の侵入を防いだが、この居住区も外敵とも言うべき、放射能汚染、自然発生してしまった有害動物や鼠の大群から住環境を護るためにも城壁に準じた防護柵が必要と思われるからである。

 街建造の構想は避難している若い人達が中心となって、特に女性の意見を尊重すべきだ。

 これにはモデルがある。岩沼市震災復興計画で、大津波で被災した被災地区住民が自分達の手でマスタープランを立ち上げたことで、この構想の特色は子育て中の主婦の意見を最大限尊重したことにある。

 岩沼市玉浦地区は7メートル超えの大津波で地区全てが被災してしまったが、いち早く集団移転を決意、海岸から3キロ入った玉浦地区の西側に全く新しい街を造ることを決め、住民有志が街造りのイメージを造り、住民一同との協議を重ね、市は県、国に働きかけ、集団移転事業計画が進行することになった。これが東日本大震災の被災地の中で最も優れた集団移転事業となった。

 この計画が素晴らしかったのは岩沼市出身の東大教授石川幹子さんが全面的に協力してくれたことも大きいが、更に女性の目線からの計画であったことも大きい。ともかく国の施策だけを待っていたのでは、移住計画だけになってしまう。

 双葉郡民がこぞって立ち上がらなければ何の進展もない。

 では、生活を維持する如何すれば良いのか、住環境を整備しても、仕事が無ければ、どうにもならないことになるが、詳細は第五編“栴檀の双葉へ”で述べることにする。

 就労は中間貯蔵施設建設という巨大プロジェクトが動き出す。予算は付いた、後はゴーサインを待つばかり、さらに県内各地からトラック輸送が集中する。第一原発の廃炉作業はこれから何十年も継続することになり、まさに双葉は巨大産業の中心地になると考えよう。

 さらに後述するが、土壌を直接使わないこれからの農業、即ち水耕栽培による農産物の工場での生産、最新技術の導入により全く新しい農業に移行する機会でもある。

 東電の新福島変電所は東日本大震災の際、施設に大きな被害を受け、第一原発に送電できなくなった。従って送電が出来なくなったのは外線の高圧送電線の鉄柱が倒壊ばかりが原因ではなく、変電所からの送電裳停止していたのだ。

 その福島変電所の改修工事は終わり、更に改修工事を行い、避難地区で発電される全量を受け入れる。約1年半後('16年8月頃)から段階的に開始する見通し。

 一方、東北電力は大規模蓄電池を導入するなどして、避難地区の事業者と優先して接続する。被災地への再生エネ発電事業を加速させ、復興に繋げる。

 経産省によると、避難地区が設定された12市町村で計画されている太陽光発電などの発電量は現時点で20万キロワット規模とみられている。これに対して、東電は最大で50万キロワットを受け入れられるように新福島変電所を改修、増築する。事業費として30〜40億円を想定し、自己資金で賄うとしている。

 10万キロワットの新たな受けいれの変電所の改修工事は約1年半、最大60万キロワットで約4年以上必要となる。

 富岡町が県と共同で、民間投資を呼び込んで太陽光発電事業を展開する新規事業に着手する。これはシャープ(大阪府)が出力2万キロワット級の大規模太陽光発電システム(メガソーラー)を建設することを決めた。

 計画案では、町内の東電所有の送電線付近の畑地約40ヘクタールの土地に発電施設を整備し、東電に全量売却する。

 更に楢葉町は、第二原発の送電線を利用して、1万キロワット級の大規模太陽光発電事業計画し、2017年秋の売電開始を目指す。

 楢葉町の計画では第二原発の近く波倉地区の農地など約20ヘクタールに太陽光パネルを設置する。

 福島県は再生可能エネルギーを復興の柱と位置付け、資源エネルギー庁は県の意向を受け、東電に特別対応を要請、東電は第一、第二の原発の発電電力を関東地方へ送電していた新福島変電所を更に送電設備を増強するため、工事費用を数十億円かけると発表した。

 この新規投資をはじめとして、これによって事業者の新規参入も活発化するものとみられ、太陽光発電ばかりではなく再生可能エネルギー発電が新規参入するものと思われる。双葉地区は各種発電の密集地帯となる事によって再興も軌道にのるものと思われる。「栴檀のふたばへの途」はこれから始まることになる。

 これからの農業、水耕栽培

 第五編栴檀のふたばへで詳細は述べるが、農業の形態は大きく変わるし、また汚染地双葉は否応なしに変わらざるをえない。この水耕栽培はこれからの農業であり、水耕栽培であるから、これまでの土壌は使用せず、即ち除染の必要は無い。だからこそ即着手できることになる。

(新しい農業形態がこれだ)
(稲も水耕栽培可能、年に数回の収穫が見込まれる)

特報

 第一原発事故後、避難指示区域となり無人になった富岡町に唯一人住み続けている人がいる。松村直人さん(55才)は避難せず、そのまま住み続けているが、このニュースは海外のメディアでは大きく採り上げられ報道されてきたが、何故か国内では全く報道されてこなかった。

 松村さんは生まれ育った愛する富岡町を離れることを拒絶し、取り残された犬、猫、その他牛、ダチョウの世話をしながら、一人きりの生活を続けてきた。

 この松村さんの日常を追った長編ドキメンタリー映画が完成した。

 映画は「ナオトひとりっきり Alone in Fukushima」監督は中村真夕さん(41才)、2013年夏から14年春までの約半年の日常生活を追ってカメラに収めた。

 このドキュメンタリー映画は、新宿K's Cinemaで公開される。(※現在、上映は終了しております。)更に全国、海外でも公開される予定。

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第24章 もう福島には住めないのか

 本当に住めないのか?

 あの日、突如全町避難を告げる放送が流れ、何を意味しているかも判らず、二、三日で還れるものと思い、必要なものも待たずにバスに乗ったが、あれから4年以上も経過してしまった。最初のうちはただひたすら還ることばかり考えていたが、歳月が流れるに従って朽ちてゆく我が家、動物が跋扈し太古の時代にタイムスリップしてしまったような環境にただ呆然とし、また農業を継続するのはもう絶望的、企業も全て倒産や解散してしまい再就職のメドはない。将来の見通しは絶望的になってしまった。

 除染に期待を持っていたが、それも何時になったら可能なのか。

 家はボロボロ、住環境は獣だらけ、耕作地の再興は絶望的、商店街はない、医療機関はない、福祉も期待出来ない、子供の教育をどうすれば良いのだ、全てが崩壊してしまったふる里を元に戻すには時間と金と労力が膨大なものになるだろう。

 失ったものが大きすぎるのだ。

 避難指令が解除になったから帰還してもいいよと言われても即座には応じられるような環境ではない。

 子供が就学している家庭では更に厳しく、仮住まいでも現状の方が良いと考えてしまうのではないか。

 その答えは既に出ており広野町、川内村では大半は帰ってこない現実がある。

 そこに追い打ちをかけるような突発的に問題提起があった。

 2014年5月、人気漫画「美味しんぼ」(週刊ビックコミックスピリッツ)(小学館)で第一原発を訪れた主人公が帰宅後疲労を覚えるようになり、鼻血を出す描写があったことに関し、14年5月13日の閣僚記者会見で相次いで批判したことに関し、全国的な論議がわき起こった。

 福島県庁や地元自治体からは当然疑問や抗議が相次いだ。一方言論の自由を楯に作者の意図の正当性、政府は未だ何かを隠している、それを暴くのが言論の自由だとの主張も根強い。

 同作は4月28日発売号で、第一原発を見学した主人公が疲労感を訴え、鼻血を出すシーンが描かれ、「福島には同じ症状の人が大勢いますよ」と前双葉町長が実名で語り、続く5月12日発売号では、鼻血の原因は被曝したからだと同氏の言葉や、福島大准教授が実名で登場し「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、出来ない」という言葉が掲載された。

 これに対して「風評被害を助長する」として双葉町や福島県が抗議文を公表した。また閣僚からも次々と批判がでた。

 一方、出版社側は言論・表現の自由を訴え、作者は現地での綿密な取材の結果、このような表現になったのだと強調。さらに鼻血が出たとする前双葉町長はネット上に自身の映像を公開し、鼻血のシーンや赤く染まったちり紙の映像を数多く掲載した。

 地元双葉町前町長が実名で自身が鼻血が出るのだと公表し、福島には同じ症状の人が大勢いるのだと証言したのだから騒ぎは大きくなった。

 仮に作中の「放射性物質の影響で鼻血が出る」という見解が、現在の医学的通説からは大きくかけ離れていても、これを「真実とは全く異なるもの」と簡単に断じてよいものなのかどうか。

 なにしろ訴えている人が、第一原発事故時地元双葉町の現職の町長であり、全町民の避難を指揮、誘導した中心人物であるから信じてしまった。

 なにしろ強制避難した町村の中で唯一遙か埼玉県まで町民を避難誘導し、2年以上も役場と町民を埼玉県内に避難させていた。

 「美味しんぼ」の作者は「福島は危険」と断じ、前双葉町町長は自身が患者だとネット上にその症状を訴え、岐阜県環境医学研究所所長が医学的見地からあり得るとしており、極めて限定された少数意見であっても、異質な見解だと完全否定することはできない。

 安全なのか、危険なのか。地元住民としてはどの意見に従えば良いのか。特に子育て中の家庭にとっては大問題だ。

 いろいろな情報が飛び交い疑心暗鬼の中にいる避難している人達にとっては、意気消沈してしまい、活きる支えであった帰還への夢も打ち砕かれてしまったような衝撃を受けた。

 たかが漫画というなかれ、マスコミの言論に惑わされる人が大半であることを認識して欲しい。「美味しんぼ」が何を訴えようとしているのか真意は判らないが、確実に言えることは「福島にはもう住めないのだ」という台詞であって、しかも第一原発周辺の双葉郡と限定しないで福島としたのでは福島県全域を指すことになり、その衝撃は大きすぎる。

 素人の作者が断言したのではなく、地元福島大学准教授の要職にある人の証言であるとされているから尚更信じてしまった。そうするとこの台詞のみが一人歩きし、「福島にはもう住めないのだ」との観念が常識となってしまう。

 福島県内に住んでいる人々にとって、いとも簡単に「福島は危険」と「断定」されては、これからどう行動してよいのか、悩みは深まるばかりだ。

 だからこそこれほど重大な見解を、危険だと一方的に断定した表現は無責任すぎるものと考える。

 鼻血と放射線量との因果関係は素人には全く判らないが、医学的に証明されていないものをどの程度の確信があっての告発なのか。

 福島にはもう住めないとするならば、福島県全体を指すものなのか、そうすれば會津地方を含めた福島県全体なのか。だとするならば距離的にいえば宮城県や茨城県の方がより近いことになる。

 これは警鐘なのか、なにが福島の真実なのか。作者の意図するところは何処にあるのか。

 鼻血が出るようになったと証言したのは双葉町前町長であった井戸川克骼≠ナ、「事故後、疲労感を感じ、鼻血が出るようになった。福島では同じような症状の人が大勢いますよ、ただ言わないだけです」と主張し、取材した作者は作品に直接実名で記載した。閣僚がこの作品の描写にたいして不快感を表すと、反論か意見で「実際に鼻血が出る人を多く識っている。私自身も毎日鼻血が出て、特に朝が酷い、発言の撤回はあり得ない」「何故あの大臣が私の体にについて、うんぬんできるのだ」と語気を強めた。

 またこの鼻血の写真をFBに記載し、自身の映像を掲載し公にした。

 同氏は町長を退任後、第23回参議院議員通常選挙に「みどりの風」比例区に出馬したが同党は獲得議席零であったため落選した。

 またこの選挙運動中に「震災の8日前に、地震・津波があることを政府や東京電力、東北電力、日本原燃は判っていたのに発表することを止めた」と根拠は示さず不思議な主張を繰り返した。

 選挙中の演説で一般公衆の面前でのこの主張に唖然とするが、本人は大真面目で主張したようで、聴衆の方が驚いたという。続いて福島県知事選挙にも出馬したが落選した。

1ミリシーベルトの呪縛

 これはある本の表題(エネルギーフォーラム出版社新書:森谷正則著)で、本の背表紙には“今、日本中が、放射線が怖いという空気に覆われています。この空気に逆らえないのか、放射線はそれほど怖いものではないとは、誰も言えない雰囲気になっておりますが、そこで私が独りでも声を上げようと、本を書きました。この本を読んで頂けたら、怖くないことが判るはずです”との意気込みで書いたようです。

(1) 放射線を浴びることによる影響の大きさを正しく知る。

(2) 現実に浴びる放射線量はどれ程のものであるかを知る。

(3) 受ける影響の大きさを、どれ程重大であるかを評価する。

(4) 浴びるマイナスと、浴びないための対応がもたらすマイナスを比べて、どちらが大きいか「比較、評量」する。

 しかし、現在の雰囲気は「1ミリシーベルト」だけが先行してしまい、放射線を怖がることによるマイナス面を聴こうともしない。

 放射線の影響は何処にいてもその影響は受けるものであって、放射線ゼロなどはあり得ない。いったいどれだけの放射線を浴びたら影響が出るのか、発癌リスクはどの位浴びたら危険なのか、それらの基準値を正しく教宣すべきであって、「1ミリシーベルト」の恐怖だけであれば、単なる風評被害でしかない。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝の人体への健康被害は明らかではないとしつつも、被曝量は少ない方が良いことは確かだが、被曝とは全く関係ない土地でも、平均値で年間1.5ミリシーベルトの自然界からの放射線を浴びており、レントゲン検査やMR検査などの医療行為で年間4ミリシーベルト、更に食物を介して0.5ミリシーベルトを摂取、日本人平均は年間6ミリシーベルトを浴びていることになる。

 医師、看護師、レントゲン技師、鉱山労働者、造船技師等職業として放射線を浴びる機会の多い人達を対象にした基準があるが、5年間で100ミリシーベルト以下、1年間では平均20ミリシーベルト以下、若しくは1年で50ミリシーベルト以下という基準が定められている。

 成田空港⇔NYケネディ空港を旅客機で往復した場合宇宙から200μシーベルトの宇宙放射線量を浴びることになるから、パイロットやCAさん達は連続して浴びていることになる。

 現在国の除染目標、つまり自然界からのものを除いた追加的な放射線量、年間1ミリシーベルト(mSv)というのは、余りにも厳しく現実的ではない。

 科学的にみても、国際的な基準からみても、この目標は根拠がなく、合理性もない。国全体が年間1ミリシーベルトでなければならないという呪縛に囚われており、この目標のために避難生活を強要され、多くの人が望郷の念を抱いたまま亡くなられ、また心理的ストレスに悩まされていても無視されているが、誰のため、何のための「1ミリシーベルト」なのか、被曝後の混乱時に民主党政権が決めたが、自民党政権に代わっても様子見の状態だが、ともかく「1ミリシーベルト」に拘るならば帰還は何時になるか判らない。

 また、川内村では追加1ミリシーベルト以下であることが確かめられ、12年1月に「帰村宣言」を出したが、同年4月に警戒区域解除以降、村民を帰還が認められたが、避難した全村民のうち、1460人(約53%)が帰村した。

 還らなかった人達は低線量被曝の影響、健康への影響に対する不安を訴えているという。

 除染をしっかりやった、基準値以下になり安全は確かめられた、待ちに待った避難解除の知らせが届いた。

 人々は喜びに充ちて我が家に戻ったのか、それが僅かな人達しか戻らない現象が起きた。広野町、川内村では解除になっても大勢の人が戻らない。何故なのだろうか。残留放射能を怖れている事もあるが、全てではない。一度破壊されてしまった社会構成の修復に不安があり、それは総べての分野に及び、それならば不自由でも避難地での生活を続けた方が得策と判断する。

 まして全町民が強制避難を継続している富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の4町に避難解除令が出たとしても、避難者数計5万余のうち大半は戻らないと推定する。

 結果として自治体としての存亡が問われることになりはしないか。

 アンケートだけで推計するのは危険だが、帰還しない理由の最大は帰還後の生活に不安があるからであり、一度破壊された町組織が修復されるまでには相当の歳月がかかることを承知しているからで、その不安を解消するような強力な立案を提示することが先決で、為政者にはその義務がある。

 '13年、晩秋、全員帰還の目標は、除染作業が進まず、当分の期間は不可能となる見解を政府は公表し、避難中の人達が住む仮設住宅に替えて、本格建築となる住宅を建設、あるいは新築を奨励、低利の住宅基金斡旋と大分方針を変えてきた。

 そして安全基準としての1ミリシーベルト目標を見直す見解といいたいが、実際は1ミリシーベルトは長期目標値であって、安全基準ではないと表明した。

 福島第一原発事故で政府が除染目標に掲げる年間被爆(放射線量1ミリシーベルト以下)を巡る議論が再燃している。

 国際原子力機関(IAEA)が「さほど拘る必要はない」と見解を示し、自民党は追認姿勢を打ち出した。

 原発周辺の被災地は今、「1ミリシーベルト」が安全基準化し、避難住民は帰還を躊躇する要因になっている。

 議論のきっかけは、10月中旬に福島の除染現場を視察したIAEAの専門家チームが出した報告書、(国際基準の)年間1〜20ミリシーベルトの範囲内でいかなるレベルの個人放射線量も許容しうる」と指摘した。

 自民党東日本大震災復興加速化本部は11月、報告書を引用する形で「1ミリシーベルト」は長期目標で、除染活動のみでは短期間では達成出来ないことを説明に務めるべきだと首相に提言した。

 1ミリシーベルトは空間線量から推計した年間追加被曝線量を指し、空間線量で毎時0.23マイクロシーベルトが相当する。

 一方、避難指示解除の目安となる年間20ミリシーベルトは単純に積算線量で判断する。

 1ミリシーベルトが除染目標になったのは民主党政権時代の2011年10月、当初は5ミリシーベルトが除染目標として検討されたが、福島県側が猛烈な勢いで1ミリシーベルトを主張、地元の主張に同意したのだと当時の民主党政権担当者は言い訳したが、福島県側の主張である1ミリシーベルトでなければならないのは、専門家の見解なのか、その根拠は示されてはいないらしい。

 実際の除染は「下げられるところまで下げる」(環境省)ことを当面の目標として、1ミリシーベルトは長期目標に位置付けるとしている。

 ところが避難している人々は1ミリシーベルト以下にならなければ還れない、還らない、と信じ込んでしまった。

 その論調がいつの間にか真実となり、公にも故意なのかどうかは判らないが「1ミリシーベルト」だけが一人歩きしている。

 「目標値がいつの間にか安全基準にすり替わってしまった」と政府関係者はぼやいているが、では何故はっきりと目標値と安全基準の違いを明言しなかったのか。

 素人には目標値も安全基準の数値など判らない。だから1ミリシーベルト以下でなければ安全は護れないといわれれば素直に1ミリシーベルト以下にならなければ還れないんだと信じてしまった。

 今年の春に公開される予定の映画「PANDORA'S PROMISE」(邦題「パンドラの約束」)という米国独立プロの映画があり、'13年11月12日、先行試写会が開催され拝見させてもらった。制作者はロバート・ストーン監督・脚本とスタッフ全員がそれぞれの分野で活躍しているアメリカの環境保護運動の巨頭ブランド氏、イギリスの作家、ジャーナリスト、環境保全家マーク・ライナー氏、アメリカの高名なジャーナリスト・作家、編集者であるグレネス・クレイヴンズ女史、ピューリッツァー賞受賞ノンヘクション作家のリチャード・ローズ氏等の著名人がスタッフとして活躍、制作した映画で、各氏に共通する理念は、猛烈な環境保護の理念だ。

 当然、脱原発、環境保護を訴える映画だと期待するが、そこに題名「パンドラの箱」を開けてしまった意味があり、エネルギーを考えるあらゆる人々にとって衝撃的な内容になっている。

 原発福島第一原発の事故が、原子力神話を完全に破壊してしまった。これが世界の常識であるが、もしこの観念が間違っているとしたら、世界に与える影響はどうなるのか、1国だけの問題ではない。世界の環境保護をどうすれば良いのかを問う。環境保護論者であり、反原発論者達が元・反原発論者になる転換を描写している。環境保護者に良くある議論の弱点を追求し、原子力問題と地球温暖化の危険が差し迫り、太陽光、風力が地球に充分なエネルギーを供給するのは不可能に近いと結論付け、原子力の否定的な要素について徹底的に調査し、核燃料の破棄、テロ、メルトダウンに対する懸念が度を超していると結論付けている。

 映画は地球上の人口増加に伴うエネルギー消費に対して、地球環境問題の観点からCO2排出を抑える電源のエネルギー源として何を選択すべきかについて論じ、放射性物質が我々に与える影響について、データを用いて現実的な姿勢で検証している。さらに、事故のリスクを含めた原子力の恐怖について、化石燃料の使用によって起こる危険と原子力エネルギーの危険を対比させている。

 再生可能エネルギーが単独で化石燃料に取って代わることはできない、化石燃料を燃やし続けることによって怖ろしい程の勢いで地球温暖化、気候崩壊へ向かっている。その被害は地球全体に及び、特に後進国や発展途上国ほど被害を受けることになる。その被害は後進的な地域、社会を脅かし、崩壊させているのだと主張し、これこそが自国のことしか考えていない先進国のエゴだと訴えている。

 我が国は原発の再稼働を認めず、1部稼働しているが、大半は停止したまま、その代わり火力発電に切り替え、大量の化石燃料を消費、CO2の削減どころか増やし続け、貿易収支の大幅悪化を招いているのが現状で、果たしてこれでいいのか、打開策は無いのか、映画は数々の問題を提起している。

 但し、この映画には錯誤や誤解があると猛烈な反対運動があることは確かで、どちらが正しいとは判断できないし、議論が分かれるところだ。

 この映画制作中、ロバート・ストーン監督自身が第一原発事故避難地域を自分自身の目で確かめたくて、訪日、被災地富岡町に入り各地を視察すると共にロケを行い、空間線量をも測定したとのこと。その結果は空間線量の国際的な安全基準を大幅に下回っていながら、何故立ち入りを禁止しているのか、何のため、誰のための安全基準なのか、被曝による犠牲者は零、なのに避難関連による死者は多数出ているのは何故か、数々の疑問を提起がある。

 WHO(世界保健機構)とUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は原爆投下された広島、長崎で生き残った人々の健康状態を、およそ70年間に亘り調査してきたが、その機関が福島での放射線放出によって健康上の悪影響に関する調査をしたが、事故現場に近くにいた人以外にはその影響は診られない。また今後のおいても、何らかの健康被害が認めることは非常に考えにくいと結論付けている。

 尚参考までに、広島、長崎では原爆被害による立ち入り禁止は全くなかったし、原爆投下後、2年目の1947年12月7日、昭和天皇は広島市に行幸され、原爆ドーム近くの場所で市民の歓迎祝典に臨まれている。

 この映画の趣旨は、火力発電の化石燃料の燃焼によって発生するCO2によって必然的に起こる地球温暖化問題による地球全体に及ぼす悪影響。原発事故はたまたま偶発的に起きてしまって被害が起きてしまったが、本来は防げたはずであり、今後は絶対的に防止できるのだとのことで、どちらに比重を置くべきかを問うていることになる。

 全く関係ないが、'14年2月9日、東京都知事選挙の結果は、即・脱原発を訴えた候補は落選した。原発事故から3年目、風は変わってきたことを実感する。

避難生活長期化の結果

 今回の東日本大災害を始めとする大災害が日本を含め世界各地で起きているが、災害地が復旧しても避難していた人々が元の場所に戻りたがらない現象がある。

 今回の原発事故、避難、そして帰還が何時になるか判らないまま、避難生活が4年目を経過しても帰還できる予測は全くたたない。

 当初はまもなく帰還できる。それまでのしばしの辛抱と考えていたが、4年も経過してしまった現在、避難している人々に心理的変化が起きるのは当然で、帰還意志の有無をアンケートで調査したところで真意は判らない。

 何故ならこれからの生活を考えれば、帰還しても依然と同様な生活が保証されている訳ではない。

 それどころか慰謝料の支払いは帰還後1年迄として、当然かも知れないが打ち切りとなる。

 そうなると帰還後の不安よりは、現在地での生活の確立、若しくは新天地を求めて移住することの方がよりよき選択と考えるだろう。

 その答えは既に出た。それは強制避難地区ではない広野町や南相馬市でも自主避難した人達が戻ってこないという現象だ。

 この典型的な出来事が川内村で、この村は20キロ圏内に当たり、全村民が避難、今年3月に村の1部分を除き解除になったが僅か半分程度の村民しか戻ってこなかった。まもなく解除になる楢葉町も同様かも知れない。

 川内村は地震の被害なし、1部分帰還解除準備区域に入ったが、村の大半は解除になった。

 安倍首相は「ファストランナー」と持ち上げたが、しかし半分の村民は戻らない、何故だ、避難地の生活に慣れてしまった。子供の教育の問題、それぞれに理由や原因が異なるだろうが戻らないという事実は動かない。

 最大の原因を勝手に推し量れば生活のメドが立たない不安だろうし、子供が現在の学校に慣れ親しんでしまった。進学も便利だ。

 ともかく組織を破壊するのは一瞬かも知れないが、修復するには時間と最大限の努力が必要だ。避難中の人々の最大の不安は戻ってもこれまで通りの生活は出来ない。農業は駄目、働いていた会社は倒産した、閉鎖された。何もかも失ってしまった町に帰りますかと訊くアンケート調査で、自信を持って「帰ります」と答えられるのは極論すれば公務員と年金受給者だけ、その他の人々には残酷な問いかけになる。

 まず、農業に換わるべきこのような方策を計画している、企業を誘致する、あるいは起業する、このような働き口を用意する等々、さらに国はこのような計画だ、県はこうだとの見解を説明してからのアンケートなら納得がいく。

 90年前の関東大震災では、旧東京市が壊滅的大打撃を受けたが、後藤新平内務大臣の獅子奮迅の活躍により約半年で大東京市建設の為の青写真を完成させ、市民を納得させ、安心させ、そこから復興が開始された。

 阪神淡路大震災も、初期にはもたつきもあったが、小里貞利担当大臣が神戸市に1年間も張り付き、復興のため頑張り、政府主導の面が大きかった。

 双葉地方の避難のケースを見ると、災害が起きて一斉避難は共通であるが、災害が収まっても汚染という特殊事情で汚染度も地域によって異なれば帰還許可もバラバラになり、町行政も掌握に困難になるし、各町が統一されることもなく町独自の復興計画を描いても、実現不可能な計画でしかない。

 被災地復興を謳い上げた計画書が出され、避難民を安心させる為なのかバラ色の復興計画で、農業の復興、畜産業の復興とかを羅列してあるが、ただ農業の復興としか書いてなく、その為の除染はするとだけしか説明はない。

 国も県も地元も振興策が中身も手順も時期も全く見えてこないのは何故だ。現地住民を引っ張る指導者不在であることがその原因だと思いませんか。

 復興計画を拝見すると確かに理想的な再建計画が示されているが、それはインフラ整備計画だけであって、その基本は復興計画、復旧計画にすぎない。

 総花的な復興計画ではその実現を危ぶみ、避難住民もその計画に危惧を覚え、冷めてしまうのではないか、混乱期だからこそモーゼのような絶対的な指導者を求めているのだ。

 避難中の皆さんを1日でも速くふる里へ還してあげたいと全国民が願っていることだが、その方策を誤ると、帰還が夢のままになってしまう怖れがある。

 だから何とかしよう。方策はいろいろあるかも知れないが、最大の意志決定者、あるいは帰還の為の方策を選択できるのは避難中の皆さん方の意志の表明にある。

 本論の趣旨は、帰還の為の方策の一つとして、全く新しい分野への進出を謀り、不可能な米作を中心とした農業は完全否定、復旧、復興を絶対的に排除した。

 どう捉えるかは皆さん方の自由、このような考え方もあるという提案であって、主役である避難中の皆さん方の意志、意見を最大限尊重すべきだと心得る。

 大袈裟な表現かも知れないが、「ディアスポラ(Diaspora)(ヘブライ語で撒き散らされた)(英語で離散の意)」になりかねない現状を意識すべきだ。(ローマ帝国の弾圧により故郷を追われたユダヤ民族は世界各地に散り、各地で苦難の歴史を歩んだ)。これに対しRefugee(避難)という単語があり、その違いはDiasporaは還るべき故国を失った人々を指し、Refugeeは一時的避難で、還るべき故郷がある人々を指す。

 そのようなことは絶対にないと確信するが、一部の住民はDiasporaになりかねない危機にあることが懸念される。

慰謝料一括支払い

 避難生活も4年になってしまった、避難指示が事故後6年以上続く可能性のある「帰還困難区域」(年間積算放射線量が50ミリシーベルト超)と、その周囲の大半が帰還困難区域で帰還後の生活に支障が見込まれる地域の住民を対象として、精神的損害への慰謝料を一括して支払う方針を決めた。

 政府与党が住民の「全員帰還」の原則を明らかに断念したことを踏まえ、住み慣れた地域での生活を断念せざるを得ないことに対して賠償する。

 これらの方針は文部省原子力損害賠償紛争審議会が11月22日決めたもので、これまでも、精神的損害への慰謝料として、避難指示解除準備区域(20ミリシーベルト以下)は12ヵ月分。居住制限区域(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト)は24ヵ月分。帰還困難区域(50ミリシーベルト超)60ヵ月分が既に支払われている。

 新方針としては、避難指示解除後1年間で慰謝料を打ち切る一方、避難指示が長期化する地域に対しては一括賠償する。審査会では、避難指示が7年続いたと想定し、解除後1年を含む8年分を(1人960万円)の参考値が示された。

 移住先の住宅確保するための賠償をも盛り込む方針で、事故時借家に住んでいた被害者に対する賠償方針も新たに示した。公共用地取得の場合の借家人への補償算定基準(最長4年)の2倍の8年を目安に検討すると発表した。

 政府は全員帰還を断念し、慰謝料一括払いで終結を謀りたいらしい。

 誠にバラ色の思いやりかも知れないが、必ず更なる悲劇が襲うことになる。

 それは生活必需の金額であるが、俄成金になった被災住民には親類縁者のたかりの対象になり、すり寄る詐欺師の群、脅迫まがいの寄付の強要、上手い儲け話、金のなる木に群がる悪徳の輩は引きも切らず、気が付けば丸裸、全てとはいわないが、このような先例はいくらでもある。充分考慮しなければならない事案だ。

 慰謝料の支払いの事実は、その金額まで推定できることであって、オレオレ詐欺以上の世の悪徳人種は手ぐすね引いて待ち構えている。俺は絶対に騙されないという人ほど、騙され易いのが人の世の常、ではどうすれば良いのだ。

 12月18日、早期帰還に賠償上乗せという方針を打ち出した。政府は第一原発事故からの復興を加速するための指針を纏め、早期に帰還する住民には賠償を上乗せする一方、避難住民全ての帰還を前提にしないことを示した。

 除染や中間貯蔵施設にも公費を投じ、東電への資金援助の上限を今の5兆円から9兆円に増やす。

 避難指示解除が順次本格化する前に指針が決められ、避難指示解除直後の帰還は生活上の不便さを伴うものとして「早期帰還者賠償」を上乗せする。また、時期とは関係なく、帰還住民には住宅の建て替えなどへの賠償を追加。一方、精神的損害への賠償(慰謝料)は避難指示解除後1年で打ち切りとなった。

 一方、長期間帰還が困難な住民に対しても住宅取得費用を賠償する。

 事故6年目以降の支払いが未定であった慰謝料は一括して支払う。長期間帰還が出来ない地区の中長期的な将来像の検討を始めるとしているが、是非とも将来像として次に提案する「新城塞都市構想」を検討して頂きたい。そしてその郭内での新築住宅に住宅取得費用賠償を当て嵌めて欲しい。

 住宅新築が決まっていればその新築費用を確保しようと賠償金や補償金を絶対に護ろうとするし、家族もそれを護ろうと注意万端怠りない態勢が出来る。そうすれば、諸々の賠償金を狙う悪徳の輩から身を護る1つの指針にもなる。

 更にもう一言、慰謝料支払い一括案を呑んで、慰謝料を受領すれば、もうふる里へ戻ることは諦めるしかない。双葉町、大熊町の6号線東側で熊川以北から双葉町を含めて浪江町との境界付近までは国が買い上げる計画らしい、とすれば大熊町や双葉町は町行政としての機能を失うことになる。

 双葉町の大半の町民はいわき市に集結しているが、そのままいわき市民として落ち着くか、他の地に移住するかは本人の自由となるが、いわき市に居るのは必ずふる里に還れると信じているから、少しでも近いところで待機したいと埼玉県から役場と共にいわき市に移ってきたはずと想う。

 大熊町の役場は会津若松市にあるが、大熊町住民の避難場所としていわき市内に避難している人が一番多くいわき市連絡事務所が役場機能として主力になっている。富岡町仮役場は郡山市にあるが矢張りいわき市に移転を検討していると聴く、即ち避難住民は1日でも早く帰還することを望んでいるものと推測する。

 安倍内閣は'13年12月20日午前、第一原発事故からの福島復興を加速するためとの指針を閣議決定した。

 帰還の見通しがある人に加え、避難指示が続いて帰還できない人達の避難先を出る移住を積極的支援し、希望者全員の帰還という政府方針を大幅に転換した。

 避難指示区域が含まれる双葉郡の自治体の将来をどうするか、国と地方自治体の代表者が本格的に話し合うとしているが、住民の居ない自治体が存続する訳がない。双葉郡の町村は自然死を待つだけなのか。

 指針によると、帰還困難区域の住民には、移転先での宅地や住宅の取得に必要な賠償を追加する。長い間ふる里へ戻れないことへの精神的慰謝料も纏めて支払う。

 移転先で落ち着けば、何年か先には世代は替わりふる里への感覚は薄れ、生活場はその地になりふる里へ戻ることはない。

 また早期帰還を希望する人には、賠償上乗せとして避難者一人あたり100万円を上乗せするとしているが、インフラ整備も不十分、医療、商店も不備の町へ帰還せよといっても、帰還後は仙人の生活を強いられるだけだ。

 ともかく政府の指針は、温情溢れるような施策に見えるが、全てが札束をちらつかせるだけのことであって、避難民を扱いかねていることを感じる。

 このまま推移すれば強制避難中の人達は避難地や他所に住むことになり、住めば都、就職もした、何年か住めば子供達にとってはそこがふる里、双葉郡のふる里は遠きにありて想うもの、双葉郡の辿る途はただの無人地帯になるだけ、崩壊するだけの途を歩むだけになってしまうのだろうか。

 だが無人地帯になることは絶対にない。それは第一原発の廃炉工事は今後何十年と続くことになる。完遂まで一応30年から40年との見通しはあるが、それは希望的観測であって、実際はメルトダウンしている原発の世界最初の廃炉工事であるから70年から80年はかかるだろうとの見解もある。いずれにしろ気の遠くなるような時間と労力の要する難工事になることは確かだ。

 また大熊町、双葉町の両町またがり6号国道東側に建設予定の中間貯蔵庫は大規模な土木建築で4000万トンの土砂の排出が予定されている。

 このような大規模工事が双葉郡で行われることになり、作業員だけでも5〜6千人あるいはそれ以上の人が働き、中間貯蔵庫完成すれば、近隣から除染廃棄物を運び込むのに1日2000台のトラックが運行することになる。

 更に第二原発はどうなるのか、活用するのか、廃炉にするのか、いずれにしろ作業員は必要となる。そうなると双葉郡は最も活況のある地方となり、作業員を中心とした町が出来ることになる。

 そうなると地元民は去り、全国各地から集まってきた人々が新しい町を造ることになり、住民の交代が現実となってしまう怖れがある。新しく創成された職場に地元の人々が働けるようにはできないのか。あるいは地元の人達が地元の職場で働こうとする意志は醸成されないのか。

 ふる里を愛するが故に厳しく1ミリシーベル以下になることを切望し、でなければ帰還しないと決めてしまっては、何時になっても帰還できないことになり、その間ふる里はどんどん変貌し、やがてヨソの人達が住む町になってしまうことになりかねない。やがて帰還しても既に住んでいる住民と、還り新参である旧住民との間に逆転現象が起きかねない珍事だ。まさにパレスチナ問題のような現象が起きるかも知れない。

 皆さんは重大な岐路にあるのです。金だけで解決できる問題ではない。皆さん自身のため、ふる里存続に為にも、意識改革が必要になる。移住計画に乗って安易にふる里を捨てる必要は無い。

 「國破山河在 城春草木深」ふる里を失ったわけではない、存在しているのだ。

 住民にふる里を甦らせようとする強い意志があれば、必ず甦るものと確信している。

 前章で僅かに触れたが、城塞都市のような全く新しい住環境を創生する事にある。理想的な居住地を自らの力を結集することによって築き上げることが出来る。

 巨額の除染予算が計上されているが、城塞都市予定地だけをピンポイントで徹底的に除染し、そのかわり他の地区、人家、農地除染の必要なし、人家の除染予算を新居住地造成に投資する。農地除染の予算を新しい水耕栽培施設の建設に投じよう。

 公的に宅地を造成したならば、家屋は各自の資金で理想的な家屋を新築しよう。その資金は一時金を充てれば良い。ただし新築には制約がある。それは街全体を近未来の都市であるスマートシィティーにするからで、この詳細も第五編で述べる。

 もし一時金でもって移住計画に乗って他所に移ろうと計画すれば、その一時金を狙ってオレオレ詐欺まがいの悪徳人種に狙われることになるし、また親類縁者が現れ強請、たかりの対象になってしまう恐れがある。

 それならば最初から計画的に新築の構想を持っていれば資金防衛の助けになる。

 住宅確保と就労の場が確保できれば、ふる里は新しく生まれ変わることが出来る。

 就労も双葉の地は第一原発廃炉工事、中間貯蔵施設建設、膨大な除染バックの運搬事業。更には水耕栽培のための新たな事業、各種再生可能エネルギーによる発電施設が集中する発電施設集中地帯になる可能性があり、夢は際限なく花開く。

 間違いなく労働力を必要とする優良労働市場になる。

 そのためにも移住計画を打破し、ふる里創生に力を注ぐべきだ。双高OBが結束してふる里創生計画を教宣すべきだ。双葉郡民がこぞって参加することによって夢は実現できる。

追記(1)

 「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)に昨年(2014年)掲載された漫画「美味しんぼ」で、第一原発を訪れた主人公が鼻血を出す描写があり、「もう福島には住めない」とした問題を巡る、地元福島、政府高官、有識者からの猛烈な反論や批判があったが、原作者雁屋哲氏が、遊幻社から単行本「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」で、「今の福島の環境なら鼻血は出る」と反論した。

 放射線被曝と鼻血の「因果関係は考えられない」とする環境省の見解を疑問視し、研究者の行った住民調査の結果などから、現地福島の多くの人々が鼻血で苦しんでいるのは事実だと反論している。

 作者雁屋氏は福島の農・漁業の人々や第一原発周辺を取材した結果などから「鼻血で苦しんでいる多くの人がいる」と主張した。

 連載中一部修正したことについては、作中の漫画に実名で登場した実在の人々が猛烈なパッシングを受けたことに関し、登場人物を護り、誤解を防ぐ必要があったからだと弁明し、あくまでも内部被曝、低線量被曝への懸念を表明した。

 更に最終章では「大事なのは『土地としての福島の復興』ではなく『福島の人達の復興』」だと強調した。

 即ち「福島にはもう住めない」「自分を守るのは自分だけ、福島から遁れる勇気を持て」と呼びかけているような本が出版された。まさに移住計画の推進にある。

追記(2)

 再生可能エネルギーによる各種発電施設を被災地に集中的に建設するとしているが、'15年2月1日、竹下復興相は避難住民の帰還を促進するため、ロボット開発の拠点を創る方針を表明した。

 今国会に提出する福島復興再生特別措置法の改正案に盛り込むことになった。内容は福島県内に進出する関連企業や研究機関に安く土地を提供する。

 詳細は國と県が話し合う復興再生協議会で明らかにした。

 補助金や税制優遇の対象となるロボット開発の分野には制限を設けない。

 福島でのロボット開発について、政府は昨年('14年)閣議決定した「国際研究産業都市構想」で、第一原発の廃炉用ロボット中心の開発拠点を造ろうとしていたが、しかし、廃炉中心では帰還が促進できなとの地元の懸念を配慮し、方針を見直し、ロボット全般の開発・研究機関とした。

 政府は帰還促進を念頭に足下を固める方針とした。このため放射能による健康への気遣いを除く対策、猪や鼠、その他の動物等の駆除促進を決めた。

 福島では廃炉まで30〜40年を要する。10年間の復興期間を過ぎた後如何するか。政府として方向性を示さなければならない時期だ、と強調した。

 移住計画にのってふる里を去るか、ふる里の再興を信じてふる里に戻るか、貴方はどちらを選びますか。

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